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料理に舌鼓を打ってると、さっきよりも頬を赤くした並木さんは、ためらいがちに口を開いた。
「あの、このあいだはありがとうございました」
「このあいだ?」
「ほら、あの財布のクレームのことです」
自分で呼んだ警察に自分がしょっ引かれそうになったマダムのことを言ってるらしい。
「そういえば、ちゃんとお礼言ってなかったなって…」
「ははは、別に気にしないでいいよ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
並木さんはまっすぐに俺を見据え、姿勢を正して続けた。
「私、正直なところ内心パニクっちゃって、ちょっと泣きそうでした」
「まあ、初めてじゃしかたないさ」
「本当にありがとうございます」
彼女はガバッと頭を下げた。俺からすればなんでもないことなので、なんだかバツが悪い。
「そんなそんな、やめてくれよ、あんなの本当に大したことじゃないから」
並木さんは、顔を上げ、フッと口元を綻ばせたかと思えば、少しうつむき加減になり、モジモジと肩を揺らした。
「あのときの岩城さん…か、かっこよかったです!」
「そ、そんな大げさなwまったくお世辞がうまいなあw」
「お世辞じゃ…ないですよ」
彼女は少し視線を上げ、上目遣いで俺を見つめる。だいぶ打ち解けたかと思ったのに、やっぱりなんか落ち着かないな。
それにしても、杏子もそうだが、最近の若い子たちは素直に人を褒められるらしい。これは、俺以降のおっさんおばさん世代が、大いに見習うべき点だろうな。
食事もおおむね済み、そろそろろお開きな時間になった。
並木さんがトイレに立っているいま、俺はスマホの画面を見ながら頭を抱えている。
「これがいい気がする、でもなあ、どうなんだあ?」を、すでに頭の中で10周はしている。
さんざん悩んだ挙句、俺は着信履歴から今の俺の上司もとい元同僚の番号をクリックし、電話をかける。
「おつかれ、どうした?なんかあったか?」
「いや、特になにもありません」
「勤務中じゃなきゃ敬語はいらんよ、なんか落ち着かないしな」
「いっこ頼みがあるんだけどさ」
俺は敬語を外し、要件を切り出した。
しばらく話していると、並木さんが戻ってきた。俺は手刀を切って、食事中に電話するマナー違反を謝罪する。
「ああ、恩にきるよ。ちがうよ、お袋だって…もういい、好きに想像してくれ」
会話を終え、電話を切った。
「社長ですか?」
「うん、ちょっと私用でね」
重ねて何かを問おうとした並木さんを、「…れいしまーす」が遮る。
「生ビールのおかわりです」
さっきの若い店員はまたガンッと大きな音を立ててジョッキを置いた。そしてその拍子にビールの表面が揺れ、わずかにこぼれ、俺の袖にかかる。
「あ、すいません」
彼はいちおう謝罪はしたものの、すれ違う人に軽く肩をぶつけたくらいの気軽さだった。俺は苦笑しつつも「いいえ」と言おうとしたが、その前に並木さんが口を開く。
「ちょっと!なんなのその態度は?」
「はあ?」
「人の服にお酒こぼしといて『すいません』で済ます気なの?それになんなの『はあ?』って、目上の人に対してする態度じゃないでしょう!」
並木さんは大きな声で、若い店員を叱責した。周囲の注目が彼女に、もとい俺たちのテーブルに集まる。俺はなんとか彼女をなだめようとした。
「まあまあ、かかったといっても別に大した量じゃないし、俺は気にして…」
「店長呼んできて!はやく!」
俺の言葉はいっさい耳を入らないようで、彼女は興奮しながら若いバイトに命令する。
彼が呼びに行くまでもなく、騒ぎを聞きつけたのか、慌てた様子で30代後半くらいの顎髭の店長がやってきた。
「お客様?いかがなさいましたか?」
「おたくのスタッフが人の服にお酒こぼしておいて、失礼な態度をとりました」
「申し訳ありません!もちろん、クリーニング代はお支払いしますので」
「その前から態度が悪いし、グラスを置く音もうるさいし、目にあまってました」
「わたくしめの教育不足です。本当に申し訳…」
「こうして店長が謝ってんのに、あなたはなにぼーっと突っ立ってんの!?」
平身低頭する店長の少し後ろで、棒立ちになっている若い店員に、並木さんはふたたび矛先を向ける。
店員はオロオロとしはじめ、目が潤んでいる。愛想はないが不遜でもないようだ。もしかしたら少し不器用なだけなのかもしれない。
店長は頭を下げながらすこし横を向き、店員にジェスチャーで頭を下げるように指示した。
「…すいませんでした」
「申し訳ありませんでしょ?」
「申し訳ありませんでした」
「聞こえません」
「申し訳ありませんでした!」
「なにヤケクソになってんの!?悪いと思ってないのがみえみえじゃない!そんなんじゃ…」
さらに詰め寄ろうとした並木さんの肩を、俺は少し強めに掴んだ。
「もういいから」
「でも…」
「俺はいいって言ってるんだから」
少し強い口調でたしなめ、ようやく彼女は矛先を収めた。俺は頭を下げている二人にいう。
「すいません、騒ぎすぎました。クリーニング代もけっこうですので、会計お願いします」
店長とバイトはもう一度謝る。並木さんはまだ納得いってなさそうに、厳しい視線を二人に浴びせ続けていた。
店を出て、駅まで向かう道すがら、ようやく落ち着いた並木さんが口を開く。
「すいません、ついカッとなっちゃって」
「まあ、あの子の態度は俺もちょっとどうかと思ったし」
なにはともあれ、今日の目的は達したので良しとしよう。でもなあ、またあの店を使う予定があるのに、行きづらくなっちゃったなあ…
「あの、このあいだはありがとうございました」
「このあいだ?」
「ほら、あの財布のクレームのことです」
自分で呼んだ警察に自分がしょっ引かれそうになったマダムのことを言ってるらしい。
「そういえば、ちゃんとお礼言ってなかったなって…」
「ははは、別に気にしないでいいよ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
並木さんはまっすぐに俺を見据え、姿勢を正して続けた。
「私、正直なところ内心パニクっちゃって、ちょっと泣きそうでした」
「まあ、初めてじゃしかたないさ」
「本当にありがとうございます」
彼女はガバッと頭を下げた。俺からすればなんでもないことなので、なんだかバツが悪い。
「そんなそんな、やめてくれよ、あんなの本当に大したことじゃないから」
並木さんは、顔を上げ、フッと口元を綻ばせたかと思えば、少しうつむき加減になり、モジモジと肩を揺らした。
「あのときの岩城さん…か、かっこよかったです!」
「そ、そんな大げさなwまったくお世辞がうまいなあw」
「お世辞じゃ…ないですよ」
彼女は少し視線を上げ、上目遣いで俺を見つめる。だいぶ打ち解けたかと思ったのに、やっぱりなんか落ち着かないな。
それにしても、杏子もそうだが、最近の若い子たちは素直に人を褒められるらしい。これは、俺以降のおっさんおばさん世代が、大いに見習うべき点だろうな。
食事もおおむね済み、そろそろろお開きな時間になった。
並木さんがトイレに立っているいま、俺はスマホの画面を見ながら頭を抱えている。
「これがいい気がする、でもなあ、どうなんだあ?」を、すでに頭の中で10周はしている。
さんざん悩んだ挙句、俺は着信履歴から今の俺の上司もとい元同僚の番号をクリックし、電話をかける。
「おつかれ、どうした?なんかあったか?」
「いや、特になにもありません」
「勤務中じゃなきゃ敬語はいらんよ、なんか落ち着かないしな」
「いっこ頼みがあるんだけどさ」
俺は敬語を外し、要件を切り出した。
しばらく話していると、並木さんが戻ってきた。俺は手刀を切って、食事中に電話するマナー違反を謝罪する。
「ああ、恩にきるよ。ちがうよ、お袋だって…もういい、好きに想像してくれ」
会話を終え、電話を切った。
「社長ですか?」
「うん、ちょっと私用でね」
重ねて何かを問おうとした並木さんを、「…れいしまーす」が遮る。
「生ビールのおかわりです」
さっきの若い店員はまたガンッと大きな音を立ててジョッキを置いた。そしてその拍子にビールの表面が揺れ、わずかにこぼれ、俺の袖にかかる。
「あ、すいません」
彼はいちおう謝罪はしたものの、すれ違う人に軽く肩をぶつけたくらいの気軽さだった。俺は苦笑しつつも「いいえ」と言おうとしたが、その前に並木さんが口を開く。
「ちょっと!なんなのその態度は?」
「はあ?」
「人の服にお酒こぼしといて『すいません』で済ます気なの?それになんなの『はあ?』って、目上の人に対してする態度じゃないでしょう!」
並木さんは大きな声で、若い店員を叱責した。周囲の注目が彼女に、もとい俺たちのテーブルに集まる。俺はなんとか彼女をなだめようとした。
「まあまあ、かかったといっても別に大した量じゃないし、俺は気にして…」
「店長呼んできて!はやく!」
俺の言葉はいっさい耳を入らないようで、彼女は興奮しながら若いバイトに命令する。
彼が呼びに行くまでもなく、騒ぎを聞きつけたのか、慌てた様子で30代後半くらいの顎髭の店長がやってきた。
「お客様?いかがなさいましたか?」
「おたくのスタッフが人の服にお酒こぼしておいて、失礼な態度をとりました」
「申し訳ありません!もちろん、クリーニング代はお支払いしますので」
「その前から態度が悪いし、グラスを置く音もうるさいし、目にあまってました」
「わたくしめの教育不足です。本当に申し訳…」
「こうして店長が謝ってんのに、あなたはなにぼーっと突っ立ってんの!?」
平身低頭する店長の少し後ろで、棒立ちになっている若い店員に、並木さんはふたたび矛先を向ける。
店員はオロオロとしはじめ、目が潤んでいる。愛想はないが不遜でもないようだ。もしかしたら少し不器用なだけなのかもしれない。
店長は頭を下げながらすこし横を向き、店員にジェスチャーで頭を下げるように指示した。
「…すいませんでした」
「申し訳ありませんでしょ?」
「申し訳ありませんでした」
「聞こえません」
「申し訳ありませんでした!」
「なにヤケクソになってんの!?悪いと思ってないのがみえみえじゃない!そんなんじゃ…」
さらに詰め寄ろうとした並木さんの肩を、俺は少し強めに掴んだ。
「もういいから」
「でも…」
「俺はいいって言ってるんだから」
少し強い口調でたしなめ、ようやく彼女は矛先を収めた。俺は頭を下げている二人にいう。
「すいません、騒ぎすぎました。クリーニング代もけっこうですので、会計お願いします」
店長とバイトはもう一度謝る。並木さんはまだ納得いってなさそうに、厳しい視線を二人に浴びせ続けていた。
店を出て、駅まで向かう道すがら、ようやく落ち着いた並木さんが口を開く。
「すいません、ついカッとなっちゃって」
「まあ、あの子の態度は俺もちょっとどうかと思ったし」
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