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1巻
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ガチャリ、と扉を施錠する音が室内に響き渡った。
イレーネ・ローゼンは、はっと顔を上げる。
本当にこれでいいんだろうか? 私はとんでもない間違いを犯してるんじゃ……?
イレーネは不安に駆られ、ラファエルの大きな背中を見つめた。一本に束ねられたブロンドヘアが眩しく輝き、背骨に沿って下りている。
考え込むようにうつむいていたラファエルが、くるりとこちらへ振り返った。一歩ずつ、伏し目がちに近づいてくる彼を蝋燭の灯りが照らす。端整な美貌は物憂げな色を帯びていた。
やめようか、声をかけようか、どうしようか。迷っている間に、ラファエルはすぐ目の前までやってきて静かにこちらを見下ろした。
彼の尖った耳の上から一筋の金髪がサラリと落ち、顎を掠める。つかの間、イレーネはそのきらめきに目を奪われた。
金糸のように艶やかな彼のロングヘアと、日焼けしてパサパサした自分の赤毛に落差を感じ、急に恥ずかしくなる。今まで、他人と容姿を比べて恥じることなんてなかったのに。
ラファエルは見上げるほど背が高く、肩幅はがっしりと広く、引き締まった体をしていて、今さらながら〝男〟を意識させられた。
「あ……ラファエル。あの、ちょ、ちょっと待って……」
うろたえて制止しようとすると、やにわに両肩をグッと掴まれ、ドクンと心臓が跳ねる。
……握力が、強い。
予想以上の力がイレーネの口を噤ませる。そこに彼の決意の固さを感じた。
「約束は憶えているな?」
一言一句たしかめるように彼は問う。
――一度始めたら途中でやめないこと。
彼と交わした三つの約束のうちの一つだ。どうやら釘を刺されたらしい。途中で逃げることは許さない、と。
改めて間近で彼を見て、顔立ちの美しさに息を呑む。まるで精緻に描かれた絵画みたいだ。白磁のように滑らかな肌。高く、まっすぐな鼻梁。キリッと引き上がった眉と、鋭さのある双眸。
瞳は純度の高いサファイアのようだ。熱っぽく見つめられ、そわそわしてしまう。
今夜のラファエル……いつもと全然違わないか? 普段はもっと控えめで無感情なのに。
性格は常に冷静で紳士的、寡黙すぎてなにを考えているかわからないが、いつも一歩下がってあとをついてくる男だ。一歳年下なのもあり、弟のように思っていた。
とはいえ、剣の腕は一流である。日々の苛酷な鍛練により、無駄な肉が削ぎ落とされた強靭な肉体を持ち、イレーネと互角かそれ以上の双剣の遣い手だ。
太陽のように輝くブロンドの髪と、美しく繊細な面差しは、いかつい漢だらけの騎士団内でよくも悪くも目立ち、まるで伝説の妖精エルフのようだと揶揄されている。
そんな男が今はどうだ? イレーネの両肩を掴む大きな手は「絶対に逃がさない」という強い意思を感じさせ、しなやかな肉体から発せられる熱に気圧される。こちらに注がれる眼差しは今や、露骨に雄の劣情を孕んでいた。
そうして改めて見ると彼のほうがひと回りもふた回りも大きいことに気づき、住み慣れた寝室が急に狭く感じられ、焦りはますます加速する。
「ラファエルッ。あ、あの、やっぱり申し訳ないんだけど、今日のところは帰……」
帰ってくれない?
言い終わる前に、伸びてきた手がイレーネのおとがいに触れた。
親指で愛おしそうに下唇を撫でられ、そこがじんわり熱を持つ。
「怖がるな。大丈夫だ。優しくするから……」
誘惑するような甘い声が鼓膜を撫でる。
ラファエル、なぜ今日はこんなに饒舌なんだ? こんな男だったか……?
なぜかうまく呼吸ができなくなり、あれどうやって息するんだっけ? と内心慌てていると、整った唇が近づいてきた。
抵抗する間もなく、唇を塞がれてしまう。
ふわり、と優しくついばまれ、恍惚となった。
……あ。これが噂に聞く、口づけというやつ……
二十八年間、まったく男っ気がないどころか男以上に男らしく生きてきたので、当然ながらこれが初めての経験だ。男女の色事に興味もないし、恐怖心すらあった。
だが、意外と嫌な感じはしない。むしろ、ふわふわして心地よい。
男の唇というのはこんなに柔らかいものなんだな、と新たな発見をした。
しばらくすると唇が離れ、心配そうに覗き込まれる。澄んだ湖の底みたいに綺麗な瞳だ。
「大丈夫か?」
嫌悪感はないか? という意味だろうか。
うっとりしながらも、小さくうなずいた。
まったく大丈夫だ。なんだか頭の中がふわふわするけど……
「次はもう少し深くするが、いいか?」
もう少し深く、がどういう意味なのかわからないが、「構わない」とまたうなずく。いたわるような眼差しに、ちょっとした安心感さえ覚えた。
ふたたび、やんわり唇をついばまれ、まぶたを閉じる。
あぁ……。やわらか……い……
感じ入っていると、突然彼の舌が口内に入ってきて、内心飛び上がるほど驚いた。
しかし、痩せても枯れても自分は騎士である。騎士たるもの、泰然自若を常とし、なにが起きようとも慌てずひるまず、動じてはならない……
思考は目まぐるしいが、平気な振りをした。うろたえているのを悟られたくない。今回の件は主導権を握られっぱなしで、どうにも居心地が悪いのだ。
しかし、いきなりギュッと抱きすくめられ、そんな葛藤は一気に吹っ飛んだ。
「……んぅっ……」
口づけされながらの抱擁は思いのほか頑強で、逃れられない。
けれど、いつにない強引さが不思議と好ましかった。
顎が少しのけぞり、うめき声は口腔に閉じ込められる。
挿し入れられた彼の舌が、じわじわと舌の上を這っていく。
あ……あぁ……。けど、これは……すごく……
舌がねっとり絡み合う感触はひどく淫らだが、嫌な感じはしない。舌は温かく、柔らかくて……甘い気がする。
不安も恐怖もなく、頭の芯がじぃーんと痺れるような恍惚感だけがあった。
なるほど、これが「もう少し深く」という意味なんだと理解する。
そろそろと頬の内側をくすぐる舌先には親しみがこもっていて、緊張がふわっと解けた。
……あ……甘くて、こんなに……あぁ……
おずおずと舌を動かして応えると、彼がますます興奮するのが伝わってくる。
背中に置かれていた手がするすると腰まで下り、親密な手つきにうっとりさせられた。
「……ん……ぅ」
腰を抱く手に力がこもり、下腹部に彼の股間がグイッと押しつけられる。
そこに硬くなったものの存在を感じ、思わずまぶたを開けた。
あれ……。ま、まさか、これって……
間違いない。下腹部にグイグイ食い込んでくるこれは、まぎれもなく男の興奮の証……
言うまでもなく、イレーネに男性経験は皆無だ。
しかし、長らく男性騎士たちに紛れて任務に当たってきたため、男の裸は見慣れている。訓練や野営で寝食をともにするのもザラだし、いわゆる興奮状態にある男のそれも目撃したことがある。
数年前、許可なく商売をする娼館に踏み込んだとき、行為の真っ最中だった裸の男たちがわらわらと逃げ出してきて、嫌でも目にする羽目になった。
とはいえ、さすがにこんな風に押しつけられるのは初めてで……
う、うわ……。前に見たときは気にならなかったのに、なんでこんなにドキドキするんだ……?
過去の記憶と比較している余裕はない。今やがっちりと抱きすくめられ、二人の体はぴったりと密着し、舌と舌は濃厚にもつれている。
「んっ……。んんぅっ……」
股間の怒張を容赦なく押しつけられ、心臓はバクバクし、のぼせたように頭がクラクラした。
いや、男の体に対する免疫はあるし、興奮状態を前にしても鼻で笑ってスルーできるはずだった。だけど今のこれは全然違う。こんなこと、今まで一度もなかった。
つまり、目の前の男が「イレーネを女として見て」興奮状態になる、なんていう事態が……
イレーネは美人ではない。長身で大柄だし、その辺の男より腕力はある。伸ばしっぱなしの赤毛はクルクルと細かくちぢれ、そばかすだらけ傷だらけだ。同僚からは無骨だのガサツだの、「漢の中の漢」「鋼の女」「虐殺女帝」「殺しても死なない」など散々言われてきた。
一応出るべきところは出ているし、翡翠色の瞳が綺麗だと褒められたことはあるが、女らしい色気からはほど遠い。
まさか、私相手にこんな風になるか? それとも、ラファエルが実はゲテモノ好きとか?
そんな憶測が脳裏をよぎる中、イレーネは唇を貪られ続ける。壊れた人形のようにクタッとしてしまい、両膝にまったく力が入らない。
思うさま唇を吸われ、舌を吸われ、口腔を蹂躙された。
「んっ……んふっ……。う……んぅ……」
チュゥッ、という吸引音と、くぐもった声だけが室内に響く。
口づけに夢中になっていると、いつの間にかシャツを脱がされ、肌着の紐を彼の指が忙しなく解いている。ふわっと胸元が解放されたと思ったら、パサリと足元に肌着が落ちた。
唇と唇が離れ、つぅっと銀の糸を引く。
「んぁっ……。はっ、はぁっ……」
空気を求め、息を吸い込んだ。
目と鼻の先で、紺碧の瞳がきらめく。熱のこもった眼差しに、心まで射貫かれそうだ。
う……わ……ラファエル……綺麗……
高い頬骨に、紅潮した肌。端整な唇は唾液で濡れ、ひどく婀娜っぽい。
抱きすくめられ、愛おしそうに頬ずりされる。耳たぶを甘噛みされると、背筋がゾクッとなった。
「……イレーネ」
吐息交じりの掠れた声に、体中の血が熱くなる。
あ……こ、こんなはずじゃ……。ドキドキしすぎて、息が……
羞恥と動揺と、それらをはるかに凌駕する甘酸っぱい感情に支配されると、ひたすらいたたまれない。なにもかも初めてのことで、どう振る舞っていいかわからない。
ラファエルはすぅっと息を吸い込み、ささやいた。
「いい香りだ。イレーネ……」
劣情を露わにした声に、心を掻き乱される。
うわ……ラファエルのこんな声、聞いたことない。なんか、恥ずかしい……っ!
クチュッ、と耳たぶを淡くしゃぶられ、ゾクッとうなじが粟立つ。濡れた舌が首筋に押しつけられ、じわりと這っていく……
くすぐったい快感に自ずと首が傾いた。
大きな手が乳房をそっと持ち上げ、節くれだった指が柔らかい肉に沈む。
二つの膨らみにじっと見入った彼は、つぶやいた。
「美しいな」
カァッと頬が熱くなる。
えっ? う、美しい? この私が、美しいだって……!?
生涯言われることはないと思っていた言葉だ。
うろたえていると、胸の蕾を親指で愛撫され、自然と吐息が漏れる。
くすぐるような指遣いに、蕾はたちまち硬くなった。
あぅ……なんだこれ……。すごく、気持ちいい……
甘やかな刺激に酔いしれていると、小さな蕾を彼の唇がふわりと咥えた。
濡れた舌が蕾にぬるりと巻きつき、息を呑む。
生温かい舌の上で蕾がいやらしく転がされた。
「あ……待っ……。や……ぁん……」
自分の口から聞いたこともない女っぽい声がこぼれ、愕然とする。
ぬるぬるした舌の感触が堪らない刺激になり、蕾はますます硬くなった。
こ、こんなに、気持ちいいモノなんだ……。気が……遠くなる……
もう足にまったく力が入らず、イレーネの体を支えるのは彼の左腕のみだ。乳頭を吸われながら、下穿きまで引きずり下ろされてしまう。
「ベッドに行こうか」
そう言ったラファエルに、お姫様抱っこされる。
いつもなら失笑ものの行為だが、今日のラファエルは別人のように男らしく、肌を火照らせ震えている自分と立場が逆転していた。
ラファエルの手によってベッドに仰向けに寝かされる。
覆いかぶさってきた彼に、情欲剥き出しの目で覗き込まれ、鼓動がドキン、ドキン、と激しく胸を打つ。
怖いからじゃない。これから起こる出来事に際限なく期待が高まっているからだ。
もっとぞんざいに、事務的に扱われると思っていた。けれど、この感じだとまさか……
内腿をさわりと撫で上げられ、そこで思考が停止する。
「こんなに濡らして、可愛いな……」
骨ばった指に秘裂をまさぐられ、とっさに「んぅっ」と声が漏れる。
指はぬるぬると蜜を絡めながら、割れ目を優しくなぞった。
あぅっ……そ、そこっ……。あ、あぁ……もう……ちょっと……
指は女性器を熟知しているらしく、花びらを丁寧にめくり、中心にある花芽をそろりと撫でる。
堪らず腰が、ひくんっと跳ねた。
「あっ……! ん……んんっ……あぁ……」
敏感な花芽を丹念に愛でられ、ますます温かい蜜がこぼれる。
股を開いて両膝を曲げ、快感で四肢が震えてしまう。
どうしてこんなことに? 私はただ将来を考え、経験として必要だと思ったから、身近な人に頼んだだけなのに。こんなはずじゃなかった。まさかラファエルと私が、こんな……
尖りはじめた花芽を淫らにこね回される。
「あ……。やっ、やめ……やめて……」
もう充分だから。これ以上はお願い、やめて……おかしくなる……っ!
懇願はそれ以上声にならず、熱い吐息だけが漏れ出た。
同時に、本当にやめてほしいのか? という疑念がイレーネの脳裏をよぎる。
「ん、どうした? ……ここが、気持ちいいのか?」
ほっそりした指が蜜口を探り、ぬるりと膣内に挿入ってくる。
えも言われぬ快感がそこで弾け、イレーネはとっさに息をとめた。
◇ ◇ ◇
レーヴェ王国の北に広がる、ハインスラント辺境伯領。
ここはハイネン家のランドルフが領主を務めている。ハイネン家は、国王の一族リウブルク家の遠縁に当たる貴族一門である。
イレーネ・ローゼンはランドルフを主君として戴き、長らくハイネン家に仕える騎士だ。レーヴェ王国騎士団ハインスラント隊の隊長を務め、階級は銀騎士、段位は第一位である。段位とは隊の中でのランキングを意味し、つまりハインスラント隊の中でもっとも強い。
騎士の階級は見習いの従騎士を含めると、七つある。従騎士から白騎士になり、黒騎士、銀騎士、金騎士と昇級し、竜騎士になれば軍団を指揮できる。
一番上の七騎聖だけは別格だ。王に代わり総軍を指揮できる将官の称号である。圧倒的な武勇と抜群の統率力を誇り、王がもっとも信頼を寄せる騎士が選ばれる。
実は、イレーネの亡父ゴットフリートは七騎聖の一人だった。そのことをイレーネは誇りに思っているし、自身が女性騎士として生きる上でかなり助けられた。
身分差が厳格な世界で、元々平民だったローゼン家は男爵位を賜り、暮らし向きはよくなった。しかも、「七騎聖の娘」というだけで世間の見る目が劇的に変わる。身分問わず誰もが敬意を示し、様々な手続きや交渉が円滑に運んだ。このことに関しては父に感謝しかない。
ハインスラント隊で二番目に強いとされるのがラファエル・フォン・ハインスラントだ。副隊長にして、領主ランドルフの三男である。イレーネの部下であり、幼なじみであり、ライバルかつ戦友だ。階級は銀騎士、段位は第二位だが、実力は彼のほうが上なんじゃないかとイレーネは感じている。
私よりラファエルのほうが隊長にふさわしい。
段位だって本当はラファエルが一番なんじゃないか……
そんな疑念が常にイレーネの胸を渦巻いていた。第一位の騎士が隊長を務めるのは慣例だが、ラファエルとの勝敗を決した段位認定試合に思うところがある。
ここ数年、レーヴェ王国の情勢は目まぐるしく変化した。長らく内戦状態だった王国が、時の王太子ジークハルト・フォン・リウブルクによって統一されたのが、今から五年前の春。そして、前王ルートヴィヒが崩御し、ジークハルトが第三代レーヴェ国王として即位したのが、二年前だ。
これまでジークハルトを「殿下」と呼んできたが、「陛下」と呼び方を変えるのに戸惑ったのは記憶に新しい。
即位した年の秋、ジークハルトの居城であるリウブルク城にハインスラント隊の騎士が召集され、段位認定の御前試合が行われた。
形式は一騎討ちの馬上槍試合。木槍を手に乗馬して戦い、相手を落馬させれば勝ちである。あくまで技を競うもので、むやみに怪我を負わせる行為は騎士道に反すると禁止されている。
爽やかな秋晴れの空の下、城の中庭はロープで囲われ闘技場となり、幕壁にはリウブルク家とハイネン家の紋章旗が掲げられた。天幕の下の玉座にジークハルトが着き、その一段下にランドルフが座り、周囲にしつらえられた見物台と桟敷を観客が埋め尽くしている。
いよいよ最終決定戦。
勝ち残ったのは下馬評通り、イレーネとラファエルの二人だ。
これに勝てば、ハインスラントのトップに立てる……!
イレーネは深呼吸し、栗毛の馬の腹を軽く蹴って歩を進める。重いのが嫌なので普段から軽装しかしないが、さすがに今日は甲冑を着けていた。
馬場を通り抜け、闘技場へ向かう。沿道に大勢の観客が立ち、声援を送ってくれた。
「イレーネ様、頑張ってー!」
「きゃーっ! イレーネ様、格好いいーっ」
「イレーネさまぁ、こっち向いてぇー!」
手を振ったり槍を掲げたりして応えながら進む。応援は非常にありがたいのだが、声はすべて女性なので複雑な気分である。
そのとき、楚々とした若い貴婦人が近寄ってきた。
「イレーネ様、これを」
縋るような目で差し出されたのは、炎の鳥の刺繍が施されたハンカチだった。
「イレーネ様のお美しい赤髪を想いながら、一針ずつ縫いました。どうかお受け取りを……」
「素晴らしいな。ありがとう」
受け取って槍の柄に結びつけると、貴婦人は感極まった様子で瞳を潤ませた。
「ありがとうございます! イレーネ様」
貴婦人や淑女は心を寄せる騎士に身に着けるものを贈り、騎士は愛する女性のものだけを装備に付ける慣わしだ。「これを私だと思って戦って」に対し、「君を想いながら戦う」と返すわけだ。
イレーネの槍や楯には無数のスカーフやリボンが結ばれている。イレーネも女ゆえ一人の女性を選ぶわけにはいかず、渡されたものは漏れなく平等に付けていた。この件に関して特に文句を言われたことがないので、きっと淑女の皆様は許してくれているんだろう。
うれしいはうれしいんだが……。私はこのままでいいんだろうか……?
「ご武運を祈ります。イレーネ様」
声援を背中に受けながら、一抹の虚しさが胸をよぎった。
闘技場に入ると、ひと際歓声が大きくなる。奥にある天幕まで馬を進め、ジークハルトの前で王国式の敬礼をしたあと、馬を旋回させていると、対戦相手であるラファエルが姿を現した。
ラファエルは堂々たる体躯を白銀の鎧で包み、立派な芦毛の軍馬に跨っている。鎧は華麗な黄金で縁取られ、兜の後ろから引き出された一本縛りの長髪が、さながら羽飾りのように黄金色に輝いていた。
兜のバイザーで目元は覆われているが、その下から覗く鼻筋はまっすぐ通り、形よく整った唇ははっと目を引く。ほっそりした頬に肌は驚くほど滑らかで、類まれなる美貌を隠せていない。
バイザーの下には女性を一瞬にして虜にする、深い海のような碧眼がきらめいているのだ。
その端麗かつ威風堂々たる佇まいに目を奪われていると、ワーッ、キャーッ、と黄色い声が上がる。ラファエルは身分問わず若い女性から大人気で、イレーネの人気をはるかに凌いでいた。
くそっ、悔しくなんてないからな……っ! 人気などどうでもいい。重要なのは強さだ!
己にそう言い聞かせながら歯噛みしていると、ラファエルが馬ごと体をこちらへ向けた。そして、イレーネの槍に結ばれた無数の装飾品を見て、ふっと鼻で笑った(ような気がしたのだ!)。
おいっ、今笑ったな? 小バカにしたよな? これは自慢したくて付けてるんじゃない。心を寄せてくれる女性に対する、最低限の礼儀だろうが。おまえだって山ほどもらっているくせに……
内心文句を言いながらラファエルの槍を確認すると、なにも付けていない。あれ? と思い、楯も兜も甲冑もくまなく確認したところ、肩当てに一枚の白いハンカチらしきものがくくりつけられているだけだった。
しかし、あれは女性からの贈り物とは思えない。見るからにボロボロで年季が入っているし、甲冑のホコリ拭きにでも使っているんだろう。……ん? よく見たら、昔私があげたハンカチじゃないか? いや、そんなことはどうでもいい。今は集中しなければ……
まぶたを閉じ、邪念を捨て、精神を統一する。
とうとうここまで来た。勝てば晴れて段位第一位。地獄のような訓練に耐えてきたのは、この日のためだ。栄光をこの手で掴み取るため。
ラファエルを倒し、ジークハルト陛下の御前で、私が誰よりも強いことを証明してみせるっ!
カッと目を開き、左手で手綱を握り、右手で槍を構えた。
呼応するようにラファエルはぐるりと槍を回すと、同じく臨戦態勢を取る。
数十メートルを挟んで対峙して訪れる、嵐の前の静けさ。
儀式を司る紋章官が「始めっ!」と号令をかけるのと、二頭の馬の蹄が大地を蹴るのは同時だった。
「いぃやああぁぁっーーー!」
両騎は風のように疾駆し、闘技場の中心で激突する。
ガッキィンッッッ!
槍の穂先が交差してぶつかり合い、強すぎる衝撃で吹っ飛びそうになった。
この、馬鹿力め……っ!
イレーネの栗毛の馬がいなないて後ろ脚だけで立つのを、鐙で踏ん張ってどうにか耐える。どうやら友だからと手加減する気はないらしい。そうとわかっただけで血潮が滾り、戦意が高まる。
こちらの手の痺れが消えないうちに、ラファエルは両手で槍を握り直し、イレーネの左胸を目がけて刺突してきた。
……速いっ。
とっさに半身を引きながら、顎下を通り抜ける彼の槍に、槍の穂先を重ねる。そのまま逆方向にシャッと滑らせ、切っ先で鋭く頸を狙った。
「……っ!」
彼は背筋を使い、横へのけぞるようにそれをかわす。流れるような体さばきに、会場から「おおおっ」とどよめきが起こった。
今のは絶対に当たると思ったのに、と舌打ちする。とてつもないパワーだけでなく、テクニックもスタミナも桁外れだ。しかも、頭脳明晰にして博学多才、武芸のセンスも抜群である。
勝てるものがあるとすれば柔軟性だと思っていたが、その柔軟性も敵わないとなれば……
考える暇も与えず、次に彼は両手で柄の中心を握り、風車のように回転させた。ブンッブンッ、と風を切って穂先と石突が次々に飛んでくる。
「どぅるぅああぁぁっ!」
バッ、と水平にした槍を高く掲げ、どうにかそれらを撥ねのけた。ガンガンッ、と強烈な打撃が手のひらに響き、ジィンと痺れる。
その間に彼は構え直し、顔色一つ変えずまっすぐ槍を突き出してきた。こちらへ向かってくる穂先がグルンッと回転するのが見え、反射的に槍を立てて防御する。
カアァンッ!
槍がぶつかり合う、乾いた音。
息つく間もない連撃に防戦一方だ。こちらは必死だというのに、彼は息も乱さず汗も掻いていない。
苦戦するのはわかっていた。認めたくないが、彼のほうが強い。だが、まだ勝機はある。
穂先と穂先を交え、力が拮抗してピタリと止まった。歯を食いしばり、腕の筋肉に力を込め、しのぎを削る。
「ぐ……くっ……!」
渾身の力で押さえ込むと、穂先はクロスしたまま徐々に馬体の下へ傾いていく……
ギリギリの緊張の中、彼の集中が緩んだ隙を突き、掛け声とともに全力で槍を振り上げた。
「うるあぁっ!」
穂先が当たって彼のバイザーが撥ね上がり、美しい双眸が露わになる。凛々しい眉の下にある紺碧の瞳は凪いだ海のように穏やかだった。もっとギラギラした目をしていると思ったが……
イレーネ・ローゼンは、はっと顔を上げる。
本当にこれでいいんだろうか? 私はとんでもない間違いを犯してるんじゃ……?
イレーネは不安に駆られ、ラファエルの大きな背中を見つめた。一本に束ねられたブロンドヘアが眩しく輝き、背骨に沿って下りている。
考え込むようにうつむいていたラファエルが、くるりとこちらへ振り返った。一歩ずつ、伏し目がちに近づいてくる彼を蝋燭の灯りが照らす。端整な美貌は物憂げな色を帯びていた。
やめようか、声をかけようか、どうしようか。迷っている間に、ラファエルはすぐ目の前までやってきて静かにこちらを見下ろした。
彼の尖った耳の上から一筋の金髪がサラリと落ち、顎を掠める。つかの間、イレーネはそのきらめきに目を奪われた。
金糸のように艶やかな彼のロングヘアと、日焼けしてパサパサした自分の赤毛に落差を感じ、急に恥ずかしくなる。今まで、他人と容姿を比べて恥じることなんてなかったのに。
ラファエルは見上げるほど背が高く、肩幅はがっしりと広く、引き締まった体をしていて、今さらながら〝男〟を意識させられた。
「あ……ラファエル。あの、ちょ、ちょっと待って……」
うろたえて制止しようとすると、やにわに両肩をグッと掴まれ、ドクンと心臓が跳ねる。
……握力が、強い。
予想以上の力がイレーネの口を噤ませる。そこに彼の決意の固さを感じた。
「約束は憶えているな?」
一言一句たしかめるように彼は問う。
――一度始めたら途中でやめないこと。
彼と交わした三つの約束のうちの一つだ。どうやら釘を刺されたらしい。途中で逃げることは許さない、と。
改めて間近で彼を見て、顔立ちの美しさに息を呑む。まるで精緻に描かれた絵画みたいだ。白磁のように滑らかな肌。高く、まっすぐな鼻梁。キリッと引き上がった眉と、鋭さのある双眸。
瞳は純度の高いサファイアのようだ。熱っぽく見つめられ、そわそわしてしまう。
今夜のラファエル……いつもと全然違わないか? 普段はもっと控えめで無感情なのに。
性格は常に冷静で紳士的、寡黙すぎてなにを考えているかわからないが、いつも一歩下がってあとをついてくる男だ。一歳年下なのもあり、弟のように思っていた。
とはいえ、剣の腕は一流である。日々の苛酷な鍛練により、無駄な肉が削ぎ落とされた強靭な肉体を持ち、イレーネと互角かそれ以上の双剣の遣い手だ。
太陽のように輝くブロンドの髪と、美しく繊細な面差しは、いかつい漢だらけの騎士団内でよくも悪くも目立ち、まるで伝説の妖精エルフのようだと揶揄されている。
そんな男が今はどうだ? イレーネの両肩を掴む大きな手は「絶対に逃がさない」という強い意思を感じさせ、しなやかな肉体から発せられる熱に気圧される。こちらに注がれる眼差しは今や、露骨に雄の劣情を孕んでいた。
そうして改めて見ると彼のほうがひと回りもふた回りも大きいことに気づき、住み慣れた寝室が急に狭く感じられ、焦りはますます加速する。
「ラファエルッ。あ、あの、やっぱり申し訳ないんだけど、今日のところは帰……」
帰ってくれない?
言い終わる前に、伸びてきた手がイレーネのおとがいに触れた。
親指で愛おしそうに下唇を撫でられ、そこがじんわり熱を持つ。
「怖がるな。大丈夫だ。優しくするから……」
誘惑するような甘い声が鼓膜を撫でる。
ラファエル、なぜ今日はこんなに饒舌なんだ? こんな男だったか……?
なぜかうまく呼吸ができなくなり、あれどうやって息するんだっけ? と内心慌てていると、整った唇が近づいてきた。
抵抗する間もなく、唇を塞がれてしまう。
ふわり、と優しくついばまれ、恍惚となった。
……あ。これが噂に聞く、口づけというやつ……
二十八年間、まったく男っ気がないどころか男以上に男らしく生きてきたので、当然ながらこれが初めての経験だ。男女の色事に興味もないし、恐怖心すらあった。
だが、意外と嫌な感じはしない。むしろ、ふわふわして心地よい。
男の唇というのはこんなに柔らかいものなんだな、と新たな発見をした。
しばらくすると唇が離れ、心配そうに覗き込まれる。澄んだ湖の底みたいに綺麗な瞳だ。
「大丈夫か?」
嫌悪感はないか? という意味だろうか。
うっとりしながらも、小さくうなずいた。
まったく大丈夫だ。なんだか頭の中がふわふわするけど……
「次はもう少し深くするが、いいか?」
もう少し深く、がどういう意味なのかわからないが、「構わない」とまたうなずく。いたわるような眼差しに、ちょっとした安心感さえ覚えた。
ふたたび、やんわり唇をついばまれ、まぶたを閉じる。
あぁ……。やわらか……い……
感じ入っていると、突然彼の舌が口内に入ってきて、内心飛び上がるほど驚いた。
しかし、痩せても枯れても自分は騎士である。騎士たるもの、泰然自若を常とし、なにが起きようとも慌てずひるまず、動じてはならない……
思考は目まぐるしいが、平気な振りをした。うろたえているのを悟られたくない。今回の件は主導権を握られっぱなしで、どうにも居心地が悪いのだ。
しかし、いきなりギュッと抱きすくめられ、そんな葛藤は一気に吹っ飛んだ。
「……んぅっ……」
口づけされながらの抱擁は思いのほか頑強で、逃れられない。
けれど、いつにない強引さが不思議と好ましかった。
顎が少しのけぞり、うめき声は口腔に閉じ込められる。
挿し入れられた彼の舌が、じわじわと舌の上を這っていく。
あ……あぁ……。けど、これは……すごく……
舌がねっとり絡み合う感触はひどく淫らだが、嫌な感じはしない。舌は温かく、柔らかくて……甘い気がする。
不安も恐怖もなく、頭の芯がじぃーんと痺れるような恍惚感だけがあった。
なるほど、これが「もう少し深く」という意味なんだと理解する。
そろそろと頬の内側をくすぐる舌先には親しみがこもっていて、緊張がふわっと解けた。
……あ……甘くて、こんなに……あぁ……
おずおずと舌を動かして応えると、彼がますます興奮するのが伝わってくる。
背中に置かれていた手がするすると腰まで下り、親密な手つきにうっとりさせられた。
「……ん……ぅ」
腰を抱く手に力がこもり、下腹部に彼の股間がグイッと押しつけられる。
そこに硬くなったものの存在を感じ、思わずまぶたを開けた。
あれ……。ま、まさか、これって……
間違いない。下腹部にグイグイ食い込んでくるこれは、まぎれもなく男の興奮の証……
言うまでもなく、イレーネに男性経験は皆無だ。
しかし、長らく男性騎士たちに紛れて任務に当たってきたため、男の裸は見慣れている。訓練や野営で寝食をともにするのもザラだし、いわゆる興奮状態にある男のそれも目撃したことがある。
数年前、許可なく商売をする娼館に踏み込んだとき、行為の真っ最中だった裸の男たちがわらわらと逃げ出してきて、嫌でも目にする羽目になった。
とはいえ、さすがにこんな風に押しつけられるのは初めてで……
う、うわ……。前に見たときは気にならなかったのに、なんでこんなにドキドキするんだ……?
過去の記憶と比較している余裕はない。今やがっちりと抱きすくめられ、二人の体はぴったりと密着し、舌と舌は濃厚にもつれている。
「んっ……。んんぅっ……」
股間の怒張を容赦なく押しつけられ、心臓はバクバクし、のぼせたように頭がクラクラした。
いや、男の体に対する免疫はあるし、興奮状態を前にしても鼻で笑ってスルーできるはずだった。だけど今のこれは全然違う。こんなこと、今まで一度もなかった。
つまり、目の前の男が「イレーネを女として見て」興奮状態になる、なんていう事態が……
イレーネは美人ではない。長身で大柄だし、その辺の男より腕力はある。伸ばしっぱなしの赤毛はクルクルと細かくちぢれ、そばかすだらけ傷だらけだ。同僚からは無骨だのガサツだの、「漢の中の漢」「鋼の女」「虐殺女帝」「殺しても死なない」など散々言われてきた。
一応出るべきところは出ているし、翡翠色の瞳が綺麗だと褒められたことはあるが、女らしい色気からはほど遠い。
まさか、私相手にこんな風になるか? それとも、ラファエルが実はゲテモノ好きとか?
そんな憶測が脳裏をよぎる中、イレーネは唇を貪られ続ける。壊れた人形のようにクタッとしてしまい、両膝にまったく力が入らない。
思うさま唇を吸われ、舌を吸われ、口腔を蹂躙された。
「んっ……んふっ……。う……んぅ……」
チュゥッ、という吸引音と、くぐもった声だけが室内に響く。
口づけに夢中になっていると、いつの間にかシャツを脱がされ、肌着の紐を彼の指が忙しなく解いている。ふわっと胸元が解放されたと思ったら、パサリと足元に肌着が落ちた。
唇と唇が離れ、つぅっと銀の糸を引く。
「んぁっ……。はっ、はぁっ……」
空気を求め、息を吸い込んだ。
目と鼻の先で、紺碧の瞳がきらめく。熱のこもった眼差しに、心まで射貫かれそうだ。
う……わ……ラファエル……綺麗……
高い頬骨に、紅潮した肌。端整な唇は唾液で濡れ、ひどく婀娜っぽい。
抱きすくめられ、愛おしそうに頬ずりされる。耳たぶを甘噛みされると、背筋がゾクッとなった。
「……イレーネ」
吐息交じりの掠れた声に、体中の血が熱くなる。
あ……こ、こんなはずじゃ……。ドキドキしすぎて、息が……
羞恥と動揺と、それらをはるかに凌駕する甘酸っぱい感情に支配されると、ひたすらいたたまれない。なにもかも初めてのことで、どう振る舞っていいかわからない。
ラファエルはすぅっと息を吸い込み、ささやいた。
「いい香りだ。イレーネ……」
劣情を露わにした声に、心を掻き乱される。
うわ……ラファエルのこんな声、聞いたことない。なんか、恥ずかしい……っ!
クチュッ、と耳たぶを淡くしゃぶられ、ゾクッとうなじが粟立つ。濡れた舌が首筋に押しつけられ、じわりと這っていく……
くすぐったい快感に自ずと首が傾いた。
大きな手が乳房をそっと持ち上げ、節くれだった指が柔らかい肉に沈む。
二つの膨らみにじっと見入った彼は、つぶやいた。
「美しいな」
カァッと頬が熱くなる。
えっ? う、美しい? この私が、美しいだって……!?
生涯言われることはないと思っていた言葉だ。
うろたえていると、胸の蕾を親指で愛撫され、自然と吐息が漏れる。
くすぐるような指遣いに、蕾はたちまち硬くなった。
あぅ……なんだこれ……。すごく、気持ちいい……
甘やかな刺激に酔いしれていると、小さな蕾を彼の唇がふわりと咥えた。
濡れた舌が蕾にぬるりと巻きつき、息を呑む。
生温かい舌の上で蕾がいやらしく転がされた。
「あ……待っ……。や……ぁん……」
自分の口から聞いたこともない女っぽい声がこぼれ、愕然とする。
ぬるぬるした舌の感触が堪らない刺激になり、蕾はますます硬くなった。
こ、こんなに、気持ちいいモノなんだ……。気が……遠くなる……
もう足にまったく力が入らず、イレーネの体を支えるのは彼の左腕のみだ。乳頭を吸われながら、下穿きまで引きずり下ろされてしまう。
「ベッドに行こうか」
そう言ったラファエルに、お姫様抱っこされる。
いつもなら失笑ものの行為だが、今日のラファエルは別人のように男らしく、肌を火照らせ震えている自分と立場が逆転していた。
ラファエルの手によってベッドに仰向けに寝かされる。
覆いかぶさってきた彼に、情欲剥き出しの目で覗き込まれ、鼓動がドキン、ドキン、と激しく胸を打つ。
怖いからじゃない。これから起こる出来事に際限なく期待が高まっているからだ。
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「こんなに濡らして、可愛いな……」
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あぅっ……そ、そこっ……。あ、あぁ……もう……ちょっと……
指は女性器を熟知しているらしく、花びらを丁寧にめくり、中心にある花芽をそろりと撫でる。
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「あっ……! ん……んんっ……あぁ……」
敏感な花芽を丹念に愛でられ、ますます温かい蜜がこぼれる。
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「あ……。やっ、やめ……やめて……」
もう充分だから。これ以上はお願い、やめて……おかしくなる……っ!
懇願はそれ以上声にならず、熱い吐息だけが漏れ出た。
同時に、本当にやめてほしいのか? という疑念がイレーネの脳裏をよぎる。
「ん、どうした? ……ここが、気持ちいいのか?」
ほっそりした指が蜜口を探り、ぬるりと膣内に挿入ってくる。
えも言われぬ快感がそこで弾け、イレーネはとっさに息をとめた。
◇ ◇ ◇
レーヴェ王国の北に広がる、ハインスラント辺境伯領。
ここはハイネン家のランドルフが領主を務めている。ハイネン家は、国王の一族リウブルク家の遠縁に当たる貴族一門である。
イレーネ・ローゼンはランドルフを主君として戴き、長らくハイネン家に仕える騎士だ。レーヴェ王国騎士団ハインスラント隊の隊長を務め、階級は銀騎士、段位は第一位である。段位とは隊の中でのランキングを意味し、つまりハインスラント隊の中でもっとも強い。
騎士の階級は見習いの従騎士を含めると、七つある。従騎士から白騎士になり、黒騎士、銀騎士、金騎士と昇級し、竜騎士になれば軍団を指揮できる。
一番上の七騎聖だけは別格だ。王に代わり総軍を指揮できる将官の称号である。圧倒的な武勇と抜群の統率力を誇り、王がもっとも信頼を寄せる騎士が選ばれる。
実は、イレーネの亡父ゴットフリートは七騎聖の一人だった。そのことをイレーネは誇りに思っているし、自身が女性騎士として生きる上でかなり助けられた。
身分差が厳格な世界で、元々平民だったローゼン家は男爵位を賜り、暮らし向きはよくなった。しかも、「七騎聖の娘」というだけで世間の見る目が劇的に変わる。身分問わず誰もが敬意を示し、様々な手続きや交渉が円滑に運んだ。このことに関しては父に感謝しかない。
ハインスラント隊で二番目に強いとされるのがラファエル・フォン・ハインスラントだ。副隊長にして、領主ランドルフの三男である。イレーネの部下であり、幼なじみであり、ライバルかつ戦友だ。階級は銀騎士、段位は第二位だが、実力は彼のほうが上なんじゃないかとイレーネは感じている。
私よりラファエルのほうが隊長にふさわしい。
段位だって本当はラファエルが一番なんじゃないか……
そんな疑念が常にイレーネの胸を渦巻いていた。第一位の騎士が隊長を務めるのは慣例だが、ラファエルとの勝敗を決した段位認定試合に思うところがある。
ここ数年、レーヴェ王国の情勢は目まぐるしく変化した。長らく内戦状態だった王国が、時の王太子ジークハルト・フォン・リウブルクによって統一されたのが、今から五年前の春。そして、前王ルートヴィヒが崩御し、ジークハルトが第三代レーヴェ国王として即位したのが、二年前だ。
これまでジークハルトを「殿下」と呼んできたが、「陛下」と呼び方を変えるのに戸惑ったのは記憶に新しい。
即位した年の秋、ジークハルトの居城であるリウブルク城にハインスラント隊の騎士が召集され、段位認定の御前試合が行われた。
形式は一騎討ちの馬上槍試合。木槍を手に乗馬して戦い、相手を落馬させれば勝ちである。あくまで技を競うもので、むやみに怪我を負わせる行為は騎士道に反すると禁止されている。
爽やかな秋晴れの空の下、城の中庭はロープで囲われ闘技場となり、幕壁にはリウブルク家とハイネン家の紋章旗が掲げられた。天幕の下の玉座にジークハルトが着き、その一段下にランドルフが座り、周囲にしつらえられた見物台と桟敷を観客が埋め尽くしている。
いよいよ最終決定戦。
勝ち残ったのは下馬評通り、イレーネとラファエルの二人だ。
これに勝てば、ハインスラントのトップに立てる……!
イレーネは深呼吸し、栗毛の馬の腹を軽く蹴って歩を進める。重いのが嫌なので普段から軽装しかしないが、さすがに今日は甲冑を着けていた。
馬場を通り抜け、闘技場へ向かう。沿道に大勢の観客が立ち、声援を送ってくれた。
「イレーネ様、頑張ってー!」
「きゃーっ! イレーネ様、格好いいーっ」
「イレーネさまぁ、こっち向いてぇー!」
手を振ったり槍を掲げたりして応えながら進む。応援は非常にありがたいのだが、声はすべて女性なので複雑な気分である。
そのとき、楚々とした若い貴婦人が近寄ってきた。
「イレーネ様、これを」
縋るような目で差し出されたのは、炎の鳥の刺繍が施されたハンカチだった。
「イレーネ様のお美しい赤髪を想いながら、一針ずつ縫いました。どうかお受け取りを……」
「素晴らしいな。ありがとう」
受け取って槍の柄に結びつけると、貴婦人は感極まった様子で瞳を潤ませた。
「ありがとうございます! イレーネ様」
貴婦人や淑女は心を寄せる騎士に身に着けるものを贈り、騎士は愛する女性のものだけを装備に付ける慣わしだ。「これを私だと思って戦って」に対し、「君を想いながら戦う」と返すわけだ。
イレーネの槍や楯には無数のスカーフやリボンが結ばれている。イレーネも女ゆえ一人の女性を選ぶわけにはいかず、渡されたものは漏れなく平等に付けていた。この件に関して特に文句を言われたことがないので、きっと淑女の皆様は許してくれているんだろう。
うれしいはうれしいんだが……。私はこのままでいいんだろうか……?
「ご武運を祈ります。イレーネ様」
声援を背中に受けながら、一抹の虚しさが胸をよぎった。
闘技場に入ると、ひと際歓声が大きくなる。奥にある天幕まで馬を進め、ジークハルトの前で王国式の敬礼をしたあと、馬を旋回させていると、対戦相手であるラファエルが姿を現した。
ラファエルは堂々たる体躯を白銀の鎧で包み、立派な芦毛の軍馬に跨っている。鎧は華麗な黄金で縁取られ、兜の後ろから引き出された一本縛りの長髪が、さながら羽飾りのように黄金色に輝いていた。
兜のバイザーで目元は覆われているが、その下から覗く鼻筋はまっすぐ通り、形よく整った唇ははっと目を引く。ほっそりした頬に肌は驚くほど滑らかで、類まれなる美貌を隠せていない。
バイザーの下には女性を一瞬にして虜にする、深い海のような碧眼がきらめいているのだ。
その端麗かつ威風堂々たる佇まいに目を奪われていると、ワーッ、キャーッ、と黄色い声が上がる。ラファエルは身分問わず若い女性から大人気で、イレーネの人気をはるかに凌いでいた。
くそっ、悔しくなんてないからな……っ! 人気などどうでもいい。重要なのは強さだ!
己にそう言い聞かせながら歯噛みしていると、ラファエルが馬ごと体をこちらへ向けた。そして、イレーネの槍に結ばれた無数の装飾品を見て、ふっと鼻で笑った(ような気がしたのだ!)。
おいっ、今笑ったな? 小バカにしたよな? これは自慢したくて付けてるんじゃない。心を寄せてくれる女性に対する、最低限の礼儀だろうが。おまえだって山ほどもらっているくせに……
内心文句を言いながらラファエルの槍を確認すると、なにも付けていない。あれ? と思い、楯も兜も甲冑もくまなく確認したところ、肩当てに一枚の白いハンカチらしきものがくくりつけられているだけだった。
しかし、あれは女性からの贈り物とは思えない。見るからにボロボロで年季が入っているし、甲冑のホコリ拭きにでも使っているんだろう。……ん? よく見たら、昔私があげたハンカチじゃないか? いや、そんなことはどうでもいい。今は集中しなければ……
まぶたを閉じ、邪念を捨て、精神を統一する。
とうとうここまで来た。勝てば晴れて段位第一位。地獄のような訓練に耐えてきたのは、この日のためだ。栄光をこの手で掴み取るため。
ラファエルを倒し、ジークハルト陛下の御前で、私が誰よりも強いことを証明してみせるっ!
カッと目を開き、左手で手綱を握り、右手で槍を構えた。
呼応するようにラファエルはぐるりと槍を回すと、同じく臨戦態勢を取る。
数十メートルを挟んで対峙して訪れる、嵐の前の静けさ。
儀式を司る紋章官が「始めっ!」と号令をかけるのと、二頭の馬の蹄が大地を蹴るのは同時だった。
「いぃやああぁぁっーーー!」
両騎は風のように疾駆し、闘技場の中心で激突する。
ガッキィンッッッ!
槍の穂先が交差してぶつかり合い、強すぎる衝撃で吹っ飛びそうになった。
この、馬鹿力め……っ!
イレーネの栗毛の馬がいなないて後ろ脚だけで立つのを、鐙で踏ん張ってどうにか耐える。どうやら友だからと手加減する気はないらしい。そうとわかっただけで血潮が滾り、戦意が高まる。
こちらの手の痺れが消えないうちに、ラファエルは両手で槍を握り直し、イレーネの左胸を目がけて刺突してきた。
……速いっ。
とっさに半身を引きながら、顎下を通り抜ける彼の槍に、槍の穂先を重ねる。そのまま逆方向にシャッと滑らせ、切っ先で鋭く頸を狙った。
「……っ!」
彼は背筋を使い、横へのけぞるようにそれをかわす。流れるような体さばきに、会場から「おおおっ」とどよめきが起こった。
今のは絶対に当たると思ったのに、と舌打ちする。とてつもないパワーだけでなく、テクニックもスタミナも桁外れだ。しかも、頭脳明晰にして博学多才、武芸のセンスも抜群である。
勝てるものがあるとすれば柔軟性だと思っていたが、その柔軟性も敵わないとなれば……
考える暇も与えず、次に彼は両手で柄の中心を握り、風車のように回転させた。ブンッブンッ、と風を切って穂先と石突が次々に飛んでくる。
「どぅるぅああぁぁっ!」
バッ、と水平にした槍を高く掲げ、どうにかそれらを撥ねのけた。ガンガンッ、と強烈な打撃が手のひらに響き、ジィンと痺れる。
その間に彼は構え直し、顔色一つ変えずまっすぐ槍を突き出してきた。こちらへ向かってくる穂先がグルンッと回転するのが見え、反射的に槍を立てて防御する。
カアァンッ!
槍がぶつかり合う、乾いた音。
息つく間もない連撃に防戦一方だ。こちらは必死だというのに、彼は息も乱さず汗も掻いていない。
苦戦するのはわかっていた。認めたくないが、彼のほうが強い。だが、まだ勝機はある。
穂先と穂先を交え、力が拮抗してピタリと止まった。歯を食いしばり、腕の筋肉に力を込め、しのぎを削る。
「ぐ……くっ……!」
渾身の力で押さえ込むと、穂先はクロスしたまま徐々に馬体の下へ傾いていく……
ギリギリの緊張の中、彼の集中が緩んだ隙を突き、掛け声とともに全力で槍を振り上げた。
「うるあぁっ!」
穂先が当たって彼のバイザーが撥ね上がり、美しい双眸が露わになる。凛々しい眉の下にある紺碧の瞳は凪いだ海のように穏やかだった。もっとギラギラした目をしていると思ったが……
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