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「ユズハさま、お膝、痛くないんですか?」
ふと、ナギサが短いズボンから出ているユズハの膝に視線を落とし、聞いた。ユズハは、平気、と笑う。
擦り傷から少し血が滲んだ程度の怪我だった。そんな傷はユズハにとって日常だ。ユズハに与えられた遊び場はこの家の中、もしくは木の生い茂った林のような庭しかない。同じ王の子でも、アルファの子ども達のように整った芝の上で遊ぶことなど全くないのだ。
「手当はしておきましょうね。また、坊ちゃんたちに追いかけられたのですか?」
お会いしたら叱っておきますよ、とナギサが立ち上がり、戸棚から救急箱を取り出す。
「大丈夫。おれね、逃げるの得意だし、ギンシュさまは苛めないよ」
当時の王には孫が二人いた。未来の王である彼らは当然どちらもアルファで、質の高い教育を受けているはずなのに、毎日いたずら三昧で使用人たちを困らせていた。
そのいたずらの一つが、ユズハを苛めることらしく、この家の近くまで来ては、ユズハを追い回し、ユズハの大嫌いなカエルやヘビを見せつけてくる。それをユズハが泣くまで続けるから、ユズハだって抵抗するようになり、しばらくすると見つからないように逃げることが出来るようになっていた。
「ギンシュさまもアサギさまも、ユズハさまが可愛いんですよ。ただ、遊びたいだけなんです」
ギンシュが兄、アサギが弟で、特にアサギは二つしか年が違わないせいか、ユズハにそういったいたずらをするのは、アサギばかりだった。
「ギンシュさまは絵本くれるから好き。でも、アサギは嫌いなの。だからね、アサギの匂いがしたらすぐ逃げるんだ、おれ」
ユズハの足元に座り込み、膝にガーゼを貼り付けていたナギサが、ユズハの言葉に顔を上げた。その表情は酷く驚いている。
「ユズハさま、アサギさまの匂いが分かるんですか?」
「うん、わかるよ。ナギサは分かんないの?」
ナギサはユズハの言葉に、そうですね、と困った様に笑ってから立ち上がった。
その時だった。ユズハの鼻にアサギの匂いが届いて、ユズハはソファを降りてベッドの中へと潜り込んだ。
その様子が不思議だったのだろう。ナギサが驚いてユズハを呼ぶ。けれどユズハはそれに反応せず、布団の中で丸くなっていた。
すると、家のドアが小さく音を立てた。ナギサがそれに気づいたようで、家の中に足音が響く。
「アサギさま?」
慌ててドアを開けたナギサが驚いた声を出す。
「もう遅い時間です。こんなところにいらしては、叱られますよ」
「ユズハ、いる?」
その言葉にユズハは布団の中でびくりと体を震わせた。いないって言って、と心の中でナギサに向かって叫ぶ。
「いらっしゃるのですが……もうお休みになってます」
「そうか……じゃあ、これを渡しておいてくれ」
その会話の後、声はなく、ドアの閉まる音が聞こえて、ユズハはそろりと布団から顔を出した。
「ユズハさま、アサギさまは帰られましたよ」
ナギサの優しい声に引かれるようにユズハが布団の中から這い出る。しゃがみ込んだナギサの手には小さな袋があった。
白い絹に金糸で刺繍の入った巾着は、アサギがいつも持っているものだ。
「これをユズハさまに渡して欲しい、と」
ナギサが巾着を開ける。ユズハはまた虫やカエルが入っているのではと思い、ぎゅっと目を瞑った。
「カシスの実ですね」
「え?」
見ると、巾着いっぱいにカシスの実が詰まっている。ユズハの好物のひとつだ。
この宮廷の庭でも栽培されているが、ユズハの住むこの家からは、大きな王宮を廻った反対側になる。その間に王族の誰かに会ってしまったら、『下層の子』と嫌な顔をされる。だから、ユズハはなかなか行けない場所だった。
「ご自分の巾着を汚してしまって……それでも、ユズハさまに差し上げたかったんですね」
ナギサがにっこりと微笑む。ユズハはその顔に俯いたまま頷いた。
「今、お召し上がりになりますか? どちらにせよ、巾着を洗わなければいけませんね」
全くこんなものに入れて、とナギサが小さなキッチンへと向かう。
それから少しして、ナギサの、ミミズ! という叫び声を聞いたユズハは大きくため息を吐いた。
「やっぱり、おれはアサギが嫌い」
ふと、ナギサが短いズボンから出ているユズハの膝に視線を落とし、聞いた。ユズハは、平気、と笑う。
擦り傷から少し血が滲んだ程度の怪我だった。そんな傷はユズハにとって日常だ。ユズハに与えられた遊び場はこの家の中、もしくは木の生い茂った林のような庭しかない。同じ王の子でも、アルファの子ども達のように整った芝の上で遊ぶことなど全くないのだ。
「手当はしておきましょうね。また、坊ちゃんたちに追いかけられたのですか?」
お会いしたら叱っておきますよ、とナギサが立ち上がり、戸棚から救急箱を取り出す。
「大丈夫。おれね、逃げるの得意だし、ギンシュさまは苛めないよ」
当時の王には孫が二人いた。未来の王である彼らは当然どちらもアルファで、質の高い教育を受けているはずなのに、毎日いたずら三昧で使用人たちを困らせていた。
そのいたずらの一つが、ユズハを苛めることらしく、この家の近くまで来ては、ユズハを追い回し、ユズハの大嫌いなカエルやヘビを見せつけてくる。それをユズハが泣くまで続けるから、ユズハだって抵抗するようになり、しばらくすると見つからないように逃げることが出来るようになっていた。
「ギンシュさまもアサギさまも、ユズハさまが可愛いんですよ。ただ、遊びたいだけなんです」
ギンシュが兄、アサギが弟で、特にアサギは二つしか年が違わないせいか、ユズハにそういったいたずらをするのは、アサギばかりだった。
「ギンシュさまは絵本くれるから好き。でも、アサギは嫌いなの。だからね、アサギの匂いがしたらすぐ逃げるんだ、おれ」
ユズハの足元に座り込み、膝にガーゼを貼り付けていたナギサが、ユズハの言葉に顔を上げた。その表情は酷く驚いている。
「ユズハさま、アサギさまの匂いが分かるんですか?」
「うん、わかるよ。ナギサは分かんないの?」
ナギサはユズハの言葉に、そうですね、と困った様に笑ってから立ち上がった。
その時だった。ユズハの鼻にアサギの匂いが届いて、ユズハはソファを降りてベッドの中へと潜り込んだ。
その様子が不思議だったのだろう。ナギサが驚いてユズハを呼ぶ。けれどユズハはそれに反応せず、布団の中で丸くなっていた。
すると、家のドアが小さく音を立てた。ナギサがそれに気づいたようで、家の中に足音が響く。
「アサギさま?」
慌ててドアを開けたナギサが驚いた声を出す。
「もう遅い時間です。こんなところにいらしては、叱られますよ」
「ユズハ、いる?」
その言葉にユズハは布団の中でびくりと体を震わせた。いないって言って、と心の中でナギサに向かって叫ぶ。
「いらっしゃるのですが……もうお休みになってます」
「そうか……じゃあ、これを渡しておいてくれ」
その会話の後、声はなく、ドアの閉まる音が聞こえて、ユズハはそろりと布団から顔を出した。
「ユズハさま、アサギさまは帰られましたよ」
ナギサの優しい声に引かれるようにユズハが布団の中から這い出る。しゃがみ込んだナギサの手には小さな袋があった。
白い絹に金糸で刺繍の入った巾着は、アサギがいつも持っているものだ。
「これをユズハさまに渡して欲しい、と」
ナギサが巾着を開ける。ユズハはまた虫やカエルが入っているのではと思い、ぎゅっと目を瞑った。
「カシスの実ですね」
「え?」
見ると、巾着いっぱいにカシスの実が詰まっている。ユズハの好物のひとつだ。
この宮廷の庭でも栽培されているが、ユズハの住むこの家からは、大きな王宮を廻った反対側になる。その間に王族の誰かに会ってしまったら、『下層の子』と嫌な顔をされる。だから、ユズハはなかなか行けない場所だった。
「ご自分の巾着を汚してしまって……それでも、ユズハさまに差し上げたかったんですね」
ナギサがにっこりと微笑む。ユズハはその顔に俯いたまま頷いた。
「今、お召し上がりになりますか? どちらにせよ、巾着を洗わなければいけませんね」
全くこんなものに入れて、とナギサが小さなキッチンへと向かう。
それから少しして、ナギサの、ミミズ! という叫び声を聞いたユズハは大きくため息を吐いた。
「やっぱり、おれはアサギが嫌い」
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