21 / 70
3章 お姉さん
4
しおりを挟む
篤樹は葵の膝の上に置かれたタッチパネルに手を伸ばした。
「それで何が分からないんですか?」
「何がっていうか、じっくりこれを見たことが無くて」
要するに何が分からないのかもよく分からない状態なのだ。
「みんなは自分の歌を入れるのに一生懸命だから、私がちんたら占領しているのは申し訳なくて、ほとんど触ったことがないんだよね」
だから今までも友人らと来たことはあるが、そのたびによく分からないままぼーっとやり過ごしてきたらしい。
今日は誰も文句言わないから好きに触っていいですよ、と篤樹が言うと「おぉ、あっちゃん太っ腹」とよく分からない感動のされ方をした。
「ゆっくり見たら分かるんじゃないですか?」
何しろ誰にでも分かるように作られている機械なのだ。分からない方がおかしい。
しかし葵は不服そうに唇を尖らせた。
「そりゃ題名が分かれば私だって入力くらいできるけどさ」
「あぁ、歌い出しが分かるならここからでも探せますよ」
「へぇ、こんなとこから探せるんだ……でも、こんなワンフレーズじゃ分からない時もあるよね? あと、リードボーカルとかいうのをつけられる曲があるらしいんだけど、それってどうやったらできるの? それにさ、ここにあるビブラートって結局のところ何者?」
「はいはい、分かりました。その辺も全部説明しますから」
次から次へと疑問が溢れてくる葵に苦笑しつつ、篤樹はこの際だからと彼女が抱え込んでいる疑問点について一つずつ時間をかけて解説してあげた。
そして最後に「分かりましたか?」と問うと「うん……なんとなく」と何とも情けない顔で言われたから、それまで篤樹が持っていた操作パネルを葵に押し付ける。
「じゃあ練習です。何でもいいから先輩の好きな曲を入れてみてくださいよ」
「うん、分かった」
強張った顔でタッチパネルを受け取った葵が入力したのは、意外なことにロック調の曲だった。
「今流行ってるCMソングだから、多分歌えると思うんだよね」
しかしイントロが流れてくる時点で、葵は硬い表情を浮かべてマイクを握りしめている。その表情にぴんときた篤樹は、思わず一時停止ボタンを押してしまった。
「ちょっと待った。この選曲ってもしかして俺に気遣ってます?」
「だ、だって、こういう時はみんなが知ってる最新の曲を歌わなきゃつまんないものなんでしょ?」
「これは最新でもないし、その上先輩が好きな歌じゃないんですよね?」
篤樹は演奏を停止させた。
「全くもう……また『こうしなきゃいけない』にとらわれてますよ」
カラオケで歌う曲を選ぶだけでこの様なんて、なんと手のかかる人なんだろう。
「はい、胸に手を当てて」
篤樹はいつぞやのように葵の手首を掴み、その胸に押し当ててやった。
「あ、あっちゃん??」
「はいはい。それじゃあ改めて。先輩の胸に沸いてきた、今一番歌いたい歌をどうぞ」
そんなこんなで、ようやく決まった歌を葵は歌ってくれた。
それはバラード調の渋い曲で、篤樹は聞いている間、身じろぎもできなかった。まるで身体の隅々にまで彼女の歌声が染み込んでいくような感覚に陥ってしまったのだ。上手いとか下手とか、そういう次元の話ではなく、ただひたすら心に響いてくる歌だったのである。
「……すっげぇ、いいじゃないですか。俺、他人の歌でこんなに感動するの初めてですよ」
歌い終えた瞬間、恥ずかしそうな顔でマイクの電源を切る葵に、篤樹は最大級の賛辞を贈った。
「でも、あっちゃんは知らない歌でしょ」
「確かに俺は知らないですけど、先輩の声質と合っててとっても良かったです」
やっぱり好きな歌だけあって、よく知っているのと、心から歌えたのがプラスに働いているのだと思う。
「小さい時に見てたドラマの挿入歌だったんだ」
葵は小さく微笑んだ。
「あぁ、もしかしてビーカーでコーヒーを飲む?」
「うんそう。でも私が見た時でも、すでに再放送だったから、あっちゃんは知らないよね。しかもこれ、歌ってる人は覚せい剤で捕まってるし」
そんないわくつきの曲だから歌うのをためらっていたらしい。
「そういうのは気にしないでいいと思いますよ。歌は歌。誰が歌っていたかなんて関係無いし、先輩が良いと感じたのなら、そっちの気持ちの方を大事にしたらいいんですよ」
「そうかなぁ」
ここで首を傾げてしまうところが、なんとももどかしい。
「先輩って、あぁしなきゃ、こうしなきゃにとらわれすぎなんですよ。好きなら好きで、堂々と歌えばいいじゃないですか」
「それは、多分自信のある人の理屈だよ。私は自分の行動に自信ないから……あ! 早く次の入れないともったいないよね」
話しているうちに、ほったらかしになっているカラオケマシンに気付いたらしく、葵は慌てた様子でタッチパネルを取り上げた。それを篤樹はすかさず横から奪い取る。
「またそういう……カラオケルームに来たからってカラオケしなきゃいけないルールは無いですよ」
「それで何が分からないんですか?」
「何がっていうか、じっくりこれを見たことが無くて」
要するに何が分からないのかもよく分からない状態なのだ。
「みんなは自分の歌を入れるのに一生懸命だから、私がちんたら占領しているのは申し訳なくて、ほとんど触ったことがないんだよね」
だから今までも友人らと来たことはあるが、そのたびによく分からないままぼーっとやり過ごしてきたらしい。
今日は誰も文句言わないから好きに触っていいですよ、と篤樹が言うと「おぉ、あっちゃん太っ腹」とよく分からない感動のされ方をした。
「ゆっくり見たら分かるんじゃないですか?」
何しろ誰にでも分かるように作られている機械なのだ。分からない方がおかしい。
しかし葵は不服そうに唇を尖らせた。
「そりゃ題名が分かれば私だって入力くらいできるけどさ」
「あぁ、歌い出しが分かるならここからでも探せますよ」
「へぇ、こんなとこから探せるんだ……でも、こんなワンフレーズじゃ分からない時もあるよね? あと、リードボーカルとかいうのをつけられる曲があるらしいんだけど、それってどうやったらできるの? それにさ、ここにあるビブラートって結局のところ何者?」
「はいはい、分かりました。その辺も全部説明しますから」
次から次へと疑問が溢れてくる葵に苦笑しつつ、篤樹はこの際だからと彼女が抱え込んでいる疑問点について一つずつ時間をかけて解説してあげた。
そして最後に「分かりましたか?」と問うと「うん……なんとなく」と何とも情けない顔で言われたから、それまで篤樹が持っていた操作パネルを葵に押し付ける。
「じゃあ練習です。何でもいいから先輩の好きな曲を入れてみてくださいよ」
「うん、分かった」
強張った顔でタッチパネルを受け取った葵が入力したのは、意外なことにロック調の曲だった。
「今流行ってるCMソングだから、多分歌えると思うんだよね」
しかしイントロが流れてくる時点で、葵は硬い表情を浮かべてマイクを握りしめている。その表情にぴんときた篤樹は、思わず一時停止ボタンを押してしまった。
「ちょっと待った。この選曲ってもしかして俺に気遣ってます?」
「だ、だって、こういう時はみんなが知ってる最新の曲を歌わなきゃつまんないものなんでしょ?」
「これは最新でもないし、その上先輩が好きな歌じゃないんですよね?」
篤樹は演奏を停止させた。
「全くもう……また『こうしなきゃいけない』にとらわれてますよ」
カラオケで歌う曲を選ぶだけでこの様なんて、なんと手のかかる人なんだろう。
「はい、胸に手を当てて」
篤樹はいつぞやのように葵の手首を掴み、その胸に押し当ててやった。
「あ、あっちゃん??」
「はいはい。それじゃあ改めて。先輩の胸に沸いてきた、今一番歌いたい歌をどうぞ」
そんなこんなで、ようやく決まった歌を葵は歌ってくれた。
それはバラード調の渋い曲で、篤樹は聞いている間、身じろぎもできなかった。まるで身体の隅々にまで彼女の歌声が染み込んでいくような感覚に陥ってしまったのだ。上手いとか下手とか、そういう次元の話ではなく、ただひたすら心に響いてくる歌だったのである。
「……すっげぇ、いいじゃないですか。俺、他人の歌でこんなに感動するの初めてですよ」
歌い終えた瞬間、恥ずかしそうな顔でマイクの電源を切る葵に、篤樹は最大級の賛辞を贈った。
「でも、あっちゃんは知らない歌でしょ」
「確かに俺は知らないですけど、先輩の声質と合っててとっても良かったです」
やっぱり好きな歌だけあって、よく知っているのと、心から歌えたのがプラスに働いているのだと思う。
「小さい時に見てたドラマの挿入歌だったんだ」
葵は小さく微笑んだ。
「あぁ、もしかしてビーカーでコーヒーを飲む?」
「うんそう。でも私が見た時でも、すでに再放送だったから、あっちゃんは知らないよね。しかもこれ、歌ってる人は覚せい剤で捕まってるし」
そんないわくつきの曲だから歌うのをためらっていたらしい。
「そういうのは気にしないでいいと思いますよ。歌は歌。誰が歌っていたかなんて関係無いし、先輩が良いと感じたのなら、そっちの気持ちの方を大事にしたらいいんですよ」
「そうかなぁ」
ここで首を傾げてしまうところが、なんとももどかしい。
「先輩って、あぁしなきゃ、こうしなきゃにとらわれすぎなんですよ。好きなら好きで、堂々と歌えばいいじゃないですか」
「それは、多分自信のある人の理屈だよ。私は自分の行動に自信ないから……あ! 早く次の入れないともったいないよね」
話しているうちに、ほったらかしになっているカラオケマシンに気付いたらしく、葵は慌てた様子でタッチパネルを取り上げた。それを篤樹はすかさず横から奪い取る。
「またそういう……カラオケルームに来たからってカラオケしなきゃいけないルールは無いですよ」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?
ただ巻き芳賀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。
栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。
その彼女に脅された。
「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」
今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。
でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる!
しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ??
訳が分からない……。それ、俺困るの?
挑文師、業務結婚します
KUMANOMORI(くまのもり)
ライト文芸
高校で養護教諭をする橘川美景(たちかわ みかげ)の元に、「至急、結婚せよ」と業務結婚の通達がきた。裏稼業・挑文師(あやとりのし)における本局からの業務命令だ。
相手はメンタルクリニックの若き院長・寧月融(ねいげつ とおる)。
「初めまして、結婚しましょう」
と言われ及び腰の美景だったが、互いの記憶を一瞬にして交換する「あやとり」により、融の過去を知り――――その場で成婚。
ただし、あざと系のクズ彼氏・当麻万理(とうま ばんり)とは別れておらず、
「責任もって養いますので、美景さんと別れてください」と夫が彼氏を養うことになる。
そして当面の仕事は動物保護と行方不明の少女を探ること――――?
恋人でもなければ、知人でもなかった二人だが、唯一「業務」でのみ、理解し合える。
万年温もり欠乏症メンヘラ女、不貞恋愛しか経験のない男。大人だからこそ、ピュアだった?
恋愛以前の問題を抱える二人は過去を交換しながら、少しずつ絆を結んでいく。
「わたしたち、あなたの記憶をまもります」
記憶保全を司る裏稼業を持つ者同士の業務結婚が始まった。
【完結】大江戸くんの恋物語
るしあん@猫部
ライト文芸
両親が なくなり僕は 両親の葬式の時に 初めて会った 祖母の所に 世話になる
事に………
そこで 僕は 彼女達に会った
これは 僕と彼女達の物語だ
るしあん 四作目の物語です。
東大正高校新聞部シリーズ
場違い
ライト文芸
県立東大正高校、その新聞部に所属する1年生の小池さん。
彼女の身の回りで発生するちょっとした不思議な事件の数々……そこには、少し切ない後悔の物語が隠されていて……。
日常の『小さな謎』と人間模様に焦点を当てた、ポップでビターな学園ミステリ。
高校エントランスに置かれたパノラマ模型には、何故、『ないはずの施設がある』のか……?
体育祭の朝、何故、告発の予告状が張り付けられていたのか……?
旧友は、何故、お茶の誘いを頑なに断るのか……?
身に覚えのないラブレターが、何故、私の鞄の中に入っていたのか……?
数年前には、数時間前には、数秒前には、もう2度と戻れない。輝かしい青春の学園生活の中で、私たちがずっと見落としていた、後悔のタネ。
だったらせめて、心残りのある謎は、納得のいくまで解いてあげよう。
キラキラしていて、だけど切なくてほろ苦い。
青春ミステリ作品集、どうぞお楽しみください。
※カクヨムにて連載中『【連作ミステリー】東大正高校新聞部シリーズ』の、一部修正を加えたアルファポリス移植版です。
僕の夏は、君と共に終わる
久住子乃江
ライト文芸
高校二年生の夏。僕の目の前に現れたのは、僕にしか見えない容姿端麗な同い年の女の子。
信じられないが、彼女は一度死んだ人間だった。未練を晴らすために、生き返ってきた。
そんな彼女から僕は恋人になってくれないか、と提案される。僕にしか見えていない彼女の願いを渋々引き受けることになってしまう。
彼女が現世にいられる期間は一ヶ月。
彼女と共に過ごす時間が長くなるにつれて、僕の心境も徐々に変わっていく。
僕が彼女と出会ったのは偶然なのか? それとも必然か?
そんなお話です。
満月の夜に君を迎えに行くから
桃園すず
ライト文芸
【第7回ライト文芸大賞 奨励賞いただきました!】
高校卒業と同時に上京し、一人暮らしを始めた工藤 巧。
夢だった自動車整備士になるために家と職場を往復するだけの生活だったが、新しい職場に向かう道すがら、巧は一匹の黒猫と出会う。
巧の言葉を理解しているような黒猫。
一人と一匹はやがて心を通わせ、同居生活を始める。
しかし、その黒猫は満月の夜に女の子の姿に変身して――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる