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「ごめん、遅くなった」
約束の時間をだいぶ過ぎてから、彼はやってきた。
相変わらず社畜してるな。
でも、出会ったときと比べて、変わったところもある。
例えば、しっかりとセットされている髪の毛とか。きちんとアイロンのかかった服とか。
ジャケットはアタシが選んだやつだけど、下にきてるストライプのシャツや、シワひとつない黒のスラックスは知らないやつだ。
がんばってお洒落してるんだな。かんしん、かんしん。
自覚は薄いみたいだけど、今の岩城さんはけっこーイイカンジだ。
もしかしたら、職場で誰かの好きピになってたりするかも。
なにより、もう、がらんどうの目をしてなかった。
だから、きっと、アタシがいなくても大丈夫だと思う。
アタシは今日、岩城さんにバイバイする気で来た。
この一週間、電話で言っちゃおうかだいぶ悩んだ。
でも、ちゃんと会って言おうと思ったから、我慢した。
「帰り際にお客さんからの電話に捕まっちゃってさ、参ったよ」
ほんとは会ってすぐ言うつもりだったけど、息をはずませて、でも少しハシャイでる岩城さんを見たら、言えなくなっちゃった。
彼に連れてこられたレストランは、いい店だった。
メニューが、パイとか、ピザとかハンバガーとか、アタシが好きなモノばっかり。
「いや俺もはじめてだよ、食べログ見てたらたまたま目に止まって、なんとなく気になってね」
嘘ばっかり、アタシが好きそうな店を頑張って探したくせに。
店のシステムとかメニューとかにやたらと詳しかったから、下見くらいしたのかも。
なんでだろ?いつもはそこまでしないのにな。
あいつのことがあってから、あんまり食欲が湧かなかったから、食べ放は正直キツイ
でも、せっかく連れてきてもらったのに悪いし、変に心配されるのもイヤだから、ヤケクソで注文しまくる。
そしてお店のウリだっていうアップルパイをひとくち食べたら、止まらなくなった。
無理矢理でもヤケクソでもなく、ひたすら食べた。
岩城さんに会ったら、なんか安心して、食欲がもどったみたい。
夢中になって食べるアタシを、岩城さんは嬉しそうに眺めてる。
自分もちゃんと食べろっての。そうでなくても、へたすりゃアタシより体重軽そうなのにさ。
そんな顔されたら、ますます言いにくいじゃん。
でも、言わなきゃダメだから、食べ終わって、会計を済ませて、外に出て、今度こそと思った。
「ご馳走様、いろいろありがとね、岩城さん」
「いえいえ」
「あと…」
「うん?」
「ううん、やっぱいいや」
店の前は違うか。ほかのお客さんに見られるのもアレだし。
歩道はハロウィンに染まってた。あのカボチャのお化けのやつ、なんていうんだっけ?
辺りは暗くて、人もそれなりに歩いているけど、誰も他人のことなんて気にしてない。
言うなら、たぶん今しかない。
アタシは足を止めた。そしたらなんでか、岩城さんも同じタイミングで止まった。
そして必死に言葉を探しているあいだに、彼は言った。
「17歳の誕生日、おめでとう」
赤いリボンがついた茶色い巾着袋を渡す手は、ほんの少し震えている。
そうだった。昨日はアタシの誕生日だ。
スマホのカレンダーが目にはいったときに、「ああ、今日か」って思い出すだけの日。
いまはもう、誰もアタシの誕生日なんて祝わないから。アタシも含めて。
だから、びっくりして、ドーヨーして、アタシの頭の中はぐちゃぐちゃになる。
変なの。メチャクチャ混乱すると、人って固まっちゃうんだ。
もう十分びっくりしてたけど、包みを開けたら、心臓が止まりそうになった。
「これ」
「知ってるだろうけど、香水だよ」
「どうして…これにしたの?」
「杏子のスマホケースに似てたからだけど、あれ?違った?」
「ううん…これだよ。たしか廃盤…だよね?どうやって?」
もう手に入らないから、せめてと思って、わざわざオーダーメイドでスマホケースにしてもらったんだ。
アタシの大好きな香り。ママの香りだ。
高い香水だから、特別な時にしかつけなかったけど、これをつけているママはいつも綺麗で、キラキラしてて、可愛くて、憧れてた。
だからアタシは、ママを思い出すとき、いつもこの香水の匂いとセットで思い出す。
「み、店の在庫でたまたま見つけて、でも未使用品だから!」
「ふふふ…そういう問題じゃなくね?」
でも、もちろん、岩城さんはそんなこと知らない。
この香水がママのお気に入りだったことも。パパとの初デートのとき、プレゼントされた香水だから、好きだったことも。
もしかしたら、これがアプリコットの香りだってことも、アプリコットが杏のことだってことも、知らないかもしれない。
たまたま、ほんとに偶然、岩城さんはコレを選んだってこと?
ーー人との出会いは神様のお導きなの
ママ、やっぱりそういうことなの?こんなのって無くない?
もう無理じゃん、バイバイなんて言えないじゃん……いや、どっちにしろ、かな。
岩城さんがアタシの誕生日なんて知らなくても、たぶん言えなかったか。
だって、この一週間、そして今日、アタシは言わずに済む理由ばっか探してたから。
「まったくもー、しょーがないなあ岩城さんは」
しょーがないのはアタシもだけど。
「めんもくない」
「ふつーの女なら、下手すりゃガチギレ案件だよ」
「ごもっともです」
あーもう、最低だ。いつもの感じで軽く済ませようとしてるのに。
アタシの気持ちと裏腹に、いや、どっちかっていうと気持ちに素直になのかな?意味わからん、とにかく涙がとまらない、人間の体って不便だ。
「だから他の女にはやっちゃダメだよ」
「こんなの泣いて喜ぶの、アタシくらいなんだかんね」
岩城さんは、きっと、アタシがいなくなっても大丈夫。おいおい泣くかもだけど、なんだかんだで、生きていくと思う。
でも、認めたくないけど、ムカつくけど、もう認めるしかないな。
アタシが、岩城さんがいないと無理なんだ。
でもこのままだと、岩城さんに迷惑がかかる。というか迷惑どころじゃ済まないかも。
「どうしよう?もうわかんないよお…」
「杏子?」
あーあ、声に出ちゃったよ。
でも、ここまでみっともないとこ見せたんだから、もういいや。
アタシは岩城さんの胸に飛び込んで、薄い胸板に顔を押し付けた。
「助けて」
こんなこと、絶対に言いたくなかった。岩城さんにだけじゃなく、誰にも。
アタシに抱きつかれて、硬直した岩城さんの体が、フッと緩んだ。両肩に、彼の手が添えられる。
「なんでもするよ、だから話してごらん」
約束の時間をだいぶ過ぎてから、彼はやってきた。
相変わらず社畜してるな。
でも、出会ったときと比べて、変わったところもある。
例えば、しっかりとセットされている髪の毛とか。きちんとアイロンのかかった服とか。
ジャケットはアタシが選んだやつだけど、下にきてるストライプのシャツや、シワひとつない黒のスラックスは知らないやつだ。
がんばってお洒落してるんだな。かんしん、かんしん。
自覚は薄いみたいだけど、今の岩城さんはけっこーイイカンジだ。
もしかしたら、職場で誰かの好きピになってたりするかも。
なにより、もう、がらんどうの目をしてなかった。
だから、きっと、アタシがいなくても大丈夫だと思う。
アタシは今日、岩城さんにバイバイする気で来た。
この一週間、電話で言っちゃおうかだいぶ悩んだ。
でも、ちゃんと会って言おうと思ったから、我慢した。
「帰り際にお客さんからの電話に捕まっちゃってさ、参ったよ」
ほんとは会ってすぐ言うつもりだったけど、息をはずませて、でも少しハシャイでる岩城さんを見たら、言えなくなっちゃった。
彼に連れてこられたレストランは、いい店だった。
メニューが、パイとか、ピザとかハンバガーとか、アタシが好きなモノばっかり。
「いや俺もはじめてだよ、食べログ見てたらたまたま目に止まって、なんとなく気になってね」
嘘ばっかり、アタシが好きそうな店を頑張って探したくせに。
店のシステムとかメニューとかにやたらと詳しかったから、下見くらいしたのかも。
なんでだろ?いつもはそこまでしないのにな。
あいつのことがあってから、あんまり食欲が湧かなかったから、食べ放は正直キツイ
でも、せっかく連れてきてもらったのに悪いし、変に心配されるのもイヤだから、ヤケクソで注文しまくる。
そしてお店のウリだっていうアップルパイをひとくち食べたら、止まらなくなった。
無理矢理でもヤケクソでもなく、ひたすら食べた。
岩城さんに会ったら、なんか安心して、食欲がもどったみたい。
夢中になって食べるアタシを、岩城さんは嬉しそうに眺めてる。
自分もちゃんと食べろっての。そうでなくても、へたすりゃアタシより体重軽そうなのにさ。
そんな顔されたら、ますます言いにくいじゃん。
でも、言わなきゃダメだから、食べ終わって、会計を済ませて、外に出て、今度こそと思った。
「ご馳走様、いろいろありがとね、岩城さん」
「いえいえ」
「あと…」
「うん?」
「ううん、やっぱいいや」
店の前は違うか。ほかのお客さんに見られるのもアレだし。
歩道はハロウィンに染まってた。あのカボチャのお化けのやつ、なんていうんだっけ?
辺りは暗くて、人もそれなりに歩いているけど、誰も他人のことなんて気にしてない。
言うなら、たぶん今しかない。
アタシは足を止めた。そしたらなんでか、岩城さんも同じタイミングで止まった。
そして必死に言葉を探しているあいだに、彼は言った。
「17歳の誕生日、おめでとう」
赤いリボンがついた茶色い巾着袋を渡す手は、ほんの少し震えている。
そうだった。昨日はアタシの誕生日だ。
スマホのカレンダーが目にはいったときに、「ああ、今日か」って思い出すだけの日。
いまはもう、誰もアタシの誕生日なんて祝わないから。アタシも含めて。
だから、びっくりして、ドーヨーして、アタシの頭の中はぐちゃぐちゃになる。
変なの。メチャクチャ混乱すると、人って固まっちゃうんだ。
もう十分びっくりしてたけど、包みを開けたら、心臓が止まりそうになった。
「これ」
「知ってるだろうけど、香水だよ」
「どうして…これにしたの?」
「杏子のスマホケースに似てたからだけど、あれ?違った?」
「ううん…これだよ。たしか廃盤…だよね?どうやって?」
もう手に入らないから、せめてと思って、わざわざオーダーメイドでスマホケースにしてもらったんだ。
アタシの大好きな香り。ママの香りだ。
高い香水だから、特別な時にしかつけなかったけど、これをつけているママはいつも綺麗で、キラキラしてて、可愛くて、憧れてた。
だからアタシは、ママを思い出すとき、いつもこの香水の匂いとセットで思い出す。
「み、店の在庫でたまたま見つけて、でも未使用品だから!」
「ふふふ…そういう問題じゃなくね?」
でも、もちろん、岩城さんはそんなこと知らない。
この香水がママのお気に入りだったことも。パパとの初デートのとき、プレゼントされた香水だから、好きだったことも。
もしかしたら、これがアプリコットの香りだってことも、アプリコットが杏のことだってことも、知らないかもしれない。
たまたま、ほんとに偶然、岩城さんはコレを選んだってこと?
ーー人との出会いは神様のお導きなの
ママ、やっぱりそういうことなの?こんなのって無くない?
もう無理じゃん、バイバイなんて言えないじゃん……いや、どっちにしろ、かな。
岩城さんがアタシの誕生日なんて知らなくても、たぶん言えなかったか。
だって、この一週間、そして今日、アタシは言わずに済む理由ばっか探してたから。
「まったくもー、しょーがないなあ岩城さんは」
しょーがないのはアタシもだけど。
「めんもくない」
「ふつーの女なら、下手すりゃガチギレ案件だよ」
「ごもっともです」
あーもう、最低だ。いつもの感じで軽く済ませようとしてるのに。
アタシの気持ちと裏腹に、いや、どっちかっていうと気持ちに素直になのかな?意味わからん、とにかく涙がとまらない、人間の体って不便だ。
「だから他の女にはやっちゃダメだよ」
「こんなの泣いて喜ぶの、アタシくらいなんだかんね」
岩城さんは、きっと、アタシがいなくなっても大丈夫。おいおい泣くかもだけど、なんだかんだで、生きていくと思う。
でも、認めたくないけど、ムカつくけど、もう認めるしかないな。
アタシが、岩城さんがいないと無理なんだ。
でもこのままだと、岩城さんに迷惑がかかる。というか迷惑どころじゃ済まないかも。
「どうしよう?もうわかんないよお…」
「杏子?」
あーあ、声に出ちゃったよ。
でも、ここまでみっともないとこ見せたんだから、もういいや。
アタシは岩城さんの胸に飛び込んで、薄い胸板に顔を押し付けた。
「助けて」
こんなこと、絶対に言いたくなかった。岩城さんにだけじゃなく、誰にも。
アタシに抱きつかれて、硬直した岩城さんの体が、フッと緩んだ。両肩に、彼の手が添えられる。
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