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5章 断ち切れぬ想い
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「ちょっと失礼しますよ」
篤樹は乳棒を置くと田部井先輩のカバンを勝手に開き、中から青色のペンケースを取り出した。
「お前……今度は何やってんだよ」
「そうケチなこと言わずに俺にも見せてくださいよ。自慢のペンケースなんでしょ」
篤樹が取り出したのは青い布を何枚も縫い合わせてある、手の込んだ作りのペンケース。その一部には見覚えのある藍染の布も使われていて、要するに俺のブックカバーは知らぬ間にこの大男ともお揃いになっていたんだな、と篤樹は大いに落胆したが、それよりも気になったのはペンケースの傷み具合だった。
「あーあ、こんなにボロボロになるまで使っちゃって……」
使い始めてもう二年近く経っているだけに、全体的に黒ずんでいるのはもちろんのこと、端っこの方なんて一部ほつけてしまっている。それを明らかに葵のものではない不器用そうな縫い目で無理やり修復しているのだ。
そんな状態になってまでしつこく使い続けているのは、葵にプレゼントしてもらえたのが、よほど嬉しかったからなのだろう。
「ホントに……なんでこんなに好きなのに『あんなブサイク好きじゃない』とか言っちゃったんですかね」
篤樹がペンケースから出ている糸くずを引っ張りながら吐息を漏らすと、彼は途端に色めき立ち、篤樹の耳を引っ張ってきた。
「おいこら、その話どっから聞いた?! まさか高梨にチクってないだろうな?」
「はぁ?!」
耳の痛さ以上に、顔面へ唾がいくつも飛んできたことに閉口した。篤樹は速攻で卓上のキムワイプに手を伸ばし、拭い取る。
「何を寝ぼけたこと言ってるんですか? 葵先輩は一年の時、ぶちょーが友達との間でそう言ってるのを、ナマで聞いちゃったそうですよ」
「なんだとぉ?!」
その驚きようから察するに、この大男は本気で何も知らなかったらしい。それだから地響きみたいな低い唸り声を上げて、頭を抱えてしまった。
「そうか……それで、あいつ、今までずっとオレのことを避けてたのか……」
二年越しでようやく明らかになった真相が相当ショックだったのだろうが、怒ったり凹んだり、忙しい人だ。
「ご愁傷様です……っていうか、避けられてる自覚があるならもっと早くに本人に事情を確認しましょうよ」
「聞いても何も言ってくれなかったんだよ。それでまぁ、よく言う熟年夫婦の倦怠期みたいなもんかと」
「なんて暢気なことを……盛り上がる暇もないうちに訪れた倦怠期なんて、ただの危険信号じゃないですか」
「仕方ないだろ。どーせ高梨なんかに寄ってくる男なんているわけないから、そのうちなんとかすりゃいいって思ってたんだよ。一年からずっと同じクラスだったし、いつでもいいやって……」
だからその『どーせ高梨なんかに』という見下した感じが嫌われる要因になっているのに、この男は何故気づかないのだろう。
呆れ果てた篤樹は、今日何度目か分からない大きなため息を全力で吐き出したのだった。
……ホント、ぶちょーは何も分かってない。
篤樹は部活が終わった後、忘れ物したことにして皆と別れ、こっそり化学実験室に戻ってきていた。
人気のない廊下には実験室からの明かりが漏れている。篤樹がその引き戸を開けると、中にいた白衣姿の葵は目を丸くして驚いていた。
「ど、どうしたの、あっちゃん?!」
「こーいうことになってる予感がしたんですよ」
篤樹は通学鞄を肩から下ろし、葵が実験器具を広げているテーブルの方へと歩み寄った。
「さっき、イマイチな結果で終わって納得いかない顔をしてましたもんね。今日は夏休み前最後の活動日だし、もしかして独りで居残りするつもりなんじゃないかなって思って」
「あっちゃん……鋭すぎるよ」
「先輩が分かりやす過ぎるんです」
洗い物を片付けるときに『それはそのままで預かるわ』と言ったり、皆が帰り始めてもまだ白衣を着ていたり。彼女をよく観察していればすぐに分かる話だ。気付かないのはあの大男くらいのものだろう。
「だって、うまくいってないのを気にしたまま夏休みってのも良くないな、と思って……」
それでアスピリンと溶剤を混合する割合を少しいじって、最適な比率を導き出そうと思ったらしい。
篤樹は乳棒を置くと田部井先輩のカバンを勝手に開き、中から青色のペンケースを取り出した。
「お前……今度は何やってんだよ」
「そうケチなこと言わずに俺にも見せてくださいよ。自慢のペンケースなんでしょ」
篤樹が取り出したのは青い布を何枚も縫い合わせてある、手の込んだ作りのペンケース。その一部には見覚えのある藍染の布も使われていて、要するに俺のブックカバーは知らぬ間にこの大男ともお揃いになっていたんだな、と篤樹は大いに落胆したが、それよりも気になったのはペンケースの傷み具合だった。
「あーあ、こんなにボロボロになるまで使っちゃって……」
使い始めてもう二年近く経っているだけに、全体的に黒ずんでいるのはもちろんのこと、端っこの方なんて一部ほつけてしまっている。それを明らかに葵のものではない不器用そうな縫い目で無理やり修復しているのだ。
そんな状態になってまでしつこく使い続けているのは、葵にプレゼントしてもらえたのが、よほど嬉しかったからなのだろう。
「ホントに……なんでこんなに好きなのに『あんなブサイク好きじゃない』とか言っちゃったんですかね」
篤樹がペンケースから出ている糸くずを引っ張りながら吐息を漏らすと、彼は途端に色めき立ち、篤樹の耳を引っ張ってきた。
「おいこら、その話どっから聞いた?! まさか高梨にチクってないだろうな?」
「はぁ?!」
耳の痛さ以上に、顔面へ唾がいくつも飛んできたことに閉口した。篤樹は速攻で卓上のキムワイプに手を伸ばし、拭い取る。
「何を寝ぼけたこと言ってるんですか? 葵先輩は一年の時、ぶちょーが友達との間でそう言ってるのを、ナマで聞いちゃったそうですよ」
「なんだとぉ?!」
その驚きようから察するに、この大男は本気で何も知らなかったらしい。それだから地響きみたいな低い唸り声を上げて、頭を抱えてしまった。
「そうか……それで、あいつ、今までずっとオレのことを避けてたのか……」
二年越しでようやく明らかになった真相が相当ショックだったのだろうが、怒ったり凹んだり、忙しい人だ。
「ご愁傷様です……っていうか、避けられてる自覚があるならもっと早くに本人に事情を確認しましょうよ」
「聞いても何も言ってくれなかったんだよ。それでまぁ、よく言う熟年夫婦の倦怠期みたいなもんかと」
「なんて暢気なことを……盛り上がる暇もないうちに訪れた倦怠期なんて、ただの危険信号じゃないですか」
「仕方ないだろ。どーせ高梨なんかに寄ってくる男なんているわけないから、そのうちなんとかすりゃいいって思ってたんだよ。一年からずっと同じクラスだったし、いつでもいいやって……」
だからその『どーせ高梨なんかに』という見下した感じが嫌われる要因になっているのに、この男は何故気づかないのだろう。
呆れ果てた篤樹は、今日何度目か分からない大きなため息を全力で吐き出したのだった。
……ホント、ぶちょーは何も分かってない。
篤樹は部活が終わった後、忘れ物したことにして皆と別れ、こっそり化学実験室に戻ってきていた。
人気のない廊下には実験室からの明かりが漏れている。篤樹がその引き戸を開けると、中にいた白衣姿の葵は目を丸くして驚いていた。
「ど、どうしたの、あっちゃん?!」
「こーいうことになってる予感がしたんですよ」
篤樹は通学鞄を肩から下ろし、葵が実験器具を広げているテーブルの方へと歩み寄った。
「さっき、イマイチな結果で終わって納得いかない顔をしてましたもんね。今日は夏休み前最後の活動日だし、もしかして独りで居残りするつもりなんじゃないかなって思って」
「あっちゃん……鋭すぎるよ」
「先輩が分かりやす過ぎるんです」
洗い物を片付けるときに『それはそのままで預かるわ』と言ったり、皆が帰り始めてもまだ白衣を着ていたり。彼女をよく観察していればすぐに分かる話だ。気付かないのはあの大男くらいのものだろう。
「だって、うまくいってないのを気にしたまま夏休みってのも良くないな、と思って……」
それでアスピリンと溶剤を混合する割合を少しいじって、最適な比率を導き出そうと思ったらしい。
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