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 たくさん歩いたはずなのに、体の疲れも感じないまま、千沙樹は相川家のドアの前に立っていた。昨日の夜、ここを出てコンビニへ行って帰るだけだった。いつものようにこのドアを開けて自分の部屋へと帰って、佑に買ったものを渡したら、自分のベッドで朝を迎えてまたこのドアを開けて学校に行くはずだった。
「ただいまって……もう、言えないんですね」
 叔母の、おかえり、という言葉も、叔父の、こんな時間までバイトして無理してないか、という気遣いも、佑の、遅い、という仏頂面も、もう自分に向けられることはない。
 寂しい。
 千沙樹がぐっと唇を噛んだ、その時だった。右手にするりと何かが触れた。見ると、それはミチの手で、そのまま手をぎゅっと握られた。
 外だからだろう、温度は一つも感じない。けれど触れられる人がいるということが、今の千沙樹にはとても嬉しかった。
「さっさと見て帰るぞ」
 千沙樹の手をミチがぐん、と引く。そのまま導かれ、もうドアにすら触れられないと感傷に浸ることもないまま、千沙樹は家の中へと入った。
「いつもより静かだな……」
 玄関には三人分の靴が並んでいるから、おそらくみんな在宅しているのだろう。けれど、いつもの生活音は聞こえなかった。
 千沙樹はそのままリビングへ進んだ。入口から中を覗くと、ソファの陰から小さな話し声が聞こえ、千沙樹はもう少し中へと入る。
「ねえ、見て。ちーちゃんが中学に入った時の写真。この頃、ちーちゃん女の子よりも背が小さかったのにね」
 リビングテーブルを囲み、床に座り込んでいるのは叔母と叔父だった。二人でタブレットの画面を見ている。表示されているのは千沙樹の写真だ。
「ホントだ。千沙樹は昔から女の子に間違えられるくらい可愛かったけど、今じゃ背も伸びてカッコよくなって」
「でも、ちーちゃん、大学でも全然モテない、なんて言って。絶対嘘よ。私の自慢の息子なんだから……自慢、だったの……」
 叔母の声が震え、その肩を叔父が優しく抱き寄せる。
「あ、ほら、この写真いいんじゃないか? 大学の入学式。イケメンに撮れてるってお前も喜んでただろ?」
 叔父がタブレットに触れていた指を止め、叔母に見せる。叔母が顔を上げ、そうね、と頷いた。
「ホントにカッコいい。ちーちゃん、カッコよくて優しくて頭も良くて……これから幸せになるはずの子なのに……」
 あんまりだわ、と叔母が泣きながら叔父の胸に縋る。そんな叔母を抱きとめる叔父の目も潤んでいた。
 二人を泣かせてしまっている。悲しませている。
 両親が亡くなってから、これ以上ないほどの慈愛をかけて育ててくれた二人へ返すものがこれだと思うと、千沙樹は胸の奥が痛くてたまらなかった。生きていても迷惑を掛けていたのに、死んでも傷つけている。
 だったらもう、自分はどうすればいいのか、そう思った時だった。
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