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きっと神様が見ている
しおりを挟むバイトを休むなんて、冬にインフルエンザにかかった時以来だ。でもいま駅のホームに立ったら、俺は「黄色い線の外側」に足を進めてしまう気がした。
そして助けを求めるように、祈がいる場所に来てしまった。
また俺は祈に寄りかかってしまう。俺の毎日にはどうしようもなく祈が必要だ。でもそれは、どうしようもなく卑怯なことかもしれなくて…
ーー私、綾人が好き
祈から告白された時、俺は震え上がった。絶対にその気持ちに答えることができないから。でも答えないと、祈が遠ざかってしまうかもしれないから。
でも祈は変わらなかった。
現にいまこうして、俺に応えようとしてくれている。俺は何一つ、祈に応えてなんか無いのに。
それは、祈の気持ちにつけこんでるだけじゃ?仮に俺のことなんかもうどうでも良くても、自分を振った男の側に居続けることなんて、しんどいんじゃないのか?
そんな思いさせるくらいならいっそ…
頭の中の靄はどんどん濃くなっていく。ただ鮮明なのは祈の顔だった。それすらもう霞んでしまうんじゃないかと思うと、怖い。
「俺、やっぱりさ…」
祈の側にいるべきじゃないのかもしれないと言おうとした。言わなきゃいけないと思った。でも言葉が詰まる。喉に鉛が突然現れたみたいだ。心なしか息も苦しい。
グルグルグル考え続けて、考えて、考えて、頭の中にはたくさんの言葉が存在するはずなのに、どれ一つとして声にならない。
怖い、情けない、でも怖い
「綾人」
靄の中で、何にも阻まれず、まっすぐにその声は届いた。
伏せていた目を上げると、祈の顔が近づいてくる。俺が引き寄せられてるのか、彼女の方から近寄ってきているのか。
やがて拳一つ分くらいの距離になる俺と祈。両頬に彼女の小さな手が添えられる。
最初に感じたのは、ジワリとした温もり。祈の手は暖かい。
次に祈はやっぱり綺麗だと思った。恋も性欲もない俺でも、造形を美しいと感じる心はある。俺はときどき、何百年も人々を魅了した名画を目にしたかのように、祈に見惚れることがある。
いっそ広義的に捉えて、これを恋ということにしてしまってはダメだろうか?
そして次に感じたのは、強烈な熱と痛みだった。
「!!?」
俺は後方に大きくのけぞった。額にはジンジンとした衝撃が残っている。何をされたのか理解できなかった。
目の前の祈もまた、額を押さえて悶えていた。
「いったー、外も中もカチコチだなあ!綾人の頭は!」
どうやら俺は、ヘッドバッドされたらしい。
ヘッドバッド?ようやく認識できた事実が、改めて信じられん。
「なんだ?どうしてそうなる?」
「いやさあ、なんか余計なこと考えてそうだから、スッキリさせてやろうと思って」
たしかに頭の中の靄は晴れた。というか吹っ飛んでいた。
「言っとくけど」
祈は俺の眼前に指を突き出した。
「私は綾人から距離を置かれたら泣くから!」
「はあ?」
「脅しじゃないからね。そんで可愛らしくシクシクとなんて泣いてやらん!獣のように吠えながら泣いてやるからな!どうだ?困るでしょ?」
「こ、困るな、それは」
「しかもあんたの教室に乗り込んで、みんなの前で胸ぐら掴みながら泣き叫ぶから、きっと驚くだろうなー、目立っちゃうだろうなー、学年中の噂になるだろうなー」
大手を広げて舞台役者のよう彼女は捲し立てる。
セリフは自分の影響力を踏まえた上での、恐ろしい脅迫だ。そして俺の胸をトンと拳で叩く。
「綾人の意見なんて聞かないから、そんなつもりなくても私が「距離を置かれた」と判断した瞬間に実行するから!」
「だから、綾人は、私を放ったらかしちゃダメだから!じゃなきゃうっかり勘違いして、綾人の学校生活をめちゃくちゃにしちゃうかもだから!」
「でも俺は、いつもお前に寄りかかってばかりで…」
「そんなのただの順番でしょ?今は綾人のターンってだけじゃん?」
「どうせそのうち私のターンが回ってくるんだから、その時に綾人が側にいなきゃダメでしょーが!」
再び頰が祈の手に挟まれる。ただし今度はガシッと掴まれる感じだ。本当に、こいつには敵わない。
「…ごめん」
「だーかーらー!」
祈は掴んだ手を話さないまま、頭だけわずかに遠ざけ…
「謝んなっての!!」
こうして俺は本日2発目のヘッドバットを食らったのだった。再び悶える俺と祈。御社殿にいる神様も流石に吹き出すんじゃないだろうか。
「いってー、えへへ」
額をさすりながら笑う祈は、あの日、俺の秘密を全て聞いたあの時と同じ顔をしていた。
本当に、鈍くて、硬くて、腹立たしいやつ。
でも悲しいかな、どこまでも可愛くて、愛おしい人。
ようやくマシになった顔色を携えて、綾人は神社から立ち去った。これからバイトに行くらしい。一回休むって連絡入れたんだから、そのまま休めばいいのに。
呆れちゃう。でも好き。
それにしても、寄りかかってばかりか…気にすんなって言っても無駄だろうな。
なら仕方ない、無理矢理にでも「私のターン」にするしかないか。
神社の鳥居を出ようとした瞬間。ゴワっとした波のような風が吹いた。
御社殿の鈴が鳴る。
ガランガランガラン
木々が揺れ、ざわめく。
ゴワゴワ、ザワザワザワ
どの音もやけに刺々しい響を帯びていた。まるで咎めてるみたいに。あながち、そうなのかも。
私は御社殿の方をそっと見つめた。向こうも私を睨んでいる気がした。もし神様が見てるなら、これから私がすることを、許すとは思えないから。
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