上 下
33 / 48
幕間〜ロクサーヌ

9 ★レオポルド

しおりを挟む
鉄格子の覗き窓がついた鉄の扉の際の壁に取りつられた松明の灯りに近づき過ぎた夜行性の虫が一瞬の内に焼き尽くされるのを無感情に眺めていた。

窓のない石造りの壁に囲まれた場所で目が覚めて、今が昼か夜かもわからず何日そこにいるのかもまるで検討がつかない。

空腹の度合いから、丸一日も経っていないとは思うが、気を失っていた時間がどれほどかわからないので、それも当て推量でしかない。

両手両足首には鉄輪が嵌められ、そこから伸びた鎖は頑丈な壁に繋がっている。

目の前に置かれた水や歯が折れそうなくらい硬いパンを辛うじて手を伸ばして口に運べる程度の自由さが認められているようだが、それが置かれているということはすぐに殺すつもりはないのだろうか。

てっきりすぐに殺されるか、激しい拷問でも受けるかと思っていたが、パンと水が一度運ばれただけで、時折見張りらしき男が鉄格子の向こうからこちらを覗き見る程度で、ほぼ放置されている。

「…つ」

呼吸の度に痛みが襲う。背中の打撲は広範囲に渡り、肩も痛む。骨には異常なさそうだが、この程度で済んでよかった。

ソフィーはどうしただろう。助からなかったかも知れない。

あの日、ソフィーが監禁されている場所に辿り着いた。

ドラウ渓谷の入り口にあるその建物は渓谷の垂直に伸びる岩壁を背にして建っていた。

「ここの小屋に来るのも久しぶりだな」

ルブラン公の下で仕事をするようになってから、ここには何度となく足を運んだ。数あるルブラン公が所有する建物のうちのひとつであるここは、捕らえた他国の間者などを一時拘束し、尋問したりする場所に使われている。

渓谷の間に建ち、四方のうち三方を断崖絶壁の壁に囲まれている。

小屋というよりは少し立派な石造りの地上二階地下一階の建物に馬で訪れると、レオポルドに気づいた見張りが駆け寄ってきた。

「お久しぶりです、レオポルド様」
「デライル、息災だったか」

デライルは五年前からここに管理人として住み込んでいる。元は軍にいた彼は病気を患い前線での任を務めることができず現場を退いた。

「お陰様で、薬をきちんと呑んでいれば大丈夫です」

病気で妻を亡くし、二人の息子も成人して一人は軍に、もう一人は政府の役人として地方に赴任している彼は、退役までの残りの任期をここで務めることに生き甲斐を感じている。

「それは良かった。ところで、相変わらずか」

ソフィーの様子を訊ねると、デライルは渋い顔で頷いた。

「レオポルド様に会わせるまでは何もしゃべらないと」
「そうか…」

取り調べ当初から彼女はそのことしか言わないとは聞いていた。
しかし彼にとってコリーナの安否が最重要課題であったし、いくらソフィーがそう望んだからと言って、相手の言いなりになることもできない。
希望が通らないと悟れば彼女も根負けすると思っていた。

「ここまで頑固で意思が強いとは…」

だからこそ底辺から成り上がりあそこまでのし上がったのだろう。

「その根性を別のことに使えば死ぬまで楽が出来ただろうに」
「レオポルド様のご意見はもっともです。ですが、他人から見て無駄で生産性のない行いも、当の本人にとっては何よりも代え難いものであることもまた真理」
「哲学者だな」
「ここでは時間だけはありますから、お陰でこの五年でこれまでの人生で読んできたより多くの書物に触れることができました」

この場所に送られてくる者はそれほど多くなく、一年の半分は誰もいない。しかしひとたび誰かが送られてきたならば尋問は昼夜を問わず行われ、入れ替わり立ち替わり人が訪れるようになり、殆ど休む暇がなくなる。
繁忙期と閑散期が著しく激しい場所だった。

「ところで、婚約されたとか、おめでとう御座います」
「ありがとう」

険しくなっていた顔が婚約者の話題になった途端に和らぐのを見て、デライルは物珍しいものを見た思いがした。

「レオポルド様は本当にゼロか百なのですね」
「どういう意味だ?」
「大抵の男は、美人には無意識に優しくなります。ですがレオポルド様はまったく動じられない」
「それはソフィーのことか?」
「はい。さすが女優をされていただけあって、多くの男性を魅力されるお方だと思います。あ、誤解なさらず、あくまでも外見だけです。内面は母親の胎内に人としての美徳をすべて置いてきたような女性ですが」

辛辣な物言いに彼女の我儘にデライルがどれくらいこの数日振り回されてきたか窺える。

「自分の欲望に忠実な人間は嫌いではないが、それが曲った方向に向いたらあの女のようになるのだろう」

ソフィーのことはデライルの言うとおり、見かけの美しさに反比例して心根は際限の無い欲望で満ち醜悪とさえ思う。だが、自分も目的のために手段を選ばないできたので、自分のことを棚に上げるつもりもない。
彼女の自分の生まれに対する憤りや、のし上がろうとする気概は認めて同情もしていた。

彼女が一線を超えなければ、ここまでのことはしなかった。

しかし、彼女はコリーナを巻き込んだ。
それは自分にとって何よりも許し難いことだった。
しおりを挟む
感想 136

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。