1 / 47
1. それはもうひどいもの
しおりを挟む
エドガール・ドラポルト男爵の評判は、それはもうひどいものだった。
奇人、変人、非常識、偏屈、頑固。女嫌いどころか、人間嫌いの引きこもり。近づく者は皆、めった切りにされるゆえ、関わらないほうが吉。
その奇癖や奇行は数え上げたらキリがなく、魔術書や学術書ばかり読みあさり、昼に眠り夜に活動するのだという。
他にも、独身なのは女性より猟銃を偏愛しているからだとか、銃殺した死体が庭に埋まっているのだとか、その正体はヴァンパイアだとか、かなり真偽のあやしい噂まである。
エドガールに関する悪評を思い返し、ミレーユ・ド・シャロワは気の毒に思った。
たしかに彼は今、この晩餐会場で一人ポツンと浮いている。浮きすぎていると言ってもいい。
窓辺にたたずむ彼を中心に数歩ほどの空間が綺麗に空き、招待客たちはそこへ踏み込もうとしなかった。
招待客たちの間で、「ドラポルト男爵には近づくべからず」という暗黙の了解があり、エドガール自身もそのことを重々承知し、我関せずという態度を貫いているようだ。
まさにこれが壁の花……。あっ、違うか。花っていうのは女性に対して使う言葉だから、男性はなんて言うんだろ? ……壁の草木とか?
ミレーユはそんなことをつらつら考えながらも、初めて見る彼から目を逸らせない。
エドガールの悪評にはこんな続きがあった。
史上まれに見る、とんでもない変わり者。見事なまでに褒めるところが一つもない……ただし、容姿を除いて。
ただし、容姿を除いて。
今年三十歳になるというエドガールは、印象深い美貌の持ち主だった。
ひょろりと痩せ、人混みから頭一つ抜き出る長身で、ダークブラウンの髪を洒落たスタイルに撫でつけ、いかにも伊達者という感じがする。流行りの高襟のシャツに、まばゆいリネンのクラヴァットを巻き、上質な仕立てのフロックを羽織っていた。
ウールのぴったりしたズボンの上からでも、引き締まった太腿が見て取れる。
そういえば、彼は大の狩猟好きだそうで、乗馬と射撃の腕は相当なものらしい。
整った眉はひそめられ、人を食ったような垂れ目がちで、高慢そうな鼻梁は高く、薄い唇は皮肉っぽく歪んでいる。愛想よく微笑めば、爽やかな絶世の美男子ともてはやされるだろうに、さらさらそんな気はなさそうだった。
人間嫌いどころか、この世のすべてが憎くて憎くてしょうがないといった風情だ。
こちらの熱心な視線に気づいたのか、エドガールはふと顔を上げ、ミレーユのほうを見た。
あっ……
あまりじろじろ眺めるのは失礼だし、淑女にあるまじき行為だとわかっている。
けど、不思議と引き込まれてしまい、どうしてもエドガールから視線を引き剥がせなかった。
今、目を逸らせば大丈夫だ、とミレーユは思う。
今すぐ逸らせば不自然じゃない。人いきれにぼんやりしていたら、たまたま見知らぬ紳士と目が合い、ほんの数秒見つめただけという言い訳が立つ。あちらから不審がられることはないし、こういう夜会でよくありがちな、一瞬視線が交差しただけの、面識のない無関係な男女として生きていくだけだ。
今すぐ目を逸らせば。今すぐ……すぐに……
そのことはよくわかっていたのに、ミレーユはなおもエドガールを見つめ続けた。
まるで魔法に掛けられたみたく、視線が彼に縛りつけられ、どうやっても動かせない。
まずい、どうしよう、早く、と頭の中は騒いでいるのに、身じろぎもできずにいた。
最初は訝しそうだったエドガールは、しばらくこちらを見つめたのち、ゆっくりとまばたきをする。
次にまぶたが開けられたとき、その瞳にはありありと軽蔑の色が浮かんでいた。
身体の中がひやりと冷たくなり、もう時間切れなんだと思い知る。
見知らぬ男女が視線を合わせていい、常識的な時間の限界を超えたのだ。
それ以上は不躾であり、恥知らずであり、下手したら淫乱女と思われてもおかしくない。
こうなったらもう仕方がない、と覚悟を決めた。
どうやって誤魔化そうか、お世辞を並べればいいかなどと、あれこれ考えながら彼に向かって足を踏み出す。
一歩ずつ、彼に近づいていく間も、目を逸らすことはできなかった。
負けじとエドガールの眼差しも不躾なものに変わり、好奇心も露わにじろじろ眺め回され、サテンのドレスの下の肌がかすかに熱を帯びる。
ついに目と鼻の先のところに立ち、ミレーユはドレスの裾をつまんで引き上げ、儀礼的かつ貴族的な挨拶を述べ、この晩餐会を開いたホストの令嬢として、そつのない対応をしてみせた。
意外にもエドガールは礼儀正しい挨拶を返してくる。
貴族として申し分のない彼の振る舞いに、「非常識」のレッテルはそぐわないと内心思った。
彼のあの悪評は、噂に尾ひれがついているだけなのかもしれない。
奇人、変人、非常識、偏屈、頑固。女嫌いどころか、人間嫌いの引きこもり。近づく者は皆、めった切りにされるゆえ、関わらないほうが吉。
その奇癖や奇行は数え上げたらキリがなく、魔術書や学術書ばかり読みあさり、昼に眠り夜に活動するのだという。
他にも、独身なのは女性より猟銃を偏愛しているからだとか、銃殺した死体が庭に埋まっているのだとか、その正体はヴァンパイアだとか、かなり真偽のあやしい噂まである。
エドガールに関する悪評を思い返し、ミレーユ・ド・シャロワは気の毒に思った。
たしかに彼は今、この晩餐会場で一人ポツンと浮いている。浮きすぎていると言ってもいい。
窓辺にたたずむ彼を中心に数歩ほどの空間が綺麗に空き、招待客たちはそこへ踏み込もうとしなかった。
招待客たちの間で、「ドラポルト男爵には近づくべからず」という暗黙の了解があり、エドガール自身もそのことを重々承知し、我関せずという態度を貫いているようだ。
まさにこれが壁の花……。あっ、違うか。花っていうのは女性に対して使う言葉だから、男性はなんて言うんだろ? ……壁の草木とか?
ミレーユはそんなことをつらつら考えながらも、初めて見る彼から目を逸らせない。
エドガールの悪評にはこんな続きがあった。
史上まれに見る、とんでもない変わり者。見事なまでに褒めるところが一つもない……ただし、容姿を除いて。
ただし、容姿を除いて。
今年三十歳になるというエドガールは、印象深い美貌の持ち主だった。
ひょろりと痩せ、人混みから頭一つ抜き出る長身で、ダークブラウンの髪を洒落たスタイルに撫でつけ、いかにも伊達者という感じがする。流行りの高襟のシャツに、まばゆいリネンのクラヴァットを巻き、上質な仕立てのフロックを羽織っていた。
ウールのぴったりしたズボンの上からでも、引き締まった太腿が見て取れる。
そういえば、彼は大の狩猟好きだそうで、乗馬と射撃の腕は相当なものらしい。
整った眉はひそめられ、人を食ったような垂れ目がちで、高慢そうな鼻梁は高く、薄い唇は皮肉っぽく歪んでいる。愛想よく微笑めば、爽やかな絶世の美男子ともてはやされるだろうに、さらさらそんな気はなさそうだった。
人間嫌いどころか、この世のすべてが憎くて憎くてしょうがないといった風情だ。
こちらの熱心な視線に気づいたのか、エドガールはふと顔を上げ、ミレーユのほうを見た。
あっ……
あまりじろじろ眺めるのは失礼だし、淑女にあるまじき行為だとわかっている。
けど、不思議と引き込まれてしまい、どうしてもエドガールから視線を引き剥がせなかった。
今、目を逸らせば大丈夫だ、とミレーユは思う。
今すぐ逸らせば不自然じゃない。人いきれにぼんやりしていたら、たまたま見知らぬ紳士と目が合い、ほんの数秒見つめただけという言い訳が立つ。あちらから不審がられることはないし、こういう夜会でよくありがちな、一瞬視線が交差しただけの、面識のない無関係な男女として生きていくだけだ。
今すぐ目を逸らせば。今すぐ……すぐに……
そのことはよくわかっていたのに、ミレーユはなおもエドガールを見つめ続けた。
まるで魔法に掛けられたみたく、視線が彼に縛りつけられ、どうやっても動かせない。
まずい、どうしよう、早く、と頭の中は騒いでいるのに、身じろぎもできずにいた。
最初は訝しそうだったエドガールは、しばらくこちらを見つめたのち、ゆっくりとまばたきをする。
次にまぶたが開けられたとき、その瞳にはありありと軽蔑の色が浮かんでいた。
身体の中がひやりと冷たくなり、もう時間切れなんだと思い知る。
見知らぬ男女が視線を合わせていい、常識的な時間の限界を超えたのだ。
それ以上は不躾であり、恥知らずであり、下手したら淫乱女と思われてもおかしくない。
こうなったらもう仕方がない、と覚悟を決めた。
どうやって誤魔化そうか、お世辞を並べればいいかなどと、あれこれ考えながら彼に向かって足を踏み出す。
一歩ずつ、彼に近づいていく間も、目を逸らすことはできなかった。
負けじとエドガールの眼差しも不躾なものに変わり、好奇心も露わにじろじろ眺め回され、サテンのドレスの下の肌がかすかに熱を帯びる。
ついに目と鼻の先のところに立ち、ミレーユはドレスの裾をつまんで引き上げ、儀礼的かつ貴族的な挨拶を述べ、この晩餐会を開いたホストの令嬢として、そつのない対応をしてみせた。
意外にもエドガールは礼儀正しい挨拶を返してくる。
貴族として申し分のない彼の振る舞いに、「非常識」のレッテルはそぐわないと内心思った。
彼のあの悪評は、噂に尾ひれがついているだけなのかもしれない。
0
お気に入りに追加
203
あなたにおすすめの小説
異世界転移したら、推しのガチムチ騎士団長様の性癖が止まりません
冬見 六花
恋愛
旧題:ロングヘア=美人の世界にショートカットの私が転移したら推しのガチムチ騎士団長様の性癖が開花した件
異世界転移したアユミが行き着いた世界は、ロングヘアが美人とされている世界だった。
ショートカットのために醜女&珍獣扱いされたアユミを助けてくれたのはガチムチの騎士団長のウィルフレッド。
「…え、ちょっと待って。騎士団長めちゃくちゃドタイプなんですけど!」
でもこの世界ではとんでもないほどのブスの私を好きになってくれるわけない…。
それならイケメン騎士団長様の推し活に専念しますか!
―――――【筋肉フェチの推し活充女アユミ × アユミが現れて突如として自分の性癖が目覚めてしまったガチムチ騎士団長様】
そんな2人の山なし谷なしイチャイチャエッチラブコメ。
●ムーンライトノベルズで掲載していたものをより糖度高めに改稿してます。
●11/6本編完結しました。番外編はゆっくり投稿します。
●11/12番外編もすべて完結しました!
●ノーチェブックス様より書籍化します!
【R18】転生聖女は四人の賢者に熱い魔力を注がれる【完結】
阿佐夜つ希
恋愛
『貴女には、これから我々四人の賢者とセックスしていただきます』――。
三十路のフリーター・篠永雛莉(しのながひなり)は自宅で酒を呷って倒れた直後、真っ裸の美女の姿でイケメン四人に囲まれていた。
雛莉を聖女と呼ぶ男たちいわく、世界を救うためには聖女の体に魔力を注がなければならないらしい。その方法が【儀式】と名を冠せられたセックスなのだという。
今まさに魔獸の被害に苦しむ人々を救うため――。人命が懸かっているなら四の五の言っていられない。雛莉が四人の賢者との【儀式】を了承する一方で、賢者の一部は聖女を抱くことに抵抗を抱いている様子で――?
◇◇◆◇◇
イケメン四人に溺愛される異世界逆ハーレムです。
タイプの違う四人に愛される様を、どうぞお楽しみください。(毎日更新)
※性描写がある話にはサブタイトルに【☆】を、残酷な表現がある話には【■】を付けてあります。
それぞれの該当話の冒頭にも注意書きをさせて頂いております。
※ムーンライトノベルズ、Nolaノベルにも投稿しています。
異世界の学園で愛され姫として王子たちから(性的に)溺愛されました
空廻ロジカ
恋愛
「あぁ、イケメンたちに愛されて、蕩けるようなエッチがしたいよぉ……っ!」
――櫟《いちい》亜莉紗《ありさ》・18歳。TL《ティーンズラブ》コミックを愛好する彼女が好むのは、逆ハーレムと言われるジャンル。
今夜もTLコミックを読んではひとりエッチに励んでいた亜莉紗がイッた、その瞬間。窓の外で流星群が降り注ぎ、視界が真っ白に染まって……
気が付いたらイケメン王子と裸で同衾してるって、どういうこと? さらに三人のタイプの違うイケメンが現れて、亜莉紗を「姫」と呼び、愛を捧げてきて……!?
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。
猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。
『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』
一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
[R18] 18禁ゲームの世界に御招待! 王子とヤらなきゃゲームが進まない。そんなのお断りします。
ピエール
恋愛
R18 がっつりエロです。ご注意下さい
えーー!!
転生したら、いきなり推しと リアルセッ○スの真っ最中!!!
ここって、もしかしたら???
18禁PCゲーム ラブキャッスル[愛と欲望の宮廷]の世界
私って悪役令嬢のカトリーヌに転生しちゃってるの???
カトリーヌって•••、あの、淫乱の•••
マズイ、非常にマズイ、貞操の危機だ!!!
私、確か、彼氏とドライブ中に事故に遭い••••
異世界転生って事は、絶対彼氏も転生しているはず!
だって[ラノベ]ではそれがお約束!
彼を探して、一緒に こんな世界から逃げ出してやる!
カトリーヌの身体に、男達のイヤラシイ魔の手が伸びる。
果たして、主人公は、数々のエロイベントを乗り切る事が出来るのか?
ゲームはエンディングを迎える事が出来るのか?
そして、彼氏の行方は•••
攻略対象別 オムニバスエロです。
完結しておりますので最後までお楽しみいただけます。
(攻略対象に変態もいます。ご注意下さい)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる