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働き方改革っていっても、こんなもんだよな。
時刻は夜の八時過ぎ、それでも電車内は仕事帰りと思しき人々で、それなりに混んでいた。
無意味な残業は悪、クオリティオブなんたらと騒がれてはいても、こんな時間まで働く企業戦士はこれほどいるのだ。
「けっこー混んでんね」
ドアを背にし、俺と向かいあって立っている杏子は不思議そうにボヤいた。
せめて彼女が社会に出る頃には、もう少しマシな世の中になっていて欲しいもんだ。
柄にもなく未来を憂いていると、停車駅でドアが開いた。
「おっとっとと」
雪崩れ込む人々に背を押される形で、杏子に接近する。
「なんでこんなに人が!?」
停車した駅はオフィス街でも繁華街でもないはずなのに。
「あー、なんか近くのモールでイベントやってるって聞いた気がする」
杏子は後方に押しやられながらも、呑気に答えた。
俺はさらに押され、危うく杏子を押しつぶしそうになったので、彼女の背後にあるドアに手をついた。
「壁ドンw」
「ごめんよ、今だけは俺を福士くんだと思ってくれ」
「ネタ古くね?」
「悪かったな」
憎まれ口をたたく杏子に、応戦してはいるものの、その距離感に内心はかなり動揺してた。
「なーんか、汗かいてね?」
「ははは、あ、暑くてさ」
悪そうな笑み浮かべる彼女は、背後のドアについている俺の腕を、自分の手で払うようにしてどけた。
支柱を失った俺の体は、そのまま前のめる。彼女の胸が、俺の胸に潰され、ムニュンと崩れた。
「ほら、こっちの方が楽でしょ?」
返す言葉を失う俺。楽どころか、全身が強張ってしまっている。
鼻先は杏子の首元にくっつきそうになり、ほんのりと香水の匂いがした。
彼女らしい、ムスクの混じった甘く官能的な香りと、それに混じって、なんかこう、少し酸っぱいような、これは汗か?
今日は卓球とかバッセンで体も動かしたし、体育ではマラソンしてるともいってたし、汗の匂いが混じるのは至極当然。そう、当然なんだ。
だから、反応するんじゃない!このバカ息子があ!
キモすぎる理由でイキイキとし始める愚息に、内心で叱責を飛ばす。
気休め程度にしかならないが、口呼吸に切り替え、色即是空を脳内で唱えた。
そうこうしていると、次の停車駅にとまり、わずかながら降りる人がいて、若干ながら背中の圧が弱まる。
これ幸いにと、少しでも離れようとしたのだが
「え?」
後方に下がろうとする俺の背を、杏子が手で押さえ、軽く抱きしめるようにして留めた。
あまりに予想外な行動にふたたび言葉を失う。
心臓は拍動しているというより、胸骨内を縦横無尽に跳ねているかのようだ。
「すー」
俺の頭のてっぺんの方で、小さな隙間から空気が通り抜けるような音がした。
そのあと、つむじを生暖かな呼気がくすぐる。
え?まさか?
「すー」
ふたたび、あの音だ。さっきよりも深く、長い。
いやいや、そんなはずない。
今をトキメク女子高生が、アラサーの頭皮を芳しそうに吸うはずがない。
そんなはずはない…はずだが、つむじをまたしても吐息がくすぐった。
加齢臭はない(と思いたい)ものの、枕に移った匂いに自分でも顔を顰めたくなる今日このごろ。
女子高生からしてみれば、公害も同然だろうに、何が良いっていうんだろうか。
「お待たせしました、まもなく立山駅に到着いたします」
俺たちが降りる駅の到着を知らせるアナウンスが車内に響き、杏子は我に帰ったように顔を上げ、手を離した。
俺は少しさがり、彼女を見据えた。
「ご、ごめんね」
「いや、いいんだ」
互いにようやく絞り出した言葉は、混雑する車内に上滑りし、気まずさという形で漂っていた…
結局なんだったんだろか?詳しく知りたいが、聞けるはずもない。
立山駅で杏子と別れた俺は、さっきよりはマシな混み具合の車内で、ひとりドア付近に立ちながら、さっきの一件に思いを馳せた。
あの後の杏子はいたっていつも通りだったから、深い意味はないのかもしれん。
ああ、ブルーチーズの匂いとかで、うわってなりつつも、つい何度も嗅いじゃう的なことかも…自分で言ってて悲しくなるな。
「ぜったいそうだって」
「ほんとにあんのな、JKのパパ活って」
すっかり馴染みとなったワードが聞こえ、チラリと斜め前の座席を見た。
「!?」
なんと、そこには先ほどファミレスで遭遇したファミリーがいたのだ。
男女が並んで座り、子どもはママに抱っこされながら、ぐっすりとお休みのようだよだ。
俺はスマホを開いて少し俯き、向こうに気づかれないようにした。
「ああいうの、ほんとにキモいよね」
「マジでそれ、てかふつーに犯罪だよな」
どう考えても、俺と杏子のことだろう。辛辣な内容に耳を塞ぎたくなるが、それ以上に、実はファミレスで見かけたときから気になっていることがあった。
女と子どもは間違いなく親子だろうが、男の方は父親…なのか?
彼は明るい茶髪に細身の柄シャツとスキニーパンツという、なんていうか、ひと昔前のチャラ男って感じだ。
母親の方がわりかし普通な格好だけに、なんかチグハグな印象が強かった。
俺がチラリと視線を送ると、タイミングよく男の方が出し抜けに言った。
「子ども寝かせてから店くる感じでいい?」
「うん、っていうかこのまま家においでよ、それから一緒に行こ」
「ええー?旦那わよ?」
「大丈夫だよ、明後日まで出張だから」
男は一瞬考える素ぶりを見せたものの、首を横に振った。
「やっぱいっかい寮に戻って着替えるわ」
「そっか…」
女が寂しげに微笑むと同時に、電車のドアが開き、男は立ち上がる。
「じゃ、あとでな」
「うん」
二人は電車内であるにも関わらず、別れのキスをし、男は降車した。
女は立ち去る男の背を、潤んだ瞳で見つめている。彼女の腕の中の女の子は、まだスヤスヤと寝ていた。
なんていうか、闇深い一幕だったな。
時刻は夜の八時過ぎ、それでも電車内は仕事帰りと思しき人々で、それなりに混んでいた。
無意味な残業は悪、クオリティオブなんたらと騒がれてはいても、こんな時間まで働く企業戦士はこれほどいるのだ。
「けっこー混んでんね」
ドアを背にし、俺と向かいあって立っている杏子は不思議そうにボヤいた。
せめて彼女が社会に出る頃には、もう少しマシな世の中になっていて欲しいもんだ。
柄にもなく未来を憂いていると、停車駅でドアが開いた。
「おっとっとと」
雪崩れ込む人々に背を押される形で、杏子に接近する。
「なんでこんなに人が!?」
停車した駅はオフィス街でも繁華街でもないはずなのに。
「あー、なんか近くのモールでイベントやってるって聞いた気がする」
杏子は後方に押しやられながらも、呑気に答えた。
俺はさらに押され、危うく杏子を押しつぶしそうになったので、彼女の背後にあるドアに手をついた。
「壁ドンw」
「ごめんよ、今だけは俺を福士くんだと思ってくれ」
「ネタ古くね?」
「悪かったな」
憎まれ口をたたく杏子に、応戦してはいるものの、その距離感に内心はかなり動揺してた。
「なーんか、汗かいてね?」
「ははは、あ、暑くてさ」
悪そうな笑み浮かべる彼女は、背後のドアについている俺の腕を、自分の手で払うようにしてどけた。
支柱を失った俺の体は、そのまま前のめる。彼女の胸が、俺の胸に潰され、ムニュンと崩れた。
「ほら、こっちの方が楽でしょ?」
返す言葉を失う俺。楽どころか、全身が強張ってしまっている。
鼻先は杏子の首元にくっつきそうになり、ほんのりと香水の匂いがした。
彼女らしい、ムスクの混じった甘く官能的な香りと、それに混じって、なんかこう、少し酸っぱいような、これは汗か?
今日は卓球とかバッセンで体も動かしたし、体育ではマラソンしてるともいってたし、汗の匂いが混じるのは至極当然。そう、当然なんだ。
だから、反応するんじゃない!このバカ息子があ!
キモすぎる理由でイキイキとし始める愚息に、内心で叱責を飛ばす。
気休め程度にしかならないが、口呼吸に切り替え、色即是空を脳内で唱えた。
そうこうしていると、次の停車駅にとまり、わずかながら降りる人がいて、若干ながら背中の圧が弱まる。
これ幸いにと、少しでも離れようとしたのだが
「え?」
後方に下がろうとする俺の背を、杏子が手で押さえ、軽く抱きしめるようにして留めた。
あまりに予想外な行動にふたたび言葉を失う。
心臓は拍動しているというより、胸骨内を縦横無尽に跳ねているかのようだ。
「すー」
俺の頭のてっぺんの方で、小さな隙間から空気が通り抜けるような音がした。
そのあと、つむじを生暖かな呼気がくすぐる。
え?まさか?
「すー」
ふたたび、あの音だ。さっきよりも深く、長い。
いやいや、そんなはずない。
今をトキメク女子高生が、アラサーの頭皮を芳しそうに吸うはずがない。
そんなはずはない…はずだが、つむじをまたしても吐息がくすぐった。
加齢臭はない(と思いたい)ものの、枕に移った匂いに自分でも顔を顰めたくなる今日このごろ。
女子高生からしてみれば、公害も同然だろうに、何が良いっていうんだろうか。
「お待たせしました、まもなく立山駅に到着いたします」
俺たちが降りる駅の到着を知らせるアナウンスが車内に響き、杏子は我に帰ったように顔を上げ、手を離した。
俺は少しさがり、彼女を見据えた。
「ご、ごめんね」
「いや、いいんだ」
互いにようやく絞り出した言葉は、混雑する車内に上滑りし、気まずさという形で漂っていた…
結局なんだったんだろか?詳しく知りたいが、聞けるはずもない。
立山駅で杏子と別れた俺は、さっきよりはマシな混み具合の車内で、ひとりドア付近に立ちながら、さっきの一件に思いを馳せた。
あの後の杏子はいたっていつも通りだったから、深い意味はないのかもしれん。
ああ、ブルーチーズの匂いとかで、うわってなりつつも、つい何度も嗅いじゃう的なことかも…自分で言ってて悲しくなるな。
「ぜったいそうだって」
「ほんとにあんのな、JKのパパ活って」
すっかり馴染みとなったワードが聞こえ、チラリと斜め前の座席を見た。
「!?」
なんと、そこには先ほどファミレスで遭遇したファミリーがいたのだ。
男女が並んで座り、子どもはママに抱っこされながら、ぐっすりとお休みのようだよだ。
俺はスマホを開いて少し俯き、向こうに気づかれないようにした。
「ああいうの、ほんとにキモいよね」
「マジでそれ、てかふつーに犯罪だよな」
どう考えても、俺と杏子のことだろう。辛辣な内容に耳を塞ぎたくなるが、それ以上に、実はファミレスで見かけたときから気になっていることがあった。
女と子どもは間違いなく親子だろうが、男の方は父親…なのか?
彼は明るい茶髪に細身の柄シャツとスキニーパンツという、なんていうか、ひと昔前のチャラ男って感じだ。
母親の方がわりかし普通な格好だけに、なんかチグハグな印象が強かった。
俺がチラリと視線を送ると、タイミングよく男の方が出し抜けに言った。
「子ども寝かせてから店くる感じでいい?」
「うん、っていうかこのまま家においでよ、それから一緒に行こ」
「ええー?旦那わよ?」
「大丈夫だよ、明後日まで出張だから」
男は一瞬考える素ぶりを見せたものの、首を横に振った。
「やっぱいっかい寮に戻って着替えるわ」
「そっか…」
女が寂しげに微笑むと同時に、電車のドアが開き、男は立ち上がる。
「じゃ、あとでな」
「うん」
二人は電車内であるにも関わらず、別れのキスをし、男は降車した。
女は立ち去る男の背を、潤んだ瞳で見つめている。彼女の腕の中の女の子は、まだスヤスヤと寝ていた。
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