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2章
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着物は箪笥の奥から去年亡くなった妻、佳代のものを引っ張り出して来た。柿渋色の小紋で、猫娘は佳代より少し小柄なくらいだったから、着丈はそのままでも問題なさそうだ。
半襟をつけっぱなしにしている襦袢も出てきたので、これもそのまま着せ、黒繻子の帯を締めてやる。
着付けを終えたら、次は髪の毛だ。
「丸髷で良いか? まぁ、他をと言われても、俺はそれしか知らぬでな」
背後に立って髪を結う慎之介に問われ、猫娘はこくんと頷いた。渡された手鏡の中の己を食い入るように見つめている。何が起きているのか、興味津々なのだろう。
髪を結うのは女の身だしなみだから、本当は慎之介だって結ったことは無いが、佳代がやっていた時の手順を思い出し、試行錯誤してみる。
たっぷり時間をかけて何とかまとめあげると、最後に簪を挿してできあがり。人間で言えば14、5歳か。手鏡の中には丸顔の愛らしい娘の顔が浮かび上がった。
「かわいい」
猫娘は己の姿に満足したのか、鏡を覗き込んで、にっこりと笑った。その屈託のない笑顔に、それまで疲れはてていた慎之介も大いに癒されたのだった。
「気に入ってもらえて良かった。それで、そなたは何者なのだ。昨夜は間違いなく、猫であったはずだが」
「あい」
「化け猫なのか?」
「わかりませぬ。人間になるの、初めてで」
「それは唐突に化けるものなのか?」
「わかりませぬ」
「己の意志で化けるものではないのか?」
「わかりませぬ」
猫娘は素直な性分のようだが、とにかく、わかりませぬ、を繰り返す。
(……困ったな)
このままでは埒が明かない。慎之介は、もう少し彼女が答えやすそうな問いを投げかけてみることにした。
「名前は?」
「ふうです」
「なるほど。俺は慎之介だ。井口慎之介」
「いぐちしんのすけ?」
「そうだな、旦那様とでも呼んでくれ」
まさか猫に名を呼び捨てにされるわけにもいかないので、慎之介は無難な呼称を教えてやった。
それからふうは「だんなさま、だんなさま……」と記憶に焼き付けるべく、何度も口の中で唱えており、そんなところはちょっと可愛いと思えて、慎之介の頬もうっかり緩む。
「お前の仲間も人に化けるのか?」
「兄弟はただの猫です。他の猫もみんな」
だからこそ、ふう自身も困惑しきっているのだ。どうして己が人間になってしまったのか、誰よりもふうが教えてほしいに違いない。
もちろん慎之介にも解決策が全く見えなくて、力なく天を仰ぐしかなかった。
「参ったな。これは、一体どうしたものか」
「家に帰りたいです」
ふうは目を細めて言った。まつ毛の長い、綺麗な目をしている娘だ。その目が不安の色に揺れていた。
「どこに住んでいたのだ?」
「……わかりませぬ」
一拍の間を置いて、ふうは初めて悲しそうに顔を歪めた。
「だって、何も匂わないんですもの」
「そりゃあ、人間の鼻だからな」
慎之介はため息を漏らした。そして行き詰ってしまったふうの代わりに、どうにか頭をひねってやる。
「そうだな……俺は昨夜、八丁堀にかかる新場橋の袂でそなたを拾った。ならば、家はあの辺りなのではないか? 幸い、今日は勤めも休みだし、飯を食ったら探しに出かけてみるか」
「あい!」
慎之介の提案に、素直なふうは嬉しそうに頷いたのだった。
半襟をつけっぱなしにしている襦袢も出てきたので、これもそのまま着せ、黒繻子の帯を締めてやる。
着付けを終えたら、次は髪の毛だ。
「丸髷で良いか? まぁ、他をと言われても、俺はそれしか知らぬでな」
背後に立って髪を結う慎之介に問われ、猫娘はこくんと頷いた。渡された手鏡の中の己を食い入るように見つめている。何が起きているのか、興味津々なのだろう。
髪を結うのは女の身だしなみだから、本当は慎之介だって結ったことは無いが、佳代がやっていた時の手順を思い出し、試行錯誤してみる。
たっぷり時間をかけて何とかまとめあげると、最後に簪を挿してできあがり。人間で言えば14、5歳か。手鏡の中には丸顔の愛らしい娘の顔が浮かび上がった。
「かわいい」
猫娘は己の姿に満足したのか、鏡を覗き込んで、にっこりと笑った。その屈託のない笑顔に、それまで疲れはてていた慎之介も大いに癒されたのだった。
「気に入ってもらえて良かった。それで、そなたは何者なのだ。昨夜は間違いなく、猫であったはずだが」
「あい」
「化け猫なのか?」
「わかりませぬ。人間になるの、初めてで」
「それは唐突に化けるものなのか?」
「わかりませぬ」
「己の意志で化けるものではないのか?」
「わかりませぬ」
猫娘は素直な性分のようだが、とにかく、わかりませぬ、を繰り返す。
(……困ったな)
このままでは埒が明かない。慎之介は、もう少し彼女が答えやすそうな問いを投げかけてみることにした。
「名前は?」
「ふうです」
「なるほど。俺は慎之介だ。井口慎之介」
「いぐちしんのすけ?」
「そうだな、旦那様とでも呼んでくれ」
まさか猫に名を呼び捨てにされるわけにもいかないので、慎之介は無難な呼称を教えてやった。
それからふうは「だんなさま、だんなさま……」と記憶に焼き付けるべく、何度も口の中で唱えており、そんなところはちょっと可愛いと思えて、慎之介の頬もうっかり緩む。
「お前の仲間も人に化けるのか?」
「兄弟はただの猫です。他の猫もみんな」
だからこそ、ふう自身も困惑しきっているのだ。どうして己が人間になってしまったのか、誰よりもふうが教えてほしいに違いない。
もちろん慎之介にも解決策が全く見えなくて、力なく天を仰ぐしかなかった。
「参ったな。これは、一体どうしたものか」
「家に帰りたいです」
ふうは目を細めて言った。まつ毛の長い、綺麗な目をしている娘だ。その目が不安の色に揺れていた。
「どこに住んでいたのだ?」
「……わかりませぬ」
一拍の間を置いて、ふうは初めて悲しそうに顔を歪めた。
「だって、何も匂わないんですもの」
「そりゃあ、人間の鼻だからな」
慎之介はため息を漏らした。そして行き詰ってしまったふうの代わりに、どうにか頭をひねってやる。
「そうだな……俺は昨夜、八丁堀にかかる新場橋の袂でそなたを拾った。ならば、家はあの辺りなのではないか? 幸い、今日は勤めも休みだし、飯を食ったら探しに出かけてみるか」
「あい!」
慎之介の提案に、素直なふうは嬉しそうに頷いたのだった。
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