男装騎士は王太子のお気に入り

吉桜美貴

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1巻

1-3

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 疲労が溜まっていた上に、この寒さとハードな行軍のせいかもしれない。
 これから国の一大事だというのに、くだらないことで心を乱してどうする!
 ジークハルトはまぶたを閉じ、おろかな己を叱咤しったした。
 腕の中のアルノーは身を固くしたまま、身じろぎもしない。これから深夜に向け、気温がもっと下がるだろう。少し申し訳ない気持ちで小さな頭を撫でた。
 私が守ってやらなければ。これ以上もう一人も傷つけたくない。
 命懸けで忠誠を誓うノイセンの騎士たちは、ジークハルトにとってかけがえのない宝だった。
 成人して王位継承権を得るまで、幼少の頃より陰謀に巻き込まれ、親族たちに命を狙われるのが日常にちじょう茶飯事さはんじの人生だ。信じられる者は一人もおらず、目に映るものすべてが敵だったこの世界で、ノイセンの騎士たちだけが王太子の盾となり、その命を守ろうとしてくれる、唯一の味方だった。
 ゆえに、ジークハルトは騎士たちを信頼し、我が身の一部だと思っている。騎士が傷ついたり、殺されたりすれば、この身を斬られたような痛みがあった。
 ノイセンの領民のためだけじゃない。忠実な騎士たちのため、果てはレーヴェ王国の全国民のために、この馬鹿げた内乱を早く終わらせ、平和をもたらさなければならない。
 思い出せ。私の使命を。まずは目の前の障害を取り除くことに、全力を尽くせ。


   ◇ ◇ ◇


 二日と半日をかけて、二人はさらに南を目指した。
 教会領の森を抜け、とうげを越えて山岳地帯に入り、街道をひたすら道なりに馬を進める。
 道中これといった事件もなく、昼過ぎには無事インゴル公領に入り、夕刻にはオーバーフェルトの町に到着した。
 街道沿いに、『月光亭』という看板を掲げた古い宿屋がある。ジークハルトとアリーセは馬を繋ぎ、連れ立って一階にある食堂の粗末な椅子に腰を下ろした。ちなみに、街中で「王太子」や「ジークハルト」は禁句だと厳命されている。
 食堂はかなり混み合い、お互いの声が聞き取れないほどの喧騒けんそうに包まれていた。旅人や酔っ払いやならず者たちが、ガヤガヤと大声で怒鳴りあい、とんでもない騒ぎだ。グリルや煙草の煙で視界はかすみ、肉や魚や葡萄酒ぶどうしゅと人いきれで雑多な匂いがする。
 アリーセは気が気でなかった。一国の王太子殿下が大した供も連れず、こんなに薄汚い宿屋で寝泊まりするなんて! しかも、ここは敵であるインゴル公の領土内なのだ。せめて、ノイセンと親交の深い、貴族の屋敷にでも身を寄せてくだされば……

「情報が漏れるだろ。身を隠すなら、こういう場末の宿屋が一番いい」

 読心術でも使えるのか、ジークハルトがおもむろに言った。

「私のことはジークと呼べ。私と貴様は旅の騎士仲間だ。そういう演技をしろよ」

 厳しく命じられ、アリーセは「はい」と姿勢を正す。
 ジークハルトは手袋を外すと負けじと大声を張り上げ、エールをジョッキで二つと料理を頼んだ。
 実は、アリーセはエールを一度も呑んだことがない。元伯爵令嬢という立場ゆえいたしかたないことで、エールは騎士や冒険者や労働者たちの飲み物なのだ。
 やがて、エールと料理が運ばれてきた。チキンを丸々焼いたものと、ゆでたブロッコリー、つぶしたじゃがいもと魚を酒で蒸したもの。
 香ばしい匂いに釣られ、アリーセの腹が鳴ると、ジークハルトは頬を緩めた。
 ……あ。笑った……?
 初めてのジークハルトの笑顔に目を奪われてしまう。
 といっても、ほんの少し口角を上げただけの、笑顔と呼ぶにはほど遠い代物しろものだけど……

「遠慮するな」

 それだけ告げ、ジークハルトは黙々と食べはじめた。
 アリーセは息を詰め、彼の所作に見入ってしまう。テーブルマナーが美しすぎて、フォークとナイフの使いかたも優雅すぎて、ここがまるで王宮の豪華絢爛けんらんな食卓であるかのように錯覚させるのだ。
 しかし、この馬鹿騒ぎの渦中にいてそのことに気づく者はいなかった。
 ジークハルトの言うとおり、こういう場所こそ身を隠すには一番なのかもしれない。
 アリーセも安心して料理を口に運んだ。肉も魚も味付けは絶妙で、焼き加減も最高だった。
 エールの匂いをいだり、少し舐めたりしていると、ジークハルトがニヤニヤする。

「貴様、エールは初めてか? いいから、一気に呑んでみろ」

 言われたとおり呑んでみると、エールはシュワッと舌で弾け、苦いようなコクがあった。
 喉を刺激しながら通りすぎて胃のにおさまると、体がカァッと温まる感じがする。

「どうだ? 悪くないだろ?」
「……んんっ。おいしい!」

 素直に言うと、ジークハルトは声を上げて笑った。涼しげな目を細め、眉尻を下げ、心から楽しそうに。
 屈託のない笑顔が、ひどくまぶしく映る。少年のようなあどけなさが垣間見えて……

「……可愛い奴だな」

 そうつぶやいたジークハルトの眼差しがいつになく優しく、なぜか顔がぼわっと熱くなった。
 それでなくとも、ため息が出るほどの美麗さなのだ。つややかな銀の髪。すっと切れ長の目尻に、涼しげな目元。まつ毛は女性のように長く、憂いのある面差しに惹きつけられる。ガラス細工のような冷たい美貌びぼうは、亡き王后に似ているらしい。王侯貴族の中でもこれほどの美しさを誇るのは、ジークハルトが唯一にして無二だろう。
 そんな美丈夫びじょうふを前に同僚っぽい演技をしろと言われても、難しかった。しかも、アリーセのような下級騎士は通常、王太子殿下に拝謁はいえつするどころか、目を合わせる機会さえほとんどない。儀式や祭祀さいしの時、遠くから眺めるのが関の山だった。

「遠慮せず、好きなだけ呑め」

 心なしか、ジークハルトはおもしろがっているように見える。

「あの、殿か……じゃなくて、ジ、ジークは呑んだことがあるのですか?」

 ジークハルトは周りをはばかり、「敬語を使うな」と小声で指示し、何食わぬ顔でこう続けた。

「もちろんある。私はしょっちゅう忍びで城下をうろついているからな。エールどころか密造酒も呑んだことがあるし、他にもいろいろとな」
「そうなんだ……」

 すると、ジークハルトは目をらしたかと思うと、つと親指を伸ばし、アリーセの下唇に触れた。
 ……えっ?
 ドキッ、と心臓が跳ねる。

「ここ……ついてる」

 綺麗な親指が、ぐいっと唇についたソースをぬぐう。
 不意のことに、きょとんとしてしまった。

「貴様、本当に可愛いな」

 ジークハルトがクスリと微笑み、親指についたソースをゆっくりとねぶる。
 それを見て、テーブルに突っ伏しそうになるほど、めちゃくちゃ心臓がドキドキした。
 あ……あ……あれは、私の唇についてたやつで……。そ、それを、そんな……!
 今は訳あって男のフリをしているけど、アリーセだって年頃の女の子なのだ。真正面から憧れの人に「可愛い」と言われたり、唇についたものを舐められたり(間接的にだけど)したら、うれしくないわけがない。
 いったい、この異常なドキドキはエールのせいなのか、それとも……
 アリーセがジョッキをあおると、ジークハルトはもう一杯注文してくれる。
 それから、ふかふかしたじゃがいもを頬張りながら、二人はエールを何杯も空けた。
 オーバーフェルトの夜は賑やかに更けていく。
 数時間後、すっかり酔っぱらってしまったアリーセは、ジークハルトに抱えられるように階段を上っていた。

「す、すみません。こんな醜態しゅうたいをさらしてしまって……」

 アリーセが恐縮すると、完璧に素面しらふと変わらないジークハルトはひょうひょうと答える。

「計算どおりだから問題ない。こんな場所でノイセンの騎士が二人して真面目に食事していたら、怪しまれるだろう? 喧嘩するか、泥酔するかしておけばよいカモフラージュになる」
「じ、ジークは、大丈夫れすか?」

 なんだかろれつもうまく回らない。

「私は酒をいくら呑んでも酔わないから大丈夫だ」

 そうなんだ。さすがだなぁ……
 感心しながら、たくましい腕とお言葉に甘えることにした。なにしろ、同僚の演技をしろという命令だし……
 案内されたのは粗末な客室だった。簡素な寝台が二つと小さな書き物机しかない。

「こちらが、うちでもっとも高級な一等客室でして……」

 宿屋の主人が揉み手をしながら言った。
 当然のことながら、二人で相部屋である。

「問題ない。馬を頼んだ」

 ジークハルトが何枚か銅貨を握らせると、主人はほくほく顔で階下へ戻っていった。

「ま、野宿するよりはましだな」

 言いながらジークハルトは、運んできたアリーセを寝台に横たえさせた。

「あ、ありがとうございます……」

 視界はぼんやり、頭はふわふわしている。
 わらが詰めてあるらしき寝台は、見かけによらず寝心地がよかった。

「気分は悪くないか?」

 意外にもジークハルトは優しい。

「大丈夫です。いい気分です。すごーく、いい気分」
「水をもらってきてやるから、貴様は黙って寝てろ。それだけ酔ってぐっすり寝たら、疲れも取れるだろ」
「はい……。すみません……」

 思考は明晰めいせきだけど、感覚がにぶくなって体が思いどおりに動かない。
 なるほど。これが酔うっていうヤツなんだ……
 思いがけぬところで勉強になる。ジークハルトも怒っている様子はなく、酒は疲労回復にいいと言って積極的にエールをすすめられた。
 もしかしたら、彼なりの気遣いなのかもしれない。
 厳しいけど、私みたいな下級騎士にも優しい人だな。今日はたくさんお話しできてよかった。重大な任務だから、こんな風に楽しんじゃいけないんだろうけど……
 しゅるっ、と衣擦きぬずれの音がして、アリーセははっと我に返った。
 頭を上げて見ると、いつの間にかジークハルトが戻っている。少しまどろんでしまったらしい。
 書き物机の上に、水差しとグラスが置かれていた。
 その横で、ジークハルトが服を脱ぎはじめている。
 思わず声を上げそうになり、とっさに両手で自らの口を押さえた。
 落ち着け。落ち着け、私! 私は今、男だから。男性の裸なんてアルノーで見慣れてるから……
 こちらの動揺には気づかず、ジークハルトはさっさと脱いでいく。
 見ちゃダメだと思いつつ、彼の裸体に視線が釘付けになっていた。
 オレンジ色のランプの灯りが、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした体躯たいくを淡くかたどっている。ブロンズ像のように滑らかな肌は、薄い体毛に包まれ、輝いて見えた。
 う、うわ。すご……。すごく着痩せするんだわ……
 ジークハルトの肉体は、はがねのように鍛え抜かれていた。ごつごつした鎖骨さこつを起点に、僧帽筋そうぼうきんが肩を覆い、胸筋は丸々と盛り上がっている。手足はすらりと長く、いかつい肩の三角筋から、上腕二頭筋へのラインが流麗だった。腹筋は縦横にぱっくり割れ、がっしりした太腿ふとももは引き締まっている。過剰な筋肉量ではなく、バランスのよい細身で理想的だった。
 太く浮いた首筋から、ネックレスが下げられている。
 細いチェーンの先には、指輪らしきものが光っていた。
 ジークハルトが髪のいましめをほどくと、腰骨に乗り上げた筋に、ハラリと銀髪が落ちかかる。
 神話に登場する、軍神のような美しさだった。野性的なのに気品もあり、リウブルク家の紋章があらわすように、まさに孤高の獅子ししみたいだ。
 耳の奥で響く、心音がうるさかった。
 ジークハルトが下着も脱ぐと、ほろりと男性器があらわになる。

「っ!?」

 酔いが一瞬で吹っ飛んでしまった。
 けど、どうしても目が離せない。さすがに、これはマズイとわかってるんだけど……
 初めて目にするそれは、いやらしさはなくて綺麗だった。だらりと不思議な形をしていて、自分にはない器官だからもの珍しいというか。
 芸術鑑賞でもしているみたいだ。人類が創り出した最高峰の、生ける芸術作品の……
 ジークハルトは、ぎょろりと眼球だけ動かして横目でこちらを見た。

「なに見てる?」

 そこで、アリーセは我に返る。
 まずいまずいまずい。穴が開くほど凝視してしまった!

「も、申し訳ございません。ぼーっとしておりました」

 あまりに美しすぎて、は呑み込んだ。

「おまえは脱がないのか? 脱がしてやろうか?」
「はっ……い、いいえ。自分は遠慮しておきます」
「旅装のまま寝るのか。けったいな奴」

 ジークハルトはお決まりの軽蔑しきった顔をし、鼻で笑った。
 が、そもそも服なんて脱げるわけがない。一瞬で女だとバレてしまう。

「気分はどうだ?」
「は、はい。大丈夫です。少しクラクラしますが……」
「ふーん。あれだけ呑んでその程度とは、見かけによらず酒豪らしいな」
「そうでしょうか……。自分はわかりません」

 ジークハルトは灯りを消し、すぐ隣の寝台に上がった。

「明日も早いからもう寝ろ」
「……はい」

 ドキドキはなかなか治まらず、簡単には眠れそうにない。
 ここはインゴル公領。教会領の森の時みたいに、いつ刺客が襲ってくるとも限らない。油断は大敵なのに……
 ジークハルトに背を向け、アリーセは頭からすっぽり毛布を被る。
 酔っていたせいもあり、コテンと深い眠りに落ち、次に目覚めた時はもう朝になっていた。
 くもり空で気温はぐっと下がり、空気はじめっとし、氷のむろにいるような冷気が肌を刺す。
 春先だってのに、また雪が降りそう……
 ぐっすり眠ったせいか、アリーセの気分は爽快だった。噂に聞く「ふつか酔い」という症状もなく、ジークハルトの言ったとおりもしかしたら隠れた酒豪なのかもしれない。
 支度を終えて一階に下りると、ジークハルトが不機嫌そうに待ち構えていた。
 まだなにも言われていないのに、アリーセは震えあがる。

「遅れてすみません!」

 頭を下げるアリーセを無視し、ジークハルトは黙って外に出た。アリーセもそそくさとそのあとに続く。
 宿の厩舎きゅうしゃまで歩いていったところで、ジークハルトは足をとめた。
 見ると、そこには小さな幌馬車ほろばしゃが停まっている。よく農村で見かける、農作物を運搬するものだ。
 ……え? いつの間に。これに乗れってこと?
 ジークハルトはさっさと幌馬車ほろばしゃの荷車に乗り込んでしまった。
 アリーセがおろおろしていると、ジークハルトが入り口の覆いを上げ、一喝いっかつする。

「なにしてる。さっさと乗れ!」
「は、はいっっ!」

 アリーセも慌てて荷車に足を掛け、中へ乗り込んだ。
 ジークハルトが「出せ」と馭者ぎょしゃに命じると、ガタゴトと馬車が動き出した。
 荷車の床には毛皮と毛布が敷き詰められ、足を伸ばしてゆったりできる。断熱がしっかりしているせいかほんのり暖かかった。馭者ぎょしゃ台と荷台の間にある分厚い仕切りが外気を防いでいる。
 なるほど、とアリーセは納得した。こうして農耕用の馬車でカモフラージュし、インゴル公のお膝元に潜入する作戦らしい。

「貴様も横になったらどうだ? 楽だぞ」

 ジークハルトは外套がいとうを脱ぎ、ごろりと横になった。

「いえ。私は遠慮しておきます」

 あまり親しげにされると、相手が王太子だということを忘れそうになる。
 馬車の旅はなかなか快適だった。体勢は好きに変えられて体も伸ばせるし、外からも見えないし、これなら安全にインゴル公領の首都モンクヒェンに潜入できそうだ。
 そこからは丸三日かかる行程だった。直接行けば一日で着くはずだけど、あちこちに兵が立ち検問があるため、大きく迂回するルートを取らざるをえない。ノイセン公領内にいると気づかないけど、インゴル公領内は兵士がうろついていてものものしく、いつ戦になってもおかしくない雰囲気だった。
 雪がちらつきはじめ、馬車の速度がぐんと落ちる。日も暮れて急速に冷え込んできた。山岳地帯に入り、高度が上がるにつれ、風が強くなり吹雪ふぶいてくる。

「予定より、半時ほど遅くなるかもしれません。積もるまでには着きそうですが」

 馭者ぎょしゃが声を掛けてきた。

「問題ありません。安全に行ってください」

 荷車にいるアリーセは答える。
 珍しくジークハルトは泥のように眠っている。さすがに疲れたんだろうか。
 アリーセは彼に毛布を掛けてやり、その寝顔に見入った。
 目にするのは初めてな、無防備に眠る姿。毛布の上から外套がいとうも重ねて掛けてやる。気温がだいぶ下がってきたから。
 寝顔、なんか可愛いなぁ……
 しなやかにカーブを描いたまつ毛。すっととおった鼻筋に、形よく整った唇。孤高で高潔こうけつな王太子でも、寝顔はあどけない少年に見えた。青みがかった銀髪は、細い氷みたいに輝いている。
 昔の私、この御方に憧れてたなぁ……
 初めてジークハルトを見たのは、オーデン騎士団の騎士叙任式の時だ。国王陛下より騎士の責務をたまわる重要な儀式で、諸公が一堂に会したリウシュタット大聖堂で執り行われた。まだ騎士見習いだったアリーセは式典を手伝うために参加していた。当時、ジークハルトは十九歳だったが、すでにその武勇をとどろかせており、剣を愛するアリーセは憧れの眼差しを向けたのだ。
 まあ、あの時は遠すぎてチラッとしか見えなかったけれど……
 二度目に見たのは、正騎士となったアリーセが従軍した時だ。その時のアリーセは十七歳で、二十二歳になったジークハルトは一騎当千いっきとうせんの戦いぶりを見せていた。
 追憶にふけるアリーセの意識は、今から三年前へとさかのぼっていく……


   ◇ ◇ ◇


 ――三年前のノイセン公領内。東方に広がる、アルヘナと呼ばれる草原地帯。
 東の国境付近ではレーヴェ王国へ侵攻を繰り返す東方民族、コラガム人たちとの攻防戦が続いていた。
 当時のアリーセは叙任式を終えたばかり。晴れてオーデン騎士団の正騎士となり、王国国境警備隊に配属された。国境線を巡回して警備し、不法出入国者や犯罪者たちを取り締まる、非常に重要な花形部隊だ。
 おろしたての鎖かたびらに仕立てたばかりの外套がいとうをまとい、アリーセは鼻高々だった。入団試験では学科も実技もトップの成績だったし、女だてらに念願の前線に配属され、誇らしく感じていたのだ。

「この戦いでうまく武功を上げられたらさ、寮を出ない? もう少し広い部屋に住みたいなって」

 アリーセは声をひそめ、すぐ隣に立つ兄のアルノーに話しかけた。アルノーもアリーセと同じ国境警備隊に配属されている。
 すると、アルノーは「しぃーっ。静かに!」と人差し指を唇に当てた。アリーセと同じダークゴールドの瞳が、とがめるようににらんでくる。
 とはいえ、待機時間が長すぎるせいで、他の騎士たちの間にも弛緩しかんした空気が流れていた。
 コラガム人たちが進軍してくるとの情報が入り、こうして国境付近のアルヘナ草原に軍を展開したものの、待てど暮らせど敵は現れない。
 しびれを切らした王国軍は敵の位置を把握はあくすべく、さらに偵察部隊を派遣したところだった。
 敵の気配もなく、状況がわかるまでもう少しかかりそうなので、騎士たちは待機がてら装備を整えたり、雑談をしたりしている。

「おまえはどうしてそんなに緊張感がないんだ? そんなんだから隊長にツメが甘いと言われるんだ。僕たちの晴れの初陣なんだぞ。今こそ精神統一し、しっかり任務に集中し、いつ敵が来るかわからないんだから、常に警戒をおこたらずにだな……」

 くどくどとお説教を始めるアルノーに、アリーセは苦笑するしかなかった。

「兄さんは真面目すぎるんだって! こんな時まで気を張ってたら、いざって時に疲れちゃって持たなくなるでしょ? 抜くところは抜き、体力を温存するのも兵法の基本だよ?」
「それはそうだが……。しかし、おまえに限ってはだな、真面目すぎるに越したことはないぞ。おまえはいつも思いつきと衝動だけで、突っ込んでいっては痛い目見ているからな。子供の時からそうだろう? 僕がこんなに慎重な性格になったのはおまえのせいでもあるんだぞ」

 たしかにそのとおりだった。双子なのに、アリーセは感情で動く好奇心旺盛おうせいな行動派、アルノーは理論を重んじる用意周到な知略派と、まさに性格は真逆なのだ。
 アルノーが何かにつけ石橋を叩きすぎて割る慎重さで行動するのを見て、アリーセはもどかしくてイライラし、余計にパッパと直感で動く性格に育ってしまった。
 そうはいっても、双子は非常にうまくやってきた。元伯爵だった父親が公金を濫費らんぴし、没落したあとの大変な死線をくぐり抜けられたのも、兄妹の見事な連携があってこそだ。
 アリーセがさまざまなアイデアをひらめき、アルノーがそれを充分に調査検討して実現させる……そんな風にして、兄妹はこの苛酷かこくな世界を生きのびてきた。
 剣の腕は互角。その性格は真逆。そんな兄をアリーセは深く信頼し、尊敬してしたっている。両親亡きあと、頼れる親戚も知り合いもいなかったアリーセにとって、この世界にたった独りしかいない、愛する肉親だった。
 双子は長らくオーデン修道院で下働きをし、お互い支え合いながら貧しい生活を送ってきた。
 ようやく正騎士となった今、自慢の剣技で多くの武功を立て、必ずや一旗揚げてやるぞと双子は闘志を燃やしている。

「僕たちは腐っても、ヴィントリンゲン伯爵家の子孫なのだから、矜持きょうじを失ってはならないよ」
「はいはい。わかってるって」
「とにかく初陣が大事だ、アリーセ。今の王太子殿下は完全なる実力主義らしいぞ。所属や年齢性別関係なく、褒賞金を弾んでくださるらしいからな」

 頬を上気させて言うアルノーを見ているだけで、アリーセは武者震いに襲われる。

「うんうん、殿下はすごいね! 陛下の代わりに公務に当たられて、軍の総司令官も務めるんだもの。私たちと五歳しか変わらないのにさ、大したもんだよ……」

 アリーセがしみじみ言うと、アルノーは「こらっ!」とまた眉をひそめた。

「殿下をいいだの悪いだの、ジャッジするなんて無礼千万せんばんだぞ! おまえは何様のつもりだ? そもそも、殿下のいらっしゃらない場で噂話をすること自体がだな……」
「なによ。そっちが先に噂話を始めたんじゃない。アルノーだって失礼だよ!」

 小声でやり合っているうちに夕日が空をオレンジ色に染め、警備隊たちの影が長く伸びた。
 偵察に行った部隊は、まだ戻らない。
 籠城ろうじょう戦でもない限り、夜戦というのは自軍敵軍ともに利はないため、日没前に少数の見張り部隊を残して陣をたたむのが定石じょうせきだった。待機している騎士たちの間にも「今日はもう終わりだろう」という空気が流れている。
 アリーセも正直、早く引き上げてこの重い装備を解きたい気持ちでいっぱいだった。
 そんな中、アルノーだけが油断なく身構え、四方に目をらしている。

「……なんだか、おかしいと思わないか? アリーセ。静かすぎる」

 西日に照らされたアルノーの緊張した面持おももちを見ながら、アリーセは呑気のんきに返した。

「さあ? 敵さんも今日はもう店じまいなんじゃない? もしくは、情報が間違いだったとか?」
「バカッ、そんなわけあるか! よくよく考えてみろ。そんな不確かな情報をベテランの斥候せっこうが流すわけがない。充分に検証し、裏が取れたからこそ、もたらされた情報だぞ。もっと自軍を信じろよ。そんなに軽率じゃないはずだ」

 たしかにアルノーの言うことも一理ある。なにせ、その情報を元に大部隊が動くわけだし……

「おいっ! 油断するな。日没までまだ時間はあるぞっ!」


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