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4章
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「思うに、ふうはお前さんから何か心を動かされるようなことを感じたのではないか?」
「それは……」
猫の指摘には思い当たることがある。
慎之介は視線を足元にそっと落とした。
「……俺は去年、妻を亡くした。難産の末、腹の中の赤子と共に、逝ってしまった」
子が生まれるという期待に満ちた幸せな日々から、一転しての絶望。あの時の喪失感は、思い出すだけでも胸が苦しくなる。慎之介は語りながらもいつしか唇を強く噛んでいた。
「妻はよく笑う明るい女だった。あれが死んで、俺には何の楽しみも無くなった。姉や同役らが気遣ってくれるのは分かるのだが、全てが億劫になってしまってな。ふうは、そんな俺を慰めてくれようとしたのやもしれぬ」
あの時凍えていたのは、ふうばかりではなかった。慎之介の心も冷え切っていた。だから懐へ入れた時、ふうは無意識のうちに慎之介を温めたいと思ってくれたのかもしれない。
(……そういうことだったのか)
慎之介は形にならない大きな吐息を吐き出した。
「ふうの世話には難儀した。だが一緒にいると楽しい。ふうのおかげで、団子は仏壇に供えるだけでは、駄目なのだということがよく分かった。旨そうな顔をして食ってくれる者が隣にいないと……」
慎之介は立ち上がった。そして大きく伸びをする。これ以上何かを言うとただの繰り言になってしまいそうだった。
「いずれにせよ、ふうが家に帰れて良かった。よろしく伝えておいてくれ」
「うむ? ふうに何も言わぬのか」
「遊んでいるのを邪魔したくない。ふうが幸せならそれでよいさ」
同じ色の猫たちとじゃれ合っているふうへちらと目を向け、慎之介は微笑んだ。
化け猫は大きな体を、のっそりと起こし、慎之介を枝折り戸まで見送ってくれた。
「お前さんには門戸を開いておいてやろう。また訪ねて来るとよい」
「そうさせてもらおう」
そうは言ったが、慎之介は己がもうここへ来ることは無いのだろうと確信していた。
山茶花の咲きほこる屋敷を、慎之介は振り返ることもせず、後にしたのだった。
「それは……」
猫の指摘には思い当たることがある。
慎之介は視線を足元にそっと落とした。
「……俺は去年、妻を亡くした。難産の末、腹の中の赤子と共に、逝ってしまった」
子が生まれるという期待に満ちた幸せな日々から、一転しての絶望。あの時の喪失感は、思い出すだけでも胸が苦しくなる。慎之介は語りながらもいつしか唇を強く噛んでいた。
「妻はよく笑う明るい女だった。あれが死んで、俺には何の楽しみも無くなった。姉や同役らが気遣ってくれるのは分かるのだが、全てが億劫になってしまってな。ふうは、そんな俺を慰めてくれようとしたのやもしれぬ」
あの時凍えていたのは、ふうばかりではなかった。慎之介の心も冷え切っていた。だから懐へ入れた時、ふうは無意識のうちに慎之介を温めたいと思ってくれたのかもしれない。
(……そういうことだったのか)
慎之介は形にならない大きな吐息を吐き出した。
「ふうの世話には難儀した。だが一緒にいると楽しい。ふうのおかげで、団子は仏壇に供えるだけでは、駄目なのだということがよく分かった。旨そうな顔をして食ってくれる者が隣にいないと……」
慎之介は立ち上がった。そして大きく伸びをする。これ以上何かを言うとただの繰り言になってしまいそうだった。
「いずれにせよ、ふうが家に帰れて良かった。よろしく伝えておいてくれ」
「うむ? ふうに何も言わぬのか」
「遊んでいるのを邪魔したくない。ふうが幸せならそれでよいさ」
同じ色の猫たちとじゃれ合っているふうへちらと目を向け、慎之介は微笑んだ。
化け猫は大きな体を、のっそりと起こし、慎之介を枝折り戸まで見送ってくれた。
「お前さんには門戸を開いておいてやろう。また訪ねて来るとよい」
「そうさせてもらおう」
そうは言ったが、慎之介は己がもうここへ来ることは無いのだろうと確信していた。
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