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4. 通過儀礼みたいなもの

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 ――月食の聖贄宴。
 代々のシャロワ伯が開催する、特別な晩餐会はいつしかそう名付けられたという。
「これはね、ミレーユ。すべておまえのためだけに開かれる、特別な夜会なんだよ」
 フィリップ・ド・シャロワ伯爵は、白い顎ひげを撫でながらそう言った。
「もし、招待したい人がいるなら言いなさい。どんな人間だろうが呼んでいい」
 私のためだけに開かれる、月食の聖贄宴……
 ミレーユは心の中で反芻はんすうする。
 その夏の終わり、伯爵の居城であるバンデネージュ城内の小さなサロンで、ミレーユは伯爵とともにソファでくつろぎながら、説明を受けていた。
 ミレーユは父と兄と三人で、ここより南の伯爵領内にあるマナーハウスに住んでいる。
 年末に開催される、月食の聖贄宴について打ち合わせするため、一族たちは皆、全国からこのバンデネージュ城に集まっていた。
 月食の聖贄宴については、ミレーユも亡き母親から少しだけ聞いていた。
 とはいえ、ミレーユはまだ小さかったから、深い意味まで推測できなかったけれど。
 成人したシャロワ一族の女性に、必要な儀式。
 種族生存のためにシャロワ一族がひねり出した、苦肉の策とでも呼べるもの。
 ミレーユは今年、成人した。
 ずばり教えてくれる人はいなかったけど、幼少期から断片的にいろいろ聞かされ、二十歳になる頃には聖贄宴でなにが行われるのか……大体の察しはついていた。
 そして今、伯爵も、ミレーユが真相を察している前提で話をしている。
「おまえが罪悪感を抱く必要はない。考えてもみなさい。人間だって、獣だって、虫だって、生きるために他の生物を殺している。そうだね? どこまでが許され、どこまでが許されないと、いったい誰が線引きできるんだ? 私の言っていることがわかるね?」
 シャロワ伯爵は、小さな子に言い聞かせるような口調だ。
「この饗宴のためだけに、一族は相当な資産をつぎ込む。それこそ伯爵家の屋台骨やたいぼねが傾きかねない、莫大な金額だ。我々は代々、それ相応の対価は払い続け、誠意は尽くしているんだよ」
 伯爵のげんは、どうも言い訳じみて聞こえてしまう。
 大金を払っているんだから、なにをしてもいいという傲慢ごうまんな暴論に……
 こちらの疑念を察したのか、伯爵はさらに自らの正当性を並べた。
「それに、古い盟約もある。戦乱の時代にギルディア国王と我々一族が結んだ、古き盟約がね。今はもう形としては残っていないが、代々しっかり口承こうしょうされているんだよ」
 その話は初めて聞いた。
「それは、相互不可侵の約束ということですか? 国王も我々を攻撃しない。我々も王国民を攻撃しない……」
 質問すると、そのとおりと伯爵はうなずき、話を続けた。
「その代わり、聖贄宴だけは存続を許してもらうというものだ。ギルディアの民と我々が共存していくためにね。だから、この件はすでに決着がついているんだよ」
 決着がついていると言われても、この国で生まれ育ち、住人たちとなじんできたミレーユにとって、胸中が複雑なのに変わりはない。
「招待客は、今の法律では絶対に裁けない、クズどもだよ」
 そう吐き捨てた瞬間、伯爵のしわだらけの顔が、恐ろしく歪んだ。
「何年も掛けて一族総出で調査し、選びに選んだ者たちだ。この世界に、彼らの死を願っている人間がいる。会場はテールブランシェの最北にある、グラスドノール城で行われる。人里離れた山奥の古城だよ。あそこなら誰も寄りつかないからな」
 伯爵は眉をひそめ、さらに険しい表情を作った。
「だがね、ミレーユ。我々にあだなす勢力もいる。ギルディア国王との盟約を無視し、我が一族を滅ぼそうとする、不逞ふていやからがね」
「その話は私も少しだけ聞いたことがあります」
 伯爵はうなずく。
「我々が存在を知られないよう潜伏しているのと同じように、奴らもまた尻尾を掴まれないようこの社会に身を潜めている。だが、過去に一族が変死した事件がいくつもあってね。我々は奴らの仕業だろうと踏んでいるんだ」
 一族の変死事件……
 詳細は知らない。けど、謎の事故死や無残に殺された者がいることは聞き及んでいた。
「黒煙騎士団。我々はそう呼んでいる。煙のように現れ、一族を葬り去り、煙のように去っていく。奴らは我々をただの害獣か、畜生にも劣る存在だとみなしている。だから、容赦なく首をね、罪の意識など微塵みじんもない。人間が鶏をしめるのと同じようにね」
 正直、黒煙騎士団は怖かった。
 人間扱いされないということは、どんな残酷なことをされるかわからないということ。
 すると、伯爵はひどく優しい表情になり、親指でミレーユの頬を撫でた。
「まあ、我々のほうが強いから大丈夫だ。それより、ミレーユ。体調はどうだ? ずっと貧血の症状を抱えているのは、辛かろう?」
 その質問には、首を横に振る。
「いいえ、お爺様。私はこれで慣れてますから、特段辛いことはありません」
「そうか。だが、力が出ない感覚はあるだろう? 常にエネルギーが枯渇しているような感覚だよ」
 それはそのとおりだった。けど、肯定するのもはばかられ、黙り込む。
 伯爵は穏やかな調子で話を続けた。
「これは通過儀礼みたいなものなんだ。人間社会だって成長の節目に式があるだろう?」
「通過儀礼……ですか?」
「そう。だから、そのときの内心がどうであれ、超えるだけでいい。意味だとか意義だとか罪だとか難しいことは考えず、先祖代々の慣習に従ってくれないか」
「慣習に抗うつもりはありません。聖贄宴にはもちろん参加します。準備も手伝いますし、一族のためにうまくいくよう、努力するつもりです」
「だが、おまえは内心、聖贄宴を快く思っていないな?」
 たぶん透けているんだろうと思い、正直に言った。
「はい。ですが、それは仕方ないことです」
「私はね、ミレーユ。おまえのことを心から不憫ふびんに思っている。おまえの母、ジャンヌの身になにが起きたのか、よく憶えているだろう? おまえにジャンヌと同じてつを踏ませたくないんだ」
 伯爵は、亡母と同じ紺青色の瞳で、心配そうにのぞきこんだ。
「我々一族はおまえたちに対し、常に申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ」
「そんな風に思う必要はないです。私はお父様にもお母様にも愛されて育ちましたし、なに不自由ない生活に感謝こそすれ、恨みに思ったことなんてないですから」
「ミレーユ……」
 言葉を詰まらせ、伯爵はまぶたを閉じ、しばし黙り込んだ。
 嗚咽おえつを堪えているんだろうか。けど、伯爵が泣く理由もないと思った。
 周りが思っている以上に、ミレーユはミレーユなりに自分の運命を受け入れている。
 聖贄宴はその覚悟を揺るがすから、嫌だった。
 せっかくあきらめて受け入れたのに、妙な希望を与えられるほうが残酷だと思うのは、何度目だろう?
「せめて、この老体に最後の仕事をさせておくれ。おまえが喜んでくれるよう、聖贄宴を盛大なものにしたいんだ」
 しんみりした空気は苦手だ。どうせ救いがないのなら、せめて笑って明るく過ごしたい。
「どんな人間でも呼んでいいとおっしゃいましたが、面識のないかたでもいいですか?」
 そう問うと、伯爵はうなずいた。
「もちろんじゃ。見知らぬ人物だろうが、有名な人物だろうが、必ず探し出して招待するよ」
「でしたら、一人だけ呼んで頂きたい人がいます」
 すると、伯爵は「ほう」と興味深そうに目を見開く。
 少し気恥ずかしい気持ちで、その名を告げた。
「呼んで頂きたいのは、あの……エドガール。エドガール・ドラポルト男爵です」
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