うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)

みづき(藤吉めぐみ)

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 数日後のオフィスで、克彦からふられた戸建のリフォームデザインに取り掛かっていた匠は、PCの端に表示された時間を見て、大きく伸びをした。いつの間にか昼休みに入っていて、気づけば隣で仕事をしていたはずの水谷もいない。多分、自分が周りも見えないくらい集中していたのであえて声を掛けなかったのだろう。どうやら今日は一人ランチになりそうだ。
 デスクで弁当を食べている他の社員に昼に出ることを伝え、匠はオフィスを出た。一人でも平気なのはやはり行きつけの『梵天』か、と思いながらロビーまで出ると、そこに克彦がいた。こちらに向かって歩いてくるその隣には水谷もいる。匠は咄嗟に非常口の傍に走りこみ、身を隠した。
 どうして隠れるんだ? と自分で思いながらも隠れてしまったのは仕方ないのでそっと二人の様子を見つめる。エレベーター前まで来た水谷は克彦に、ご馳走様でした、と笑いかけた。
「久々にあんな美味しいもの食べました。わざわざ予約までして、しかもコースなんて、ホントによかったんですか?」
「水谷なら構わないよ。余計な仕事も押し付けているし、約束だからな。口にあってよかった」
 克彦はそう言うと、いつもは自分だけに見せているような笑顔を水谷に向けた。その瞬間、なぜだか匠の胸が痛む。
 それから二人がエレベーターに乗り込むまで、匠はそこを動けなかった。どうしてか、気持ちが泥沼に落ちていくようでただ呆然とする。
 水谷は自分なんかよりもずっと前から克彦を知っていて、一緒に仕事をしていて、お互いを信頼している関係なのは知っているし、わかっている。だから、上司として克彦が部下である水谷をランチに連れて行くくらい、ビジネスの潤滑油として考えれば当然なのだろう。実際水谷は、自分みたいな未熟者の指導もしてくれているし、克彦から見れば頼りにしている部下の一人なんだと思う。それに以前、ランチを奢るという約束をしているのを見ている。それもわかっているのに、胸の底が熱くなっていて、自分でもそれを冷ますことが出来ない。
 だって、それなら二人きりじゃなくてもいいじゃないか。予約までするような店、自分だって連れて行って貰った事ないのにどうして水谷を連れていくのか。そんなことばかり考えてしまう。
 もし、あの戸建ての仕事を上手くやっていたら自分もあんなふうにランチに行けたのだろうか。いつもは二人きりでなんて絶対に行くことができないけれど、これは仕事のご褒美だからと理由をつけることができたのかもしれない。
 でも、自分にはできなかった。
「……昼、行こう……」
 食欲もすっかり減退していたが、とにかく考える時間が欲しくて匠は外に出た。
 自分にとって克彦は、自分を宝物だと言い、大事にしてくれる人で、でも自分は同じ気持ちだと言い切れるわけではなくて、どこか不安もあって、自分が克彦をどう思っているかよくわからなかった。克彦と居ると気分がいいとか楽だとか安心するとか、そんな家族に近いものなのかもしれないとすら思っていた。
 けれど、自分は水谷に嫉妬したのだ。自分だけのものだと思っていた笑顔を水谷に向けている克彦に、怒鳴りたいと思ってしまったのだ。
 この感情があるということは自分は――
 そこまで考えた時だった。
「あぶない!」
 その声と腕を引かれる感覚に、匠は驚いてあたりを見回した。
「信号よく見て歩けって、子供の時言われただろ?」
 そう言って安堵したようにため息を吐いていたのは、東屋だった。自分はぼんやりとしながら『梵天』に続くいつもの道を歩いていて信号を見落としていたらしい。
「ごめん、ありがと……」
「これから打ち合わせにそっち行こうと思ってたんだけど、匠くんはこれから昼?」
「うん、少し午前中の仕事押して」
 匠が答えると、残念だな、と東屋は笑った。
「僕もう昼済ませちゃったよ、匠くんとランチのチャンスだったのに。今度、一緒にランチどう?」
「あ、うん……連絡くれれば、都合つけるよ」
「じゃあ、約束。また電話するから」
 気をつけて行けよ、と言われ、匠が頷くと笑顔で東屋はその場を離れた。その後姿を見送ってから、今度は信号を確認して再び歩き出す。そして、ふと思った。
「……これって、克彦と同じ、かな?」
 ランチの約束を何気なくした。克彦だってそうだった。きっと律儀な克彦はその約束を果たしたのだろう――そう考えたら、なんだか胃の奥に痞えていた何かが落ちて行ったような気がした。
 きっとそう、そうに違いない。他には何もない。
 匠は未だに胸の奥底で消えない火種のような不安を踏み消すように自分に言い聞かせ歩き出した。
「今日は早く帰ろう」
 なぜか、克彦といたい、そう思えた。
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