まよい猫

環 花奈江

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3章

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 残念ながら、慎之介の危惧は的中した。翌朝は、姉が訪ねてきて裸体のふうに悲鳴を上げる、という同じ事の繰り返しになってしまったのだ。

「そんな女、すぐにでも追い出しなされっ!」

 昨日よりも更に目を吊り上げて叫ぶ姉に、何のかのと言って帰ってもらうと、またふうに着物を着せるところから一日が始まる。

「そなた、勝手に俺の蒲団に潜り込んだな」

 帯を締めてやりながら慎之介が恨めしげな顔で咎めると、ふうはその身をきゅっと縮めた。

「だって寒かったんですもの」
「仕方のない奴だな……よし、できた」

 昨日よりも手際良く着付ける事が出来た。本当は髪の毛も結いたいが、もう時間が無い。慎之介は寝間着を着替えながら言った。

「ふう。今日の俺は一緒にいてやれぬ。務めがあるのだ」

 これでも慎之介は北町奉行所の同心だ。書きものばかりの地味な務めだが、これで扶持をもらって生活している以上、勝手には休めない。

「帰って来るまで、一人で待っておいてくれるか」
「あい」

 ふうはこくんと頷いた。

「明日は休めるように頼んでくる。そうしたらそなたの家を探しに行けよう。だから何も心配はいらぬ。握り飯も置いておくから、腹が減ったら食え」
「あい」

 慎之介は後ろ髪惹かれる思いで家を後にしたが、不安で堪らぬものだから、結局、同役の林原に頼みこんで、昼過ぎには帰らせてもらうことにした。
 林原は「その顔は女だろう。安心したぞ」とむしろ喜んで慎之介の仕事まで引き受けてくれた。女絡みで仕事を押し付けておきながら同役に嬉しがられるなんて、江戸の町の中でも慎之介くらいのものだろう。

「ふう! 帰ったぞ!」

 家に帰るや否や、慎之介は慌ただしくふうを呼んだ。しかし返事が無い。
 不安に駆られた慎之介は、履物も脱ぎ散らかしたまま部屋の中へと飛び込んだ。だが、そこにいたのは……。

「……なんだ」

 ふうは日の当たる畳の上で丸くなり、穏やかな寝息を立てていたのだ。
 慎之介はほっと肩の力を抜くと、その傍らに腰を下ろした。そして、結んでいない長い黒髪を一房手に取って、しみじみ眺めたのだった。

「あ……」
「そのままでよい」

 慎之介がいることに気づいたふうが起き上がろうとするのを、慎之介は押しとどめた。

「ゆっくり寝ておけ。俺はもう何処へも行かぬ。そなたと一緒にいる」
「あい……」

 ふうは安心したように微笑むと、小さなあくびを一つ漏らし、再び重い瞼を閉じた。
 それから日が翳り、ふうが白猫に戻るまで、慎之介はその傍らにずっと座っていたのだった。
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