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20. 完璧で素晴らしいもの

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「祈るって?」
 ヴィクトルに聞き返され、ミレーユはわざと唖然とした表情を作った。
「信じられない。祈る内容をお教えしないといけないんですか? 狼神ラームとの対話は、自由であるはずなのに?」
 すると、ヴィクトルは少し焦ったように言う。
「いや、祈る内容までは言わなくていい。それは狼神ラームの教えに反する」
「ですよね? では、同行してくれますか? いろいろあるので犠牲者のために祈りたいんです」
 ヴィクトルはまだ疑っているのか、しばらく考え込んだのち、ようやくうなずいた。
 こうして、ヴィクトルに見張られながら礼拝堂まで歩いていき、扉を開けて中に入る。
 礼拝堂内はシンと静まり返り、人気はなかった。
 当然ながらピエールの姿もない。
「外にいますから。祈りの時間はあまり長くならないように」
 ヴィクトルはそう言い残して出ていく。
 堂内に一人残されたミレーユは、ベーッと舌を出した。
 まったく、血も涙もない冷血漢め。お祈りぐらいゆっくりさせろっての!
 とりあえず、ミレーユは祭壇の前にひざまずき、両手を組んで一心に祈った。
 神様。どうか、エドガール・ドラポルト男爵をお救いください。あの御方は人々にとって必要な人です。とても素晴らしい本を書きます。そして、誰より純粋です。どうか、彼の魂が一族の手によって汚されることがありませんように……
 聖贄宴が強行されたら、と想像するだけで身の毛のよだつ心地がする。
 エドガールが一族によって殺され、肉塊に変えられて供され、それを食べなければいけないなんて……
 ひどい絶望で胸が潰れ、怒りで喉が焼けるようになり、吐き気が込み上げた。
 慕っている人を食べなければならないなんて、これ以上の地獄がどこにあるの? そんな最悪のシナリオになったら、どうしよう……
 不安は膨らみ、焦燥に駆られ、動悸がひどくなる。
 落ち着け落ち着け落ち着け、と自らに言い聞かせた。
 震える手を抑えきれないまま、ひたすら祈りを捧げる。
 神様。エドガールは私が初めて好きになった人です。この気持ちが恋だとしたら、初恋の人なんです。初恋の人を食べるハメになるなんて……それだけはお許しください。どうか、お慈悲を。
 神様。どうか、力をください。エドガールの命を助ける知恵と力と勇気を……
 やがて、動悸と震えは治まり、静かな決意が満ちてきた。
 絶対にエドガールに手を出させはしない。
 エドガールが殺され、その血肉を食べるですって?
 そんな地獄を見るぐらいなら死んだほうがマシだ。
 このとき、天啓のようにあることが閃き、思わずパッと目を開けた。
 ……そうだ。月食の聖贄宴とは、一族の成人した女性のために開かれる儀式。
 言い換えれば、成人女性がいなければ開かれることもない。
 すべてが丸く収まる道筋がようやく見えてくる。
 希望の光のようにミレーユの行く手を照らし出す、とある行動……
 何度考え直しても、それは完璧で素晴らしいもののように思えた。
 神様……ありがとうございます!
 ここへ来て初めて明るい気持ちになれた気がする。
 よし。そうと決まれば……
 立ち上がって堂内から出ていきかけ、ピエールのことを思い出して足を止めた。
 そうだ。ピエールがなにか私に伝えたがっていたけど……
 なんだろうと考えながら、礼拝堂内をじっくり見回す。
 ピエールがいる気配はないし、あとからここへ来たとしても、ヴィクトルが門番のように見張っているから入れないだろう。
 ――探検は楽しいぞ、ミレーユ! 子供の頃を思い出すだろう?
 ピエールはそう言っていた。恐らくはなにかの暗号だと思うけど……
 子供の頃……探検……?
 いくつかのワードを頼りに、ピエールの伝えたいことを読み取ろうとした。
 ……あ、まさか。もしかしたら……
 とある考えが思い浮かび、半信半疑で祭壇に上り、しゃがみ込んでラーム像の足元を調べた。
 昔、ここでピエールと二人で宝探しごっこをやったことがある。最初にどちらかが宝の地図を隠し、もう一方がそれを見つけるんだけど、ピエールの隠し場所はいつもここ……
 予感は的中し、ラーム像の左足の下に、折りたたんだ紙片が挟まっていた。
 抜き出して開いてみると、ピエールの几帳面な文字が書かれている。

   >ドラポルトを助けるかどうかはおまえに委ねた
   >今夜、おまえが抜け出すチャンスを作ってやる
   >ノックの合図は、2-2-3だ
   >自らの喜びに従え
   >幸運を祈ってる

 ピエール……
 兄としての優しさを感じ、涙腺がじんわり熱くなる。
 昨晩のボヤ騒ぎのせいで、ミレーユの部屋に見張りがつけられるのは明白だった。
 その見張りの目をどうにかしてくれるというのだ。
 よかった……。これで、エドガールに危険を教えられる……!
 明日の夜までにこの城を脱出できれば、エドガールの身は安全だ。
 犠牲者がまた別の人間に変わることになるけど、エドガールが死ぬよりは……と思えた。
 崩れ落ちるようにひざまずき、両手を組んでピエールに感謝する。
 神様。ピエール。ありがとうございます。本当にありがとう……
 このとき、チラリと脳裏をよぎる。人間は気楽でいいよね、という嫉妬じみた思いが。
 命を殺す罪悪から目を背け、見知らぬところで屠殺された肉を、それが生きて動いていたことを考えずに食べるのだから。
 たとえば人間が一頭の牛を愛し、それに深く思い入れ、自分にとってかけがえのない存在となったとき……
 彼はその牛を食べることができるんだろうか?
 ごめんなさい。ダスブリア子爵とエドガール、どちらかを殺さねばならないのだとしたら、私は迷わずダスブリア子爵を選びます。ごめんなさい。
 神様。どうか罪深い私を、罪深い一族を、お許しください。
 どうか……
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