日に向かう花

環 花奈江

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3章 お姉さん

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 しかし今の話でいろんなことが腑に落ちた気もする。
 洋輔だって言っていたではないか。ねーちゃんがあそこまで男と親しく話しているのを見たことが無い、と。それは篤樹が葵にとって特別な存在になっているからだと勝手に解釈していたが、そもそも彼女の目には男として映っていなかった可能性が高い。弟扱いだから緊張する必要がなかったのだ。

「3月かぁ。じゃあ、あっちゃんの誕生日も、もう終わっちゃったんだね」

 葵は残念そうに言った。

「終わったじゃなくて、これからなんですよ」

 こういうところがガキ扱いされる理由かもしれないと思いつつも、いちいち上げ足を取るようなことを言ってしまう。でも言葉一つで意味が変わるのだ。ここは声を大にして主張したい。

「そだね。でも、3月末だと、私はもう卒業しちゃってるからなぁ」

 彼女の何気ない呟きは、この日々に終わりがあることを嫌でも意識させてきた。

「でもうちに遊びにきてくれたら、その時には洋輔の分と一緒にお祝いしてあげるからね」

 葵が親切で言ってくれているとは分かったが、洋輔と一緒に、というところに篤樹の気持ちはやたらと引っ掛かってしまった。

 ……そこは俺のためだけにお祝いしてほしいとこなんだけどな。

 胸の奥からはこれまでにない、怒りにも似た複雑な感情が沸いてくる。
 洋輔はいい友だちだし、葵はその姉なのだけれど……そういう問題じゃないのだ。
 そんなすっきりしない感情と独り相撲を取っていたものだから、篤樹はこの時、こちらへ向けられた強い視線に気付くことができなかった。

「……」

 視線の送り主はバスケ部の中でもひときわ背の高い大男からのもの。彼はわざわざ足を止め、道の反対側を歩く篤樹らを凝視していたのだった。



 文化祭の実験はまだ決まっていないものの、二週連続の調べものはつまらないから、と葵は翌週の活動で硫酸銅の再結晶の実験を提案してきた。なんでも、篤樹と一緒に歌った際、特撮ものの中に青い結晶が出てくるシーンがあったのを思い出したそうだ。
 手順は簡単。硫酸銅の粉末から水溶液をつくり、これを冷やすと結晶が析出する。ただそれだけ。
 ただ、大きな結晶を作るのは意外と難しいのだ。ゆっくり温度を下げていき、結晶ができるまでの間は絶対に動かさないことが大切。今日はまず核になる種結晶を作って、次回の活動日にこれをさらに大きくする予定だ。
 今回は文化祭に向けて既に自分の実験に取り組んでいる瀬川先輩以外のメンバーで作ることになった。

「大きな結晶ができたら玲香さまのペンダントにでもしたいな」
「いいなぁ。この神々しいばかりの青色、玲香さまにはよく似合うだろうし」
「は? バカじゃないの? 硫酸銅は有毒なんだから無理に決まってるでしょ」

 二年生らはまた男女に別れて口喧嘩を繰り広げていたが、この光景も繰り返されると慣れてくるものなのか、全く気にならなくなっている。
 それに、下僕たちがペンダントにしたいと願う気持ちは分からなくも無いのだ。硫酸銅水溶液は透明感のある綺麗なコバルトブルーの液体。この色の結晶ができあがるのなら、宝石のように光り輝くのは間違いない。

 ……ペンダントかぁ。でも葵先輩は受け取ってくれるかな?

 少し遅くなったけれど誕生日祝いに、と言えば納得はしてくれるかもしれない。でも、いきなりアクセサリーを贈るなんてのはどうかしてるよなぁ……。
 葵のリアクションを思い浮かべ、ともすれば手が止まりがちな篤樹と違い、宮沢先輩は手早く作業を終えていた。
 この女王様、実験となると意外に真面目な態度を見せ、付け爪も外し、ド派手な縦巻きロールも邪魔にならないよう後ろで一つに結んでいた。そして下僕たちへの指示も的確。そんな有能な人だからこそ彼らも崇め奉っているようだ。
 そんな宮沢先輩は出来上がった硫酸銅水溶液を窓際の棚の中へ運んでしまうと、葵の側へやってきた。

「葵、これ買ったからお金ちょうだい」
「あぁ、はいはい」

 葵は部費の管理もしているのだ。彼女は領収書を受け取ると自分の財布を開いてお金を出そうとしたが、お札を抜いた際に挟まっていたレシートを落っことしてしまった。
 それを偶然拾い上げた璃子が、カラオケボックスのレシートであることに気付き、眉をひそめる。

「あれ、これって私たちがカラオケ行った日の……」

 そうだった。カラオケボックスの支払いは葵に任せたからレシートは彼女が受け取っていた。そしてそこには日付と時間と利用人数が書かれている。

「あー、そういうことなんだ」

 全てを察した様子の璃子が、含みのある目で篤樹と葵を交互に眺めてくる。

「そ、そんなつもりじゃ……」
「別にいいだろ、誰とカラオケ行ったって」

 予期せぬ露見に慌てふためいてしまう葵と違い、篤樹は落ち着き払っていた。背の高さを生かして、璃子の頭上からひょいとレシートをつまみ上げる。

「違うんだよ、リコちゃん。私が分からないことだらけだから、いろいろ教えて貰ってただけで……」
「二人きりで密室で……ふふふ、何を教えてあげたのかなぁ、あっちゃん?」

 勝手に話に割り込んできたのは伊藤先輩。四角い眼鏡を光らせると、下卑た笑顔を浮かべて篤樹の肩を抱いてくる。
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