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東屋と店の前で別れた匠は、駅までの道をゆっくりと歩いた。東屋と話すと、話題が尽きないせいか、いつも時間があっという間に過ぎていく。その分酒の量も増え、匠は完全に飲みすぎの状態で店を出ることになる。
しかし、そこで飲みすぎていることが東屋に知れると、送っていく、と言われてしまうので匠はなんでもない風を装い歩いた。それゆえ足取りはゆっくりになってしまうが、髪を梳いていくように吹く夜風が心地よく、次第にほどよく酔いも醒めて行く。この感じだと家に着くころには酩酊感も大分薄れているだろう。克彦に無防備に飲みすぎるなと小言を言われることもないはずだ。
駅へ続く横断歩道の前で赤信号を見上げた匠は人ごみの中に足を止めた。終電も近いためか、駅前は人で溢れている。
匠はそれに紛れるように、ぼんやりと車道を見つめていた。何台もの車が通り過ぎ、やがて信号が変わって車の波が途切れる。そこで先頭の車に見覚えがあった匠は自然とそちらに視線を動かした。克彦が乗っている車と同じものだった。どんな人が乗っているのだろうと、運転席に目を凝らした次の瞬間、匠は息を呑んだ。
「克……彦……?」
そこには、助手席に乗せた若い男と談笑する恋人の姿があった。自分にはあまり見せない、リラックスした笑顔を向けている。相手の男も随分親しいのか、克彦の肩を叩きながら笑っている。克彦のように頭のよさそうな顔をしているが、克彦よりもずっと柔らかい感じがする。誰が見てもイケメンの部類に入る、自分とは比較にならないその相手を見て、匠は呆然としてしまった。人型の信号が青に変わり、人の波が動き出しても、匠は少しも足を動かすことができなかった。後ろから来た人が動かない匠を邪魔そうに避けていく。それでも匠は再び車が動いて、自分の視界から克彦の車が消えていくまでそこを動くことができなかった。
結局終電を逃した匠は、タクシーで家まで帰ってきた。ここまで何も考えられなかった。玄関からまっすぐに自室へ辿り着くと、匠はベッドに体全部を投げ出して目を閉じた。
「浮気……だよな……」
改めて口にすると胸がひどく痛む。
このところ忙しくて、恋人らしい時間も持てていなかった。その上、質問責めにするな、などと生意気なことも言っていたし、克彦が愛想を尽かすことがあってもそれを責めることはできないのかもしれない。
自分は浮気されて当然のことを重ねてきたのだから――何も言えない。
「でも……」
呟くと、瞳の奥からじわりと濡れていく感覚がした。溢れた滴はまつげを伝い、頬へと流れ落ちていく。
自分から克彦が離れていくことを想像もできなかった。他人のものになるなんて思っただけで体か震えるほど怖い。こんな気持ちを初めて知った。
知らないうちに、自分は克彦を必要としていたのだ。生活するためではなく、心の底からその存在が欲しいと願っていた。自分にとって、なによりも大事な存在だったのだ。
「……好き、克彦……」
言葉にすると、また涙が溢れる。
好き、好き。たまらなく好き。他の誰かになんか絶対に譲りたくない。例え克彦の気持ちが恋人としての愛情でなくても、克彦は自分の元に居て欲しい。
匠は起き上がると、手のひらで涙を拭った。
――取り返そう、克彦を。
克彦が、傍にいたい、大事にしたい、誰よりも好きだ、と思ってくれる存在になりたい。
自分にできることなら何でもしたい。
甘えるだけの自分からは卒業して、克彦と並べる自分になる――そうすればきっと克彦の心は帰って来るはずだ。これからも毎日克彦の隣にいられるはずだ。
「そう、だよね……克彦……」
呟いて目を閉じる。もう涙が出ることはなかった。
しかし、そこで飲みすぎていることが東屋に知れると、送っていく、と言われてしまうので匠はなんでもない風を装い歩いた。それゆえ足取りはゆっくりになってしまうが、髪を梳いていくように吹く夜風が心地よく、次第にほどよく酔いも醒めて行く。この感じだと家に着くころには酩酊感も大分薄れているだろう。克彦に無防備に飲みすぎるなと小言を言われることもないはずだ。
駅へ続く横断歩道の前で赤信号を見上げた匠は人ごみの中に足を止めた。終電も近いためか、駅前は人で溢れている。
匠はそれに紛れるように、ぼんやりと車道を見つめていた。何台もの車が通り過ぎ、やがて信号が変わって車の波が途切れる。そこで先頭の車に見覚えがあった匠は自然とそちらに視線を動かした。克彦が乗っている車と同じものだった。どんな人が乗っているのだろうと、運転席に目を凝らした次の瞬間、匠は息を呑んだ。
「克……彦……?」
そこには、助手席に乗せた若い男と談笑する恋人の姿があった。自分にはあまり見せない、リラックスした笑顔を向けている。相手の男も随分親しいのか、克彦の肩を叩きながら笑っている。克彦のように頭のよさそうな顔をしているが、克彦よりもずっと柔らかい感じがする。誰が見てもイケメンの部類に入る、自分とは比較にならないその相手を見て、匠は呆然としてしまった。人型の信号が青に変わり、人の波が動き出しても、匠は少しも足を動かすことができなかった。後ろから来た人が動かない匠を邪魔そうに避けていく。それでも匠は再び車が動いて、自分の視界から克彦の車が消えていくまでそこを動くことができなかった。
結局終電を逃した匠は、タクシーで家まで帰ってきた。ここまで何も考えられなかった。玄関からまっすぐに自室へ辿り着くと、匠はベッドに体全部を投げ出して目を閉じた。
「浮気……だよな……」
改めて口にすると胸がひどく痛む。
このところ忙しくて、恋人らしい時間も持てていなかった。その上、質問責めにするな、などと生意気なことも言っていたし、克彦が愛想を尽かすことがあってもそれを責めることはできないのかもしれない。
自分は浮気されて当然のことを重ねてきたのだから――何も言えない。
「でも……」
呟くと、瞳の奥からじわりと濡れていく感覚がした。溢れた滴はまつげを伝い、頬へと流れ落ちていく。
自分から克彦が離れていくことを想像もできなかった。他人のものになるなんて思っただけで体か震えるほど怖い。こんな気持ちを初めて知った。
知らないうちに、自分は克彦を必要としていたのだ。生活するためではなく、心の底からその存在が欲しいと願っていた。自分にとって、なによりも大事な存在だったのだ。
「……好き、克彦……」
言葉にすると、また涙が溢れる。
好き、好き。たまらなく好き。他の誰かになんか絶対に譲りたくない。例え克彦の気持ちが恋人としての愛情でなくても、克彦は自分の元に居て欲しい。
匠は起き上がると、手のひらで涙を拭った。
――取り返そう、克彦を。
克彦が、傍にいたい、大事にしたい、誰よりも好きだ、と思ってくれる存在になりたい。
自分にできることなら何でもしたい。
甘えるだけの自分からは卒業して、克彦と並べる自分になる――そうすればきっと克彦の心は帰って来るはずだ。これからも毎日克彦の隣にいられるはずだ。
「そう、だよね……克彦……」
呟いて目を閉じる。もう涙が出ることはなかった。
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