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「もう私ショックでショックで眩暈がしたくらいよ!」
「はい」
「こんなの詐欺じゃないの!信じられない!」
「申し訳ございません…」
狭い店内に、五十過ぎのマダムの、甲高い怒声が響く。彼女の着ている肩パッドいりのジャケットも、手に持っているモノグラムのハンドバッグも、紛れもなくハイブランドだが、どれも数十年前の流行品だ。
並木さんは、買取カウンターにて、そんなマダムの正面に座り、ひたすら彼女の怒声を浴びていた。
俺はバックヤードから、間に入るタイミングを窺っているのだが、矢継ぎ早に喋り散らかしているので、なかなか隙がなかった。
「ほらコレ!この財布!私が売ったものよね!?」
マダムは自分のスマホの画面を突きつけるように、並木さんに見せた。
おそらく、うち店舗のECサイトを開いているんだろう。
「はい、間違いなくお客様がお売りいただいたものです」
「値段を読み上げてごらんなさい!ほら早く!」
「税抜きで2万9800円とあります」
「それで?あなたは先週、この財布をいくらで買い取ったのかしら?」
「1万5000円…です」
「ああ…もう、また眩暈がしてきたわ」
どこにでもこういう客はいるんだなあ。
妙に感心してしまった。ようやく話が途切れたので、助け舟を出しにカウンターに向かった。
彼女のクレームの内容は、こちらが安く買い叩いたというものだ。
だがもちろん暴論である。むしろ売値の半額での買取額は、良心的な部類だ。
俺は並木さんの後ろから、めくじらを立てるマダムに声をかけた。
「お客様、おそれいります」
「あなたは?」
「店長の岩城と申します」
「ああ、そうなら話が早いわ」
彼女は再び、スマホの画面を見せた。
「この財布!返品して頂戴!」
「大変恐縮ですが、そのご要望にはお応えしかねます」
「はあああ!?」
「こちらは正規の手続きに則っておりますし、買取のさいに返品は原則承っていないことは、彼女から説明があったかと存じます」
俺は言いながら、プリントアウトしておいた書類をマダムに見せた。
買取に関するいくつかの条項が書き連ねてあり、下段に目の前のマダムのサインもきっちりある。
「ほら、こちらにも記載がありますし、お客様のサインもこちらに」
「そんなの関係ないわ!こんなのぼったくりなんだから!」
お金を出したのはこっちなんだから、ぼったくりにはなりようがないのだが、言いたいことはわかる。
だがこちらも商売なのだ。買値より高い値段で売るのは当然で、ましてや量販店のように、薄利多売で勝負できるような商材ではない。
それでも100万で売れるものなら、10万の利益のために90万で買うことはあるが、3万で売るものを3000の利益のために2万7000円で買ってたら、店が成り立たないのである。
そんなこと、多くの人は言われるまでなく理解している。
しかし、驚くべきことに、3万で売れるものは3万で買い取れと、大真面目に主張する人間も少なからずいる。
往々にしてその手のタイプは、理屈は通じず、増長こそすれ、自ら矛を収めることはない。
つまり、相手にすればするほど損なのだ。
「大変恐れ入りますが、お引き取りください」
俺は手ではっきりと出入り口を指し示しながら、目の前のマダムに告げた。
「て、店長…」
並木さんが小声で嗜めた。
マダムは一瞬絶句したのち、こめかみをヒクつかせ、俺を指差しながらヒステリックに喚いた。
「な、なんなの!?その態度!?」
「お引き取り願います」
「私は客なのよ!?」
「お引き取り願います」
俺は姿勢を変えず、出入り口を示したまま、同じセリフを同じトーンで、何度も繰り返した。
「もういいわ!警察呼ぶから!いいのね!?」
「それはあなた様の自由です」
俺が一切たじろがないのを見て、彼女の方が怯んだ。
少し逡巡する素振りを見せるも、もう後に引けなくなったのか、スマホを操作しながらいったん店を出た。
「もしもし?事件というか…まあ、えっと…」
どうやら本当にかけているらしい。無知とは恐ろしいものだ。
「店長、大丈夫なんですか?」
「問題ないよ、こっちは何一つ法律違反なんかしてないんだから」
「でも、こんな騒ぎにしたら…」
「確かに、良くないかもね。でもあの手合いに下手に出ると、粘着されてるんだよ」
これは俺の経験則だ。ああいうのに粘着されると、軽微な害が積もりに積もり、やがてバカにならない損失になる。
だから多少は大ごとにしてでも、二度と来させない方が、長い目で見ると得なのだ。
「それに、せっかく警察が来てくれるなら、営業妨害を主張すれば引き取っていってくれるかもでしょ?」
「…」
「並木さん?」
「す、すいません、ちょっと意外だったもので」
「意外?」
「ほら、岩城店長はもっと穏便に済ませるタイプかと…って失礼ですよね!すいません!」
なぜかあたふたする彼女の言に、俺は苦笑を漏らした。
たしかに少し前、それこそ前の職場にいたときなら、もっと穏便に済ませただろう。改めて考えてみれば、自分でも意外かもしれない。
パワハラ上司がいないからとか、今の方が裁量が大きいからとかもあるんだろうが、やっぱり…
ーーは?上司だからって家の前で騒いでいいわけなくない?
脳裏にあの時の杏子の凶暴な笑みが浮かぶ。
結局のところ、ヒーローの真似事をしてみたくなっただけなのかもな。
「はい」
「こんなの詐欺じゃないの!信じられない!」
「申し訳ございません…」
狭い店内に、五十過ぎのマダムの、甲高い怒声が響く。彼女の着ている肩パッドいりのジャケットも、手に持っているモノグラムのハンドバッグも、紛れもなくハイブランドだが、どれも数十年前の流行品だ。
並木さんは、買取カウンターにて、そんなマダムの正面に座り、ひたすら彼女の怒声を浴びていた。
俺はバックヤードから、間に入るタイミングを窺っているのだが、矢継ぎ早に喋り散らかしているので、なかなか隙がなかった。
「ほらコレ!この財布!私が売ったものよね!?」
マダムは自分のスマホの画面を突きつけるように、並木さんに見せた。
おそらく、うち店舗のECサイトを開いているんだろう。
「はい、間違いなくお客様がお売りいただいたものです」
「値段を読み上げてごらんなさい!ほら早く!」
「税抜きで2万9800円とあります」
「それで?あなたは先週、この財布をいくらで買い取ったのかしら?」
「1万5000円…です」
「ああ…もう、また眩暈がしてきたわ」
どこにでもこういう客はいるんだなあ。
妙に感心してしまった。ようやく話が途切れたので、助け舟を出しにカウンターに向かった。
彼女のクレームの内容は、こちらが安く買い叩いたというものだ。
だがもちろん暴論である。むしろ売値の半額での買取額は、良心的な部類だ。
俺は並木さんの後ろから、めくじらを立てるマダムに声をかけた。
「お客様、おそれいります」
「あなたは?」
「店長の岩城と申します」
「ああ、そうなら話が早いわ」
彼女は再び、スマホの画面を見せた。
「この財布!返品して頂戴!」
「大変恐縮ですが、そのご要望にはお応えしかねます」
「はあああ!?」
「こちらは正規の手続きに則っておりますし、買取のさいに返品は原則承っていないことは、彼女から説明があったかと存じます」
俺は言いながら、プリントアウトしておいた書類をマダムに見せた。
買取に関するいくつかの条項が書き連ねてあり、下段に目の前のマダムのサインもきっちりある。
「ほら、こちらにも記載がありますし、お客様のサインもこちらに」
「そんなの関係ないわ!こんなのぼったくりなんだから!」
お金を出したのはこっちなんだから、ぼったくりにはなりようがないのだが、言いたいことはわかる。
だがこちらも商売なのだ。買値より高い値段で売るのは当然で、ましてや量販店のように、薄利多売で勝負できるような商材ではない。
それでも100万で売れるものなら、10万の利益のために90万で買うことはあるが、3万で売るものを3000の利益のために2万7000円で買ってたら、店が成り立たないのである。
そんなこと、多くの人は言われるまでなく理解している。
しかし、驚くべきことに、3万で売れるものは3万で買い取れと、大真面目に主張する人間も少なからずいる。
往々にしてその手のタイプは、理屈は通じず、増長こそすれ、自ら矛を収めることはない。
つまり、相手にすればするほど損なのだ。
「大変恐れ入りますが、お引き取りください」
俺は手ではっきりと出入り口を指し示しながら、目の前のマダムに告げた。
「て、店長…」
並木さんが小声で嗜めた。
マダムは一瞬絶句したのち、こめかみをヒクつかせ、俺を指差しながらヒステリックに喚いた。
「な、なんなの!?その態度!?」
「お引き取り願います」
「私は客なのよ!?」
「お引き取り願います」
俺は姿勢を変えず、出入り口を示したまま、同じセリフを同じトーンで、何度も繰り返した。
「もういいわ!警察呼ぶから!いいのね!?」
「それはあなた様の自由です」
俺が一切たじろがないのを見て、彼女の方が怯んだ。
少し逡巡する素振りを見せるも、もう後に引けなくなったのか、スマホを操作しながらいったん店を出た。
「もしもし?事件というか…まあ、えっと…」
どうやら本当にかけているらしい。無知とは恐ろしいものだ。
「店長、大丈夫なんですか?」
「問題ないよ、こっちは何一つ法律違反なんかしてないんだから」
「でも、こんな騒ぎにしたら…」
「確かに、良くないかもね。でもあの手合いに下手に出ると、粘着されてるんだよ」
これは俺の経験則だ。ああいうのに粘着されると、軽微な害が積もりに積もり、やがてバカにならない損失になる。
だから多少は大ごとにしてでも、二度と来させない方が、長い目で見ると得なのだ。
「それに、せっかく警察が来てくれるなら、営業妨害を主張すれば引き取っていってくれるかもでしょ?」
「…」
「並木さん?」
「す、すいません、ちょっと意外だったもので」
「意外?」
「ほら、岩城店長はもっと穏便に済ませるタイプかと…って失礼ですよね!すいません!」
なぜかあたふたする彼女の言に、俺は苦笑を漏らした。
たしかに少し前、それこそ前の職場にいたときなら、もっと穏便に済ませただろう。改めて考えてみれば、自分でも意外かもしれない。
パワハラ上司がいないからとか、今の方が裁量が大きいからとかもあるんだろうが、やっぱり…
ーーは?上司だからって家の前で騒いでいいわけなくない?
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