終わりの世界に祝福を

かみはら

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6、世界の謎

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 世界はアサカに対し無数に牙を向けていた。
 変化していた体は元の肉体に比べれば随分体力も向上していたけれど、単純に喜べたのも数日の間だけ。
 獣の容姿そのままで二足歩行し人語を解する獣人、所謂エルフのような外見をもつ耳長、爬虫類に羽を生やした竜種族、そして妖精と精霊に他にも無数の「ヒト」がこの世界には存在し、共存している。この世界ではヒトの括りが幅広くなっているが、その中にかつて人間と呼ばれた旧人類は存在していない。
 彼女自身が旧人類の分類なのだと察するのに時間はかからなかった。毒が蔓延する遺跡内でのみ息ができること、遺跡に転がる無数の遺体の多くがガスマスクを身につけていたことを考えれば、彼らもまた、マスクなしでは息ができなかったのだろうと推測している。
 惜しむらくは全員がただの遺骸だった点だ。木乃伊のように乾燥した肉体では彼らの肌や目の色がわからない。いまのアサカは艶やかな黒髪に赤目をしているが、もし同じような人間がいればなにかわかったかもしれない、わからなくてもひとつの情報になり得るのにと悔やんでならないのである。

「せめてどこかAIが稼働している遺跡があればいいのだけど」

 マスクの部品集め以外の密かな目的である。世界はおそらく戦争が勃発したのだろうが、それから何年経っているにせよ、妖精郷の遺跡がアサカの目覚め直前まで稼働していたのは事実なのだ。
 未だにはしゃいでいるミ・アンの爪先を見つめた。
 あの爪も、やろうと思えばアサカ程度、豆腐を切るように簡単に引き裂けることを少年は知っているだろうか。
 彼女は体力、運動神経もこの世界の人々には遠く及ばない。努力、修練だとかで追いつけるレベルではない。根本的に、基礎からして肉体の作りである何かが違うのだ。
 あまつさえ寿命すら彼らに遠く及ばない。種族差があるとはいえ長ければ数百年を優に生きる新しいヒトの前に、アサカはどれだけ生きられるのだろうか。いまのところは肉体の老いを感じないけれど、自身を人と疑わないから百年も生きられるとは思わない。
 腕の具合を確認しながら、拳を握っていると、ふと気になって顔を上げた。
 
「パック、話すのに夢中になってるのはいいけど、周囲はちゃんと警戒してる?」
「ん? 一応気をつけてるけど」
「連中かなりいい身なりをしてた、そこらの山賊や雑兵と違って鼻が利くかもしれないけど、その辺ちゃんと考えてる?」

 もう少し休んでいたかったが、誰かに追われ続けるなんて状況は早く終わらせたい。本来はこの村を離れ次第、都に足を運ぶ計画もあったのだが考え直す必要があるだろう。
 ほんの少しだけ休むつもりが、余計なことを思い出したせいで時間を食った。
 ミ・アンにも立ち上がるよう促すと、一瞬天を仰ぎ、こんなことを訊いたのである。

「ミ・アン、この近くには崖になってるような……高い場所とかあったりする?」

 この質問に、なぜかパックが「げ」と心底嫌そうな声を出すが、ミ・アンは聞かれたことに答えるだけだ。

「あるよ、大分上の方だけど、落ちたら助からないような崖で、下は渓流になってるけど、大きな滝の下は広い森になってるんだ。ここからならそう遠くない」
「そこから街道に出ることはできる?」
「太陽が浮かんでくる方向に向かって歩けば大きな道に出られるかな。その道は旅人が多く利用しているから通りに宿屋もあるし、分かれ道があっても必ず道しるべが設置してあるから迷うことはないよ」
「そっか、じゃあ迷うことはなさそうだね」
「おい、アサカ」

 マスクの特殊硝子越しに見える目は真剣そのものだ。ミ・アンも迫力に圧されたのだった。

「……もし行きたいのなら案内できるけど、行く?」
「ううん、あんまりやりたい手段じゃないから念のため聞いただけ。でも方向だけ教えてもらえないかな」

 彼女の考える手段とはどんなものなのだろう。
 ここで「あのな!」とパックが叫びをあげる。何事かと二人の視線が注目すると、パックはもじもじと指を摺り合わせ、上目遣いにアサカを見上げたのである。
 非常に可愛らしい仕草でも、パックの行動の意味は手に取るようにわかった。皆まで問いただす必要はなかったのである。同時にアサカは叫んだ。

「この馬鹿!!!」

 荷物を抱え走り出す。これからのことも、過去を振り返る余裕などすっかり消え失せていた。

「だ、大丈夫だって.まだ見つかってない」
「見つかってたらぎったぎたに引き延ばしてるところだ……!」

 果たしてそれは慰めになっているのだろうか。
 ――逃げ切れるのだろうか。愚痴を叫びたい心をぐっと堪えて唇を噛みしめた。彼らにとって彼女らはのろまな亀のようなものだろう。追いついているのだと気付いていない方に賭けたいが、あの獣の耳を持った少女相手に賭けなど無謀だ。

「ちょっと部品を取っただけなのに、どうしてそこまで追ってくるかなあ……!」

 国に入る前は、あらかじめ遺跡に対する国の対応は確認しておいた。この国は研究職に対する理解が深く、民間が勝手に遺跡に立ち入ることを許さない。対応が厳しいから、中は極力荒らさないことを心がけていたというのに――。

「ええい、どうせ捨てるものなんだから有効利用させてもらっただけだってのにっ。私は悪くない、絶対悪くない……!」
「向こうからしたら、ただの遺跡荒らしじゃん。そりゃとっ捕まえるに決まってるだろ」
「あんたはどっちの味方なんだか! 大体普段から見張りは任せろって言ってるのはどこのどいつだっ」
「お前以外のヒトと話すのが久しぶりだったんだからしょーがねーだろー」

 言い争っているが、小声ではあるので一応気を使ってはいるのだろう。

「ミ・アン。動きながらでいい、崖の方向を教えて!」
「え? あ、ああ、それならあそこに見える木を右に……」
「アサカ」
「もう無理。最悪の場合を想定する」

 眉根を寄せるパックは何かを恐れているかのようにも感じられたが、まさか飛び降りでもするのだろうか。翼のある人ならそれも可能だが、アサカの背中は背嚢で潰れているし、とうてい翼を隠しているようには見えない。

「あの、下は森だから、落ちたらひとたまりも……」
「ん、それはまあ気にしないで。それとミ・アン」
「はい」

 急いでいるはずなのにアサカは振り返り、少年の目の前に立ち、その拍子にフードからはみ出た黒髪がばさりと揺れた。

「もしかしたら何も言えずお別れになるかもしれないから言っておく。助けてくれてありがとう」

 大の大人が子供に向かって頭を下げたのである。村の大人達からさえも子供扱いしかされたことのないミ・アンは戸惑い、躊躇いがちに頷いた。
 崖の方へ向かって走り出したアサカの背に問うのだ。

「ねえ、俺たちお別れが近いの?」
「そうだね。私は最悪、君を置いて逃げる。帰りはおくってあげられない」
「一緒には行けない?」

 なぜこんなことを言ったのかは、少年自身にもわからないい。ただ、自分でも愚かな問いだとは、心の奥底で理解していたと思う。
 アサカは少年の、ミ・アンの外の世界をしらない、退屈な村で日々を繰り返すことに飽いた胸の内を理解していたのだろう。少なくともこの投げかけを「愚かことを」と村の大人のように一笑にはしなかった。

「それはもう少しだけ待ってみてから決めなさい。私みたいな大人に誑かされたのでなくて、自分の意志でね」
「そうそう、母ちゃんだって村にいるんだろ」
「君を誑かしたと犯罪者扱いされるのは困るしねっ」

 アサカとパックが愉しそうなのが不思議だった。訊いておいてなんだが、こうも喋って大丈夫なのだろうか。そのとき、獣人の耳は彼らに向かってくる足音を捉えた。

「アサカさん!」
「はははは。ちょっと前から気付かれてたからな、今更声抑えてもしょーがねー!」
「流石都のくそったれ共だ!」

 パックが高揚しているのはやけくそになっているからなのだろう。ミ・アンは気付いていないが、草を踏み抜く音、木の枝が軋む音は各方面から響いているのに警告ひとつ飛んでこないのは不気味だった。
 アサカにしてみれば、舌打ちせざるをえない心境だ。これがかつての世界であれば、目を疑うような速さで山を駆け抜けているのに、追跡者達はそんなものが当たり前のように追いついてくる。

「――オリンピックだったら優勝してただろうな。ドーピング違反になるかもしれないけど!」

 ドーピングの種類については処置した側にしかわからないだろうけれども。
 こんなことを考え出したのも、捕まるのは時間の問題だと考えはじめたからだろう。おそらくアサカのみならず、隣の生意気な妖精も小狡い頭脳をフル回転させているはずだ。

「もう少ししたら……!」

 距離にして残り三十メートル程先だろうか。登り坂の先では木々がなくなり、憎らしいほど青い空が広がっている。背負った鞄の重みを噛みしめながら脚を動かしていたときだ。
 拙い、と考える暇さえなかった。

「遅いぞ泥棒」

 ヒトがいた、という判別しかつかなかった。無精髭を生やした男が目の前に着地したかと思えば自分めがけて飛び込んできたのだ。急な事態に回避は間に合わず、次の瞬間、体をくの字に折り曲げていた。
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