23 / 47
23. どこか儚さのようなもの
しおりを挟む
「エドガール。なら、あなたの手で私を殺して」
ミレーユの声はかすれたささやきになったが、はっきりエドガールの耳に届いた。
その申し出は予想外のもので、エドガールは言葉を失う。まさか、自ら進んで乞われると思っていなかったから。
彼女の唇から漏れる息が白く変わるのを、ただ見つめることしかできなかった。
おもむろに、彼女は羽織っていた毛皮のショールを脱ぐ。
パサッ、とそれは床に落ちた。
とっさにエドガールは猟銃を構え直し、なにが起きるのかを油断なく注視する。
ミレーユはゆっくりした動作で、ネグリジェも脱ぎはじめた。
「ミ、ミレーユ……なにを……?」
びっくり仰天していると、ミレーユはするすると下着まで脱ぎ捨て、生まれたままの姿になった。
素足でこちらへ向き直り、すべてをさらけ出そうとするように胸を張り、両腕をダラリと両脇に下ろす。
その、神聖なまでの美しさに、思わず息を呑んだ。
まるで蝋のようにつるりとした肌は、薄闇で淡く発光して見えるほど白い。
華奢な腰に比して、豊満すぎる二つの膨らみがこちらを向いていた。ぷるぷるして見るからに柔らかそうで、小さな蕾はみずみずしい薄紅色に息づいている。
その苺のような薄紅と、雪のような肌の白との対比に、めまいがしそうだった。
視線を下げると、みぞおちから薄っすらと一本の筋が伸び、うっとりするほど美しい臍が凹み、その下には控えめな叢が晒されている。
顔立ちにはまだあどけなさが残るのに、靄がかかるほどエロティックな肢体に、鈍器で頭を思いきり殴られたようになった。
「……あっ……」
喉の奥から、ため息ともうめきともつかぬ声が漏れる。
ザワザワと体中の血がさざめき、視界は二つの乳房を捉えたまま、灼熱の蛇の如き劣情が下半身でとぐろを巻いた。
今、それどころじゃないのに。必死で彼女がなにかを伝えようとしているのに。
ゴクリ。
唾を呑み込む音が、やけに大きく耳に響いた。
すぅ、と彼女が息を吸う。
「私が死ねば、月食の聖贄宴は行われません。この儀式は私のために、一族の成人した女性のために行われるものだからです」
ミレーユは静かに言った。
「私はどうせ死ぬ身です。だったら、犠牲が出る前に……聖贄宴の前に死にたい。そうすれば聖贄宴は中止になり、皆は無事に城を出られます。……あなたも」
彼女は数歩こちらへ歩み寄ると、つと腕を伸ばし、突きつけられた黒い銃身を握った。
なにをするつもりなのかわからず、されるがままになっていると、彼女は銃口を自らの乳房の間に押し当てる。
直接肌に触れたわけじゃないのに、彼女の生々しい体温をこの手に感じた気がした。
「どうせ死ぬならせめて、死にかたは選びたい。あなたに殺されるなら、本望です。あなたになら殺されてもいい。この世界中で、あなたにだけ……」
少し苦しそうに彼女は眉をひそめ、まぶたを伏せると視線を横に逸らす。
「あなたが……好きだから。私のことを憶えていて欲しいんです。図々しいお願いだけど……」
ふたたび彼女はまぶたを開け、こちらをまっすぐ見て言った。
「あなたが私を殺して……私の存在を、あなたの人生に焼きつけたい。私のことを忘れないでいて欲しいんです」
その切々とした訴えに、胸が激しく掻き乱される。めちゃくちゃに、ひどい嵐みたいに。
「あなたが好きです。エドガール。ここで私を殺して、あなたは早く逃げて」
絞り出された彼女のささやきは、冷えきった空気を震わせた。
そうして、彼女は眠るようにまぶたを閉じ、顎をかすかに上げる。
さあ、撃ってくださいと言わんばかりに。
ほっそりした美しい首筋を目に映しながら、鼓動が激しく乱れ打った。
……彼女を撃つ? 僕が彼女を撃ち殺すだって……?
今、立っている床に亀裂が入り、この城もこの地もこの世界も、自分もミレーユもなにもかもが崩れ落ちていくイメージに襲われる。さっきよりめまいがひどくなり、今がいつでここがどこで、これからなにをすべきなのか、見失いそうになった。
黒く冷えた銃身が、カタカタと震えはじめる。
そんなこと絶対できないと思った。そんな残酷なこと、自分にできるわけがない!
「どうか、ひと思いにやってください。早く……」
早くしてくれないと苦痛が長引くから、と彼女は目を閉じたまま眉をひそめる。
硬い銃口は白い柔肌に食い込み、その下で力強く鼓動する心臓を、生き生きと流れゆく血潮を、ありありと感じた。
彼女はまだ若く、美しく、生命力に満ち溢れ、今という時を力強く生きている。
彼女は祈るように銃身を両手で持ち、自らの胸に当てたまま微動だにしない。
本気なんだとわかった。
彼女は本気で死ぬつもりなんだ。今夜、この城のこの部屋で。僕の手によって……
ふっくらした胸の谷間でガタガタと震える銃身を見て、ようやく気づく。
そうなっているのは、自分の手がひどく震えているからなのだと。
「な、な、なぜだっ? なぜ……」
奥歯がカチカチと鳴り、うまくしゃべれない。
この震えが寒さによるものか、恐怖によるものか、それとも別の要因があるのか、自分でもよくわからなかった。
「なぜだ? なぜ死ぬ必要がある? き、君は……なんでも持ってるじゃないか! 若くて、裕福で、貴族で、聡明で美しくて綺麗で……」
ミレーユへの賛辞なら語彙が無限に湧いてきて、そんな自分にかすかな羞恥を覚える。
「とっ、とにかく! な、な、なぜそんな真似をする? 食べればいいじゃないか、人間を。そ、それが君たち一族の慣わしなんだろ?」
ひどくなる震えを止めることもできず、精いっぱい声を張る。
「なぜだ? なぜ、死のうとする? 人間への憐れみか?」
彼女はゆっくりまぶたを開け、じっとこちらを見つめた。
「なんとでも言ってください。あなたは私を殺しに来たんでしょう? なら、どうか、ここで終わらせてください」
ひどく真摯な想いが胸を打つ。
薄闇でかすかにきらめく彼女の瞳は、真夜中に見る冬の湖みたいだと思った。引きずり込まれそうな深い濃紺色で、凍てつくほどの静けさがあって……
初めて出会ったときから、少し不思議だった。
ミレーユは年齢の割に達観しすぎている。二十歳の令嬢なら、もっとはしゃいだりふざけたり、幼稚さが目につくものだ。
その点、ミレーユは非常に大人だった。大人になりすぎていた。笑っていてもどこか寂しげな影があり、いつもあきらめにも似た、悟りきった雰囲気がついて回っていた。
たしかに彼女は純粋で素直で、可愛らしい。
だが、どこか儚さのようなものをまとっていた。
それがずっと心に引っかかっていたのだ。
今にも彼女が遠くに行ってしまうような気がして……
無視しようとしても気になってしまい、どうしても彼女から注意を逸らせなかった。
ミレーユの声はかすれたささやきになったが、はっきりエドガールの耳に届いた。
その申し出は予想外のもので、エドガールは言葉を失う。まさか、自ら進んで乞われると思っていなかったから。
彼女の唇から漏れる息が白く変わるのを、ただ見つめることしかできなかった。
おもむろに、彼女は羽織っていた毛皮のショールを脱ぐ。
パサッ、とそれは床に落ちた。
とっさにエドガールは猟銃を構え直し、なにが起きるのかを油断なく注視する。
ミレーユはゆっくりした動作で、ネグリジェも脱ぎはじめた。
「ミ、ミレーユ……なにを……?」
びっくり仰天していると、ミレーユはするすると下着まで脱ぎ捨て、生まれたままの姿になった。
素足でこちらへ向き直り、すべてをさらけ出そうとするように胸を張り、両腕をダラリと両脇に下ろす。
その、神聖なまでの美しさに、思わず息を呑んだ。
まるで蝋のようにつるりとした肌は、薄闇で淡く発光して見えるほど白い。
華奢な腰に比して、豊満すぎる二つの膨らみがこちらを向いていた。ぷるぷるして見るからに柔らかそうで、小さな蕾はみずみずしい薄紅色に息づいている。
その苺のような薄紅と、雪のような肌の白との対比に、めまいがしそうだった。
視線を下げると、みぞおちから薄っすらと一本の筋が伸び、うっとりするほど美しい臍が凹み、その下には控えめな叢が晒されている。
顔立ちにはまだあどけなさが残るのに、靄がかかるほどエロティックな肢体に、鈍器で頭を思いきり殴られたようになった。
「……あっ……」
喉の奥から、ため息ともうめきともつかぬ声が漏れる。
ザワザワと体中の血がさざめき、視界は二つの乳房を捉えたまま、灼熱の蛇の如き劣情が下半身でとぐろを巻いた。
今、それどころじゃないのに。必死で彼女がなにかを伝えようとしているのに。
ゴクリ。
唾を呑み込む音が、やけに大きく耳に響いた。
すぅ、と彼女が息を吸う。
「私が死ねば、月食の聖贄宴は行われません。この儀式は私のために、一族の成人した女性のために行われるものだからです」
ミレーユは静かに言った。
「私はどうせ死ぬ身です。だったら、犠牲が出る前に……聖贄宴の前に死にたい。そうすれば聖贄宴は中止になり、皆は無事に城を出られます。……あなたも」
彼女は数歩こちらへ歩み寄ると、つと腕を伸ばし、突きつけられた黒い銃身を握った。
なにをするつもりなのかわからず、されるがままになっていると、彼女は銃口を自らの乳房の間に押し当てる。
直接肌に触れたわけじゃないのに、彼女の生々しい体温をこの手に感じた気がした。
「どうせ死ぬならせめて、死にかたは選びたい。あなたに殺されるなら、本望です。あなたになら殺されてもいい。この世界中で、あなたにだけ……」
少し苦しそうに彼女は眉をひそめ、まぶたを伏せると視線を横に逸らす。
「あなたが……好きだから。私のことを憶えていて欲しいんです。図々しいお願いだけど……」
ふたたび彼女はまぶたを開け、こちらをまっすぐ見て言った。
「あなたが私を殺して……私の存在を、あなたの人生に焼きつけたい。私のことを忘れないでいて欲しいんです」
その切々とした訴えに、胸が激しく掻き乱される。めちゃくちゃに、ひどい嵐みたいに。
「あなたが好きです。エドガール。ここで私を殺して、あなたは早く逃げて」
絞り出された彼女のささやきは、冷えきった空気を震わせた。
そうして、彼女は眠るようにまぶたを閉じ、顎をかすかに上げる。
さあ、撃ってくださいと言わんばかりに。
ほっそりした美しい首筋を目に映しながら、鼓動が激しく乱れ打った。
……彼女を撃つ? 僕が彼女を撃ち殺すだって……?
今、立っている床に亀裂が入り、この城もこの地もこの世界も、自分もミレーユもなにもかもが崩れ落ちていくイメージに襲われる。さっきよりめまいがひどくなり、今がいつでここがどこで、これからなにをすべきなのか、見失いそうになった。
黒く冷えた銃身が、カタカタと震えはじめる。
そんなこと絶対できないと思った。そんな残酷なこと、自分にできるわけがない!
「どうか、ひと思いにやってください。早く……」
早くしてくれないと苦痛が長引くから、と彼女は目を閉じたまま眉をひそめる。
硬い銃口は白い柔肌に食い込み、その下で力強く鼓動する心臓を、生き生きと流れゆく血潮を、ありありと感じた。
彼女はまだ若く、美しく、生命力に満ち溢れ、今という時を力強く生きている。
彼女は祈るように銃身を両手で持ち、自らの胸に当てたまま微動だにしない。
本気なんだとわかった。
彼女は本気で死ぬつもりなんだ。今夜、この城のこの部屋で。僕の手によって……
ふっくらした胸の谷間でガタガタと震える銃身を見て、ようやく気づく。
そうなっているのは、自分の手がひどく震えているからなのだと。
「な、な、なぜだっ? なぜ……」
奥歯がカチカチと鳴り、うまくしゃべれない。
この震えが寒さによるものか、恐怖によるものか、それとも別の要因があるのか、自分でもよくわからなかった。
「なぜだ? なぜ死ぬ必要がある? き、君は……なんでも持ってるじゃないか! 若くて、裕福で、貴族で、聡明で美しくて綺麗で……」
ミレーユへの賛辞なら語彙が無限に湧いてきて、そんな自分にかすかな羞恥を覚える。
「とっ、とにかく! な、な、なぜそんな真似をする? 食べればいいじゃないか、人間を。そ、それが君たち一族の慣わしなんだろ?」
ひどくなる震えを止めることもできず、精いっぱい声を張る。
「なぜだ? なぜ、死のうとする? 人間への憐れみか?」
彼女はゆっくりまぶたを開け、じっとこちらを見つめた。
「なんとでも言ってください。あなたは私を殺しに来たんでしょう? なら、どうか、ここで終わらせてください」
ひどく真摯な想いが胸を打つ。
薄闇でかすかにきらめく彼女の瞳は、真夜中に見る冬の湖みたいだと思った。引きずり込まれそうな深い濃紺色で、凍てつくほどの静けさがあって……
初めて出会ったときから、少し不思議だった。
ミレーユは年齢の割に達観しすぎている。二十歳の令嬢なら、もっとはしゃいだりふざけたり、幼稚さが目につくものだ。
その点、ミレーユは非常に大人だった。大人になりすぎていた。笑っていてもどこか寂しげな影があり、いつもあきらめにも似た、悟りきった雰囲気がついて回っていた。
たしかに彼女は純粋で素直で、可愛らしい。
だが、どこか儚さのようなものをまとっていた。
それがずっと心に引っかかっていたのだ。
今にも彼女が遠くに行ってしまうような気がして……
無視しようとしても気になってしまい、どうしても彼女から注意を逸らせなかった。
0
お気に入りに追加
206
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?



どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる