痛愛と狂恋

Hatton

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羽田家のクオリティ

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なんとなく家に帰りたくない日がある。でも帰らなきゃいけないのが、高校生という生き物だ。

「ただいま」

昭和レトロな…いや、強がるのはよそう。安さだけが売りの木造2階建アパートの103室のドアを開けた。

ギリギリLDKと言えるくらいの広さのリビング。シミだらけの元は白かった絨毯、その上に乗る傷だらけの黒いテーブルには、チラシやら空き缶が散らばっている。

床に放置された洗濯物は畳んで積んであるだけまだマシか。30インチのテレビとその台には、ある程度離れていてもわかるくらい埃が載っている。

明日、バイトから戻ったら掃除するか。でも課題もあるしそんな時間は…もういい、その辺りは明日の俺に任せよう。

「おかえりなさーい!」

奥の一室から元気な返事が聞こえる。チラシやら空き缶やらが乱雑に散らばったリビングの机を通り過ぎ、奥の部屋に入ろうとすると

「こら!ちゃんと手を洗いなさい!」

6畳部屋の左サイドに並んだ机に座っている莉子りこが、即座に咎める。まるで俺が真っ直ぐ部屋に戻るのがわかっていたかのようだ。

「はいはい」と苦笑まじりに返事し、洗面所に向かう。

小学生に上がったばかりだというのに、日に日に生意気もとい、しっかりしてきている妹。

洗面所でしっかりと手を洗い、うがいも済ませ、部屋に戻る。

莉子の分が増えて、2つになった勉強机。その反対には二段ベッド。中心に申し訳程度のスペースがあるが、すれ違うのにも苦労するくらい狭い。莉子が成長するにつれ、どんどん手狭になるな。

「ふふん」

座っていた莉子が跳ねるように椅子から降りて、俺の真ん前にやってきた。後ろ手に何かを隠しているようだ。そしてこの表情は今朝も教室で見た気がするな。

「あーくん!おたおめ!」

両手でスケッチブックを差し出す莉子。ジャーン!という効果音が脳内で再生される。

中を開くと、どうやらプレゼントはお手製の絵みたいだ。正面に俺の顔があり、その周囲はクラッカーやら色とりどりの花やらで装飾されていた。

兄の欲目抜きに上手な絵だと思う。花に囲まれているというのに、中心にいる俺は仏頂面なまま。これは俺が反省すべき点だろう。


「ありがとな」と言って頭を撫でてやる。

「どういたしましてー」と照れ笑いを浮かべる莉子。

髪がだいぶ伸びた。ロングといえば聞こえはいいが、要は頻繁に切りに行かせてやれないだけだ。本当はもっとお洒落だってしたいかもしれないのに。

そういえば、最後に莉子がわがままを言ったのはいつだったか?…いずれにしても目下の問題は髪の毛ではなく食料だ。

二段ベットの上の横壁に絵を飾り、意を決してキッチン脇の冷蔵庫に向かう。この現実と直面するのが嫌で、帰りたくなかったのだ。


でももしかしたらと一縷の望みをかけ、冷蔵庫のドアを開く。

「…だよな」

缶ビールと缶チューハイが上段で窮屈そうに並んでいる。サイドポケットにあ作り置きの麦茶と、味噌やソースやらの調味料。それ以外は何もない。

いや正確には真ん中の段に見慣れない大きな箱がある。そして母さんが書いたと思しきメモもあった。

「ハッピーバースデー!莉子と二人で仲良くお食べ!」

ケーキはいい、莉子も喜ぶだろう。ただ肝心の食料がないのだ。今ある材料で作れるのは具なし味噌汁くらいのもの。そのケーキを買う金で、できれば肉や野菜を買っておいて欲しかった。なんなら数日前から頼んでるんだが、その辺りが母さんクオリティである。

「あーくん?どうかしたの?」

冷蔵庫の前で呆然とする俺を心配する莉子。俺は精一杯の笑顔を浮かべた。

「やったな、今日はケーキがあるぞ」と言い彼女の頭を撫でた。

「よっしゃー!!」拳をあげてガッツポーズする莉子。

でもその代わり夕食は抜きだなんて言えるわけがない。財布の中を確認してみると、小銭も含めて2000円弱。ちょうどスーパーも空いてる時間だろう。

「夕飯の買い出しに行くぞ」

今月いっぱいは、俺の昼食は塩おにぎりオンリーとなることが決定した。
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