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 体が軽い。いつもの頭痛がしない。心なしか世界が明るく見える。
 翌朝、央樹はここ数か月ぶりにそんなことを感じていた。体力も気力も満タンまで満たされると、朝イチでも走り出したくなるものなのかと感じ、いつもより一本早い電車にも乗れた。
「……すごいな……」
「何がですか?」
 デスクに着き、朝のメールチェックをしていると、突然そんな声が響いた。それに驚いて央樹が顔を上げる。目が合ったのは暁翔だった。
「おはようございます、主任――体の調子、どうですか?」
 暁翔がそっとこちらに顔を寄せ、囁く。央樹はその距離に驚いて少しだけ体を離した。
「あ、ああ……いいよ。問題ない」
「それは良かったです。おれから見てもよさそうだなとは思ったんですが、主任もそう感じてくれていて、ほっとしました」
 暁翔が微笑む。その微笑みに目を奪われていると、遠くから、結城、と暁翔を呼ぶ声が響いた。見ると、オフィスの入り口で同僚が手を振っている。
「総務課が結城の領収書、回収してないって、わざわざ来てくれたよ」
 入口の向こうには若い女子社員が二人立っている。それを見た暁翔が、すみません、と央樹の傍を離れた。傍から暁翔の香りが離れていく。少し胸がざわつくような気がして、央樹は暁翔の後ろ姿を目で追う。デスクの引き出しからファイルをひとつ取り出してすぐに入り口に向かった暁翔は、眉を下げて総務の女子社員にそれを手渡していた。ありがとうございます、と嬉しそうに女子社員がそれを受け取る。その頬が赤くなっているところを見て、央樹は胸に棘が刺さる様な痛みを覚えた。
「……わざわざ来ることないのに……」
 この会社には社内のメール便がある。それに入れておけば専門のスタッフが回収、配達してくれるシステムだ。電子で送れないものは、大抵それで事足りる。現に央樹も今朝、メール便のボックスに領収書のファイルを入れたばかりだ。けれど自分のところには総務の社員は来ない。
 つまり彼女たちは暁翔に直接会いたくて、仕事を理由にここまで来たのだ。でなければ、物を受け取るだけの仕事に二人も来る必要がない。央樹は足元に置いていた鞄を手に取り立ち上がった。入り口近くのホワイトボードに『外出』と書くと、入り口に向かう。
「……総務も暇ではないだろう。結城、十時から商談のはずだ。準備は出来てるのか?」
「あ、いえ……まだです。これからすぐに。じゃあ、領収書お願いします」
「あ、はい。失礼します!」
 暁翔が慌てた様子で頭を下げると、女子社員も慌てて廊下へと踵を返す。それを見てから央樹も浅くため息を吐いて歩き出した。エレベーターホールの手前で、柏葉主任、と自分の名前が聞こえ、央樹はそこで足を止めた。さっきの女子社員の声だろう。同じエレベーターに乗るのも気まずいので央樹はそのまま二人が去ってから行くことに決め、傍の壁に背を預けた。聞くつもりはないのだが、二人の会話はそのまま続いている。
「相変わらずキツいね」
「いい男だし仕事も出来るみたいなんだけど、性格があれじゃねえ」
「やっぱり彼女にもあんな感じかなあ?」
「てか、彼女居るの?」
「あー、あれ、嫉妬かあ。結城くんモテるから、辛く当たられてるのかも」
「えー、可哀そう。今度慰めに行こうよ」
「とか言って、結城くんに近づきたいだけでしょ」
 その通りだけど、という言葉を最後に辺りが静かになる。どうやら二人がエレベーターに乗り込んでいったようだ。ほっと息を吐いて央樹が歩き出そうとした、その時だった。
「別に辛く当たられてるとは思ってないんですけどね」
 そんな言葉が聞こえ、央樹が顔を上げる。そこにはこちらに向かって来る暁翔が居た。苦く笑う彼に、央樹は、いや、と首を振った。
「実際、さっきは少し……キツい言い方をしてしまった。悪かった」
 央樹が頭を下げると暁翔が、全然です、と微笑む。
「主任に言われなかったら準備出来てなかったですし、正直、彼女たちとの会話をどう終わらせたらいいのか迷ってて……主任が声を掛けてくれて有難かったです」
 暁翔がゆっくりと歩き出す。央樹はそれに合わせるように自分も歩き出した。エレベーターホールまで来て立ち止まる。しんと静まり返る空間がなんだかいたたまれなかった。
「主任、彼女いないんですか?」
「……昨日も言ったが、僕の恋人は仕事だ」
「ああ、そうでしたね」
 暁翔はエレベーターの横の階数表示を見たまま答える。その顔は穏やかだ。
「……結城こそ……いや、これを聞いたらセクハラになるか」
 昨日暁翔に言われたことを思い出し、央樹が言葉を止める。そうですよ、なんて笑われると思っていたのに、隣からは何の反応もない。少し不安になって暁翔を見上げると、その顔がこちらを向いていた。驚いて、どうした、と聞いてしまう。
「あ、いえ……主任はおれの恋人の有無が気になりますか?」
「まあ……そうだな」
 恋人がいるのにパートナーになることはおそらく出来ないだろう。暁翔はパートナーと恋人は一緒だと言っていた。
「……いないです。今、おれに一番近いのは主任ですよ」
 暁翔が言うと、目の前のエレベーターのドアが開いた。どういう意味だと聞きたかったが、エレベーターの中には既に他の社員が乗っていたので聞くことは出来ず、央樹はそのまま外回りへと出かけることになってしまった。
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