日に向かう花

環 花奈江

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3章 お姉さん

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 篤樹は葵の膝の上に置かれたタッチパネルに手を伸ばした。

「それで何が分からないんですか?」
「何がっていうか、じっくりこれを見たことが無くて」

 要するに何が分からないのかもよく分からない状態なのだ。

「みんなは自分の歌を入れるのに一生懸命だから、私がちんたら占領しているのは申し訳なくて、ほとんど触ったことがないんだよね」

 だから今までも友人らと来たことはあるが、そのたびによく分からないままぼーっとやり過ごしてきたらしい。
 今日は誰も文句言わないから好きに触っていいですよ、と篤樹が言うと「おぉ、あっちゃん太っ腹」とよく分からない感動のされ方をした。

「ゆっくり見たら分かるんじゃないですか?」

 何しろ誰にでも分かるように作られている機械なのだ。分からない方がおかしい。
 しかし葵は不服そうに唇を尖らせた。

「そりゃ題名が分かれば私だって入力くらいできるけどさ」
「あぁ、歌い出しが分かるならここからでも探せますよ」
「へぇ、こんなとこから探せるんだ……でも、こんなワンフレーズじゃ分からない時もあるよね? あと、リードボーカルとかいうのをつけられる曲があるらしいんだけど、それってどうやったらできるの? それにさ、ここにあるビブラートって結局のところ何者?」
「はいはい、分かりました。その辺も全部説明しますから」

 次から次へと疑問が溢れてくる葵に苦笑しつつ、篤樹はこの際だからと彼女が抱え込んでいる疑問点について一つずつ時間をかけて解説してあげた。
 そして最後に「分かりましたか?」と問うと「うん……なんとなく」と何とも情けない顔で言われたから、それまで篤樹が持っていた操作パネルを葵に押し付ける。

「じゃあ練習です。何でもいいから先輩の好きな曲を入れてみてくださいよ」
「うん、分かった」

 強張った顔でタッチパネルを受け取った葵が入力したのは、意外なことにロック調の曲だった。

「今流行ってるCMソングだから、多分歌えると思うんだよね」

 しかしイントロが流れてくる時点で、葵は硬い表情を浮かべてマイクを握りしめている。その表情にぴんときた篤樹は、思わず一時停止ボタンを押してしまった。

「ちょっと待った。この選曲ってもしかして俺に気遣ってます?」
「だ、だって、こういう時はみんなが知ってる最新の曲を歌わなきゃつまんないものなんでしょ?」
「これは最新でもないし、その上先輩が好きな歌じゃないんですよね?」

 篤樹は演奏を停止させた。

「全くもう……また『こうしなきゃいけない』にとらわれてますよ」

 カラオケで歌う曲を選ぶだけでこの様なんて、なんと手のかかる人なんだろう。

「はい、胸に手を当てて」

 篤樹はいつぞやのように葵の手首を掴み、その胸に押し当ててやった。

「あ、あっちゃん??」
「はいはい。それじゃあ改めて。先輩の胸に沸いてきた、今一番歌いたい歌をどうぞ」



 そんなこんなで、ようやく決まった歌を葵は歌ってくれた。
 それはバラード調の渋い曲で、篤樹は聞いている間、身じろぎもできなかった。まるで身体の隅々にまで彼女の歌声が染み込んでいくような感覚に陥ってしまったのだ。上手いとか下手とか、そういう次元の話ではなく、ただひたすら心に響いてくる歌だったのである。

「……すっげぇ、いいじゃないですか。俺、他人ひとの歌でこんなに感動するの初めてですよ」

 歌い終えた瞬間、恥ずかしそうな顔でマイクの電源を切る葵に、篤樹は最大級の賛辞を贈った。

「でも、あっちゃんは知らない歌でしょ」
「確かに俺は知らないですけど、先輩の声質と合っててとっても良かったです」

 やっぱり好きな歌だけあって、よく知っているのと、心から歌えたのがプラスに働いているのだと思う。

「小さい時に見てたドラマの挿入歌だったんだ」

 葵は小さく微笑んだ。

「あぁ、もしかしてビーカーでコーヒーを飲む?」
「うんそう。でも私が見た時でも、すでに再放送だったから、あっちゃんは知らないよね。しかもこれ、歌ってる人は覚せい剤で捕まってるし」

 そんないわくつきの曲だから歌うのをためらっていたらしい。

「そういうのは気にしないでいいと思いますよ。歌は歌。誰が歌っていたかなんて関係無いし、先輩が良いと感じたのなら、そっちの気持ちの方を大事にしたらいいんですよ」
「そうかなぁ」

 ここで首を傾げてしまうところが、なんとももどかしい。

「先輩って、あぁしなきゃ、こうしなきゃにとらわれすぎなんですよ。好きなら好きで、堂々と歌えばいいじゃないですか」
「それは、多分自信のある人の理屈だよ。私は自分の行動に自信ないから……あ! 早く次の入れないともったいないよね」

 話しているうちに、ほったらかしになっているカラオケマシンに気付いたらしく、葵は慌てた様子でタッチパネルを取り上げた。それを篤樹はすかさず横から奪い取る。

「またそういう……カラオケルームに来たからってカラオケしなきゃいけないルールは無いですよ」
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