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1. それはもうひどいもの

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 エドガール・ドラポルト男爵の評判は、それはもうひどいものだった。
 奇人、変人、非常識、偏屈へんくつ頑固がんこ。女嫌いどころか、人間嫌いの引きこもり。近づく者は皆、めった切りにされるゆえ、関わらないほうが吉。
 その奇癖きへきや奇行は数え上げたらキリがなく、魔術書や学術書ばかり読みあさり、昼に眠り夜に活動するのだという。
 他にも、独身なのは女性より猟銃りょうじゅう偏愛へんあいしているからだとか、銃殺した死体が庭に埋まっているのだとか、その正体はヴァンパイアだとか、かなり真偽のあやしい噂まである。
 エドガールに関する悪評を思い返し、ミレーユ・ド・シャロワは気の毒に思った。
 たしかに彼は今、この晩餐ばんさん会場で一人ポツンと浮いている。浮きすぎていると言ってもいい。
 窓辺にたたずむ彼を中心に数歩ほどの空間が綺麗に空き、招待客たちはそこへ踏み込もうとしなかった。
 招待客たちの間で、「ドラポルト男爵には近づくべからず」という暗黙の了解があり、エドガール自身もそのことを重々承知し、我関せずという態度を貫いているようだ。
 まさにこれが壁の花……。あっ、違うか。花っていうのは女性に対して使う言葉だから、男性はなんて言うんだろ? ……壁の草木とか?
 ミレーユはそんなことをつらつら考えながらも、初めて見る彼から目を逸らせない。
 エドガールの悪評にはこんな続きがあった。
 史上まれに見る、とんでもない変わり者。見事なまでに褒めるところが一つもない……ただし、容姿を除いて。
 ただし、容姿を除いて。
 今年三十歳になるというエドガールは、印象深い美貌の持ち主だった。
 ひょろりと痩せ、人混みから頭一つ抜き出る長身で、ダークブラウンの髪を洒落たスタイルに撫でつけ、いかにも伊達者という感じがする。流行りの高襟のシャツに、まばゆいリネンのクラヴァットを巻き、上質な仕立てのフロックを羽織っていた。
 ウールのぴったりしたズボンの上からでも、引き締まった太腿が見て取れる。
 そういえば、彼は大の狩猟好きだそうで、乗馬と射撃の腕は相当なものらしい。
 整った眉はひそめられ、人を食ったような垂れ目がちで、高慢そうな鼻梁びりょうは高く、薄い唇は皮肉っぽく歪んでいる。愛想よく微笑めば、爽やかな絶世の美男子ともてはやされるだろうに、さらさらそんな気はなさそうだった。
 人間嫌いどころか、この世のすべてが憎くて憎くてしょうがないといった風情ふぜいだ。
 こちらの熱心な視線に気づいたのか、エドガールはふと顔を上げ、ミレーユのほうを見た。
 あっ……
 あまりじろじろながめるのは失礼だし、淑女にあるまじき行為だとわかっている。
 けど、不思議と引き込まれてしまい、どうしてもエドガールから視線を引き剥がせなかった。
 今、目を逸らせば大丈夫だ、とミレーユは思う。
 今すぐ逸らせば不自然じゃない。人いきれにぼんやりしていたら、たまたま見知らぬ紳士と目が合い、ほんの数秒見つめただけという言い訳が立つ。あちらから不審がられることはないし、こういう夜会でよくありがちな、一瞬視線が交差しただけの、面識のない無関係な男女として生きていくだけだ。
 今すぐ目を逸らせば。今すぐ……すぐに……
 そのことはよくわかっていたのに、ミレーユはなおもエドガールを見つめ続けた。
 まるで魔法に掛けられたみたく、視線が彼に縛りつけられ、どうやっても動かせない。
 まずい、どうしよう、早く、と頭の中は騒いでいるのに、身じろぎもできずにいた。
 最初はいぶかしそうだったエドガールは、しばらくこちらを見つめたのち、ゆっくりとまばたきをする。
 次にまぶたが開けられたとき、その瞳にはありありと軽蔑の色が浮かんでいた。
 身体の中がひやりと冷たくなり、もう時間切れなんだと思い知る。
 見知らぬ男女が視線を合わせていい、常識的な時間の限界を超えたのだ。
 それ以上は不躾ぶしつけであり、恥知らずであり、下手したら淫乱女と思われてもおかしくない。
 こうなったらもう仕方がない、と覚悟を決めた。
 どうやって誤魔化そうか、お世辞を並べればいいかなどと、あれこれ考えながら彼に向かって足を踏み出す。
 一歩ずつ、彼に近づいていく間も、目を逸らすことはできなかった。
 負けじとエドガールの眼差しも不躾なものに変わり、好奇心も露わにじろじろ眺め回され、サテンのドレスの下の肌がかすかに熱を帯びる。
 ついに目と鼻の先のところに立ち、ミレーユはドレスのすそをつまんで引き上げ、儀礼的かつ貴族的な挨拶を述べ、この晩餐会を開いたホストの令嬢として、そつのない対応をしてみせた。
 意外にもエドガールは礼儀正しい挨拶を返してくる。
 貴族として申し分のない彼の振る舞いに、「非常識」のレッテルはそぐわないと内心思った。
 彼のあの悪評は、噂に尾ひれがついているだけなのかもしれない。
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