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 水谷から貰った仕事を片付け、家に戻ったのは夜の九時過ぎだった。会社を出る時には、まだ克彦は電話で打ち合わせをしているところで、匠はそれを無視してきたのだ。
 帰り道に自分の分だけ弁当を買い、克彦の作るご飯よりも不味いそれをつつきながらビール片手にソファに沈んでテレビを見ていると、ほどなくして克彦が帰ってきた。ただいま、という言葉に、匠は返事をしなかった。
「匠? コンビニの弁当なんか食ってるのか」
 作ってやるのに、と克彦は自分の部屋に入っていった。しばらくして着替えて出てきた克彦が匠の隣に座る。それでも匠は何も言わずテレビを見ていた。
「匠……機嫌、よくない?」
 わかってるくせに、と思いながら匠はビールを呷る。その様子を見ていた克彦がそっと匠の手からビールを取った。
「何……」
 何するんだ、と言おうとした匠の体を克彦が抱き寄せる。こんな気分の時にこんなことされたくなくて、匠は克彦の腕から逃れようともがいた。そんな匠の耳元で克彦が囁くように口を開いた。
「……ばかでいいから……こっち見て、声聞かせて」
「……え?」
「匠に無視されたら、死んでしまうよ」
 一層強く抱きしめられ、匠はどうしたらいいのかわからずに、ただ抱きしめられる。
「会社出た時、克彦のばかって、匠の声が聞こえた。私の言い方が悪かったのかもしれない……すまない」
「聞こえてたんだ……」
 克彦は頷くと、そっと匠を離して、顔を見つめた。
「あんなことで匠の気持ちが収まるなら、いくらでも罵っていい。だけど……ちゃんと私のことを見て欲しい」
 いないことにしないでくれ――そう言われ、匠は頷いた。克彦のこんなに切ない表情など、これまで見たことがなかったのだ。
「……俺のこと、克彦はどう思ってる? 仕事でもちゃんと認めてくれてる?」
「匠が誰よりも大切だ。私の宝物だ。だけど、仕事では……これからも辛い思いもさせるかもしれない。でもこれは、水谷や真田、もちろん私も通ってきている道なんだ。匠のことを認めているからこそ、厳しくなってしまうことを分かって欲しい」
 これまで克彦は、仕事の話に触れることも嫌っていた。匠が克彦のデザインしたマンションの話でもしようものなら、すくに窘められ、別の話にすり替えられていた。同じ職場にいるからこそ、オンとオフの使い分けをしようとしているのだと匠にもわかったので、仕方ないと思っていた。
 だからこんなふうにでも仕事の話をするなんて、克彦にとって、自分の態度は相当堪えたのだろうと思った。それだけ自分は愛されているのかもしれない。
「じゃあ、もうあんなことしないで。俺に任せたのなら、最後まで俺にやらせて」
 屈辱だった。端から期待していないと言われているようで悔しかった。大きなミスをしたのはもちろん自分だけれども、保険をかけられるのは納得がいかない。
「……それは、約束できない。匠次第のことだから」
 克彦が言いにくそうに言葉にする。恋人の話はできる限り聞いてやりたいが、上司としての克彦の考えはまた別のところにあるということなのだろう。
「俺だって、でかい仕事貰えれば頑張るよ。克彦が認める仕事、絶対するよ!」
 小さな仕事ばかりじゃ、いつまでも克彦に認めてもらえないし、デザイナーとは呼べない。早く一人前になるには、大きな仕事をやりたい、もう任せてもらえてもいい頃だとも思っている。けれど克彦は渋い表情を見せ、ごめん、と口を開いた。
「それはまだできない。確かに私たちは年間何十件のデザインをする。だから一件くらいと匠は思うかもしれないけど、まだできないんだ――風呂、入れてくるよ。それ食べたら入るだろ?」
 待ってて、と克彦は逃げるように匠の傍から離れた。これ以上は仕事の話をしてくれないようだ。匠は大きくため息を吐いてソファの背もたれに体を預けた。
「克彦のばーか……」
 大きな仕事をくれたら、それだけで自分の機嫌なんか元通りになるというのに、克彦はそれをしてくれない。しかも、克彦の立場ならいくらでも簡単に、自分に仕事をふることが出来るにも拘らず、だ。恋人の機嫌をとるためなら、そのくらいしてくれてもいいと思う。自分だったらする。相手を自分の傍に留めておくためにできることなら何でもする。
 それが恋というものなんじゃないだろうか。
「……克彦の頭の中ってどうなってるんだろ……」
 匠はため息を吐いてリビングのドアの向こうを見つめた。そこに風呂の支度を終えた克彦が戻ってくる。その目が、何、とこちらを伺う。
「なんでもなーい。先、風呂入る」
「うん。あったまっておいで」
 いつもの優しい声に見送られ、匠はリビングを後にした。
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