卯月ゆう莉は罪つくり

Hatton

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本編1

Let it be

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視線は刺さる。あるいは焦がす。

四限目の別室での選択授業を終え、2ーAの教室のドアをゆう莉は開けた。

「この動画のさあ…」

ドア付近にいる数人の女子生徒たちの会話が止まる。

彼女たちはゆう莉の姿を一瞥し、会話を再開した。

ゆう莉は窓際の自分の席を目指し、足を進める。

すれ違う男子生徒と肩がぶつかる。

少しよろけたゆう莉を、彼はチラリと見やるだけでなにも言わない。

角でだべっている女子生徒の一人は、不躾にジロジロとゆう莉を視線で追いかけた。

彼女はわざとらしく声を潜め、なにかを友人たちと嘲笑し合う。

ようやくゆう莉は席についた。

お気に入りのヘッドホンをつけ、スマホを操作した。

ーー今日はビートルズかな

どちらかといえばハードロックを好む彼女だが、今はしっとりとした癒しのサウンドを求めた。

「ガタン」

スマホを操作していた手がとつぜん揺れた。

「あwごめーんw」

ゆう莉の机を横切った女子生徒が、笑みをふくんだ声で謝る。

彼女がゆう莉の机にぶつかるのは、今日だけで二度目だ。

すれ違うついでに、彼女が肩ごしに送った侮蔑の視線を、ゆう莉は首筋で受けた。

黒板の近くには椎名と数名の男子生徒たちがいて、明確な敵意を込めた視線を、ゆう莉に浴びせる。

視線は刺さる。あるいは焦がす。

ゆう莉は決して鈍いわけでも、タフなわけでもない。

むしろ人よりも多くのことを悟り、しっかりと傷つく。

だからこそ文字という無機質な記号だけで、人を描ける。

縫い針で皮膚を刺すような、あるいは太陽をとおした虫眼鏡の照射を当てるような視線を、ゆう莉は痛みとして知覚していた。

同時に、この痛みをどのように表現するかを思索する。

ここ数日で、ゆう莉は12個の比喩と、23個の隠喩、それらに伴うシチュエーションを9つ創造した。

ーーでも、そろそろ飽きたな

彼ら彼女らの行為はこれ以上の発展を見せることはなさそうだった。

得るものを見いだせなくなったゆう莉は、途端に白けた気分になり、目を閉じ、ポール・マッカートニーのボーカルに神経を委ねた。

Let it beなすがままに

ーーしばらく学校に来るのやめようかな

Let it beなすがままに

ーーついでに一人旅でもしちゃう?

Let it beなすがままに

ーーなんなら、そのまま戻らなくてもいいんじゃない?

Let it beなすがままに

ーー彼女ならきっとそうする、赴くまま、気のままに

Let it beなすがままに

ーーメアリならきっと、「自由」を選ぶ

ゆう莉の意識は、別の世界に飛んだ。


そこは草原だった。

風は穏やかでありながら、確かな質感を持っていた。

生い茂る緑の中にゆう莉は立っている。

はるか西には大きな大きな山。煌々とした赤い山々だ。

その手前の草原は、陽の光を吸収したみたいな金色だった。

颯爽に駆け抜ける野生の馬が微かに見えた。

自然に生きているとは思えないほど真っ白で、わずかに黄味がかった立派な角が生えている。

ゆう莉の足元から、草木と同じ緑色をしたウサギが、ぴょんと飛び出した。

ゴワッと大きな風が、西から吹いて、ゆう莉の髪を、足元の草原をやや乱暴に撫でる。

その瞬間、ゆう莉の足元の草原も金色に変わる。まるで風にのって金の色素も飛んできたみたいに。

ゆう莉は東に向かって走った。風が手助けするように、背中を押した。

たどりついた丘の向こうには町があった。

中心に大きな時計塔がそびえている。青い尖った屋根の下に、15個の文字が刻まれた時計があった。

ゴーンゴーンゴーン

街中に荘厳な鐘の音が響いた。

時間を知らせるものじゃない。

パン屋のおかみさんが、ついに3人目の子供を産んだことを知らせる鐘だ。

いつも怒ったような顔をしている鍛冶屋の主人が、店の外にでて空を見上げた。

役所に勤める生真面目な算術士は、窓を開け、青空にも負けない晴れやかな顔を出し、やはり空を見上げた。

学校の中から、たくさんの子どもたち校庭になだれこむ。先生も一緒になって校庭にきて、空を見上げた。

街の人々は、みな空を見上げ、命の誕生を祝った。

魔法が使えるものは杖を掲げ、色とりどりの花火を打ち上げた。

魔法が使えないものは、声をあげる。

「おめでとうー!」

「おつかれさん、無理すんなよ」

街の上空に、鐘の音と、花火の音と、祝いの声が混じり、すべてが風に乗りゆう莉のもとへ届く。

ここはメアリの生きる世界。ゆう莉が創造した世界だ。

風も、草も、人も、彼女の思いのままに動く。思いのままに動かないことも、たまにあるが。

ゆう莉は丘の先端にむかって一歩踏み出す。真下は断崖絶壁である。

問題なかった。体が宙に投げだされれば、どこからともなく箒が飛んできて、ゆう莉をひろいあげるから。

ゆう莉は手を広げ、飛びこむ準備をした。

Let it beなすがままに

ーーこのままどこかに行ってしまおう

Let it beなすがままに

ーーこの世界をもっともっと素敵なものにするために

Let it beなすがままに

ーーここにはもう、知りたいものがない

最後の一歩を踏み出そうとした瞬間。

ゆう莉の肩を

振り向くと一瞬だけ、肩を掴んだ主の顔が見えた。

「え!?」

ゆう莉は現実に引き戻された。

机に突っ伏していた顔をあげる。

目の前の光景が、現実なのか夢想の延長なのか、ゆう莉は判断に迷った。

そこには、背の高い癖っ毛の少年が立っていたから。

そこには、夢想の中で、振り向いた先に一瞬見えた姿とまったく同じ、仏頂面があったから。

ゆう莉はヘッドホンを外し、確かめるように尋ねた。

「造…くん?」

「どうも」

造はいつものように、端的に挨拶を返した。
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