妻が小説で俺の不倫を暴露する件について

環 花奈江

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2章

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「名前負けしてるって、残念に思ったんじゃありませんか?」

 初めて顔を会わせたロサンゼルスのカフェで、彼女は心配そうな顔で尋ねてきたものだ。
 彼女の名前は藤原紀香といったのだ。この名前を聞いた日本人なら、ほぼ間違いなくあの美人女優の顔を思い浮かべる。
 なのに目の前に座っている彼女は、ぽっちゃり体形でだんごっ鼻なへちゃむくれ……つまり元祖紀香とは似ても似つかぬブサイクだったのだ。
 もちろん俺も彼女の名前を聞いた瞬間は驚いたが、それでも思ったままを口に出すほど馬鹿じゃなかった。

「そんなことない。笑い方とか、愛嬌があって、とっても可愛い人だと思ったよ。むしろ今までSNSに載せてた文章のほんわかしたイメージと近くてほっとしたくらい」

 俺が適当な言葉で褒めると、彼女は初心うぶな少女のように頬を赤く染めてしまった。

「そんなこと……」
「何で? 旦那さんとかには、可愛いってよく言われてるでしょ」
「それは全然無いですよ。あの人、照れ屋っていうか、そういうところ淡白な人だから」
「またまた。こんな遠いところまで連れてきちゃうくらいだから、旦那さんは紀香さんの事可愛がってるんだよ」
「そう……だといいんですけど」
「紀香さんだって、縁談が上がった直後に決まった海外赴任で、それでも結婚してついてくるくらい旦那さんのことが好きでたまらないんじゃないの?」

 すでにSNSでお互いの身の上なんかは語り合っていたから話は早い。
 しかし、彼女は困ったように首を横に振るのだ。

「30過ぎて、早く嫁に行けって周りから言われて、結婚相談所で知り合った人と慌てて結婚しただけだから、あんまりそういう感情もなくて。海外赴任についてきたのも、それくらいはしないと結婚してもらえないんじゃないかっていう危機感だけで」
「ふうん。でも結婚したら藤原紀香になっちゃうじゃん? いや、うちのカミさんなんて『あなたと結婚すると高橋瑠美子になるのがヤダ』って、散々ごねてたからさ」
「そうなんですか? 私はそんな贅沢言ってる場合じゃなかったんで。とにかく早く結婚したくて」

 望んでいるのは人並みな幸せ。平凡な主婦でありたいのだと、彼女は言った。

「じゃあ、この先俺に会うのはまずいなぁ」
「え?」
「だって俺、今から紀香さんを口説こうと思ってたからさ」

 俺が笑うと、彼女は茹蛸も驚くくらいに首筋まで真っ赤に染めてしまったのだった。

 それから彼女と深い仲になるまで時間はかからなかった。
 紀香は駐在員の妻という立場でビザを取得していたからアメリカでは仕事ができなくて、それだから俺以上に暇を持て余していたし、特別愛し合っていたわけでもない夫を裏切ることについては垣根も低かった。
 密会するのはいつも彼女の自宅。SNSに『今日も旦那様はお仕事です』と紀香の書き込みがあるのを見て、俺が訪ねる形。食品メーカーのマーケティング担当という比較的外回りの多い自由な身の上を生かして、昼下がりの情事と洒落こんだのだ。

「紀香、可愛い」
「ひゃっ」
「おっぱいも柔らかくて最高」

 太めな体型と残念な容姿のせいで、紀香は夫からも蔑んだ目で見られていたようだ。劣等感の塊だった彼女は男に可愛がられる喜びというものを覚えると、すぐさま俺に夢中になった。
 そして秘密の関係は、三年間の俺の任期が切れてアメリカを離れるまで続き、本当はそれっきりで終わるはずだったのだが、今からちょうど三年前、俺たちは街で偶然再会したのだ。

「あら……」
「おう……」

 昼飯を食いに俺が本社ビルから出てきた時にばったりと。聞けば彼女も夫の転勤で最近日本へ戻っており、今は事務の仕事をしているのだという。

「職場がこの近くなんです。だからまた今度ゆっくり会ってくださいよ」

 そうやってスーツ姿の紀香に誘われて以来、俺たちは再び関係を持っている。

「私、勝典さんのことがあれからずっと忘れられなくて」

 紀香が俺の胸にしがみつきながら、可愛いことを言うからだ。

「勝典さんに抱かれないと、満足できないんです」
「ダンナじゃダメってこと?」
「……はい、勝典さんがいいんです」

 そこまで言われちゃ、俺だって気持ちが動く。
 絶対数の少なかったアメリカと違って日本じゃ女は選び放題、もっと可愛い子を引っかけたい気持ちもあるにはあったが、紀香の一途さに惹かれて付き合い続けている。
 そうだよな、こんなエロい体にしちゃったのは俺だからな。責任取らないと。
 俺無しでいられない紀香は、会うのが二週連続でも三か月のブランクができても文句は言わない。今度の連休は沖縄行こうぜ、と俺が何気なく言っただけで、必死に自分のスケジュールを調整してくれる。
 いわゆる都合のいい女。
 今日の会食みたいに女同伴で遊びたい時の相手がいるのは俺としても助かる。瑠美子や歩と一緒にいるだけじゃ満たされない俺のプライベート部分を充実させてくれるのだから、これでも紀香のことは大切にしているのだ。

「紀香はカワイイな」
「はぁ……ぁ! あぁんん。だ、だめ、そんなに……」
「いーよ、もっと乱れろって。紀香のイキ顔、最高」

 俺が並べる軽薄な言葉に、彼女は腹周りのたるんだ肉を揺らし、みっともないほどの劣情を露わにする。
 一人の女をこれほどまでにめちゃくちゃにかき乱している―――この感触が、俺にはたまらなく心地いい。

 こういう楽しみを、忘れたくないんだよな。
 俺は紀香のふくよかな体を抱きしめながら強く思う。
 瑠美子に満足していない訳じゃなくて、これは全く別ジャンルの代物なだけ。
 妻からは得られない満足感を与えてくれるこの火遊びは、俺にとって必要不可欠なものなのだ。
 大丈夫、俺は瑠美子の夫としてやるべきことをきちんとこなしているのだから、責められる謂われはない。
 あんないい加減な小説の一つや二つで、この楽しみを放棄できるかってんだ。
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