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東海道新幹線の窓から見える景色は、夕焼けに広大な田園が染められ、なかなかに壮観だった。
「こんな目的じゃなければな…」
景色を素直に楽しめない道中に、ため息混じりの独り言が漏れる。
「ん…なに?」
「なんでもないよ、まだ着かないから寝てな」
「うん」
隣の席で寝ている杏子を起こしてしまった。
とはいっても、俺が黙っていようがいまいが、彼女はずっとこの調子だった。
10~15分程度寝ては覚醒し、また寝るを繰り返しているのだ。
体は疲れ切っているのに、緊張感が抜けず、睡眠を維持できないんだろう。
前の会社にいたときの俺もそうだった。そんなしんどさは、杏子には生涯経験して欲しくなかったのにな。
俺はふたたび窓の外に目をやる。頬杖をつく拳にギュッと力が入った。
「おお」
今度は声を出さず、ほとんど吐息だけで驚嘆した。
富士山だ。
オレンジというより赤に近い空の下に聳える、ほとんどシルエットだけの日本の宝。
かのお山の頭上を、まるで巨大な絨毯のようなうろこ雲が覆っている。
美しいが、どこか不気味だ。そういえば、今くらいの時間のことを、逢魔が時っていうんだっけか。
赤い空の下にある黒くて巨大な山は、いかにも怪物の棲家って感じもする。
くわえて今日は10月末だ。なるほど、静岡は絶好のハロウィン日和ってわけか。
ようやく到着した浜松駅周辺は、想像以上に近代的だった。
商業ビルやオフィスビルが立ち並び、巨大なバスターミナルがあるためか、ひっきりなしにバスが出たり入ったりしていた。
何よりも驚かされたのは、この人ごみである。
「ハロウィンって静岡でも流行ってんだねー」
「まさかここまでとはな…」
行き交う人々は、若者を中心に様々な仮装をまとっていた。
テンプレなモンスターから、映画やアニメのキャラまでいる。
てっきり東京の、それも都心の繁華街だけで流行しているものだと思っていたが、ここまで国民的なイベントになっているとは。
杏子は俺に手を差し出す。
「いこっか」
俺は彼女の手をとって頷いた。
はぐれたら大変だからな。そう、これはあくまではぐれないためだ。
駅から少し歩き、繁華街から外れたところに、その店はあった。
時代劇に出てきそうな年季の入った木造りの門には、小さな看板で「営業中」とだけ書かれ、その上のライトに楷書体で店名が記されている。
門をくぐった先に石畳がのひていて、それに沿って進むと、大きな日本家屋が見えた。入り口は老舗の旅館のようでかる。
「うわあ、いかにも政治家が悪いことすんのにつかいそー」
杏子はその敷居の高い佇まいに、率直な感想をもらす。
俺もこの手の店に抱く感想は、似たようなもんだ。
入り口の引き戸を開けると、和服を着た四十代くらいの女性が出迎え、丁寧ににお辞儀した。
「いらっしゃいませ」
「えっと、地田で予約してあると思うんですが…」
「お待ちしておりました。ご案内いたします。お連れ様はもうお見えになっておりますので」
品格漂う女将さんに連れられ、俺たちは店内に通された。
こぢんまりとしたカウンターを素通りし、奥の座敷に案内される。
障子の戸の前に女将さんはひざまずき、中に声をかける。
「失礼いたします。お連れ様がお見えになりました」
「どうぞ」
微かに聞こえた返事に、杏子がピクッとなる。
女将の手によって開けられた戸の向こうは、ザ・料亭といった内装だった。
清潔な畳の上に重厚な木のテーブル、座椅子の上にある座布団は見るからにフカフカそうだ。
大きな窓から見える景観は、松の木や桜の木などが計算された配置で佇んでいて、品のある色味のライトで照らされていた。
そして、入り口から向かって左側の列の席に、三人の先客が。
いちばん戸に近い席にいる男が、俺と、そして少し後ろにいる杏子に声をかける。
「杏子ちゃん、ひ、久しぶり、ささ入って入って」
正確には俺には目もくれず、杏子に声をかけた。こいつが地田か。
俺は彼女と地田を遮るように前に出て、地田と他の二人に挨拶した。
「初めまして、彼女の親戚の岩城と言います…まあ、ご存知でしょうが」
最後の一言は皮肉を込めて、地田だけに向けた。だが彼はニコニコと上機嫌なままだ。
「いやあ初めまして、今日は親御さんの代理だそうで、遠いなかご足労ありがとうございます」
皮肉にも気づかず、実に愛想よく地田は挨拶を返す。
思っていたよりも、ずっと普通の男だった。
スクエアタイプの眼鏡と、七三でオールバック風に撫でつけられた髪に、体にピッタリと馴染んだ紺のスーツは、もはや誠実そうですらある。
体つきと顔はいたって普通。とくだん見栄えが良いわけでもないが、かといって悪いわけでもない。
これで年収2000万なら、女に不自由するとも思えないんだけどな。
とりあえず俺は、戸の近くで跪いている女将に言う。
「すいません、話し合いたいことがあるので、料理は少し待っててもらえますか?」
「かしこまりました。ではお話しが済みましたら、お声がけいただければと思います」
女将は慇懃にお辞儀し、立ち去った。
杏子を先に入らせ、彼女は奥側の席に座る。ちょうど、地田の連れの一人である、和服を着た六十代くらいの女性と、対面する位置だ。
俺はその隣にいる黒いスーツを着た壮年の男性と向かい合って座る。
二人は口をあんぐりと開けて、杏子を凝視していた。
まあ、そうなるだろうな。なにせ今日の杏子は制服姿なのだ。
女性の方が杏子に声をかける。
「えっと…杏子さんだったかしら?あなたは、その…」
ひどく言いにくそうに、というか目の前の現実を直視できなさそうに、彼女は言葉を濁した。
杏子はしっかりと彼女を見据え、現実を叩きつける。
「17歳になったばかりの高校2年生でっす」
女性は口元を抑え、俺の目の前の男性は目をさらに見開き、肩を大きく膨らませて息を呑んだ。
「息子さんから聞いてませんか?」
俺の問いに、女性は、地田の母親は目を泳がせながら答える。
「が、学生さんとは聞いてだけど…まさか、ねえ?」
妻からキラーパスを受けた男性、地田の父親は顔をしかめ、渋々といった感じで口を開く。
「本当に高校生なのかい?」
杏子はこくりと頷く。すると地田が、隣にいる父親の肩に手を置いた。
「大丈夫だよ父さん」
本当に、なんてことない感じの声だった。
「もちろん卒業まで待つつもりだし、真剣な付き合いなんだから年の差なんて関係ないって」
目を爛々と輝かせながらのたまう息子を見て、二人はさらに動揺の色を濃くした。
仕方ないだろう。息子の婚約者に会うためにやってきて、その相手が選挙権すら持たない未成年だったのだから。
良かった。少なくとも両親はまっとうな倫理観を持っているようだ。これなら話を進めやすい。
俺は意を決して、鞄から書類を取り出し、両親に手渡した。
「騙したようで申し訳ありませんが、今日は結婚の挨拶に来たのではありません」
二人が視線を書類に落とすのを待ってから、俺は本題を切り出す。
「息子さんのストーカー行為について、お二人に相談させていただきたく思い、ご足労願いました」
「こんな目的じゃなければな…」
景色を素直に楽しめない道中に、ため息混じりの独り言が漏れる。
「ん…なに?」
「なんでもないよ、まだ着かないから寝てな」
「うん」
隣の席で寝ている杏子を起こしてしまった。
とはいっても、俺が黙っていようがいまいが、彼女はずっとこの調子だった。
10~15分程度寝ては覚醒し、また寝るを繰り返しているのだ。
体は疲れ切っているのに、緊張感が抜けず、睡眠を維持できないんだろう。
前の会社にいたときの俺もそうだった。そんなしんどさは、杏子には生涯経験して欲しくなかったのにな。
俺はふたたび窓の外に目をやる。頬杖をつく拳にギュッと力が入った。
「おお」
今度は声を出さず、ほとんど吐息だけで驚嘆した。
富士山だ。
オレンジというより赤に近い空の下に聳える、ほとんどシルエットだけの日本の宝。
かのお山の頭上を、まるで巨大な絨毯のようなうろこ雲が覆っている。
美しいが、どこか不気味だ。そういえば、今くらいの時間のことを、逢魔が時っていうんだっけか。
赤い空の下にある黒くて巨大な山は、いかにも怪物の棲家って感じもする。
くわえて今日は10月末だ。なるほど、静岡は絶好のハロウィン日和ってわけか。
ようやく到着した浜松駅周辺は、想像以上に近代的だった。
商業ビルやオフィスビルが立ち並び、巨大なバスターミナルがあるためか、ひっきりなしにバスが出たり入ったりしていた。
何よりも驚かされたのは、この人ごみである。
「ハロウィンって静岡でも流行ってんだねー」
「まさかここまでとはな…」
行き交う人々は、若者を中心に様々な仮装をまとっていた。
テンプレなモンスターから、映画やアニメのキャラまでいる。
てっきり東京の、それも都心の繁華街だけで流行しているものだと思っていたが、ここまで国民的なイベントになっているとは。
杏子は俺に手を差し出す。
「いこっか」
俺は彼女の手をとって頷いた。
はぐれたら大変だからな。そう、これはあくまではぐれないためだ。
駅から少し歩き、繁華街から外れたところに、その店はあった。
時代劇に出てきそうな年季の入った木造りの門には、小さな看板で「営業中」とだけ書かれ、その上のライトに楷書体で店名が記されている。
門をくぐった先に石畳がのひていて、それに沿って進むと、大きな日本家屋が見えた。入り口は老舗の旅館のようでかる。
「うわあ、いかにも政治家が悪いことすんのにつかいそー」
杏子はその敷居の高い佇まいに、率直な感想をもらす。
俺もこの手の店に抱く感想は、似たようなもんだ。
入り口の引き戸を開けると、和服を着た四十代くらいの女性が出迎え、丁寧ににお辞儀した。
「いらっしゃいませ」
「えっと、地田で予約してあると思うんですが…」
「お待ちしておりました。ご案内いたします。お連れ様はもうお見えになっておりますので」
品格漂う女将さんに連れられ、俺たちは店内に通された。
こぢんまりとしたカウンターを素通りし、奥の座敷に案内される。
障子の戸の前に女将さんはひざまずき、中に声をかける。
「失礼いたします。お連れ様がお見えになりました」
「どうぞ」
微かに聞こえた返事に、杏子がピクッとなる。
女将の手によって開けられた戸の向こうは、ザ・料亭といった内装だった。
清潔な畳の上に重厚な木のテーブル、座椅子の上にある座布団は見るからにフカフカそうだ。
大きな窓から見える景観は、松の木や桜の木などが計算された配置で佇んでいて、品のある色味のライトで照らされていた。
そして、入り口から向かって左側の列の席に、三人の先客が。
いちばん戸に近い席にいる男が、俺と、そして少し後ろにいる杏子に声をかける。
「杏子ちゃん、ひ、久しぶり、ささ入って入って」
正確には俺には目もくれず、杏子に声をかけた。こいつが地田か。
俺は彼女と地田を遮るように前に出て、地田と他の二人に挨拶した。
「初めまして、彼女の親戚の岩城と言います…まあ、ご存知でしょうが」
最後の一言は皮肉を込めて、地田だけに向けた。だが彼はニコニコと上機嫌なままだ。
「いやあ初めまして、今日は親御さんの代理だそうで、遠いなかご足労ありがとうございます」
皮肉にも気づかず、実に愛想よく地田は挨拶を返す。
思っていたよりも、ずっと普通の男だった。
スクエアタイプの眼鏡と、七三でオールバック風に撫でつけられた髪に、体にピッタリと馴染んだ紺のスーツは、もはや誠実そうですらある。
体つきと顔はいたって普通。とくだん見栄えが良いわけでもないが、かといって悪いわけでもない。
これで年収2000万なら、女に不自由するとも思えないんだけどな。
とりあえず俺は、戸の近くで跪いている女将に言う。
「すいません、話し合いたいことがあるので、料理は少し待っててもらえますか?」
「かしこまりました。ではお話しが済みましたら、お声がけいただければと思います」
女将は慇懃にお辞儀し、立ち去った。
杏子を先に入らせ、彼女は奥側の席に座る。ちょうど、地田の連れの一人である、和服を着た六十代くらいの女性と、対面する位置だ。
俺はその隣にいる黒いスーツを着た壮年の男性と向かい合って座る。
二人は口をあんぐりと開けて、杏子を凝視していた。
まあ、そうなるだろうな。なにせ今日の杏子は制服姿なのだ。
女性の方が杏子に声をかける。
「えっと…杏子さんだったかしら?あなたは、その…」
ひどく言いにくそうに、というか目の前の現実を直視できなさそうに、彼女は言葉を濁した。
杏子はしっかりと彼女を見据え、現実を叩きつける。
「17歳になったばかりの高校2年生でっす」
女性は口元を抑え、俺の目の前の男性は目をさらに見開き、肩を大きく膨らませて息を呑んだ。
「息子さんから聞いてませんか?」
俺の問いに、女性は、地田の母親は目を泳がせながら答える。
「が、学生さんとは聞いてだけど…まさか、ねえ?」
妻からキラーパスを受けた男性、地田の父親は顔をしかめ、渋々といった感じで口を開く。
「本当に高校生なのかい?」
杏子はこくりと頷く。すると地田が、隣にいる父親の肩に手を置いた。
「大丈夫だよ父さん」
本当に、なんてことない感じの声だった。
「もちろん卒業まで待つつもりだし、真剣な付き合いなんだから年の差なんて関係ないって」
目を爛々と輝かせながらのたまう息子を見て、二人はさらに動揺の色を濃くした。
仕方ないだろう。息子の婚約者に会うためにやってきて、その相手が選挙権すら持たない未成年だったのだから。
良かった。少なくとも両親はまっとうな倫理観を持っているようだ。これなら話を進めやすい。
俺は意を決して、鞄から書類を取り出し、両親に手渡した。
「騙したようで申し訳ありませんが、今日は結婚の挨拶に来たのではありません」
二人が視線を書類に落とすのを待ってから、俺は本題を切り出す。
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