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甘い週末を越えた月曜日の午後、匠は克彦に呼ばれ、デスクの前に立った。
「なんでしょうか……?」
何かミスでもしたかと匠が恐々聞くと、克彦は一枚の紙を匠に手渡した。
「サクラハウスの依頼書だ。担当の指名があった」
新築のテラスハウスのデザイン依頼のそれには、確かにデザイン依頼に自分の名前が書かれていた。そして物件の担当は東屋だ。
いつかの口約束を実現してくれたのだと匠はすぐに分かった。けれど匠は表情に出さずに克彦を見つめた。その顔は少し険しくなっている。きっと、自分の指名を不思議に思っているのだろう。他の社員ならあり得ないこともないが、匠に指名なんてまずない。
東屋と匠が仲良くしているのも克彦は知っているし、これが何かの取引かと疑いもあるだろう。
「……まあ、最近は頑張ってるようだから、やってみるといい」
克彦は表情を緩めると優しくそう言った。匠は驚きながらも嬉しくて満面の笑みを克彦に向けた。
「はい、頑張ります!」
匠は一度頭を下げるとすぐにデスクに戻り、スマホを手に取った。東屋の番号を出しながらオフィスを出て、廊下の壁にもたれる。
『匠くん? 嬉しいな、そっちから電話くれるなんて』
いつもの明るい声で東屋が出た瞬間、匠は、ありがとう、とすぐに言った。一瞬、東屋が黙ったがすぐに理解したのか、ああ、と声を返す。
『依頼書届いた? 市原さん、オッケーだしてくれた?』
指名は基本こちらで変える事はできないのだが、匠の場合はさすがに克彦判断で別の人になる可能性もなくはなかった。それを東屋も感じていたのだろう。
「うん、頑張れって言ってもらえた。ありがとう、東屋さん」
『どういたしまして、と言いたいところだけど、こっちにも下心あるから、お礼はいいよ』
東屋がそう言って笑う。匠は、でも、と言葉を返した。
「東屋さんのお陰には違いないから。ありがとう」
『毅って呼んでよ』
「……え?」
東屋の突然の言葉に匠が聞き返す。その反応が面白かったのか、東屋がくすりと笑ってから言った。
『一晩付き合えなんて言わないから、毅って呼んで。もちろん、一回でいい。でも、恋人を呼ぶみたいに、言ってみて』
「……今?」
『――が、いいな。直接会って言われたいけど、そんなことされたらそのまま押し倒しちゃいそうだし』
だから、と言われ、匠はぐっと唇を噛んだ。それから決心したように息を吸い込む。
「つ、毅……」
『他人行儀』
「え、ダメ出し?」
『恋人を呼ぶみたいにって言ったよ』
東屋に言われ、匠は息を吐いた。いつも克彦をどう呼んでいたかを思い出す。名前を呼ぶだけでも好きって気持ちが伝わるように呼んでいた。もう自分の一部みたいにフランクなんだけど、愛しい――そんなふうに。
「……毅……ありがとう」
匠がそう言った瞬間だった。オフィスのドアが開いて、克彦が出てくる。その顔と目が合い、匠は気まずさで視線を逸らす。
「市原さん、一番に電話です。出かける前に出てもらえますか?」
続いて顔を出したのは水谷だった。出かける克彦を追ってきたのだろう。
匠はその水谷に視線を向ける。克彦の視線は相変わらずこちらにあるのは、分かっていたが、目を合わせることはできなかった。
『……匠くん?』
電話の向こうで東屋がこちらの空気を読んだのだろう、小さく聞いてくる。
「すみません、これで失礼します」
匠は仕事の電話を装い、通話を切る。すると、水谷が匠に微笑んだ。
「さっそく資料の問い合わせでもしてたの?」
「あ、はい……一応」
匠はそう答えてから、克彦を見上げた。何も信用していない目だった。どこか寂しそうな克彦の横をすり抜け、匠はオフィスへと入った。
「俺、仕事に戻ります」
「うん、頑張って。で、市原さんは電話、お願いします」
水谷に言われ、克彦は、ああ、と言葉を返してオフィスに戻る。近くの電話を取って話を始めた姿を見て、匠は大きく息を吐いた。
「聞かれた、かな……」
あの反応はもしかしたら聞かれたのかもしれない。どっちにせよ、オフィスを出て自分のスマホで喋っていたのだ、仕事の電話とは思ってくれないだろう。どうか聞かれていませんように、と祈り、匠は仕事に戻った。
「なんでしょうか……?」
何かミスでもしたかと匠が恐々聞くと、克彦は一枚の紙を匠に手渡した。
「サクラハウスの依頼書だ。担当の指名があった」
新築のテラスハウスのデザイン依頼のそれには、確かにデザイン依頼に自分の名前が書かれていた。そして物件の担当は東屋だ。
いつかの口約束を実現してくれたのだと匠はすぐに分かった。けれど匠は表情に出さずに克彦を見つめた。その顔は少し険しくなっている。きっと、自分の指名を不思議に思っているのだろう。他の社員ならあり得ないこともないが、匠に指名なんてまずない。
東屋と匠が仲良くしているのも克彦は知っているし、これが何かの取引かと疑いもあるだろう。
「……まあ、最近は頑張ってるようだから、やってみるといい」
克彦は表情を緩めると優しくそう言った。匠は驚きながらも嬉しくて満面の笑みを克彦に向けた。
「はい、頑張ります!」
匠は一度頭を下げるとすぐにデスクに戻り、スマホを手に取った。東屋の番号を出しながらオフィスを出て、廊下の壁にもたれる。
『匠くん? 嬉しいな、そっちから電話くれるなんて』
いつもの明るい声で東屋が出た瞬間、匠は、ありがとう、とすぐに言った。一瞬、東屋が黙ったがすぐに理解したのか、ああ、と声を返す。
『依頼書届いた? 市原さん、オッケーだしてくれた?』
指名は基本こちらで変える事はできないのだが、匠の場合はさすがに克彦判断で別の人になる可能性もなくはなかった。それを東屋も感じていたのだろう。
「うん、頑張れって言ってもらえた。ありがとう、東屋さん」
『どういたしまして、と言いたいところだけど、こっちにも下心あるから、お礼はいいよ』
東屋がそう言って笑う。匠は、でも、と言葉を返した。
「東屋さんのお陰には違いないから。ありがとう」
『毅って呼んでよ』
「……え?」
東屋の突然の言葉に匠が聞き返す。その反応が面白かったのか、東屋がくすりと笑ってから言った。
『一晩付き合えなんて言わないから、毅って呼んで。もちろん、一回でいい。でも、恋人を呼ぶみたいに、言ってみて』
「……今?」
『――が、いいな。直接会って言われたいけど、そんなことされたらそのまま押し倒しちゃいそうだし』
だから、と言われ、匠はぐっと唇を噛んだ。それから決心したように息を吸い込む。
「つ、毅……」
『他人行儀』
「え、ダメ出し?」
『恋人を呼ぶみたいにって言ったよ』
東屋に言われ、匠は息を吐いた。いつも克彦をどう呼んでいたかを思い出す。名前を呼ぶだけでも好きって気持ちが伝わるように呼んでいた。もう自分の一部みたいにフランクなんだけど、愛しい――そんなふうに。
「……毅……ありがとう」
匠がそう言った瞬間だった。オフィスのドアが開いて、克彦が出てくる。その顔と目が合い、匠は気まずさで視線を逸らす。
「市原さん、一番に電話です。出かける前に出てもらえますか?」
続いて顔を出したのは水谷だった。出かける克彦を追ってきたのだろう。
匠はその水谷に視線を向ける。克彦の視線は相変わらずこちらにあるのは、分かっていたが、目を合わせることはできなかった。
『……匠くん?』
電話の向こうで東屋がこちらの空気を読んだのだろう、小さく聞いてくる。
「すみません、これで失礼します」
匠は仕事の電話を装い、通話を切る。すると、水谷が匠に微笑んだ。
「さっそく資料の問い合わせでもしてたの?」
「あ、はい……一応」
匠はそう答えてから、克彦を見上げた。何も信用していない目だった。どこか寂しそうな克彦の横をすり抜け、匠はオフィスへと入った。
「俺、仕事に戻ります」
「うん、頑張って。で、市原さんは電話、お願いします」
水谷に言われ、克彦は、ああ、と言葉を返してオフィスに戻る。近くの電話を取って話を始めた姿を見て、匠は大きく息を吐いた。
「聞かれた、かな……」
あの反応はもしかしたら聞かれたのかもしれない。どっちにせよ、オフィスを出て自分のスマホで喋っていたのだ、仕事の電話とは思ってくれないだろう。どうか聞かれていませんように、と祈り、匠は仕事に戻った。
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