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アンに手を引かれたどり着いたのは、高速道路だった。すぐ先にトンネルがあり、その入り口には、緊急車両が乱雑に数台止まっていた。
「……事故、ですか?」
「そう。トンネルの中での多重事故……助かる人も多いと思うけど、わたしたちがお相手する人も多いと思う」
アンが一度呼吸を整えてからトンネルの中へと歩いていく。千沙樹はその瞬間、足を止めてしまった。薄暗いオレンジ色の光が照らしているのは、何台もの車と、その隙間を行き交う人たちだった。ただ、その車のほとんどはどこかしら潰れていて、中には原形をとどめていないものもある。奥には壁に突き刺さって止まっているトラックや横転したバスも見えた。
人々の騒めきと泣き声、それに緊迫した救助の指示が千沙樹の頭の中でこだまして、千沙樹は思わず目をつぶってしまった。
「さきちゃん、大丈夫? 先進める?」
引き返そうか? とアンがこちらを心配そうに見やる。
確かに目の前に広がる光景は怖かった。千沙樹は直接見ていないが、両親も自動車事故で亡くしているから、そういった自分の中の『怖い』というイメージと結びつきやすくなっているせいもあるのだろう。
ただ、この先にミチがいて、自分はそんなミチに力を貸せる――そう思ったら、千沙樹はアンに首を振っていた。
「行きます。大丈夫です」
「うん、じゃあ先に進むよ。見た通り……『人』だと分かる人と、『もう人じゃない』と分かる人がいるでしょ?」
アンが近くの人物をそれぞれ指さす。確かに救急隊の制服を着て走っていく人は生きている人だと分かる。けれどその傍でしゃがみ込んで不安そうにあたりを見ている男性はもう自分と同じものだとはっきり分かった。度の合わない眼鏡を通して見ているようなぼんやりとした存在感だ。
「はい。分かります」
「さきちゃんは彼らを見つけて、わたしかみっちゃんかしーちゃんに知らせてほしいの」
「……しーちゃん?」
アンの言葉の中に知らない人の名前が混ざっていて、千沙樹が首を傾げる。アンはそれに対して首を傾げた。
「会ったんだよね、昨日。間違えて送りそうになって、みっちゃんにガチ切れされたって、愚痴ってたよ」
「あ、あの、和服の人」
その人なら確かに昨日会っている。そしてミチにがっつり怒られていたのも知っている。
「そう。あ、ほら、奥の方で刀振り回してるアイツね。シマっていうの」
周囲に闇を纏いながらも、自身の周りは金色に光っているのですぐにその人が見えた。送る対象の魂を見つけては、すぐに刀を振り下ろしていた。そういえば昨日もろくな会話をしないままに千沙樹に刀を向けた気がする。以前アンが言っていた『バットでぶっ叩かれて送られる』というのは、シマのようなスタイルの送り方なのだろう。
「連れてきてくれてもいいし、合図してくれてもいいよ」
じゃあお願いね、とアンは目の前でしゃがみ込んでいた男性の元へと駆け寄っていった。アンが自分の周りに闇を作りだす。その手にはピンク色の棒のようなものが握られている。よく見るとバットの形をしていた。
「……アンちゃんもそっち派なんだ……」
千沙樹がその後ろ姿を見送りながら小さく笑ってつぶやく。すると、そんな千沙樹のシャツの裾が誰かに引っ張られた。またシマに送られそうになったのかと思い、びっくりして振り返る。でもそこにシマはいなくて、その代わり自分の腰の高さほどの身長の女の子が目に涙をいっぱいに浮かべて立っていた。
「ママ、どこ……?」
この子が自分に触れられるということを考え、千沙樹はぐっと唇を噛みしめた。それから呼吸をひとつ深くしてからその場にしゃがみ込む。
「ママとはぐれたの?」
ピンクのワンピースを着て、うさぎのぬいぐるみを抱えた女の子が静かに頷く。きっとここまで不安でたまらなかったのだろう、千沙樹を見て大きく泣き出した。その姿が、幼いころの自分と重なって、千沙樹の胸は強く痛んだ。
両親を亡くしてすぐは、よく母を探して夜中に歩き回っていて叔母を睡眠不足にさせていたと聞いたことがある。きっと今、目の前の女の子もその時の千沙樹と同じ気持ちで歩いていたのだろう。
「僕と一緒にママ探そうか」
千沙樹が女の子を抱き上げる。未だに辺りは騒然としていて足が竦んでしまうほど恐ろしい光景ではあったが、この子のためならそれも我慢できるような気がした。
「どっちから来たの? 車に乗ってお出かけしてたのかな?」
「あっち……ママとバスに乗ってたの」
女の子が横転したバスを指さす。千沙樹は思わず女の子を強く抱きしめてしまっていた。
「怖かったでしょ。痛くなかった?」
「うん。ママが抱っこしてくれたから」
女の子の涙が消え、笑顔になる。千沙樹はその姿に幾分ほっとして、バスに向かって歩き出した。
女の子の手を引いてゆっくりと歩く。この子の母親は助かっているのかも分からない。千沙樹が不安を抱えたまま、それでもそれを女の子に伝えてはいけないと思い、なんでもないふりをして歩いていく。何人かの救助隊員が自分をすり抜けていって、千沙樹もこの世にない存在なんだと痛感してしまった。
しばらく歩いていると後ろから、なあ、と声を掛けられて千沙樹が振り返る。そこには叔父とおなじ年齢くらいの男性が立っていた。
「僕が見えるのか?」
この人もきっと急に体から魂を放り出されて戸惑って居たのだろう。不安でたまらない気持ちは分かるので、千沙樹は、はい、と強く頷いた。
「気づいたらこんな状態で、誰に話しかけても無視されて……ひょっとして、僕は……」
男性の言葉に、千沙樹は慌てて人差し指を唇に当てて、ちらりと女の子に視線を向けた。死という言葉を彼女には聞かせたくなかった。
男性はそれをすぐに理解してくれて、口をつぐんだ後、違う言葉を繋いだ。
「……妻を探してるんだ。手伝ってくれないか」
「奥さんですか……じゃあ、一緒に行きましょうか。僕も、この子の母親を探してるんです。道すがら出会うかもしれないですし」
千沙樹が微笑むと、男性はいくらかほっとしたように表情を緩め、頷いた。
「そうだな。何より、ひとりじゃないのが心強い」
千沙樹はその言葉に小さく頷いてから再び歩き出した。
「……事故、ですか?」
「そう。トンネルの中での多重事故……助かる人も多いと思うけど、わたしたちがお相手する人も多いと思う」
アンが一度呼吸を整えてからトンネルの中へと歩いていく。千沙樹はその瞬間、足を止めてしまった。薄暗いオレンジ色の光が照らしているのは、何台もの車と、その隙間を行き交う人たちだった。ただ、その車のほとんどはどこかしら潰れていて、中には原形をとどめていないものもある。奥には壁に突き刺さって止まっているトラックや横転したバスも見えた。
人々の騒めきと泣き声、それに緊迫した救助の指示が千沙樹の頭の中でこだまして、千沙樹は思わず目をつぶってしまった。
「さきちゃん、大丈夫? 先進める?」
引き返そうか? とアンがこちらを心配そうに見やる。
確かに目の前に広がる光景は怖かった。千沙樹は直接見ていないが、両親も自動車事故で亡くしているから、そういった自分の中の『怖い』というイメージと結びつきやすくなっているせいもあるのだろう。
ただ、この先にミチがいて、自分はそんなミチに力を貸せる――そう思ったら、千沙樹はアンに首を振っていた。
「行きます。大丈夫です」
「うん、じゃあ先に進むよ。見た通り……『人』だと分かる人と、『もう人じゃない』と分かる人がいるでしょ?」
アンが近くの人物をそれぞれ指さす。確かに救急隊の制服を着て走っていく人は生きている人だと分かる。けれどその傍でしゃがみ込んで不安そうにあたりを見ている男性はもう自分と同じものだとはっきり分かった。度の合わない眼鏡を通して見ているようなぼんやりとした存在感だ。
「はい。分かります」
「さきちゃんは彼らを見つけて、わたしかみっちゃんかしーちゃんに知らせてほしいの」
「……しーちゃん?」
アンの言葉の中に知らない人の名前が混ざっていて、千沙樹が首を傾げる。アンはそれに対して首を傾げた。
「会ったんだよね、昨日。間違えて送りそうになって、みっちゃんにガチ切れされたって、愚痴ってたよ」
「あ、あの、和服の人」
その人なら確かに昨日会っている。そしてミチにがっつり怒られていたのも知っている。
「そう。あ、ほら、奥の方で刀振り回してるアイツね。シマっていうの」
周囲に闇を纏いながらも、自身の周りは金色に光っているのですぐにその人が見えた。送る対象の魂を見つけては、すぐに刀を振り下ろしていた。そういえば昨日もろくな会話をしないままに千沙樹に刀を向けた気がする。以前アンが言っていた『バットでぶっ叩かれて送られる』というのは、シマのようなスタイルの送り方なのだろう。
「連れてきてくれてもいいし、合図してくれてもいいよ」
じゃあお願いね、とアンは目の前でしゃがみ込んでいた男性の元へと駆け寄っていった。アンが自分の周りに闇を作りだす。その手にはピンク色の棒のようなものが握られている。よく見るとバットの形をしていた。
「……アンちゃんもそっち派なんだ……」
千沙樹がその後ろ姿を見送りながら小さく笑ってつぶやく。すると、そんな千沙樹のシャツの裾が誰かに引っ張られた。またシマに送られそうになったのかと思い、びっくりして振り返る。でもそこにシマはいなくて、その代わり自分の腰の高さほどの身長の女の子が目に涙をいっぱいに浮かべて立っていた。
「ママ、どこ……?」
この子が自分に触れられるということを考え、千沙樹はぐっと唇を噛みしめた。それから呼吸をひとつ深くしてからその場にしゃがみ込む。
「ママとはぐれたの?」
ピンクのワンピースを着て、うさぎのぬいぐるみを抱えた女の子が静かに頷く。きっとここまで不安でたまらなかったのだろう、千沙樹を見て大きく泣き出した。その姿が、幼いころの自分と重なって、千沙樹の胸は強く痛んだ。
両親を亡くしてすぐは、よく母を探して夜中に歩き回っていて叔母を睡眠不足にさせていたと聞いたことがある。きっと今、目の前の女の子もその時の千沙樹と同じ気持ちで歩いていたのだろう。
「僕と一緒にママ探そうか」
千沙樹が女の子を抱き上げる。未だに辺りは騒然としていて足が竦んでしまうほど恐ろしい光景ではあったが、この子のためならそれも我慢できるような気がした。
「どっちから来たの? 車に乗ってお出かけしてたのかな?」
「あっち……ママとバスに乗ってたの」
女の子が横転したバスを指さす。千沙樹は思わず女の子を強く抱きしめてしまっていた。
「怖かったでしょ。痛くなかった?」
「うん。ママが抱っこしてくれたから」
女の子の涙が消え、笑顔になる。千沙樹はその姿に幾分ほっとして、バスに向かって歩き出した。
女の子の手を引いてゆっくりと歩く。この子の母親は助かっているのかも分からない。千沙樹が不安を抱えたまま、それでもそれを女の子に伝えてはいけないと思い、なんでもないふりをして歩いていく。何人かの救助隊員が自分をすり抜けていって、千沙樹もこの世にない存在なんだと痛感してしまった。
しばらく歩いていると後ろから、なあ、と声を掛けられて千沙樹が振り返る。そこには叔父とおなじ年齢くらいの男性が立っていた。
「僕が見えるのか?」
この人もきっと急に体から魂を放り出されて戸惑って居たのだろう。不安でたまらない気持ちは分かるので、千沙樹は、はい、と強く頷いた。
「気づいたらこんな状態で、誰に話しかけても無視されて……ひょっとして、僕は……」
男性の言葉に、千沙樹は慌てて人差し指を唇に当てて、ちらりと女の子に視線を向けた。死という言葉を彼女には聞かせたくなかった。
男性はそれをすぐに理解してくれて、口をつぐんだ後、違う言葉を繋いだ。
「……妻を探してるんだ。手伝ってくれないか」
「奥さんですか……じゃあ、一緒に行きましょうか。僕も、この子の母親を探してるんです。道すがら出会うかもしれないですし」
千沙樹が微笑むと、男性はいくらかほっとしたように表情を緩め、頷いた。
「そうだな。何より、ひとりじゃないのが心強い」
千沙樹はその言葉に小さく頷いてから再び歩き出した。
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