11 / 47
11
しおりを挟む
水谷から貰った仕事を片付け、家に戻ったのは夜の九時過ぎだった。会社を出る時には、まだ克彦は電話で打ち合わせをしているところで、匠はそれを無視してきたのだ。
帰り道に自分の分だけ弁当を買い、克彦の作るご飯よりも不味いそれをつつきながらビール片手にソファに沈んでテレビを見ていると、ほどなくして克彦が帰ってきた。ただいま、という言葉に、匠は返事をしなかった。
「匠? コンビニの弁当なんか食ってるのか」
作ってやるのに、と克彦は自分の部屋に入っていった。しばらくして着替えて出てきた克彦が匠の隣に座る。それでも匠は何も言わずテレビを見ていた。
「匠……機嫌、よくない?」
わかってるくせに、と思いながら匠はビールを呷る。その様子を見ていた克彦がそっと匠の手からビールを取った。
「何……」
何するんだ、と言おうとした匠の体を克彦が抱き寄せる。こんな気分の時にこんなことされたくなくて、匠は克彦の腕から逃れようともがいた。そんな匠の耳元で克彦が囁くように口を開いた。
「……ばかでいいから……こっち見て、声聞かせて」
「……え?」
「匠に無視されたら、死んでしまうよ」
一層強く抱きしめられ、匠はどうしたらいいのかわからずに、ただ抱きしめられる。
「会社出た時、克彦のばかって、匠の声が聞こえた。私の言い方が悪かったのかもしれない……すまない」
「聞こえてたんだ……」
克彦は頷くと、そっと匠を離して、顔を見つめた。
「あんなことで匠の気持ちが収まるなら、いくらでも罵っていい。だけど……ちゃんと私のことを見て欲しい」
いないことにしないでくれ――そう言われ、匠は頷いた。克彦のこんなに切ない表情など、これまで見たことがなかったのだ。
「……俺のこと、克彦はどう思ってる? 仕事でもちゃんと認めてくれてる?」
「匠が誰よりも大切だ。私の宝物だ。だけど、仕事では……これからも辛い思いもさせるかもしれない。でもこれは、水谷や真田、もちろん私も通ってきている道なんだ。匠のことを認めているからこそ、厳しくなってしまうことを分かって欲しい」
これまで克彦は、仕事の話に触れることも嫌っていた。匠が克彦のデザインしたマンションの話でもしようものなら、すくに窘められ、別の話にすり替えられていた。同じ職場にいるからこそ、オンとオフの使い分けをしようとしているのだと匠にもわかったので、仕方ないと思っていた。
だからこんなふうにでも仕事の話をするなんて、克彦にとって、自分の態度は相当堪えたのだろうと思った。それだけ自分は愛されているのかもしれない。
「じゃあ、もうあんなことしないで。俺に任せたのなら、最後まで俺にやらせて」
屈辱だった。端から期待していないと言われているようで悔しかった。大きなミスをしたのはもちろん自分だけれども、保険をかけられるのは納得がいかない。
「……それは、約束できない。匠次第のことだから」
克彦が言いにくそうに言葉にする。恋人の話はできる限り聞いてやりたいが、上司としての克彦の考えはまた別のところにあるということなのだろう。
「俺だって、でかい仕事貰えれば頑張るよ。克彦が認める仕事、絶対するよ!」
小さな仕事ばかりじゃ、いつまでも克彦に認めてもらえないし、デザイナーとは呼べない。早く一人前になるには、大きな仕事をやりたい、もう任せてもらえてもいい頃だとも思っている。けれど克彦は渋い表情を見せ、ごめん、と口を開いた。
「それはまだできない。確かに私たちは年間何十件のデザインをする。だから一件くらいと匠は思うかもしれないけど、まだできないんだ――風呂、入れてくるよ。それ食べたら入るだろ?」
待ってて、と克彦は逃げるように匠の傍から離れた。これ以上は仕事の話をしてくれないようだ。匠は大きくため息を吐いてソファの背もたれに体を預けた。
「克彦のばーか……」
大きな仕事をくれたら、それだけで自分の機嫌なんか元通りになるというのに、克彦はそれをしてくれない。しかも、克彦の立場ならいくらでも簡単に、自分に仕事をふることが出来るにも拘らず、だ。恋人の機嫌をとるためなら、そのくらいしてくれてもいいと思う。自分だったらする。相手を自分の傍に留めておくためにできることなら何でもする。
それが恋というものなんじゃないだろうか。
「……克彦の頭の中ってどうなってるんだろ……」
匠はため息を吐いてリビングのドアの向こうを見つめた。そこに風呂の支度を終えた克彦が戻ってくる。その目が、何、とこちらを伺う。
「なんでもなーい。先、風呂入る」
「うん。あったまっておいで」
いつもの優しい声に見送られ、匠はリビングを後にした。
帰り道に自分の分だけ弁当を買い、克彦の作るご飯よりも不味いそれをつつきながらビール片手にソファに沈んでテレビを見ていると、ほどなくして克彦が帰ってきた。ただいま、という言葉に、匠は返事をしなかった。
「匠? コンビニの弁当なんか食ってるのか」
作ってやるのに、と克彦は自分の部屋に入っていった。しばらくして着替えて出てきた克彦が匠の隣に座る。それでも匠は何も言わずテレビを見ていた。
「匠……機嫌、よくない?」
わかってるくせに、と思いながら匠はビールを呷る。その様子を見ていた克彦がそっと匠の手からビールを取った。
「何……」
何するんだ、と言おうとした匠の体を克彦が抱き寄せる。こんな気分の時にこんなことされたくなくて、匠は克彦の腕から逃れようともがいた。そんな匠の耳元で克彦が囁くように口を開いた。
「……ばかでいいから……こっち見て、声聞かせて」
「……え?」
「匠に無視されたら、死んでしまうよ」
一層強く抱きしめられ、匠はどうしたらいいのかわからずに、ただ抱きしめられる。
「会社出た時、克彦のばかって、匠の声が聞こえた。私の言い方が悪かったのかもしれない……すまない」
「聞こえてたんだ……」
克彦は頷くと、そっと匠を離して、顔を見つめた。
「あんなことで匠の気持ちが収まるなら、いくらでも罵っていい。だけど……ちゃんと私のことを見て欲しい」
いないことにしないでくれ――そう言われ、匠は頷いた。克彦のこんなに切ない表情など、これまで見たことがなかったのだ。
「……俺のこと、克彦はどう思ってる? 仕事でもちゃんと認めてくれてる?」
「匠が誰よりも大切だ。私の宝物だ。だけど、仕事では……これからも辛い思いもさせるかもしれない。でもこれは、水谷や真田、もちろん私も通ってきている道なんだ。匠のことを認めているからこそ、厳しくなってしまうことを分かって欲しい」
これまで克彦は、仕事の話に触れることも嫌っていた。匠が克彦のデザインしたマンションの話でもしようものなら、すくに窘められ、別の話にすり替えられていた。同じ職場にいるからこそ、オンとオフの使い分けをしようとしているのだと匠にもわかったので、仕方ないと思っていた。
だからこんなふうにでも仕事の話をするなんて、克彦にとって、自分の態度は相当堪えたのだろうと思った。それだけ自分は愛されているのかもしれない。
「じゃあ、もうあんなことしないで。俺に任せたのなら、最後まで俺にやらせて」
屈辱だった。端から期待していないと言われているようで悔しかった。大きなミスをしたのはもちろん自分だけれども、保険をかけられるのは納得がいかない。
「……それは、約束できない。匠次第のことだから」
克彦が言いにくそうに言葉にする。恋人の話はできる限り聞いてやりたいが、上司としての克彦の考えはまた別のところにあるということなのだろう。
「俺だって、でかい仕事貰えれば頑張るよ。克彦が認める仕事、絶対するよ!」
小さな仕事ばかりじゃ、いつまでも克彦に認めてもらえないし、デザイナーとは呼べない。早く一人前になるには、大きな仕事をやりたい、もう任せてもらえてもいい頃だとも思っている。けれど克彦は渋い表情を見せ、ごめん、と口を開いた。
「それはまだできない。確かに私たちは年間何十件のデザインをする。だから一件くらいと匠は思うかもしれないけど、まだできないんだ――風呂、入れてくるよ。それ食べたら入るだろ?」
待ってて、と克彦は逃げるように匠の傍から離れた。これ以上は仕事の話をしてくれないようだ。匠は大きくため息を吐いてソファの背もたれに体を預けた。
「克彦のばーか……」
大きな仕事をくれたら、それだけで自分の機嫌なんか元通りになるというのに、克彦はそれをしてくれない。しかも、克彦の立場ならいくらでも簡単に、自分に仕事をふることが出来るにも拘らず、だ。恋人の機嫌をとるためなら、そのくらいしてくれてもいいと思う。自分だったらする。相手を自分の傍に留めておくためにできることなら何でもする。
それが恋というものなんじゃないだろうか。
「……克彦の頭の中ってどうなってるんだろ……」
匠はため息を吐いてリビングのドアの向こうを見つめた。そこに風呂の支度を終えた克彦が戻ってくる。その目が、何、とこちらを伺う。
「なんでもなーい。先、風呂入る」
「うん。あったまっておいで」
いつもの優しい声に見送られ、匠はリビングを後にした。
1
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
大きな木の下の車の中で
佑々木(うさぎ)
BL
内科医の佐野は、ある日、手に怪我をした男の治療に当たる。
外科ではないのに、なぜか内科を受診されて、診察室は騒然とした。
同じ日の夜、同僚の送別会に佐野が参加したところ、突然めまいを覚えた。
そこで、倒れる寸前に医局長に支えられたが、実はそれは巧妙な罠で!?
二人に襲い掛かる事件とは。
患者×医師。敬語攻めです。
短編ですので、お楽しみいただけると幸いです。
[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど
だいきち
BL
旭理人は、昔から寂しいとか辛いとか、そういうものをうまく口にできない性格であった。
人の顔色ばかり伺うせいで、デザイナーになるという幼いころからの夢を叶えても、身にならずに脆く崩れ去る。
ままならない人生、そんな人の隙間を縫うように生きてきた旭に変化を与えたのは、一人の男の言葉だった。
変じゃねーよ。お前は何も変じゃねえ。
再就職先である外資系ブランドの取引先相手という立場で再会したのは、専門学生時代に親しくしていた柴崎であった。
学生時代に少しずつ積もらせていた小さな思いが、ゆっくりと形になっていく。
ぶっきらぼうで適当で、顔しか取り柄のない男の隣が、こんなにも居心地がいいなんて。
ぶっきらぼうで適当なスパダリ雰囲気の柴崎(27)×自己肯定感低め、空元気流され不憫受け旭(24)が幸せになるまでの話(長!)
第二章は榊原×大林編です!
これは百貨店で働く俺の話何だけどスピンオフ
大林(24)は、とある理由で体を売っていた。もちろん、勤め先であるブランドのスタッフには秘密である。
しかし、アパレルショップに来たもさい男、榊原(32)に、ひょんなことがきっかけで秘密がばれた!
バラさない変わりに提案されたのは、まさかの榊原宅の家事手伝い!
「どうなるかは、君次第かな。」
「毛玉だらけのネクタイ締めてんじゃねえ!!」
ズレた性格をしている榊原に、日に日に絆されていく。恋心を自覚したとき、榊原の左手に光る指輪に気がついて…
陰湿豹変型溺愛攻め榊原×苦労性メンタルマゾ大林のドタバタラブコメディ!
2022,0928 改稿完了、完結しました!
改稿前の作品はなろうにて!
改稿前と改稿後を乗せるのはNGだったので、アルファポリスでは改稿後のみ掲載します!
前作をブクマしてくださっていて方々には申し訳ございません。近況にてなろうのURLを貼りましたので、お手数ですがお読み頂ける場合はそちらからお願いします。
20201026に初めて小説として書いたこの作品を、今の筆力で書き直しています。
他サイトのコミカライズ原作の公募に向けて鋭意執筆中。®️18はこちらでのみ投稿。
比較としてあえて改稿前も残しています。比較も楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
おだやかDomは一途なSubの腕の中
phyr
BL
リユネルヴェニア王国北の砦で働く魔術師レーネは、ぽやぽやした性格で魔術以外は今ひとつ頼りない。世話をするよりもされるほうが得意なのだが、ある日所属する小隊に新人が配属され、そのうち一人を受け持つことになった。
担当することになった新人騎士ティノールトは、書類上のダイナミクスはNormalだがどうやらSubらしい。Domに頼れず倒れかけたティノールトのためのPlay をきっかけに、レーネも徐々にDomとしての性質を目覚めさせ、二人は惹かれ合っていく。
しかしティノールトの異動によって離れ離れになってしまい、またぼんやりと日々を過ごしていたレーネのもとに、一通の書類が届く。
『貴殿を、西方将軍補佐官に任命する』
------------------------
※10/5-10/27, 11/1-11/23の間、毎日更新です。
※この作品はDom/Subユニバースの設定に基づいて創作しています。一部独自の解釈、設定があります。
表紙は祭崎飯代様に描いていただきました。ありがとうございました。
第11回BL小説大賞にエントリーしております。
【完結】塩対応の同室騎士は言葉が足らない
ゆうきぼし/優輝星
BL
騎士団養成の寄宿学校に通うアルベルトは幼いころのトラウマで閉所恐怖症の発作を抱えていた。やっと広い二人部屋に移動になるが同室のサミュエルは塩対応だった。実はサミュエルは継承争いで義母から命を狙われていたのだ。サミュエルは無口で無表情だがアルベルトの優しさにふれ少しづつ二人に変化が訪れる。
元のあらすじは塩彼氏アンソロ(2022年8月)寄稿作品です。公開終了後、大幅改稿+書き下ろし。
無口俺様攻め×美形世話好き
*マークがついた回には性的描写が含まれます。表紙はpome村さま
他サイトも転載してます。
恋はえてして
蜜鳥
BL
男だけど好みの顔、男だけどどうも気になる......
半年前に中途で入社した年上の男が気になって仕方ない、ポジティブで猪突猛進な熊谷。
宴会の裏でなぜかキスされ、酔っぱらった当の本人(天羽比呂)を部屋に送り届けた時、天羽の身体に刻まれた痕を見つける。
別れた元彼をまだ引きずる天羽と、自分の気持ちを持て余す熊谷。
出張先で元彼と遭遇して二人の距離はぐっと縮まっていく。
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
恋なし、風呂付き、2LDK
蒼衣梅
BL
星座占いワースト一位だった。
面接落ちたっぽい。
彼氏に二股をかけられてた。しかも相手は女。でき婚するんだって。
占い通りワーストワンな一日の終わり。
「恋人のフリをして欲しい」
と、イケメンに攫われた。痴話喧嘩の最中、トイレから颯爽と、さらわれた。
「女ったらしエリート男」と「フラれたばっかの捨てられネコ」が始める偽同棲生活のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる