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「うええええ!」
浜松駅の付近で、ゾンビのコスプレをした若い男が、杏子に絡んだ。
杏子はそんな彼を一瞥し、皮肉げな微笑みを残し、そそくさと通り過ぎた。
若者は呆然と歩き去る彼女の後ろ姿を見つめた。見惚れていたと言うべきかもしれない。
よく見れば、子供が見たら大泣きしそうなくらいに、彼は本格的なメイクをしている。不意をつかれたら、大人でも本気でビビりそうだ。
だけど、あんなのは底が浅い。
本当に怖いモンスターは、俺たちと何ら変わらない姿形をしていて、自分が怪物であると自覚していないものなのだ。
そんなモンスターとの一戦を終えた俺たちは、観光する気力もなく、最終の新幹線で帰ることにした。
今日は無理言って仕事を休んだから、明日は絶対に出勤しなきゃだしな。はあ…
帰りの新幹線の中で、杏子は眠った。行きのときと違い、泥のような深い眠りだ。
無理もない。なんだかんだで、二週間ものあいだ、彼女は地田とメッセージや電話やらのやり取りを毎日していたのだ。
刺激しないように、一線を越えさせないように、細心の注意を払いながら、コミュニケーションをとっていた。
どれほど神経を疲弊させたか、想像もつかない。
起こさないよう、そっと彼女の頭に手を置いた。
「よく頑張ったな」
なぜか誇らしさで胸がいっぱいだった。いやいや、何様だよって話だけどさ。
これが父性ってやつなのか。でも、俺は彼女に本気で惚れてもいる。正直、しょっちゅうエロい目で見てもいる。
矛盾だらけだ。イカれてるという意味では俺も大概だ。
なら、俺と地田の違いってなんなんだろうか?
窓から、また富士山が見えた。かろうじてシルエットだけが認識できる程度に。
たしか、富士山に祀られているのは火の神様だったはず。
もしも俺が、地田のように暴走して、杏子を苦めようとしたら…そのときは溶岩でもぶち当てて、骨も残らないほど徹底的に燃やしつくしてください。
名前も覚えていない神様に、図々しく無理難題を押し付けてから、俺も目を瞑り、浅い眠りに身をゆだねた。
こうして長い一日を終え、ようやく立山駅のホームに降り立った俺たち。
杏子とはここでお別れだ。
階段前の電光掲示板によると、俺が乗る電車があと数分で到着するみたいだった。
「じゃあ、今日はおつかれさま」
「うん、いろいろありがと…」
まだ心なしか、元気がないような。まあ仕方ないだろう。
「とりあえず、もう電車が来るみたいだから」
と立ち去ろうとすると、なぜか杏子まで着いてくる。
「ん?杏子はここで待ってればいいんじゃないか?」
「…ない」
ちょうど電車がやってきて、彼女の声がかき消された。
「ごめん、聞こえなかった」
俺が耳を傾けると、杏子は俺のジャケットの裾を握ってポソポソと告げる。
「帰りたくない」
「ああ、お腹空いてるならどこかで軽く…」
「しばらく岩城さんち泊めて」
「はあ!?」
ここでいつもなら、「なんてね、どーよーしすぎw」的な追撃が来るところだが、今日は違った。
彼女の目は真剣そのもので、真面目に言っているようだった。
色々ありすぎた一日だ。もう流石に何もないと思っていたのに、まさか最後の最後にこんな特大の爆弾が投下されるなんて…
「ど、どうしたんだよ急に?」
「だって、あいつがまた来ないほしょーもないでしょ?」
いちおう、地田が行方をくらますようなことがあれば、真っ先に俺に連絡するよう父親と約束してあるが、それだけで安全とは言い切れない部分は確かにある。
「あいつ、アタシの家しってるっぽいし」
「ああ、そういうえばそんな感じのメッセージを送ってたな」
考えれば考えるほど、杏子の身はまだまだ危険なように思えた。
だけど、俺の家に泊まるのも、それはそれで危険なんだよな。ついでに、俺に精神衛生的にもそうとう危うい。
「あいつが病院で診てもらうことになったら、それはそれで連絡が来るんでしょ?」
「まあね。入院になるのか自宅からの通院になるのかはわからないけど、とにかく治療が始まったら連絡はもらえることになってる」
「じゃあそれまででいいから…ダメ、かな?」
杏子は覗き込むような姿勢で、両手の指を軽く合わせたおねだりポーズをとり、頼んできた。
なんだよ、なんだんだよ、そのしおらしい態度は!?可愛いいんだよちくしょう!
「はあ、しかたないか」
「ありがと」
「じゃあ行こうか」
こうして、杏子と俺の期間限定の同棲生活がスタートした。
「ちょろすぎw」
前を歩く俺の耳に、なにやら不遜な言葉が聞こえた気がするが、気のせいということにしよう。
浜松駅の付近で、ゾンビのコスプレをした若い男が、杏子に絡んだ。
杏子はそんな彼を一瞥し、皮肉げな微笑みを残し、そそくさと通り過ぎた。
若者は呆然と歩き去る彼女の後ろ姿を見つめた。見惚れていたと言うべきかもしれない。
よく見れば、子供が見たら大泣きしそうなくらいに、彼は本格的なメイクをしている。不意をつかれたら、大人でも本気でビビりそうだ。
だけど、あんなのは底が浅い。
本当に怖いモンスターは、俺たちと何ら変わらない姿形をしていて、自分が怪物であると自覚していないものなのだ。
そんなモンスターとの一戦を終えた俺たちは、観光する気力もなく、最終の新幹線で帰ることにした。
今日は無理言って仕事を休んだから、明日は絶対に出勤しなきゃだしな。はあ…
帰りの新幹線の中で、杏子は眠った。行きのときと違い、泥のような深い眠りだ。
無理もない。なんだかんだで、二週間ものあいだ、彼女は地田とメッセージや電話やらのやり取りを毎日していたのだ。
刺激しないように、一線を越えさせないように、細心の注意を払いながら、コミュニケーションをとっていた。
どれほど神経を疲弊させたか、想像もつかない。
起こさないよう、そっと彼女の頭に手を置いた。
「よく頑張ったな」
なぜか誇らしさで胸がいっぱいだった。いやいや、何様だよって話だけどさ。
これが父性ってやつなのか。でも、俺は彼女に本気で惚れてもいる。正直、しょっちゅうエロい目で見てもいる。
矛盾だらけだ。イカれてるという意味では俺も大概だ。
なら、俺と地田の違いってなんなんだろうか?
窓から、また富士山が見えた。かろうじてシルエットだけが認識できる程度に。
たしか、富士山に祀られているのは火の神様だったはず。
もしも俺が、地田のように暴走して、杏子を苦めようとしたら…そのときは溶岩でもぶち当てて、骨も残らないほど徹底的に燃やしつくしてください。
名前も覚えていない神様に、図々しく無理難題を押し付けてから、俺も目を瞑り、浅い眠りに身をゆだねた。
こうして長い一日を終え、ようやく立山駅のホームに降り立った俺たち。
杏子とはここでお別れだ。
階段前の電光掲示板によると、俺が乗る電車があと数分で到着するみたいだった。
「じゃあ、今日はおつかれさま」
「うん、いろいろありがと…」
まだ心なしか、元気がないような。まあ仕方ないだろう。
「とりあえず、もう電車が来るみたいだから」
と立ち去ろうとすると、なぜか杏子まで着いてくる。
「ん?杏子はここで待ってればいいんじゃないか?」
「…ない」
ちょうど電車がやってきて、彼女の声がかき消された。
「ごめん、聞こえなかった」
俺が耳を傾けると、杏子は俺のジャケットの裾を握ってポソポソと告げる。
「帰りたくない」
「ああ、お腹空いてるならどこかで軽く…」
「しばらく岩城さんち泊めて」
「はあ!?」
ここでいつもなら、「なんてね、どーよーしすぎw」的な追撃が来るところだが、今日は違った。
彼女の目は真剣そのもので、真面目に言っているようだった。
色々ありすぎた一日だ。もう流石に何もないと思っていたのに、まさか最後の最後にこんな特大の爆弾が投下されるなんて…
「ど、どうしたんだよ急に?」
「だって、あいつがまた来ないほしょーもないでしょ?」
いちおう、地田が行方をくらますようなことがあれば、真っ先に俺に連絡するよう父親と約束してあるが、それだけで安全とは言い切れない部分は確かにある。
「あいつ、アタシの家しってるっぽいし」
「ああ、そういうえばそんな感じのメッセージを送ってたな」
考えれば考えるほど、杏子の身はまだまだ危険なように思えた。
だけど、俺の家に泊まるのも、それはそれで危険なんだよな。ついでに、俺に精神衛生的にもそうとう危うい。
「あいつが病院で診てもらうことになったら、それはそれで連絡が来るんでしょ?」
「まあね。入院になるのか自宅からの通院になるのかはわからないけど、とにかく治療が始まったら連絡はもらえることになってる」
「じゃあそれまででいいから…ダメ、かな?」
杏子は覗き込むような姿勢で、両手の指を軽く合わせたおねだりポーズをとり、頼んできた。
なんだよ、なんだんだよ、そのしおらしい態度は!?可愛いいんだよちくしょう!
「はあ、しかたないか」
「ありがと」
「じゃあ行こうか」
こうして、杏子と俺の期間限定の同棲生活がスタートした。
「ちょろすぎw」
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