卯月ゆう莉は罪つくり

Hatton

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本編1

四つの偶然

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神崎造が卯月ゆう莉と出会い、なおかつ彼女が作家であると知り、現在の関係に至ったのは、主に四つの偶然が作用した結果だった。

昨年の11月ごろ、造は当時中学3年生だった。

その時の彼は、便利屋の作業員として出張ることはなく、事務所にて雑用や事務仕事を手伝っていた。

しかし、とある日曜日の昼下がりでのこと。

父親からこのような電話を造は受けた。

「わりい!掃除用具一式持って今から言う住所に大至急向かってくれ!」

彼の父親は、自分が受けた仕事をスケジュールに組み込むのを忘れていたようで、急きょ造が向かうことになった。

これが一つ目の偶然である。

「いいか!万が一にも年齢聞かれたら…」

「中卒で働いている16歳だって言えばいいんだろ、わかってるよ」

犯罪の密約を交わし、造はこの界隈でもっとも高層のマンションに足を運んだ。

エントランスに赴くと、買い物帰りの主婦と思しき女性がいた。

彼女は自分の鍵で自動ドアを開き、親切にも「どうぞ」と促してくれたため、造はお礼を言って中に入った。

こうして、オートロックのインターホンを使わずに中にはいれたこと、これが二つ目の偶然だ。

最上階の一番奥の部屋に辿りつき、造はインターホンを鳴らした。

反応がなかったのでもう一度鳴らした。

それでも音沙汰がなかったため、造は事前に教えてもらっていた依頼主の番号に、電話をかける。

5コール程度鳴らしたところ、依頼主である女性がでたので、事情を説明した造。

「あー、たぶん聞こえてないだけだと思います。ちなみに鍵はかかってますか?」

ドアノブを回すと、抵抗することなくスッとおりた。これに関しては、偶然と言えるほど珍しいことじゃない。

「開いてるみたいですが?」

「はあ、まったくあの子ったら…まあいいわ、そのまま入っちゃってください」

「いや、しかし…」

「かまいません。寝室にいるようなら外から一声かけてくだされば、あとは仕事に取り掛かっていただいて大丈夫ですので」

電話主はそれだけ告げると、「すいません、あとよろしくお願いします!」と言いつつ、電話を切った。

造は抵抗を感じつつも、ドアをあけ中を覗いた。

「え!?」

造は思わず大きな声を出した。

玄関前に小柄な女性が倒れていたからだ。

廊下には衣服やらゴミが散乱していて、横たわる彼女の手元には黒い長財布が落ちている。

造はかけよって肩を揺すりながら声をかけた。

「大丈夫ですか!?声聞こえてますか!?」

「う…うん…」

意識はあるようだが、朦朧としていた。

造は救急車を呼び、続いて依頼主に連絡したが、今度は出なかったので留守電だけ残した。

救急車が到着した際、造はあらかた事情を説明し、依頼主に搬送先の病院の場所を教えなければならないため同乗したのだった。

これが、卯月ゆう莉と神崎造の出会いである。



「本当にありがとうございます!」

「いえ、自分は救急車を呼んだだけなので」

ゆう莉が病院に搬送された直後、依頼主から折り返しがあり、造はことの顛末を伝えた。

「私はあと10分ほどでそっちに着くので、お帰りになっていただいて大丈夫です。落ち着いたら改めてお礼に伺いますので!」

「はあ、わかりました」

こうして、造は後ろ髪引かれつつも、病院を後にした。

幸い病院は事務所からほど近く、造は歩いて戻ることに。

10分ほど歩いた頃だろうか。

「あ」と道すがらで声をあげた造は、自分の痛恨のミスに気づいた。

慌ててカバンを漁ると、そこには造のものではない黒い長財布があったのだ。

救急車を呼んだあと、保険証が必要になるかと思い、咄嗟に落ちていた財布を拾ったはいいが、後のゴタゴタですっかり忘れていたのだった。

これが三つ目の偶然である。

電話するより戻った方がてっとり早いと思った造は、来た道を引き返した。

病院の受付でゆう莉の居場所を聞いた造は、彼女がいる病室に足を運んだ。

2階の内科病棟の手前の部屋に入ると、カーテンで閉ざされた一番左奥のベッド以外は人がいなかった。

カーテンにポニーテールの女性のシルエットが映っていて、おそらく彼女が依頼主だろうと見当をつける造。

近づき声をかけようとしたが…

「信じられない!栄養失調だなんて!」

唐突に聞こえた怒声に、かけようとした言葉が引っ込んだ。

カーテンの向こうでは、ベッドで半身を起こしたゆう莉に、彼女の保護者である叔母の渚が睨みを利かせている。

「ちゃんと食べてるかあれほど確認したのに、なんなのこの体たらくは!?」

「い、いやあ、仕事がひと段落ついたから食べ物でも買いに行こうと思って外に出ようとしたらフラっときちゃって、ギリ間に合わんかったみたい…あはは」

「笑いごっちゃない!」

「ごめんなさあい」

今ひとつ緊張感のないゆう莉に、叔母はさらに業を煮やした。

「ちゃんと自覚を持ちなさい!」

「わかってるよ、今や私は看板作家だからね」

「ぜんぜんわかっとらん!!」という渚の怒声とともに、スパーンという小気味よい音がした。

「いたあ!ちょっとお、これでも病人なん…だけど…?」

ゆう莉は引っ叩かれた頭頂部を押さえながら、目を丸くした。

叔母である渚の瞳はうるみ、口元がわなわなと震えていたからだ。

「あんたは木照在である前に、卯月ゆう莉、私の姪っ子で、娘で、家族なの。それをちゃんと自覚しなさい!」

渚はゆう莉を抱きしめ、震える声でそっと告げた。

「うん、ほんとにごめんね」

ゆう莉は叔母の背中に手を回し、そっと抱きしめた。

そんな、ハートフルなやり取りを、ついカーテン越しに聞いてしまった造。

彼の脳裏には、主に二つの単語がグルグルと巡っていた。

「看板作家?木照在?ってことはまさか…」

内心でいたった結論に、造は戦慄した。

当時、発刊されて間もなかったゆう莉の著作は、世間の注目を席巻している真っ最中だった。

造もつい一週間ほど前にそれを読んだばかりで、作者が完全な覆面作家であることも知っていた。

とんでもない秘密を耳にしてしまった造は、聞かなかったことにするしかないと思い、いったん踵を返そうとした。

だがここで、無情にも四つめの偶然が降りかかる。

「あの、どうかされましたか?」

たまたま通りかかった看護師が、病室の真ん中で固まっている造を不審に思い、声をかけたのだ。

その直後にシャッと勢いよくカーテンが引かれ、造はゆう莉と渚と対面したのである。

渚は造の顔をジッと見つめたと思えば、ニッコリと笑った。

そして、彼の肩をガシッと掴んだ。爪がギリギリと食い込む痛みに造は顔をしかめた。

「ど・こ・ま・で・聞・い・た?」

この瞬間、神崎造は生まれて初めて生命に危機を感じたという…
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