4 / 51
4
しおりを挟む
「なんつーかさあ」
俺の話を聞いた杏子は、チョコパフェの底にあるフレークを引っ掻きだしながら言った。
「もしや助けない方が良かったまである?」
「身もふたもないこと言わんでくれ」
「辞めようとか思わんの?」
「思わなくもないけど…」
「けど?」
「あっさり辞めさせてくれるとも思えないしなあ」
「そーいうのを代わりにやってくれる会社とかなかったっけ?」
「退職代行のこと?」
「それそれ、使えばいいんでない?それともめっちゃ高いとか?」
「いや、3万前後で済むと思うけど」
「私の『お小遣い』より少ないね」
「儲かってんなあ」
「まーねん」
杏子は得意げに鼻をならす。
たしかに彼女なら10万払ってもいいという男はいくらでもいそうだ。
「使ったところで、実際には辞められないとか?」
「っていうわけでもないらしい。利用して辞めたっていう知り合いもいるし、仮に辞められなかったとしても返金保証が…」
言い終える前に言葉を詰まらせた。杏子がなぜか口をムズムズさせて、笑いを堪えていたからだ。
「どうしたの?」
「めっちゃ詳しいなと思ってw」
顔がカッと熱くなる。杏子はとうとう吹き出した。
「あははwなんだかんだで、辞めたい気まんまんなんじゃんw」
彼女は手を叩いて笑った。俺もつられて笑った。
夜な夜なスマホを開いて、退職代行のサイトを食い入るように眺めていたこともある。
利用した知り合いに、あれこれ聞いたこともある。
ひどく後ろ向きな姿勢に思え、自分で辟易して、結局行動にはうつさなかったけど。
だが今の俺からすれば、まだあの頃はまだ前を向いていたんだなと思う。
「失礼します。ラストオーダーとなります」
先ほどの店員さんがやってきて告げる。
俺は視線で彼女に促すと、杏子は首を振った。
「だいじょぶでーす。もう出ますんで」
店員さんは疲れを滲ませながらも、柔らかな笑みをおくり、一礼して去った。
「ねえ、明日は仕事?」
「…まあね」
「行けんの?」
「どうだろう…」
後頭部を見えない手に押されるような感覚がした。
そう、明日も仕事に行かなければならない。
いつものように朝6時半に起きなければならない。
そして、いつものように、7時半の電車に乗らなければならない。
言い淀む俺に、杏子はスッと手を差し出した。
「スマホ貸して」
「へ?」
「いいから貸して」
言われるがまま、スマホをスーツの胸ポケットから出し、ロックを解除して彼女に手渡した。
受け取った杏子は、自分のスマホを取り出した。
一瞬香水の瓶を取り出したように見えたが、そういうモチーフのスマホカバーらしい。
2つのスマホを見比べながらポチポチと打ち込み、俺に返した。
画面を見ると、斜め上から自撮りしたと思われる彼女のアイコンの下に、「あんず」と平仮名で表記されたアカウント名があった。
「明日の朝、電話でもメッセでもいいから連絡してよ」
「いいけど、どうして?」
「生存確認くらいはしときたいじゃん」
杏子は真面目な顔で、俺を見据えた。思わず、笑いが漏れてしまう。
「ほらね」
「なにが?」
「やっぱり『良い子』じゃないか」
「ウザッ」
「そろそろ出ようか」
と伝票を持って席を立った。杏子もカバンを持って立ち上がった。
そのついでに、意趣返しとばかりに、彼女の蹴りが俺の尻に刺さる。
「いてっ!?」
「ちょーしのんなし」
そうは言われても、やっぱり良い子だし、可愛いと思ったもんは仕方ない。
俺はギリ終電に間に合いそうなので駅に戻ることにし、杏子はタクシーで帰るというのでファミレス前で別れた。
「連絡しなよ、約束だかんね」
「うん、わかったよ。本当にありがとう」
別れ際に念をおされ、背を向けて、ノロノロと歩き始めた俺は、5メートルほど進んだところでなんとなく振り向いた。
杏子は、まだ俺を見ていた。俺と目が合っても、何も言わず、手を振ることもなく、ジッと見ていた。
俺が遠慮がちに手を振ると、ようやく胸の前で小さく振り返した。
なんとなく、大丈夫な気がした。だから、きっと大丈夫なんだ。
一度死んだようなもんなんだから、生まれ変わったつもりで、明日からまた頑張ろう。
大丈夫、きっと、大丈夫。
俺の話を聞いた杏子は、チョコパフェの底にあるフレークを引っ掻きだしながら言った。
「もしや助けない方が良かったまである?」
「身もふたもないこと言わんでくれ」
「辞めようとか思わんの?」
「思わなくもないけど…」
「けど?」
「あっさり辞めさせてくれるとも思えないしなあ」
「そーいうのを代わりにやってくれる会社とかなかったっけ?」
「退職代行のこと?」
「それそれ、使えばいいんでない?それともめっちゃ高いとか?」
「いや、3万前後で済むと思うけど」
「私の『お小遣い』より少ないね」
「儲かってんなあ」
「まーねん」
杏子は得意げに鼻をならす。
たしかに彼女なら10万払ってもいいという男はいくらでもいそうだ。
「使ったところで、実際には辞められないとか?」
「っていうわけでもないらしい。利用して辞めたっていう知り合いもいるし、仮に辞められなかったとしても返金保証が…」
言い終える前に言葉を詰まらせた。杏子がなぜか口をムズムズさせて、笑いを堪えていたからだ。
「どうしたの?」
「めっちゃ詳しいなと思ってw」
顔がカッと熱くなる。杏子はとうとう吹き出した。
「あははwなんだかんだで、辞めたい気まんまんなんじゃんw」
彼女は手を叩いて笑った。俺もつられて笑った。
夜な夜なスマホを開いて、退職代行のサイトを食い入るように眺めていたこともある。
利用した知り合いに、あれこれ聞いたこともある。
ひどく後ろ向きな姿勢に思え、自分で辟易して、結局行動にはうつさなかったけど。
だが今の俺からすれば、まだあの頃はまだ前を向いていたんだなと思う。
「失礼します。ラストオーダーとなります」
先ほどの店員さんがやってきて告げる。
俺は視線で彼女に促すと、杏子は首を振った。
「だいじょぶでーす。もう出ますんで」
店員さんは疲れを滲ませながらも、柔らかな笑みをおくり、一礼して去った。
「ねえ、明日は仕事?」
「…まあね」
「行けんの?」
「どうだろう…」
後頭部を見えない手に押されるような感覚がした。
そう、明日も仕事に行かなければならない。
いつものように朝6時半に起きなければならない。
そして、いつものように、7時半の電車に乗らなければならない。
言い淀む俺に、杏子はスッと手を差し出した。
「スマホ貸して」
「へ?」
「いいから貸して」
言われるがまま、スマホをスーツの胸ポケットから出し、ロックを解除して彼女に手渡した。
受け取った杏子は、自分のスマホを取り出した。
一瞬香水の瓶を取り出したように見えたが、そういうモチーフのスマホカバーらしい。
2つのスマホを見比べながらポチポチと打ち込み、俺に返した。
画面を見ると、斜め上から自撮りしたと思われる彼女のアイコンの下に、「あんず」と平仮名で表記されたアカウント名があった。
「明日の朝、電話でもメッセでもいいから連絡してよ」
「いいけど、どうして?」
「生存確認くらいはしときたいじゃん」
杏子は真面目な顔で、俺を見据えた。思わず、笑いが漏れてしまう。
「ほらね」
「なにが?」
「やっぱり『良い子』じゃないか」
「ウザッ」
「そろそろ出ようか」
と伝票を持って席を立った。杏子もカバンを持って立ち上がった。
そのついでに、意趣返しとばかりに、彼女の蹴りが俺の尻に刺さる。
「いてっ!?」
「ちょーしのんなし」
そうは言われても、やっぱり良い子だし、可愛いと思ったもんは仕方ない。
俺はギリ終電に間に合いそうなので駅に戻ることにし、杏子はタクシーで帰るというのでファミレス前で別れた。
「連絡しなよ、約束だかんね」
「うん、わかったよ。本当にありがとう」
別れ際に念をおされ、背を向けて、ノロノロと歩き始めた俺は、5メートルほど進んだところでなんとなく振り向いた。
杏子は、まだ俺を見ていた。俺と目が合っても、何も言わず、手を振ることもなく、ジッと見ていた。
俺が遠慮がちに手を振ると、ようやく胸の前で小さく振り返した。
なんとなく、大丈夫な気がした。だから、きっと大丈夫なんだ。
一度死んだようなもんなんだから、生まれ変わったつもりで、明日からまた頑張ろう。
大丈夫、きっと、大丈夫。
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる