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しおりを挟む「俺が死んだのは分かった。けど、なにもあの世に行けば楽になると思ったからじゃない。俺は死んでアイツにとりついて、アイツを不幸にしたいんだ。俺はどこにもいかない」
その言葉は衝撃だった。自分の命と引き換えに誰かに復讐しようする、そんな強い負の感情を千沙樹は今まで見たことがなかった。
「……それをすると、不幸になるのはあなたの方ですよ。あなたではないものになって、永遠にどこにも行けなくなってしまいます。その人を不幸にできるかも分かりません」
「悪霊ってやつ? それでもいいよ。あんた、死神ってやつなんだろ? 俺をアイツのところに連れてけよ、アイツを呪い殺してやる。そうしたら、あんただって魂をもう一つ拾えるだろ」
「それはできません。私の仕事はあなたを送ることですから」
「ふざけんなよ!」
ミチの言葉を聞いた途端、男性はミチの胸倉を掴んで立ち上がった。ミチが膝立ちになり驚いた顔をするが、抵抗はしない。
千沙樹はその様子をハラハラとしながら見守っていた。両の掌にぐっと力が入ってしまうが、ここを動くなと言われているので千沙樹は足に力を入れその場に留まる。
そうしなければ、ミチと男性の間に割って入ってしまいそうだった。
「アイツを呪い殺したい。それだけのために俺は死んだんだ」
「……どうして、そんなことを思ったんですか?」
激昂する男性に対し、ミチは冷静に言葉を返す。男性は怯えることもないミチに、脅しても意味がないと感じたのか、すぐに手を離して、再び座り込んだ。
「俺には婚約者がいたんだ。式の日取りも、新婚旅行の予定も決まってた。仕事も楽しくて昇進もする予定だった。でも半年前、会社の飲み会で珍しく酔い潰れて、目が覚めたら知らない女と裸で寝てて。いくら酔ってたとはいえ、知らない女を抱くわけない、でも状況は言い逃れできるものでもなくて。相手の女が金で解決してもいい、なんて言ってきて、俺はついその言葉に乗ったんだ」
男性が滔々と話し出す。ミチはその隣に座り、シャツを正しながらそれを聞いていた。
「でも、その要求は一度じゃなかった。次の月も、その次も女は金を要求して、俺がもう無理だと言うと、今度は男を連れてきた……俺が一番仲良くしてた同期だった。その時分かったんだよ、騙されたって」
男性が大きくため息を吐く。ミチは、それは辛い、と眉を下げた。
「その女性をあなたに近づけたのもその同期の彼だったのですか?」
「そう。そもそも薬を使って酔い潰してホテルに運んで、雇った女をベッドに潜り込ませただけで俺は何もしてなかった。でもこれ以上金を引っ張れないと判断したやつらは、このことを会社に暴露した。お陰で昇進もなくなって、彼女にも知られて、婚約も破棄された」
「訴えなどはされなかったんですか?」
ミチが聞くと、男性は首を振った。
騙されたと分かったのなら、そこで訴えることもできるはずだ。何もしていない人がこんなふうに虐げられるだけなんて絶対にないはずだ。千沙樹はそう思ったけれど、男性は、無理だった、と小さく笑った。
「向こうは写真とか、金で解決すると合意した時の音声、それに俺が女に金を振り込んだ履歴も全部証拠として持ってた。俺がいくら、アイツらに騙されたと喚いても、証拠がない。それに……女は無理やりにされたと泣くし、同期は彼女を傷物にされたと怒るし、周りがどっちの味方に付くかなんて分かり切ってるだろ」
周りからは、証拠もなくただ『騙された』と喚く男と、無理やり体を奪われた上、金で解決されようとしている女性とその彼氏――そんなふうに映るだろう。
裏で同期の男性と雇われた女が舌を出していても、それは周りには見えない。
「そんなことになって、仕事も続けられないから辞めた。婚約者にも去られて俺に残ったのは結婚式と新婚旅行のキャンセル料、それから新居のローンだけで……もう、生きていることが地獄だった」
「この世は四苦八苦とも言いますから、地獄よりも辛いこともあると思います。よく、耐えたと思いますよ。そんなところにまだいるつもりですか?」
優しく響くミチの声が千沙樹には心地よく聞こえた。寄り添うような言葉は、きっと男性の心の隙間に入っていっているに違いない。
千沙樹が見ている男性の表情は次第に穏やかになっていた。
「……もう、楽になりたい」
ミチに心の中を全部ぶつけてさらけ出したことで、何かすっきりとしたのかもしれない。男性は唇を噛み締め、足元に雫を落とし始めた。そんな男性の背中をミチが優しく撫でる。
「十分頑張りましたからね」
ミチは男性の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。男性もそれにつられ、立ち上がる。
「最期は仕事のことも忘れて、私服に着替えましょうか」
ミチが微笑み指を鳴らす。男性は今まで着ていたスーツからラフなシャツと綿のパンツに着替えていた。男性の表情が心なしか明るくなっている。今まで下がっていた口角が少しだけ弧を描いた。
「いつもの部屋着……なんだか落ち着く」
「だと思いました。ずっと戦ってきたのですから、もう休息していいと思います」
「……そうだな。そうする。悪かったな、死神」
男性が少し恥じたようにミチを見やる。ミチはそれに首を振った。
「それが仕事ですから」
「仕事か。死神も大変だな。頑張れよ」
ほどほどにな、と男性が笑う。
すると足元から光が弾け、次第にその輪郭がぼやけていった。先日病院で見た女性の時と一緒だった。この人も次の場所へ向かうのだろう。
最後の一粒の光が闇に溶け、黄色い小さな光だけとなると、ミチがこちらを振り返り歩き出した。千沙樹の傍に来ると、そのまま手を取り歩き出す。
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