上 下
18 / 47

18. 対人狼用に特注したもの

しおりを挟む
 まったく、冗談じゃないぞ。こんなところで死んでたまるかよ!
 急いで自分の客室に戻ったエドガールは、猟銃の手入れに余念がなかった。
 銃身内にまんべんなくオイルを塗りつけ、真鍮のブラシで丁寧に磨いていく。
 先ほど、伯爵の執務室でされていた会話を盗み聞きしたばかりだった。
 ――予定変更だ。生贄はダスブリア子爵ではなく、ドラポルト男爵にする。
 月食の聖贄宴の生贄が、自分に変更された。
 つまり、今夜か明日の夜、人狼一族に襲撃されるのは自分というわけ。
 上等じゃないか。来るなら来いよ。この散弾で迎え撃ってやる。
 これは対人狼用に特注したもので、これを一発ブチ込めば人体ならば木っ端みじんに吹き飛ばせる威力があった。
 ドラポルト家の男は対人狼戦を想定した厳しい訓練を受ける。狙撃や剣術や格闘技のみならず、語学や物理学や医学、果ては動植物の生態や極限状態で生きのびる術まで、その守備範囲は多岐に渡った。
 幼少の頃より鍛え上げたエドガールの狙撃の腕はかなりのものだ。高速で飛行する鷹を落とすこともできるし、獣であればほぼ一撃で急所を撃ち抜けた。
 そのせいで、猟銃を偏愛するがゆえに独身で、銃殺が趣味の変人だと噂されているが。
 いくら人狼が身体能力的に優れていても、しょせんその本性は狼と変わらない。この散弾を食らえばひとたまりもないだろう。
 ――あなたが思ってる以上に、人狼ってすごく強い。本当に恐ろしいものなの。
 ミレーユはそう言っていたが、エドガールは特に恐怖も不安もなかった。
 むしろ安堵感のほうが強い。これでようやく積年の努力が少しは報われ、代々続いている因縁にひと区切りつけられる、と。
 正直、気持ちに迷いが生じていたのは事実だ。
 昔はそんなことなかった。ドラポルト家の『人命を救助し、邪悪な人狼を駆逐する』という家訓は崇高なものだし、まさに人類の理想だと憧れてやまなかった。
 世界を救う英雄は自分なのだと、心から信じていたのだ。
 しかし、大人になるにつれ、信じる心が揺らいでいった。
 目の前に捕食者がいるのに、まったく気づかない、盲目で鈍感な人々。
 真実を訴えれば訴えるほど、奇人変人のレッテルを貼られ続ける自分。
 そうして、自分を奇人変人扱いし、嘲笑する人々を守らねばならないという現実。
 人命救助と呼べば聞こえがいいが、守るべき人々に価値が見いだせないときは、どうすればいい?
 先祖のレポートにはそんなこと書いていなかった。
 奇人変人とささやかれるたび、根も葉もない噂がねつ造されるたび、人間に対する不信感は高まっていく。
 作家になってからはよりいっそうひどくなった。誰もが己の利益のために利用してやろうと近づいてくる。
 どれほど美辞麗句を並べ、謝罪や正当化を尽くしても、突き詰めればしょせん保身しか考えていない。
 誰もがハイエナのように見え、醜い奪い合いに巻き込まれるのはまっぴらごめんだった。
 いっそのこと人々がいなくなったほうがこの世界のためなんじゃないかと、真剣に首を傾げたことも少なくない。
 しかも、自分の訴えた真実に共感してくれ、魂を込めた作品を愛してくれ、初めて琴線に触れてきた女性が、人狼のミレーユなのだ。
 自分を貶める者を守り、唯一の理解者を殺さなければならない……
 本当の捕食者は、どっちだよ?
 ミレーユのほうがはるかに人間らしく見える。彼女は自らの危険をかえりみず、縁もゆかりもないダスブリア子爵の命を守ろうとしていた。
 ひさしぶりかもしれない。自己保身や安心や快楽を得るためではなく、利他的な行動をとる人間を見たのは。
 いや。正確には彼女は人間ではなく、人狼なんだが……
 本当の捕食者は、どっちなんだよ?
 だんだん人間が信じられなくなり、自分の気持ちに深刻なブレが生じていた。
 だから今回、自分が生贄になれてよかったのだ。
 襲撃されれば否応なく引き金を引くしかない。ミレーユがどうのこうの考える暇もない。
 正当防衛ならば迷うことはないはずだ。
 いつでも撃てるよう猟銃を組み立て、短剣の切れ味も確認した。
 猟銃を構え、狙いをつけてみる。ひんやりしたグリップは手によく馴染み、銃床のずっしりした重みは懐かしささえあった。
 準備万端だ。これから夜に備え、少し仮眠を取るつもりだった。
 ふと気づくと、空は曇天に覆われている。今朝はあんなに快晴だったのに……
「この分なら雪が降りそうだな……」
 独り言は、凍てついた窓ガラスを白く曇らせる。
 この城は小高い丘に建っており、窓の外には霜と氷に覆われた絶景が広がっていた。
 はるか遠くまで連綿と続く鋭い氷山はノール連峰だ。ここより北に人は住んでいないという。
 眼下には白っぽく乾いた草原が広がり、点々と集落の家が影を作っている。
 大地と氷と森と山と、自然が織りなす芸術は、悲しいほど綺麗だった。
 北の住民たちが雪と森の神である、狼神ラームを崇める気持ちが少しだけわかる。
 白くて、冷たくて、凍てつき、そして、静かだ……
 人間がどうだとか、人狼がどうだとか、本の売れ行きだとか領地の税収だとか、そんな日頃のごちゃごちゃを忘れさせてくれる。
 ……もしかしたら。
 僕はまた、騙されているのかもしれない。
 不意に、そんな悲しい予感に囚われた。
 ミレーユのことだ。僕が黒煙騎士団かもしれないという疑いを持った一族は、彼女を使って僕に近づき誘惑させ、僕に取り入って情報を引き出した。そうして、僕が黒煙騎士団という自白を取り、彼女はそれを一族に報告し、生贄をダスブリア子爵から僕に変更した……
 すべては一族の計画の一部だった可能性もある。
 ミレーユは僕に「一族から監視されている」と助けを求め、僕の味方になるフリをし、月食の聖贄宴を有利に進行するように仕向けた……
 そうかもしれない思った。その可能性は充分あると。
 じゃなければ、あんなに若くて裕福で、美しい女性が僕に想いを寄せるわけがない。
 彼女が僕の著作を読んでいたのは本当だろう。ファンだというのも恐らく嘘はない。
 だからこそ、それをうまく利用したのだ。
 ふふっ、と独りでに笑いが漏れる。
 ゲラゲラ笑い出したい狂気に駆られ、ギュッと唇を噛んでそれを堪えた。
 まんまと騙された自分が愚かすぎて。なにもかもがバカバカしく思えて。
 僕は……どこで間違えたのかな?
 正しく生きてきたつもりだった。誰のことも傷つけないよう、注意も払ってきた。
 どんなに揶揄され、あることないこと噂されても、気にせず仕事をまっとうしてきた。
 魂を削り、原稿を書いてきた。領地を治めるのも、優秀とは言えないかもしれないが、少なくとも領民第一に考えてきた。
 人類の幸せのために厳しい訓練に耐え、熱心にレポートを熟読し、研究も怠らなかったのだ。
 自分なりに誠実であるよう、努めてきたつもりだ。
 その結果、どうなった?
 僕は幸せになったんだろうか?
 ならば、この胸にポッカリ穴の空いたような虚しさはなんだろう?
 大事な部分が満たされることなく、僕はもう中年を迎えようとしている。
 かつて憧れた英雄も、今はもうその輝きを失っていた。
 カッコよく悪人を成敗する英雄になるはずが、そもそも悪人とはなんだ? という疑問が立ちはだかり、前に進めないでいる。
 ……倒すべき悪人など、本当はいないんじゃないか? この世界のどこにも。
 そんな疑惑が暗雲のように心を覆い、晴らすことができないのだ。
 人狼すなわち悪人だと信じ込んでいた、無知な自分が懐かしかった。
 深く、暗い混迷に陥った今、ミレーユの存在がひと筋の光だったのに。
 ……だが、そろそろお別れの時間だ。
 襲撃があり次第、僕は迷わず奴らを迎撃し、すぐに城を脱出しよう。
 ギヨームにそう指示し、もう準備は整えてある。
 ミレーユ。悪いがやはり、僕と君の人生はどうしても相容れない。
 今夜、誰が僕の部屋に来ても、僕は引き金を引くよ。
 君とはもっと別の形で出会えていればよかったのに。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

貞操観念逆転世界におけるニートの日常

猫丸
恋愛
男女比1:100。 女性の価値が著しく低下した世界へやってきた【大鳥奏】という一人の少年。 夢のような世界で彼が望んだのは、ラブコメでも、ハーレムでもなく、男の希少性を利用した引き籠り生活だった。 ネトゲは楽しいし、一人は気楽だし、学校行かなくてもいいとか最高だし。 しかし、男女の比率が大きく偏った逆転世界は、そんな彼を放っておくはずもなく…… 『カナデさんってもしかして男なんじゃ……?』 『ないでしょw』 『ないと思うけど……え、マジ?』 これは貞操観念逆転世界にやってきた大鳥奏という少年が世界との関わりを断ち自宅からほとんど出ない物語。 貞操観念逆転世界のハーレム主人公を拒んだ一人のネットゲーマーの引き籠り譚である。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

二度目の勇者の美醜逆転世界ハーレムルート

猫丸
恋愛
全人類の悲願である魔王討伐を果たした地球の勇者。 彼を待っていたのは富でも名誉でもなく、ただ使い捨てられたという現実と別の次元への強制転移だった。 地球でもなく、勇者として召喚された世界でもない世界。 そこは美醜の価値観が逆転した歪な世界だった。 そうして少年と少女は出会い―――物語は始まる。 他のサイトでも投稿しているものに手を加えたものになります。

処理中です...