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52 父と母

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「怖いのか?」
「だってここ、自殺の名所とか言われているし」
「怖ければ顔を伏せていろ」

言うとおりすると、ふわりと風が起こり、伏せたまま隙間から周囲を伺うと、和音は木々の上に浮いていた。そしてその向こうには富士山が見える。

「わあ、富士山」

日本人はなぜか富士山を見るとなぜか感慨深くなる。
日本の象徴とも言える霊山。それが陽の光を浴びてその優美な姿を見せている。

「怖いんじゃなかったのか?」

顔を上げて富士山に魅入っていると、燕がからかうように言った。

「だって富士山ですよ。こんな近くで見たの初めて」
「それは良かった」

ふっと頬に息がかかったかと思うと、チュッと燕の唇が触れた。

「え、燕」

驚いて目を丸くすると、燕が拗ねたように和音を見ている。

「景色に見惚れるのもいいが、私の方も見てくれ」
「燕、まさか、富士山に嫉妬してるの?」
「認めたくないがそうらしい。和音がそんなキラキラした目で見ているのが私じゃないのが、寂しい」
「燕…」

まさか景色に見惚れるだけで、その景色にまで嫉妬するとは思わなかった。

「私のせいで和音を怖い目に合わせたのに、だからと言って今更和音を遠ざけることも出来ない。自分がこれほど弱い存在だとは思わなかった」
「燕が弱いと言うなら私は最弱です」
「いいや、和音は強いよ。突然見知らぬ男の、しかも宇宙人の子供を身籠らされて、それを受け入れ、こんな目にあいながらもパニックにならず冷静でいる」
「それは、買いかぶり。でも、今回のことは、私一人だったなら乗り越えられなかった」

和音はお腹に触れ、それから燕を見た。

「ここにね、燕の赤ちゃんがいると思うと、私が護らなくちゃって強くなれた。実際は燕のような力も、彼らを殴り倒す腕力もないのに。無謀よね」
「そうか、和音はもう『母親』なんだ」
「燕だって、『父』だって、この子に話しかけてましたよね。立派に『父親』でしょ」

和音がそう言うと、燕は一瞬瞠目し、自分の行いを振り返るかのように黙り、それから照れて笑った。

「『父が来たから安心しろ』カッコ良かったです」
「カッコ良くなど…」
「この人がこの子の父親で良かった。この人に出会えて良かったって思った」
「本当に?」

答える代わりに和音は燕の頬に触れて、微笑んだ。

「怒ると言っておきながら、褒めてしまったわ」
「やはり和音は優しいな。和音の怒った顔も見たかったが」
「こんな気持ちになるのは、燕という心強い味方がいるからよ。燕と出会っていなかったら、私は今も一人で途方にくれていたと思う」
「私との出会いは、和音にとってプラスになっているか?」
「それを言うなら、他にもあなたの子供の母親候補がいたのに燕は私で良かった?」
「もちろんだ。和音以外はもう考えられない。それで、和音の答えは?」
「もちろん私も、燕と出会えて良かったと思っています」

少々、いや、かなり奇想天外な展開で、ほんの数ヶ月前までの和音には想像も出来なかった。
宇宙人が何万年も前から地球にいて、地球の歴史に関わり、そしてアンチな組織もいて、それからそんな宇宙人の子供を妊娠して、初めての海外に行き、色んな初めてを体験した。
ハチャメチャだが、これが現実だ。

「それで、これからどこへ行くの?」
「そうだな。少し行くところがある」
「行くところ?」

そう言って、青木ヶ原の樹海から飛んで、燕が和音を連れてきたのは、人里離れた邸だった。
彼の能力で飛んできたため、ここが日本のどこかもわからない。
周りに特に建物もなく、人目のつかないように建てられた立派な平屋建ての日本家屋は、高級旅館のような佇まいだ。

「お待ちしておりました。燕様」
「出迎えご苦労、エイラ」

玄関に足を踏み入れた和音たちを出迎えたのは、長い髪をポニーテールにした女性だった。
建物は純和風ながら、エイラという女性は着物でなく、アラビア風の白いローブのような服装だった。

「燕、ここは?」
「ここも私の持ち物のひとつで、トゥールラーク人の療養所だ。普段は彼女が管理をしている。エイラ、彼女が和音だ」
「こんにちは、エイラさん。和音です。お世話になります」
「どうかエイラとお呼びください。燕様、用意は出来ております」
「うん、わかった」

彼女に案内されて、燕は和音を抱えたまま奥へと進んでいく。

「燕、ここへはなぜ?」

てっきり国立健康管理センターへ行くと思っていたら、思いもかけない場所に連れてこられた。

「どこか悪いの?」
「私ではない。お腹の子のためだ」
「この子?」
「そうだ。さっきのことで本来ならまだ発揮していない力を使ったようだし、このままでは発達に影響が出るかもしれない。そのために和音にも負担がかかるかもしれないから、外からエネルギーを補充しようと思う」

ここはトゥールラーク人がそのために訪れる施設のひとつだと燕が教えてくれた。
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