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ショートショート
タトゥー
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「タトゥー入れてみたくない?」
「いやです」
卯月ゆう莉のあまりに突然かつ突飛な申し出を、神崎造は当然ながら断った。
つい先ほど期末試験が終わったばかりのためか、いつも静かな図書室はいつに増して静かだった。
試験が終わったというのに、図書室に入り浸っている物好きな二人は、互いに向かい合って座り、各々で本を読んでいた。
そんな中、唐突にゆう莉が右隣にやってきて、切り出したのだった。
「ノリ悪いなあ」
「ノリで入れるようなものじゃないでしょう」
「だいじょーぶ、入れるといってもコレだから!」と言いつつ、ゆう莉はカバンからある物を取り出した。
ジャーンという掛け声とともに出てきたのは、大きめのマジックペンのようなものだ。
「これタトゥーペンっていうらしいよ。おとといネットで見つけてついポチっちゃったんだ!」
「…はあ」
「その『はあ』は『さすがゆう莉先輩!買い物センスが抜群で、その上可愛いだなんて、完璧すぎる…はあ、素敵』ってことよね?」
「ええ、そうですね」造は突っ込むのをやめた。
「そうと決まれば!」とゆう莉はペンを構えた。
「何も決めてませんが?」
「いいから!ほら、どこに入れる?」
タトゥーを入れないという選択肢は、造には無いようである。
彼は色々なことを諦めて、おとなしく半袖シャツの右側を捲り、肩を差し出す。
ゆう莉はためらうことなく、彼の腕を左手でガシッと掴み、ペンを入れた。
「!?」
「ん?どした?」
「いいえ、なんでもないです」
力強く自分の肘から上を掴むゆう莉の小さな掌の感触を、造は意識せざるを得ない。
そんな無垢な少年の純情を知る由もなく、ゆう莉は真剣にペンを走らせる。
集中しているのか、ゆう莉の顔はどんどん造の肩に近づいている。
つい息を止めてしまうのか、定期的に「フー」と大きく吐き出すため、彼女の吐息がなんども造の肌をくすぐった。
「もう!動かないで!」
動揺が体に出るたび、叱責されるの造。
今日も今日とて、卯月ゆう莉は罪つくりだった。
10分後
「よっし!出来た!」満足げな笑みを浮かべ、ゆう莉はようやく離れた。
思いのほか早く完成したことにホッとしつつ、彼女の力作を拝見する造。
「…猫ですか?」
「はあ?どうみてもライオンなのだが?」
どうみても、猫科だということだけがかろうじてわかる動物…いや、妖怪だった。
「二週間くらいで落ちるらしいから、心配しないでね」
つまり、あと二週間はこの奇怪な生き物と共生しなければならないというわけだ。
造はさらに色々なものを諦め、嘆息した。
「はい、次は私の番!」とゆう莉は造にペンを差し出した。
どうやらこっちの方が、彼女の本命の目的らしいと悟る。
「どこに入れたいんですか?」
「えっとねえ…とりあえずこっちきて」
ゆう莉はカバンを持って立ち上がり、造の手をつかみ、そのままツカツカと図書室の奥に足を進める。
造も自分のカバンを持ち、彼女に引っ張られるようにして、図書室の角にたどり着いた。本棚に遮られ、司書室からも出入り口からも見えにくい場所だ。
ゆう莉は彼に背を向けたまま、ハラリと制服のシャツを脱いだ。
全脱ぎはないものの、左肩から肩甲骨まであらわになり、ヌーディーカラーのキャミソールが露出した。
「卯月先輩!?」造にしては珍しく大きな声が出た。
「ここ、背中の左肩らへんに入れて欲しいの。蜘蛛のイラストでお願い」
ゆう莉はキャミソールのストラップを外し、さらに肩をあらわにしながら言う。
造はとうとう黙りこんで、ゴクリと喉を鳴らした。ただ細い紐が外れただけなのに、首から肩にかけて、肩から腕にかけての丸みを帯びたラインが、やたらと艶かしくなったからだ。
少女の曲線美と少年の多感さにおける、ある種の神秘だった。
造は小さくかぶりをふって、仕事にとりかかる。
スマホで見つけた適当な蜘蛛のイラストを見本に、彼女の肩にペンを入れた。
「ふふっw思ったよりくすぐったw」とゆう莉は笑った。
造は左手を彼女の左腕を軽く当てて固定した。モチモチとした柔からかな感触は、なるべく意識しないように。
意識しないようにしていたのに…
「そういえばw二の腕の感触ってさ」とゆう莉は、擦られまくった思春期ネタを口にしようとした。
「動かないでください!」
造はそれを無理矢理さえぎる。
「はーい」
ゆう莉は素直に従ったが、返事をする口元はニマニマとしていた。
10分ほど経過した頃、ゆう莉がポツリとつぶやく。
「暑いね」
冷房が効いているとはいえ、真夏の窓辺からは、まだ高い位置にある太陽の光が差し込み、二人の肌を焼いた。
「そうですね、少し休憩に…」と言いながら目をあげた造は、言葉とともに体が硬直した。
ゆう莉の頬は熱けにやられて、淡く燃えていた。首筋は陽光にあてられた汗が光っている。
ムワッとしたピンク色の何かが、ゆう莉の体から立ち込めているのを、造は見た気がした。
「ん?」
途中で黙った造に、ゆう莉は肩越しに視線を送る。ゆっくりと笑みに歪むまぶたに合わせ、横に流れるその瞳は、上気した頬と相まって、妖艶としかいいようがなかった。
暑いはずの造の背中に、ゾクりと何かが走る。
「これ…使ってください」造は何かを誤魔化すようにかがんでカバンを漁り、ウエットティッシュを差し出した。
「ありがと!できる男だ!」
いつもの調子のゆう莉だったが、造はいつもとは違う何かを彼女から感じていた。
ドクンドクンと鳴る心臓と、ワナワナと沸き立つもろもろを、深呼吸で落ち着かせた。
小休憩を挟み、タトゥー入れを再開した二人。
わずかに開いた窓から風が入り込んだ。ゆう莉の髪をなびかせるが、肩まで届かない長さであるため、造の邪魔にはならない…はずだった。
造の鼻腔にシトラスが風にのってふんわりと香った。ウエットティッシュの香りだ。でもいつも自分が使うときと、少し違う匂いに思えた。
それは、シトラスとゆう莉の汗の匂いが混じったからだと、思春期の脳が結論づけようとしたので、造は慌てて口を開いて思考を中断させた。
「ところで、どうして急にタトゥーを?」
「古い短編小説を読んでね、それに影響されたんだ」
「どんな話ですか?」
「超サディストの彫師が、理想の肌を持つ少女を見つけてね、衝動に負けて彼女を眠らせて監禁して、無理やり刺青を彫っちゃうお話」
「尖に尖った作品なんですね」
「ふふ、でも名作だよ。実際にすごく面白かった」
「そうなんですね…できましたよ」
「お!?見せて見せて!」と彼女は手鏡を造にわたし、造は彼女の左肩を鏡に映した。
そこには、なかなかに見事な蜘蛛のイラストがあった。遠目からは、本物のタトゥーにしか見えない。
「はああ!あいかわらずの才能マンだねえ、すごいじゃんかあ」とゆう莉は大いに満足した。
造は何の気なしに、話題を戻した。
「それで、刺青を彫られた後はどうなるんですか?」
「ん?」
ゆう莉は鏡から視線を逸らし、造の顔に向けた。
またしても、まぶたが妖しく歪み、瞳に艶やかな輝きが宿る。
そして横顔のすぐ下にある蜘蛛の絵が、彼女の瞳と謎の親和性をみせた。
「その娘は気弱で男慣れもしてないウブな子だったんだけどね、女郎蜘蛛の刺青を背中に彫られてから、別の魂が入ったみたいに人格が変わってさ…」
蜘蛛越しに見るゆう莉の笑みは、やはりいつもと違った。まるで別の魂が入ったかのようだった。
「その彫り師の男を食べちゃうの」
ゆう莉は言い終えると、赤い舌をニュルッと出して、ふっくらとした桃色の唇を、ペロリとなぞった。
ドキンドキンやら、ワナワナやらのもろもろが、造の身体に戻ってきた。今度はさらに激しく。
「た、食べるって…どういう?」
言葉どおりの意味なら、とんだグロ展開だけど、そうでないなら…と造は夢想し、つい口をついて出てしまった。
ゆう莉は「してやったり」の表情を見せ、自分のカバンをごそごそと漁った。
そして一冊の文庫本を差し出した。
「気になるなら、読んでみましょう」
彼女の差し出した本には「『刺青』谷崎潤一郎」と書いてあった。
「あー、そうそう」
ゆう莉はシャツのボタンを止めながら続けた。
「二の腕の感触っておっぱいと同じらしいよ」
やっぱりいつも通りのゆう莉に、造は頭を抱えた。
「いやです」
卯月ゆう莉のあまりに突然かつ突飛な申し出を、神崎造は当然ながら断った。
つい先ほど期末試験が終わったばかりのためか、いつも静かな図書室はいつに増して静かだった。
試験が終わったというのに、図書室に入り浸っている物好きな二人は、互いに向かい合って座り、各々で本を読んでいた。
そんな中、唐突にゆう莉が右隣にやってきて、切り出したのだった。
「ノリ悪いなあ」
「ノリで入れるようなものじゃないでしょう」
「だいじょーぶ、入れるといってもコレだから!」と言いつつ、ゆう莉はカバンからある物を取り出した。
ジャーンという掛け声とともに出てきたのは、大きめのマジックペンのようなものだ。
「これタトゥーペンっていうらしいよ。おとといネットで見つけてついポチっちゃったんだ!」
「…はあ」
「その『はあ』は『さすがゆう莉先輩!買い物センスが抜群で、その上可愛いだなんて、完璧すぎる…はあ、素敵』ってことよね?」
「ええ、そうですね」造は突っ込むのをやめた。
「そうと決まれば!」とゆう莉はペンを構えた。
「何も決めてませんが?」
「いいから!ほら、どこに入れる?」
タトゥーを入れないという選択肢は、造には無いようである。
彼は色々なことを諦めて、おとなしく半袖シャツの右側を捲り、肩を差し出す。
ゆう莉はためらうことなく、彼の腕を左手でガシッと掴み、ペンを入れた。
「!?」
「ん?どした?」
「いいえ、なんでもないです」
力強く自分の肘から上を掴むゆう莉の小さな掌の感触を、造は意識せざるを得ない。
そんな無垢な少年の純情を知る由もなく、ゆう莉は真剣にペンを走らせる。
集中しているのか、ゆう莉の顔はどんどん造の肩に近づいている。
つい息を止めてしまうのか、定期的に「フー」と大きく吐き出すため、彼女の吐息がなんども造の肌をくすぐった。
「もう!動かないで!」
動揺が体に出るたび、叱責されるの造。
今日も今日とて、卯月ゆう莉は罪つくりだった。
10分後
「よっし!出来た!」満足げな笑みを浮かべ、ゆう莉はようやく離れた。
思いのほか早く完成したことにホッとしつつ、彼女の力作を拝見する造。
「…猫ですか?」
「はあ?どうみてもライオンなのだが?」
どうみても、猫科だということだけがかろうじてわかる動物…いや、妖怪だった。
「二週間くらいで落ちるらしいから、心配しないでね」
つまり、あと二週間はこの奇怪な生き物と共生しなければならないというわけだ。
造はさらに色々なものを諦め、嘆息した。
「はい、次は私の番!」とゆう莉は造にペンを差し出した。
どうやらこっちの方が、彼女の本命の目的らしいと悟る。
「どこに入れたいんですか?」
「えっとねえ…とりあえずこっちきて」
ゆう莉はカバンを持って立ち上がり、造の手をつかみ、そのままツカツカと図書室の奥に足を進める。
造も自分のカバンを持ち、彼女に引っ張られるようにして、図書室の角にたどり着いた。本棚に遮られ、司書室からも出入り口からも見えにくい場所だ。
ゆう莉は彼に背を向けたまま、ハラリと制服のシャツを脱いだ。
全脱ぎはないものの、左肩から肩甲骨まであらわになり、ヌーディーカラーのキャミソールが露出した。
「卯月先輩!?」造にしては珍しく大きな声が出た。
「ここ、背中の左肩らへんに入れて欲しいの。蜘蛛のイラストでお願い」
ゆう莉はキャミソールのストラップを外し、さらに肩をあらわにしながら言う。
造はとうとう黙りこんで、ゴクリと喉を鳴らした。ただ細い紐が外れただけなのに、首から肩にかけて、肩から腕にかけての丸みを帯びたラインが、やたらと艶かしくなったからだ。
少女の曲線美と少年の多感さにおける、ある種の神秘だった。
造は小さくかぶりをふって、仕事にとりかかる。
スマホで見つけた適当な蜘蛛のイラストを見本に、彼女の肩にペンを入れた。
「ふふっw思ったよりくすぐったw」とゆう莉は笑った。
造は左手を彼女の左腕を軽く当てて固定した。モチモチとした柔からかな感触は、なるべく意識しないように。
意識しないようにしていたのに…
「そういえばw二の腕の感触ってさ」とゆう莉は、擦られまくった思春期ネタを口にしようとした。
「動かないでください!」
造はそれを無理矢理さえぎる。
「はーい」
ゆう莉は素直に従ったが、返事をする口元はニマニマとしていた。
10分ほど経過した頃、ゆう莉がポツリとつぶやく。
「暑いね」
冷房が効いているとはいえ、真夏の窓辺からは、まだ高い位置にある太陽の光が差し込み、二人の肌を焼いた。
「そうですね、少し休憩に…」と言いながら目をあげた造は、言葉とともに体が硬直した。
ゆう莉の頬は熱けにやられて、淡く燃えていた。首筋は陽光にあてられた汗が光っている。
ムワッとしたピンク色の何かが、ゆう莉の体から立ち込めているのを、造は見た気がした。
「ん?」
途中で黙った造に、ゆう莉は肩越しに視線を送る。ゆっくりと笑みに歪むまぶたに合わせ、横に流れるその瞳は、上気した頬と相まって、妖艶としかいいようがなかった。
暑いはずの造の背中に、ゾクりと何かが走る。
「これ…使ってください」造は何かを誤魔化すようにかがんでカバンを漁り、ウエットティッシュを差し出した。
「ありがと!できる男だ!」
いつもの調子のゆう莉だったが、造はいつもとは違う何かを彼女から感じていた。
ドクンドクンと鳴る心臓と、ワナワナと沸き立つもろもろを、深呼吸で落ち着かせた。
小休憩を挟み、タトゥー入れを再開した二人。
わずかに開いた窓から風が入り込んだ。ゆう莉の髪をなびかせるが、肩まで届かない長さであるため、造の邪魔にはならない…はずだった。
造の鼻腔にシトラスが風にのってふんわりと香った。ウエットティッシュの香りだ。でもいつも自分が使うときと、少し違う匂いに思えた。
それは、シトラスとゆう莉の汗の匂いが混じったからだと、思春期の脳が結論づけようとしたので、造は慌てて口を開いて思考を中断させた。
「ところで、どうして急にタトゥーを?」
「古い短編小説を読んでね、それに影響されたんだ」
「どんな話ですか?」
「超サディストの彫師が、理想の肌を持つ少女を見つけてね、衝動に負けて彼女を眠らせて監禁して、無理やり刺青を彫っちゃうお話」
「尖に尖った作品なんですね」
「ふふ、でも名作だよ。実際にすごく面白かった」
「そうなんですね…できましたよ」
「お!?見せて見せて!」と彼女は手鏡を造にわたし、造は彼女の左肩を鏡に映した。
そこには、なかなかに見事な蜘蛛のイラストがあった。遠目からは、本物のタトゥーにしか見えない。
「はああ!あいかわらずの才能マンだねえ、すごいじゃんかあ」とゆう莉は大いに満足した。
造は何の気なしに、話題を戻した。
「それで、刺青を彫られた後はどうなるんですか?」
「ん?」
ゆう莉は鏡から視線を逸らし、造の顔に向けた。
またしても、まぶたが妖しく歪み、瞳に艶やかな輝きが宿る。
そして横顔のすぐ下にある蜘蛛の絵が、彼女の瞳と謎の親和性をみせた。
「その娘は気弱で男慣れもしてないウブな子だったんだけどね、女郎蜘蛛の刺青を背中に彫られてから、別の魂が入ったみたいに人格が変わってさ…」
蜘蛛越しに見るゆう莉の笑みは、やはりいつもと違った。まるで別の魂が入ったかのようだった。
「その彫り師の男を食べちゃうの」
ゆう莉は言い終えると、赤い舌をニュルッと出して、ふっくらとした桃色の唇を、ペロリとなぞった。
ドキンドキンやら、ワナワナやらのもろもろが、造の身体に戻ってきた。今度はさらに激しく。
「た、食べるって…どういう?」
言葉どおりの意味なら、とんだグロ展開だけど、そうでないなら…と造は夢想し、つい口をついて出てしまった。
ゆう莉は「してやったり」の表情を見せ、自分のカバンをごそごそと漁った。
そして一冊の文庫本を差し出した。
「気になるなら、読んでみましょう」
彼女の差し出した本には「『刺青』谷崎潤一郎」と書いてあった。
「あー、そうそう」
ゆう莉はシャツのボタンを止めながら続けた。
「二の腕の感触っておっぱいと同じらしいよ」
やっぱりいつも通りのゆう莉に、造は頭を抱えた。
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