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6章 夏休み
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「智くんのおにぎりも美味しいね」
「葵ちゃんが来るって分かってたら、お母さんにもっと作ってもらったんだけどさ」
……バカ。んなこと、言えるわけねぇだろ。
篤樹は弟の傍らでこっそり顔をしかめた。
母には智樹と二人で行く、と言って出てきているのだ。だって片想いの先輩と遠出するために口実が欲しいから弟をダシに使います、なんて話が両親にバレた日には、篤樹は恥ずかしくて生きていけない。
それにしてもこの二人は仲良くなるのが早すぎじゃないだろうか。葵は人見知りの激しい方だと思っていたが、これだけ年下の男の子が相手だと恥ずかしさよりお姉さん気分の方が勝るのかもしれない。まぁ、三人兄弟の末っ子で、周りから世話を焼かれるのに慣れている智樹の人懐っこさも大概なのだが。
結局千葉から外房線に乗り換えた後も、二人は持ってきた図鑑を広げ、今日狙っている昆虫について篤樹そっちのけで話合い始めてしまった。
……なんか、つまんねぇの。
会話についていけないから不貞腐れて居眠っていたら、智樹に叩き起こされてしまう。
「篤兄ぃ、海だよ!」
「そりゃ海くらい見えるだろ。千葉なんだから」
「あっちゃん、冷た~い」
「冷た~い」
葵の口調を真似てけらけら笑う弟がとにかく腹立たしい。篤樹は網棚の上に置いていた荷物を下ろした。
「海が見えるってことはそろそろですかね。終点で降りますから、準備しておいてください」
「はーい」
元気な二人が声を揃えて答えるのを聞き、篤樹は何とも言えない脱力感を味わったのだった。
外房線の終着駅である安房鴨川の駅前ロータリーまで出てくると、銀色のワンボックスカーで義姉が迎えに来てくれているのが見えた。
「こっちだよぉ!」
大きく手を振って声を張り上げてくれた小柄な彼女は黄色のバンダナを巻いており、下腹部だけが異様にせせり出ていた。確か来月くらいには出産予定だと聞いている。
「こんにちはカンナさん。わざわざ迎えに来てもらってすみません」
篤樹が頭を下げると、彼女は喉の奥が見えるくらいに大きな口をあけて笑った。
「いいのよぉ、これくらい。だって篤クンがこんな可愛い彼女を連れてきてくれるなんて、あたしも感動だし」
「カノジョじゃないよ。ただの先輩なんだってさ」
智樹は篤樹の言った言葉をそのままに伝えたが、もちろん義姉がそんな言葉に騙されてくれるはずもない。「ただの先輩ねぇ……」と含み笑いを浮かべながら葵に目を向けた。
その葵はと言えば、智樹と顔を合わせた時の100倍以上強張った顔で篤樹の後ろに立っている。
「あ、あの、初めまして。篤樹君と同じ高校に通っています、高梨葵と申します」
「あははは、そんなに緊張しなくても、取って食ったりしないから大丈夫よぉ」
カンナは葵の堅苦しい挨拶を笑って流してしまうと、妊婦であることを感じさせない軽快な動きで智樹の持っていたリュックサックを荷台に放り込んだ。
「さぁ、二人は後ろに乗って。篤クンは助手席ね。ここ、バスのロータリーだからあんまり長居できなくてさ。ちゃちゃっと出るよ」
まくしたてられるようにして車へ乗り込む。しかし篤樹が助手席のドアを開けようとしたとき、カンナはくいっと篤樹の上着の裾を引っ張ってきたのだ。
「な、なんですか?」
「いいねぇ、青春って感じでさぁ」
声を潜めるカンナは目をやたらとキラキラさせていた。それだけでも鬱陶しいのに、彼女は追加で力いっぱい篤樹のお尻を叩いてきたのだ。
「大丈夫。こんな時こそ、あたしたちに任せときな」
「何が大丈夫なんですか、もぅ」
親指をグイっと突き立て白い歯を見せる義姉には、なんだかもうため息しか出てこない。
……どこの家の姉も、弟の世話を焼くのは趣味みたいなもんなのか?
篤樹には姉がいないから、その辺の生態はさっぱり分からない。
代わりに兄という生き物のことなら嫌というほどよく知っているのだが、その兄の方には駅を出て40分後、意外に険しい山道をくねくねと登った先にある牧場で出会えた。
嶺岡乳業という看板を掲げた入り口を通った時、カンナが合図代わりに三連発のクラクションを鳴らし、それを聞きつけた優樹が牛舎から出てきたのだ。
「おう! 久しぶりだな!」
骨太な体格の兄は、篤樹より若干背は低いが横幅は大きい。口ひげも濃くてまるで熊のよう。歳の離れた兄との再会に興奮した智樹が「うわぁい! 優兄ぃだぁ!」といきなり全力で抱き付いてもびくともしない。
「大きくなったなぁ、智!」
最後に会ったのは両家の顔合わせの時だっただろうか。たった半年ばかり会っていないだけなのに、兄は末弟の頭を懐かしげにこねくり回している。
「どーも、御無沙汰してます」
弟に遅れて車を降りた篤樹が頭を下げると、兄は智樹にしたのと同じように篤樹の頭も撫でまわしてきた。
「そんな他人行儀な言い方やめろよ。お前、久しぶりだからって緊張してるだろ」
「やめろよ!」
「葵ちゃんが来るって分かってたら、お母さんにもっと作ってもらったんだけどさ」
……バカ。んなこと、言えるわけねぇだろ。
篤樹は弟の傍らでこっそり顔をしかめた。
母には智樹と二人で行く、と言って出てきているのだ。だって片想いの先輩と遠出するために口実が欲しいから弟をダシに使います、なんて話が両親にバレた日には、篤樹は恥ずかしくて生きていけない。
それにしてもこの二人は仲良くなるのが早すぎじゃないだろうか。葵は人見知りの激しい方だと思っていたが、これだけ年下の男の子が相手だと恥ずかしさよりお姉さん気分の方が勝るのかもしれない。まぁ、三人兄弟の末っ子で、周りから世話を焼かれるのに慣れている智樹の人懐っこさも大概なのだが。
結局千葉から外房線に乗り換えた後も、二人は持ってきた図鑑を広げ、今日狙っている昆虫について篤樹そっちのけで話合い始めてしまった。
……なんか、つまんねぇの。
会話についていけないから不貞腐れて居眠っていたら、智樹に叩き起こされてしまう。
「篤兄ぃ、海だよ!」
「そりゃ海くらい見えるだろ。千葉なんだから」
「あっちゃん、冷た~い」
「冷た~い」
葵の口調を真似てけらけら笑う弟がとにかく腹立たしい。篤樹は網棚の上に置いていた荷物を下ろした。
「海が見えるってことはそろそろですかね。終点で降りますから、準備しておいてください」
「はーい」
元気な二人が声を揃えて答えるのを聞き、篤樹は何とも言えない脱力感を味わったのだった。
外房線の終着駅である安房鴨川の駅前ロータリーまで出てくると、銀色のワンボックスカーで義姉が迎えに来てくれているのが見えた。
「こっちだよぉ!」
大きく手を振って声を張り上げてくれた小柄な彼女は黄色のバンダナを巻いており、下腹部だけが異様にせせり出ていた。確か来月くらいには出産予定だと聞いている。
「こんにちはカンナさん。わざわざ迎えに来てもらってすみません」
篤樹が頭を下げると、彼女は喉の奥が見えるくらいに大きな口をあけて笑った。
「いいのよぉ、これくらい。だって篤クンがこんな可愛い彼女を連れてきてくれるなんて、あたしも感動だし」
「カノジョじゃないよ。ただの先輩なんだってさ」
智樹は篤樹の言った言葉をそのままに伝えたが、もちろん義姉がそんな言葉に騙されてくれるはずもない。「ただの先輩ねぇ……」と含み笑いを浮かべながら葵に目を向けた。
その葵はと言えば、智樹と顔を合わせた時の100倍以上強張った顔で篤樹の後ろに立っている。
「あ、あの、初めまして。篤樹君と同じ高校に通っています、高梨葵と申します」
「あははは、そんなに緊張しなくても、取って食ったりしないから大丈夫よぉ」
カンナは葵の堅苦しい挨拶を笑って流してしまうと、妊婦であることを感じさせない軽快な動きで智樹の持っていたリュックサックを荷台に放り込んだ。
「さぁ、二人は後ろに乗って。篤クンは助手席ね。ここ、バスのロータリーだからあんまり長居できなくてさ。ちゃちゃっと出るよ」
まくしたてられるようにして車へ乗り込む。しかし篤樹が助手席のドアを開けようとしたとき、カンナはくいっと篤樹の上着の裾を引っ張ってきたのだ。
「な、なんですか?」
「いいねぇ、青春って感じでさぁ」
声を潜めるカンナは目をやたらとキラキラさせていた。それだけでも鬱陶しいのに、彼女は追加で力いっぱい篤樹のお尻を叩いてきたのだ。
「大丈夫。こんな時こそ、あたしたちに任せときな」
「何が大丈夫なんですか、もぅ」
親指をグイっと突き立て白い歯を見せる義姉には、なんだかもうため息しか出てこない。
……どこの家の姉も、弟の世話を焼くのは趣味みたいなもんなのか?
篤樹には姉がいないから、その辺の生態はさっぱり分からない。
代わりに兄という生き物のことなら嫌というほどよく知っているのだが、その兄の方には駅を出て40分後、意外に険しい山道をくねくねと登った先にある牧場で出会えた。
嶺岡乳業という看板を掲げた入り口を通った時、カンナが合図代わりに三連発のクラクションを鳴らし、それを聞きつけた優樹が牛舎から出てきたのだ。
「おう! 久しぶりだな!」
骨太な体格の兄は、篤樹より若干背は低いが横幅は大きい。口ひげも濃くてまるで熊のよう。歳の離れた兄との再会に興奮した智樹が「うわぁい! 優兄ぃだぁ!」といきなり全力で抱き付いてもびくともしない。
「大きくなったなぁ、智!」
最後に会ったのは両家の顔合わせの時だっただろうか。たった半年ばかり会っていないだけなのに、兄は末弟の頭を懐かしげにこねくり回している。
「どーも、御無沙汰してます」
弟に遅れて車を降りた篤樹が頭を下げると、兄は智樹にしたのと同じように篤樹の頭も撫でまわしてきた。
「そんな他人行儀な言い方やめろよ。お前、久しぶりだからって緊張してるだろ」
「やめろよ!」
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