わたしが眠りについたあとで

吉桜美貴

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23. どこか儚さのようなもの

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「エドガール。なら、あなたの手で私を殺して」
 ミレーユの声はかすれたささやきになったが、はっきりエドガールの耳に届いた。
 その申し出は予想外のもので、エドガールは言葉を失う。まさか、自ら進んで乞われると思っていなかったから。
 彼女の唇から漏れる息が白く変わるのを、ただ見つめることしかできなかった。
 おもむろに、彼女は羽織っていた毛皮のショールを脱ぐ。
 パサッ、とそれは床に落ちた。
 とっさにエドガールは猟銃を構え直し、なにが起きるのかを油断なく注視する。
 ミレーユはゆっくりした動作で、ネグリジェも脱ぎはじめた。
「ミ、ミレーユ……なにを……?」
 びっくり仰天していると、ミレーユはするすると下着まで脱ぎ捨て、生まれたままの姿になった。
 素足でこちらへ向き直り、すべてをさらけ出そうとするように胸を張り、両腕をダラリと両脇に下ろす。
 その、神聖なまでの美しさに、思わず息を呑んだ。
 まるでロウのようにつるりとした肌は、薄闇で淡く発光して見えるほど白い。
 華奢な腰に比して、豊満すぎる二つの膨らみがこちらを向いていた。ぷるぷるして見るからに柔らかそうで、小さな蕾はみずみずしい薄紅色に息づいている。
 その苺のような薄紅と、雪のような肌の白との対比コントラストに、めまいがしそうだった。
 視線を下げると、みぞおちから薄っすらと一本の筋が伸び、うっとりするほど美しい臍が凹み、その下には控えめな叢が晒されている。
 顔立ちにはまだあどけなさが残るのに、もやがかかるほどエロティックな肢体に、鈍器で頭を思いきり殴られたようになった。
「……あっ……」
 喉の奥から、ため息ともうめきともつかぬ声が漏れる。
 ザワザワと体中の血がさざめき、視界は二つの乳房を捉えたまま、灼熱の蛇の如き劣情が下半身でとぐろを巻いた。
 今、それどころじゃないのに。必死で彼女がなにかを伝えようとしているのに。
 ゴクリ。
 唾を呑み込む音が、やけに大きく耳に響いた。
 すぅ、と彼女が息を吸う。
「私が死ねば、月食の聖贄宴は行われません。この儀式は私のために、一族の成人した女性のために行われるものだからです」
 ミレーユは静かに言った。
「私はどうせ死ぬ身です。だったら、犠牲が出る前に……聖贄宴の前に死にたい。そうすれば聖贄宴は中止になり、皆は無事に城を出られます。……あなたも」
 彼女は数歩こちらへ歩み寄ると、つと腕を伸ばし、突きつけられた黒い銃身を握った。
 なにをするつもりなのかわからず、されるがままになっていると、彼女は銃口を自らの乳房の間に押し当てる。
 直接肌に触れたわけじゃないのに、彼女の生々しい体温をこの手に感じた気がした。
「どうせ死ぬならせめて、死にかたは選びたい。あなたに殺されるなら、本望です。あなたになら殺されてもいい。この世界中で、あなたにだけ……」
 少し苦しそうに彼女は眉をひそめ、まぶたを伏せると視線を横に逸らす。
「あなたが……好きだから。私のことを憶えていて欲しいんです。図々しいお願いだけど……」
 ふたたび彼女はまぶたを開け、こちらをまっすぐ見て言った。
「あなたが私を殺して……私の存在を、あなたの人生に焼きつけたい。私のことを忘れないでいて欲しいんです」
 その切々とした訴えに、胸が激しく掻き乱される。めちゃくちゃに、ひどい嵐みたいに。
「あなたが好きです。エドガール。ここで私を殺して、あなたは早く逃げて」
 絞り出された彼女のささやきは、冷えきった空気を震わせた。
 そうして、彼女は眠るようにまぶたを閉じ、顎をかすかに上げる。
 さあ、撃ってくださいと言わんばかりに。
 ほっそりした美しい首筋を目に映しながら、鼓動が激しく乱れ打った。
 ……彼女を撃つ? 僕が彼女を撃ち殺すだって……?
 今、立っている床に亀裂が入り、この城もこの地もこの世界も、自分もミレーユもなにもかもが崩れ落ちていくイメージに襲われる。さっきよりめまいがひどくなり、今がいつでここがどこで、これからなにをすべきなのか、見失いそうになった。
 黒く冷えた銃身が、カタカタと震えはじめる。
 そんなこと絶対できないと思った。そんな残酷なこと、自分にできるわけがない!
「どうか、ひと思いにやってください。早く……」
 早くしてくれないと苦痛が長引くから、と彼女は目を閉じたまま眉をひそめる。
 硬い銃口は白い柔肌に食い込み、その下で力強く鼓動する心臓を、生き生きと流れゆく血潮を、ありありと感じた。
 彼女はまだ若く、美しく、生命力に満ち溢れ、今という時を力強く生きている。
 彼女は祈るように銃身を両手で持ち、自らの胸に当てたまま微動だにしない。
 本気なんだとわかった。
 彼女は本気で死ぬつもりなんだ。今夜、この城のこの部屋で。僕の手によって……
 ふっくらした胸の谷間でガタガタと震える銃身を見て、ようやく気づく。
 そうなっているのは、自分の手がひどく震えているからなのだと。
「な、な、なぜだっ? なぜ……」
 奥歯がカチカチと鳴り、うまくしゃべれない。
 この震えが寒さによるものか、恐怖によるものか、それとも別の要因があるのか、自分でもよくわからなかった。
「なぜだ? なぜ死ぬ必要がある? き、君は……なんでも持ってるじゃないか! 若くて、裕福で、貴族で、聡明で美しくて綺麗で……」
 ミレーユへの賛辞なら語彙が無限に湧いてきて、そんな自分にかすかな羞恥を覚える。
「とっ、とにかく! な、な、なぜそんな真似をする? 食べればいいじゃないか、人間を。そ、それが君たち一族の慣わしなんだろ?」
 ひどくなる震えを止めることもできず、精いっぱい声を張る。
「なぜだ? なぜ、死のうとする? 人間への憐れみか?」
 彼女はゆっくりまぶたを開け、じっとこちらを見つめた。
「なんとでも言ってください。あなたは私を殺しに来たんでしょう? なら、どうか、ここで終わらせてください」
 ひどく真摯な想いが胸を打つ。
 薄闇でかすかにきらめく彼女の瞳は、真夜中に見る冬の湖みたいだと思った。引きずり込まれそうな深い濃紺色で、凍てつくほどの静けさがあって……
 初めて出会ったときから、少し不思議だった。
 ミレーユは年齢の割に達観しすぎている。二十歳の令嬢なら、もっとはしゃいだりふざけたり、幼稚さが目につくものだ。
 その点、ミレーユは非常に大人だった。大人になりすぎていた。笑っていてもどこか寂しげな影があり、いつもあきらめにも似た、悟りきった雰囲気がついて回っていた。
 たしかに彼女は純粋で素直で、可愛らしい。
 だが、どこかはかなさのようなものをまとっていた。
 それがずっと心に引っかかっていたのだ。
 今にも彼女が遠くに行ってしまうような気がして……
 無視しようとしても気になってしまい、どうしても彼女から注意を逸らせなかった。
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