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初めての、夜。★1
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*ここからは匠と克彦が出会った頃の話です。克彦視点。
本当は採るつもりなかったんだけど、新人が入るから、と社長から言われたのは、三月の半ばだった。
克彦が勤める建築デザイン事務所は、建築士を引退した社長以下、三名の一級建築士と六名の二級建築士、それに事務職員二名が勤めている小さな事務所だ。
克彦の他の一級建築士は、主にビルや橋などの大きなものの設計を担当し、克彦と二級建築士は住宅の担当をしている。それ故の『主任』の肩書なのだが、仕事の数で言えば他二人の一級建築士よりも克彦の方が断然多い。入社当時一番若い一級建築士だったので仕方ないだろうと今は思っているし、どんな仕事でも設計は楽しいので、克彦は現状で満足していた。
だが、新人が入るとなれば別だ。
「今年は採らないって、言ってましたよね?」
克彦が社長に眇めた目を向けると、社長はそれに苦く笑いながら、でもね、と口を開いた。
「採用がないのは分かってるけど、面接をして欲しい、どうしてもここで仕事がしたい、なんて言われたら絆されるじゃない?」
社長の言葉に克彦がため息を吐く。絆される社長もそうだが、採用がないことを分かった上でそんなことを言う奴も少しおかしい。
「それで、うっかり採用したんですか?」
「うん……彼ね、うちで設計した建物の話、めちゃくちゃ楽しそうにしてたんだよ。特に市原くんの設計が好きで、マンションのチラシとかも大事にとってあるらしくて……ああ、この子、ホントに設計が好きなんだって、思ったんだよ」
社長が嬉しそうに話す。新人と話した時の事を思い出しているのだろう。
確かにこの仕事は一生食べていける仕事だからと選ぶ人も多い。二級建築士なら、頑張れば取れない資格ではないし、一級建築士も実務期間が不要になったので学生でも取得可能になった。この仕事が好きかどうかは別として、資格があれば自分で事務所を構えることも出来る仕事なので、好きなように仕事が出来る数少ない職業でもある。
だからこそ、この仕事が好きだとわかると嬉しいものだ。その気持ちは分からないでもない。
「だからって採用するとか……今、マンションのリノベーションが五件も入ってるんですが……」
教えられる人がいないと克彦がアピールするが、社長は、ちょうどいいじゃないか、と笑う。
「彼に仕事を振ってみたらいい」
社長はそう言って克彦にファイルを預けていった。克彦が大きなため息を吐き、それを開く。
「……辻本匠……」
中に挟まっていた履歴書を見て、克彦は呟いた。
よろしくお願いします、とキラキラ輝いた目で言われ、克彦はその笑顔に目を奪われた。
小柄で、可愛らしい顔立ちをしている匠は、着なれないスーツも七五三を思わせ、愛らしかった。
「……市原主任?」
見つめ過ぎてしまったのだろう、匠がこちらを不思議そうな顔で窺う。それに克彦は、いや、と曖昧な前置きをしてから口を開いた。
「君の上司になる市原だ。どういう経緯で入社したかは社長から聞いている。就活はすんなり通ったかもしれないが仕事はそんなに簡単じゃない。覚悟しておきなさい」
「はい! 俺、ここに入れて……市原主任と仕事ができるだけで嬉しいです!」
よろしくおねがいします、とオフィス内に響き渡る声で言われ、克彦は大きくため息を吐いた。
元気でまっすぐでやる気に満ち溢れた匠を前にしたら、確かに折れてしまうだろう。この熱に圧され採用してしまった社長の気持ちが少し理解できた。
この子の傍に居ると、不思議と元気になる。そんな気がしてオフィスを見渡すと、みなが匠を見て微笑んでいた。
「私は甘くないよ」
「はい。大丈夫です」
頑張れます、と微笑んだその顔は、本当に可愛らしくて、一瞬で克彦の心を奪っていった。
初めて誰かを素直に、好きだな、と感じた瞬間だった。
本当は採るつもりなかったんだけど、新人が入るから、と社長から言われたのは、三月の半ばだった。
克彦が勤める建築デザイン事務所は、建築士を引退した社長以下、三名の一級建築士と六名の二級建築士、それに事務職員二名が勤めている小さな事務所だ。
克彦の他の一級建築士は、主にビルや橋などの大きなものの設計を担当し、克彦と二級建築士は住宅の担当をしている。それ故の『主任』の肩書なのだが、仕事の数で言えば他二人の一級建築士よりも克彦の方が断然多い。入社当時一番若い一級建築士だったので仕方ないだろうと今は思っているし、どんな仕事でも設計は楽しいので、克彦は現状で満足していた。
だが、新人が入るとなれば別だ。
「今年は採らないって、言ってましたよね?」
克彦が社長に眇めた目を向けると、社長はそれに苦く笑いながら、でもね、と口を開いた。
「採用がないのは分かってるけど、面接をして欲しい、どうしてもここで仕事がしたい、なんて言われたら絆されるじゃない?」
社長の言葉に克彦がため息を吐く。絆される社長もそうだが、採用がないことを分かった上でそんなことを言う奴も少しおかしい。
「それで、うっかり採用したんですか?」
「うん……彼ね、うちで設計した建物の話、めちゃくちゃ楽しそうにしてたんだよ。特に市原くんの設計が好きで、マンションのチラシとかも大事にとってあるらしくて……ああ、この子、ホントに設計が好きなんだって、思ったんだよ」
社長が嬉しそうに話す。新人と話した時の事を思い出しているのだろう。
確かにこの仕事は一生食べていける仕事だからと選ぶ人も多い。二級建築士なら、頑張れば取れない資格ではないし、一級建築士も実務期間が不要になったので学生でも取得可能になった。この仕事が好きかどうかは別として、資格があれば自分で事務所を構えることも出来る仕事なので、好きなように仕事が出来る数少ない職業でもある。
だからこそ、この仕事が好きだとわかると嬉しいものだ。その気持ちは分からないでもない。
「だからって採用するとか……今、マンションのリノベーションが五件も入ってるんですが……」
教えられる人がいないと克彦がアピールするが、社長は、ちょうどいいじゃないか、と笑う。
「彼に仕事を振ってみたらいい」
社長はそう言って克彦にファイルを預けていった。克彦が大きなため息を吐き、それを開く。
「……辻本匠……」
中に挟まっていた履歴書を見て、克彦は呟いた。
よろしくお願いします、とキラキラ輝いた目で言われ、克彦はその笑顔に目を奪われた。
小柄で、可愛らしい顔立ちをしている匠は、着なれないスーツも七五三を思わせ、愛らしかった。
「……市原主任?」
見つめ過ぎてしまったのだろう、匠がこちらを不思議そうな顔で窺う。それに克彦は、いや、と曖昧な前置きをしてから口を開いた。
「君の上司になる市原だ。どういう経緯で入社したかは社長から聞いている。就活はすんなり通ったかもしれないが仕事はそんなに簡単じゃない。覚悟しておきなさい」
「はい! 俺、ここに入れて……市原主任と仕事ができるだけで嬉しいです!」
よろしくおねがいします、とオフィス内に響き渡る声で言われ、克彦は大きくため息を吐いた。
元気でまっすぐでやる気に満ち溢れた匠を前にしたら、確かに折れてしまうだろう。この熱に圧され採用してしまった社長の気持ちが少し理解できた。
この子の傍に居ると、不思議と元気になる。そんな気がしてオフィスを見渡すと、みなが匠を見て微笑んでいた。
「私は甘くないよ」
「はい。大丈夫です」
頑張れます、と微笑んだその顔は、本当に可愛らしくて、一瞬で克彦の心を奪っていった。
初めて誰かを素直に、好きだな、と感じた瞬間だった。
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