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もう泣くかも、と思ったその時だった。ジーンズのポケットに仕舞っていたスマホが鳴った。取り出すと、水谷からの着信だった。
「……水谷さん……俺、泣きそう」
いきなりの弱音に、水谷は電話の向こうで小さく息を吐いた。それから優しく言葉を繋ぐ。
『今、どこ? 市原さんが今日は休暇にしていいって……こっち戻りにくかったら荷物持ってくけど』
「……市原主任は?」
『岩島不動産の新しいタワーマンションの現場行ってる。しばらく戻らないでしょ』
「……なら、戻る。水谷さんがくれた、リノベーションの仕事、やんなきゃ」
匠はそう言うと立ち上がり、階段を上がり始めた。電話の向こうで、待ってるね、と言われ、匠が電話を切る。階段室から出て、オフィスに戻ると、端の窓を開け匠は大きく息を吸い込んだ。
「克彦のばかー!」
大声で叫ぶと匠はふう、と息を吐いた。それを見ていた周りの社員が驚いて、そしてすぐに笑い出す。
「いいのか、辻本。市原さん、今出てったばかりだぞ。タイミング的にエントランス出たところかもしれないよ」
近くにいた社員に言われ、匠は、え、と驚く。
「でも、いいんです! こうでもして切り替えなきゃ」
匠の言葉に社員は、頑張れ、と笑った。匠は頷き、自分の席へと戻る。
「すみません、水谷さん。もう大丈夫です」
「そう……よかった。でも、克彦のばかーってのは、いいわね」
あはは、と笑われ匠も一緒に笑う。そんな匠に水谷が、そうだ、と思い出したように言い、手招きした。
「これ見て。真田くんのデザイン」
「え……見なきゃダメですか?」
「ダメです。ほら」
水谷は匠の座った椅子の背もたれを引き寄せ、自分のPC画面を匠に見せた。そこには、地味なグレーのサイディングの家がある。中のデザインも機能的だが、さほど目新しい何かがあるわけではない。キッチンも小さな対面式、階段もリビングの端から伸びるしっかりした木の階段だ。匠から見れば、少し前のデザインに思える。
「これ……が採用なんですか……」
「そうよ。資料をよく読めば、多分こういう感じになるわ」
水谷に渡された資料を読み返す。何度も読んだつもりでいた資料だ。けれど、見落としていたところがあった。
「……六十代夫婦二人世帯……」
「辻本くんの頭から抜けていた大事なところはそこよ。これから高齢になる人たちに螺旋階段はきついし、怖い。二人暮らしにアイランドキッチンは必要ない。部屋数ももっと少なくていいわ」
「……そっか……そりゃ、全部ダメだよ……」
水谷に言われてようやく気づいたことが恥ずかしかった。できることなら、仕事を貰ったあの日に戻りたい。
浮かれていたのだ。仕事を任されたという事実だけに喜んで、今自分ができる――いや、やりたいデザインをした。採用されなくて当然だ。
「でも、このアイランドキッチンは、こっちのリノベーション物件にはいいと思うの。だから、これ、取り入れてやってくれる?」
水谷は以前から匠に渡していた仕事の間取り図を画面に出して笑った。匠がそれに頷く。
「頑張ります!」
その言葉を聞いた水谷が、よろしくね、と頷いた。
克彦は、自分がどんなデザインをしてくるのかわかっていたのかもしれない。だから同じ仕事を別の人にも頼んだ。それは多分、ビジネスとしては正しい選択なのだろう。打ち合わせにデザインが間に合わないなんて、それだけはあってはならないことだ。
だけど――市原克彦という人間は、自分をどこまで信頼してくれているのか……それがわからなかった。
「……水谷さん……俺、泣きそう」
いきなりの弱音に、水谷は電話の向こうで小さく息を吐いた。それから優しく言葉を繋ぐ。
『今、どこ? 市原さんが今日は休暇にしていいって……こっち戻りにくかったら荷物持ってくけど』
「……市原主任は?」
『岩島不動産の新しいタワーマンションの現場行ってる。しばらく戻らないでしょ』
「……なら、戻る。水谷さんがくれた、リノベーションの仕事、やんなきゃ」
匠はそう言うと立ち上がり、階段を上がり始めた。電話の向こうで、待ってるね、と言われ、匠が電話を切る。階段室から出て、オフィスに戻ると、端の窓を開け匠は大きく息を吸い込んだ。
「克彦のばかー!」
大声で叫ぶと匠はふう、と息を吐いた。それを見ていた周りの社員が驚いて、そしてすぐに笑い出す。
「いいのか、辻本。市原さん、今出てったばかりだぞ。タイミング的にエントランス出たところかもしれないよ」
近くにいた社員に言われ、匠は、え、と驚く。
「でも、いいんです! こうでもして切り替えなきゃ」
匠の言葉に社員は、頑張れ、と笑った。匠は頷き、自分の席へと戻る。
「すみません、水谷さん。もう大丈夫です」
「そう……よかった。でも、克彦のばかーってのは、いいわね」
あはは、と笑われ匠も一緒に笑う。そんな匠に水谷が、そうだ、と思い出したように言い、手招きした。
「これ見て。真田くんのデザイン」
「え……見なきゃダメですか?」
「ダメです。ほら」
水谷は匠の座った椅子の背もたれを引き寄せ、自分のPC画面を匠に見せた。そこには、地味なグレーのサイディングの家がある。中のデザインも機能的だが、さほど目新しい何かがあるわけではない。キッチンも小さな対面式、階段もリビングの端から伸びるしっかりした木の階段だ。匠から見れば、少し前のデザインに思える。
「これ……が採用なんですか……」
「そうよ。資料をよく読めば、多分こういう感じになるわ」
水谷に渡された資料を読み返す。何度も読んだつもりでいた資料だ。けれど、見落としていたところがあった。
「……六十代夫婦二人世帯……」
「辻本くんの頭から抜けていた大事なところはそこよ。これから高齢になる人たちに螺旋階段はきついし、怖い。二人暮らしにアイランドキッチンは必要ない。部屋数ももっと少なくていいわ」
「……そっか……そりゃ、全部ダメだよ……」
水谷に言われてようやく気づいたことが恥ずかしかった。できることなら、仕事を貰ったあの日に戻りたい。
浮かれていたのだ。仕事を任されたという事実だけに喜んで、今自分ができる――いや、やりたいデザインをした。採用されなくて当然だ。
「でも、このアイランドキッチンは、こっちのリノベーション物件にはいいと思うの。だから、これ、取り入れてやってくれる?」
水谷は以前から匠に渡していた仕事の間取り図を画面に出して笑った。匠がそれに頷く。
「頑張ります!」
その言葉を聞いた水谷が、よろしくね、と頷いた。
克彦は、自分がどんなデザインをしてくるのかわかっていたのかもしれない。だから同じ仕事を別の人にも頼んだ。それは多分、ビジネスとしては正しい選択なのだろう。打ち合わせにデザインが間に合わないなんて、それだけはあってはならないことだ。
だけど――市原克彦という人間は、自分をどこまで信頼してくれているのか……それがわからなかった。
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