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37. どんな悪魔もにっこり微笑んでしまうというもの
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はあ……。こんな思い込みの激しい頭の固い爺に、なにをどう説得すりゃいいんだ。十年かけて説得しても無理なんじゃないか……
ベルナールを説得できるまでのはるか遠い道のりを想像しただけで、エドガールはすでに萎えていた。この世界のどこかに説得を生業とする、『説得屋』なるものが存在するならば、有り金全部はたいたって構わないのに。
「この不肖ベルナール、人生を賭してドラポルト家にお仕えして参りました。先々代の大旦那様に拾われ、その大恩に報いようと自己研鑽に努め、未熟ながらも執事という大役を拝命し、人類の重責を担った由緒あるドラポルト家のため、ひいては黒煙騎士団のために、忠義を尽くして参りましたのに」
ベルナールは胸ポケットからハンカチを取り出し、目頭を押さえはじめた。
これはまた話が長くなるぞ……
エドガールはげんなりしながらそれを眺めることしかできない。
「坊ちゃま……。坊ちゃまがいくら馬鹿でオロカでヘタレで変態でクズでアホで使えない意気地なしでも、最後の一線は……最後の一線だけは絶対に超えないと、信じておりましたのに!」
「最後の一線て……。なんなんだよ、まったく。勝手に決めつけないでくれ……」
エドガールがブツブツぼやくと、ベルナールは顔を上げてキッと睨んだ。
「坊ちゃま! まさかとは思いますが、あの麗しきご令嬢に手を出してはおりますまいな? さすがの坊ちゃまもそこまで下劣なことは……」
「まあ、いろいろとあってだな。その、彼女のほうから求めてきたというか……」
ゴニョゴニョと語尾を濁すと、ベルナールは信じられないといった表情で声を上げる。
「まさか……。手を出されたのですか? 坊ちゃま、爺の目を見てお答えくださいませ」
「あー、まー、出したのかと聞かれたら、出しました、としか言いようがないな……」
「なんと……なんと! なんと嘆かわしい! 爺は情けないですぞ! そんな紳士の風上にも置けぬ、あきれ果てたド外道に成り下がるとは。あああ、亡き大旦那様と旦那様に爺はどう顔向けしたらよいのか……うぅ……」
しまいにベルナールはおいおいと泣きはじめた。
エドガールは非常に白けた気分でそれを横目で見て、言っても無駄だろうなと思いながら口を開く。
「と、とにかくだ。やりかたはちょっと強引だったかもしれないが、僕とミレーユは夫婦になったんだ。だから、おまえもミレーユのことはこの屋敷の女主人とみなして……」
「黙らっしゃいっ!」
ベルナールは電光石火の如くさえぎって、エドガールを睨みすえた。
「百歩譲って、あのご令嬢をこの屋敷に受け入れましょう。ですが、婚前交渉なぞ言語道断。お二人が夫婦となるのにふさわしく成長されるまで、寝室は別々とし、爺の監視下に置かせていただきますぞ」
「な、なんだって?」
エドガールはぎょっとしてしまう。グラスドノール城での一晩以来、ミレーユとは一度も閨をともにしていないというのに。
限界までお預けを食らっている状態で、ようやく一段落ついたと思ったら……
「勘弁してくれ! 僕たちは愛し合ってるんだぞ!? 彼女もそのことは了承しているんだ。いったいおまえはなんの権利があって二人の仲を邪魔し……」
「許しません! 許しませんよ、絶対に。それが彼女をこの屋敷に迎え入れる条件です!」
「冗談じゃない!」
それから、ベルナールと喧々囂々たる口論をした。しかし、ベルナールは頑として譲らなかった上に、ミレーユの寝室を強制的にしつらえてしまったのだ。エドガールの寝室から遠く離れた一室に。
子供の頃からこの老執事になに一つ逆らえないエドガールは、涙を呑んで受け入れるしかなく、現在に至るというわけ。
くっそぉぉぉ! あのスケベタヌキ爺め……。ミレーユにはデレデレしやがって……
口では「絶対に認めませんぞ!」なんて言ってた割りに、ベルナールはミレーユに対しては非常に甘かった。エドガールに対しては悪魔の如き険悪な顔を見せる癖に、ミレーユを前にすると途端にご機嫌で無害な好々爺に変貌し、「若奥様、いかがいたしましたか?」などと猫なで声で媚びへつらうのだ。
まあ、それは仕方ないとも言える。あんなに若くて可愛くて素直なご婦人を前にすれば、どんな悪魔もにっこり微笑んでしまうというもの。
しかも、エドガールは目と鼻の先にいるミレーユに指一本触れることができないというのに、ベルナールは恭しくミレーユの手を取ったり、親しげにおしゃべりしたり、ベタベタと馴れ馴れしくてまったくもって許しがたい。
結果、エドガールはイライラが募り、尋常じゃない欲求不満で爆発寸前、という悲惨な状態に陥っていた。
あああ……。この世界に救いはないのか……
やりきれなくなって、窓から夜空を見上げると、青く冷たい月がエドガールを無慈悲に見下ろしていた。必死で仕事をこなすうちに、時刻は真夜中を過ぎたらしい。
そのとき、コンコン、と控えめにノックする音が響いた。
窓辺でたたずんでいたエドガールは、出入口のほうを振り返る。
こんな夜更けにベルナールだろうか? また溜まった書類を積み上げにきたのかもしれん……
うんざりしながら歩いていってドアを開けると、そこには予想外の人物が立っていた。
「ミ、ミレーユ?」
驚いて声を上げると、ミレーユは「しぃーっ」と人差し指を立てて唇に当てた。
ベルナールを説得できるまでのはるか遠い道のりを想像しただけで、エドガールはすでに萎えていた。この世界のどこかに説得を生業とする、『説得屋』なるものが存在するならば、有り金全部はたいたって構わないのに。
「この不肖ベルナール、人生を賭してドラポルト家にお仕えして参りました。先々代の大旦那様に拾われ、その大恩に報いようと自己研鑽に努め、未熟ながらも執事という大役を拝命し、人類の重責を担った由緒あるドラポルト家のため、ひいては黒煙騎士団のために、忠義を尽くして参りましたのに」
ベルナールは胸ポケットからハンカチを取り出し、目頭を押さえはじめた。
これはまた話が長くなるぞ……
エドガールはげんなりしながらそれを眺めることしかできない。
「坊ちゃま……。坊ちゃまがいくら馬鹿でオロカでヘタレで変態でクズでアホで使えない意気地なしでも、最後の一線は……最後の一線だけは絶対に超えないと、信じておりましたのに!」
「最後の一線て……。なんなんだよ、まったく。勝手に決めつけないでくれ……」
エドガールがブツブツぼやくと、ベルナールは顔を上げてキッと睨んだ。
「坊ちゃま! まさかとは思いますが、あの麗しきご令嬢に手を出してはおりますまいな? さすがの坊ちゃまもそこまで下劣なことは……」
「まあ、いろいろとあってだな。その、彼女のほうから求めてきたというか……」
ゴニョゴニョと語尾を濁すと、ベルナールは信じられないといった表情で声を上げる。
「まさか……。手を出されたのですか? 坊ちゃま、爺の目を見てお答えくださいませ」
「あー、まー、出したのかと聞かれたら、出しました、としか言いようがないな……」
「なんと……なんと! なんと嘆かわしい! 爺は情けないですぞ! そんな紳士の風上にも置けぬ、あきれ果てたド外道に成り下がるとは。あああ、亡き大旦那様と旦那様に爺はどう顔向けしたらよいのか……うぅ……」
しまいにベルナールはおいおいと泣きはじめた。
エドガールは非常に白けた気分でそれを横目で見て、言っても無駄だろうなと思いながら口を開く。
「と、とにかくだ。やりかたはちょっと強引だったかもしれないが、僕とミレーユは夫婦になったんだ。だから、おまえもミレーユのことはこの屋敷の女主人とみなして……」
「黙らっしゃいっ!」
ベルナールは電光石火の如くさえぎって、エドガールを睨みすえた。
「百歩譲って、あのご令嬢をこの屋敷に受け入れましょう。ですが、婚前交渉なぞ言語道断。お二人が夫婦となるのにふさわしく成長されるまで、寝室は別々とし、爺の監視下に置かせていただきますぞ」
「な、なんだって?」
エドガールはぎょっとしてしまう。グラスドノール城での一晩以来、ミレーユとは一度も閨をともにしていないというのに。
限界までお預けを食らっている状態で、ようやく一段落ついたと思ったら……
「勘弁してくれ! 僕たちは愛し合ってるんだぞ!? 彼女もそのことは了承しているんだ。いったいおまえはなんの権利があって二人の仲を邪魔し……」
「許しません! 許しませんよ、絶対に。それが彼女をこの屋敷に迎え入れる条件です!」
「冗談じゃない!」
それから、ベルナールと喧々囂々たる口論をした。しかし、ベルナールは頑として譲らなかった上に、ミレーユの寝室を強制的にしつらえてしまったのだ。エドガールの寝室から遠く離れた一室に。
子供の頃からこの老執事になに一つ逆らえないエドガールは、涙を呑んで受け入れるしかなく、現在に至るというわけ。
くっそぉぉぉ! あのスケベタヌキ爺め……。ミレーユにはデレデレしやがって……
口では「絶対に認めませんぞ!」なんて言ってた割りに、ベルナールはミレーユに対しては非常に甘かった。エドガールに対しては悪魔の如き険悪な顔を見せる癖に、ミレーユを前にすると途端にご機嫌で無害な好々爺に変貌し、「若奥様、いかがいたしましたか?」などと猫なで声で媚びへつらうのだ。
まあ、それは仕方ないとも言える。あんなに若くて可愛くて素直なご婦人を前にすれば、どんな悪魔もにっこり微笑んでしまうというもの。
しかも、エドガールは目と鼻の先にいるミレーユに指一本触れることができないというのに、ベルナールは恭しくミレーユの手を取ったり、親しげにおしゃべりしたり、ベタベタと馴れ馴れしくてまったくもって許しがたい。
結果、エドガールはイライラが募り、尋常じゃない欲求不満で爆発寸前、という悲惨な状態に陥っていた。
あああ……。この世界に救いはないのか……
やりきれなくなって、窓から夜空を見上げると、青く冷たい月がエドガールを無慈悲に見下ろしていた。必死で仕事をこなすうちに、時刻は真夜中を過ぎたらしい。
そのとき、コンコン、と控えめにノックする音が響いた。
窓辺でたたずんでいたエドガールは、出入口のほうを振り返る。
こんな夜更けにベルナールだろうか? また溜まった書類を積み上げにきたのかもしれん……
うんざりしながら歩いていってドアを開けると、そこには予想外の人物が立っていた。
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