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克彦が普段優しいことや、実際に行動もイケメンであることはよくわかっている。仕事に真面目で厳しいこともわかっている。匠がわからないのは、こんなに厳しい態度を自分にまでどうして向けることができるのか――そのことだ。
「ただいま」
克彦に投げ返されたデザインを終わらせてから帰宅した匠は、玄関でそう声を掛けた。すると奥からゆったりとした足音が聞こえてくる。
「お帰り、匠」
昼間のスーツを脱ぎ、白いシャツに綿のパンツというラフな姿に着替えた克彦がこちらに笑顔を向けた。先に風呂に入ったのだろう、会社ではきっちりと後ろに撫で付けている髪もさらさらと、形のいい目元まで下りている。昼間はつり上がっている柳眉も、家では優しく下がっていて、まるで別人だ。
そう、昼間の鬼上司は、匠の恋人として同じ部屋で暮らしているのだ。
匠は克彦の笑顔に不機嫌な顔をしたまま口を開いた。
「おなか空いた。克彦がやり直し出すからこんな時間だよ」
匠は廊下にカバンを下ろし、リビングに向かいながら上着を脱ぎ捨てる。すると克彦は、そうか、と頷きながら匠の落したカバンや上着を拾う。
「なんか俺に言うことないの?」
厳しくしてごめん、と謝るなら許そうと思って匠は後ろを振り返った。けれど克彦は、ないよ、と相変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。
「何それ! 仮にも恋人に物投げつけておいて!」
「それに関しては悪かったよ。つい、感情的になってしまって。怪我、なかった?」
克彦がそっと匠の頬に触れる。優しく温かい指先は、本当に自分を心配しているように包み込んでくれる。
「それに関しては……?」
「うん。匠に謝るのはそれだけだ――さあ、おなか空いたんだろ? 飯にしようか」
今日は匠の好きなハンバーグだよ、と克彦はキッチンへと向かった。
「なんでそうなんだよ! 克彦は……俺と付き合ってるんじゃないの? だったらもう少し優しくしてくれてもいいんじゃない?」
匠はダイニングチェアに乱暴に腰掛けてから、キッチンに立つ克彦を見上げた。
「うん。自分でもそう思うよ。恋人には、特別優しくしなきゃ、とね」
克彦はそう言うと、匠のための食事をテーブルに運んでから、そっと匠の頬に手を伸ばした。長い指で顎先を掬われキスをされる。深く丁寧なキスは蕩けてしまいそうで、匠も嫌いじゃない。そのキスが終わると、優しく匠の髪を撫でて、続きは後で、と笑った。
その余裕のある笑顔が大人で、惹かれると同時にとても憎らしい。
「ご飯食べて。風呂のお湯入れてくるから。あと、ベッドのシーツは……明日の朝換えてもいい?」
克彦がこちらをじっと見つめる。まっすぐこちらを刺すように見つめる視線は熱くて色っぽい。大人の男に対して色っぽいと感じるのもどうかと思うのだが、そこには確かに色がある。自分を惹きつけ、嫌と言えない何かがあるのだ。
「……克彦の換えたい時に換えればいい」
「そう。じゃあ、風呂入ったら部屋においで。髪、乾かしてあげるから」
克彦はそう言うと、風呂場へと消えていった。
その後姿を見つめながら、匠はため息を零した。家ではこれ以上ないほど優しい。それはわかっている。
「……仕事の時も優しくしてくれたらいいのに……」
自分が求めている優しさとは、やはり少し違う気がして、匠は自分のために用意された夕飯を見つめた。匠が克彦と付き合うきっかけになった事が起こったあの日も、匠はハンバーグを食べていた。もっとも、克彦が作る美味しいものではなく、近くの弁当屋で買った微妙な味のものだった。
「ただいま」
克彦に投げ返されたデザインを終わらせてから帰宅した匠は、玄関でそう声を掛けた。すると奥からゆったりとした足音が聞こえてくる。
「お帰り、匠」
昼間のスーツを脱ぎ、白いシャツに綿のパンツというラフな姿に着替えた克彦がこちらに笑顔を向けた。先に風呂に入ったのだろう、会社ではきっちりと後ろに撫で付けている髪もさらさらと、形のいい目元まで下りている。昼間はつり上がっている柳眉も、家では優しく下がっていて、まるで別人だ。
そう、昼間の鬼上司は、匠の恋人として同じ部屋で暮らしているのだ。
匠は克彦の笑顔に不機嫌な顔をしたまま口を開いた。
「おなか空いた。克彦がやり直し出すからこんな時間だよ」
匠は廊下にカバンを下ろし、リビングに向かいながら上着を脱ぎ捨てる。すると克彦は、そうか、と頷きながら匠の落したカバンや上着を拾う。
「なんか俺に言うことないの?」
厳しくしてごめん、と謝るなら許そうと思って匠は後ろを振り返った。けれど克彦は、ないよ、と相変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。
「何それ! 仮にも恋人に物投げつけておいて!」
「それに関しては悪かったよ。つい、感情的になってしまって。怪我、なかった?」
克彦がそっと匠の頬に触れる。優しく温かい指先は、本当に自分を心配しているように包み込んでくれる。
「それに関しては……?」
「うん。匠に謝るのはそれだけだ――さあ、おなか空いたんだろ? 飯にしようか」
今日は匠の好きなハンバーグだよ、と克彦はキッチンへと向かった。
「なんでそうなんだよ! 克彦は……俺と付き合ってるんじゃないの? だったらもう少し優しくしてくれてもいいんじゃない?」
匠はダイニングチェアに乱暴に腰掛けてから、キッチンに立つ克彦を見上げた。
「うん。自分でもそう思うよ。恋人には、特別優しくしなきゃ、とね」
克彦はそう言うと、匠のための食事をテーブルに運んでから、そっと匠の頬に手を伸ばした。長い指で顎先を掬われキスをされる。深く丁寧なキスは蕩けてしまいそうで、匠も嫌いじゃない。そのキスが終わると、優しく匠の髪を撫でて、続きは後で、と笑った。
その余裕のある笑顔が大人で、惹かれると同時にとても憎らしい。
「ご飯食べて。風呂のお湯入れてくるから。あと、ベッドのシーツは……明日の朝換えてもいい?」
克彦がこちらをじっと見つめる。まっすぐこちらを刺すように見つめる視線は熱くて色っぽい。大人の男に対して色っぽいと感じるのもどうかと思うのだが、そこには確かに色がある。自分を惹きつけ、嫌と言えない何かがあるのだ。
「……克彦の換えたい時に換えればいい」
「そう。じゃあ、風呂入ったら部屋においで。髪、乾かしてあげるから」
克彦はそう言うと、風呂場へと消えていった。
その後姿を見つめながら、匠はため息を零した。家ではこれ以上ないほど優しい。それはわかっている。
「……仕事の時も優しくしてくれたらいいのに……」
自分が求めている優しさとは、やはり少し違う気がして、匠は自分のために用意された夕飯を見つめた。匠が克彦と付き合うきっかけになった事が起こったあの日も、匠はハンバーグを食べていた。もっとも、克彦が作る美味しいものではなく、近くの弁当屋で買った微妙な味のものだった。
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