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第五章 闇に蠢くものたち
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「お願いがあります」
次の日、杷佳は自ら楓の元を尋ねた。
「何かしら」
「私のことを、まだ柊揶様の花嫁として受け入れきれないことは存じております。至らないことは重々承知しておりますが、私がここに居ることを、どうかお許しください」
室生家では叔父達の顔色を窺い、少しでも機嫌を損ねないよう、身を潜めていた。
だが、これまでと同じようにしていては、何も変わらないと、杷佳は一大決心で楓に向き合うことにした。
「旦那様も柊揶も、あなたを追い出すなと言っているのです。私にそれを覆す権限はありません。ここの居たいなら、気の済むまで居ればよろしいのでは?」
夫と息子に逆らうつもりはない。だから致し方なく、杷佳がここに居ることを受け入れているのだと、楓は言っている。
「はい、そのことは承知しております。寛大なお心遣いありがとうございます」
「なら、もういいでしょう。それとも私に媚を売ろうとでも?」
「どこまでご存知かわかりませんが、私は母がどこの誰ともわからない方との間に生んだ子です。このように髪も黒くありません」
「あなたの出自については、見越からも聞きました。あなたが単に我が家に奉公に来た者なら、それを聞いてただ、気の毒に思ったでしょう。子供には罪はありません。真面目に道を踏み外すことなく生きられるよう、手助けすることを厭わなかったでしょう」
ただの使用人としてなら、杷佳のような境遇だったと聞けば、庇護することはやぶさかではないことだと、楓は言う。杷佳のことを父のいない鬼子だと言って虐げてきた叔父達と違い、柊揶の言う通り楓は優しい人なのだとわかる。
だが、息子の嫁ともなると、そうはいかないらしい。
「それで、お願いというのは、何なのかしら」
楓は杷佳が切り出した話に戻した。
「あなたの気の毒な境遇を理解し、受け入れてほしいとでも?」
「いえ、そうではございません」
「ではどういうこと?」
「祖父が亡くなってから、私は他に行き場所もなく、祖父の後を継いで当主となった叔父の世話になっておりました」
世話とは到底言えない。住む場所や食事は何とか与えられたが、実際は使用人より立場の低い厄介者だった。
「『世話』ね。それで?」
「お恥ずかしながら、私は北辰家の嫁に相応しい習い事も、教養も身につけておりません。ですから、私にご指導いただけないでしょうか」
「あなたが、花嫁修行をしたいと?」
「はい。祖父が亡くなるまで、少し手習いや茶華道の手解きを受けたことがございますが、何分にも幼い頃のことで、何も覚えておりません。役に立つからと、裁縫は何とか続けておりましたが、他はさっぱり」
「そういえば、常磐から柊揶の浴衣を三日ほどで縫い上げたとか聞きました」
「私に出来ることは、それくらいしか…」
そこで言葉を切ると、俯いたまま、そっと上目遣いに楓を見ると、脇息にもたれかけ、何やら思案している様子だった。
「楓様は茶の湯や生け花など、師範の腕前であると常盤さんからお聞きしました」
「お義母様」と呼ぶべきか迷ったが、彼女が杷佳にそう呼ばれたいと思っているとは思えなかった。
「書の方も、かなりの達筆でいらっしゃるともお聞きしました」
「浅はかだわ。私に媚を売って、あわよくば嫁として認めてもらおう、という魂胆なのは見え見えね」
そう言われても仕方がない。実際はそうなのだから。
「仰る通りです」
「旦那様や柊揶が認めているかと、図に乗っているのではなくて?」
辛辣な言葉をぶつけられる。しかし、一方的に存在自体を否定するような麻希達の言葉に比べれば、楓の放つ言葉にはそこまでの冷徹さはない。
「図には乗っておりませんが、それに甘えて居座るほど、私も図々しくはありません」
柊揶は、杷佳以外の嫁は認めないと言ってくれた。そんな彼の気持ちを汲み、柾揶も納得してくれている。
二人に押し切られ、楓も渋々ながら杷佳の存在を受け入れている。
だからと言って、何もしないわけにはいかない。
「家事も手伝うと言っていると聞いています。その上習い事も始めて、やっていけるのかしら。途中でやはり両方は無理と、泣き言を言ってきても困りますからね」
「そのようなことはございません。どんなに厳しくてもご指導いただけるのであれば、努力いたします」
朝早くから夜遅くまで、雨の日も夏のうだるようや暑さの中でも、冬の凍える日でも水仕事や重い荷物を運ぶ仕事をさせられてきた。
寝る間も削って裁縫もした。
どんなに大変でも、やり抜く自信はあった。
「そんなに言うなら、暫くの間教えてあげるわ。ただ嫁としてではなく、ただ弟子としてよ」
楓にしては精一杯の譲歩だったが、それでも願いは叶った。
「はい、よろしくお願いいたします。ありがとうございましす」
「お礼を言うのは早いわ。一度教えてものにならないとわかったら、そこで手を引きますからね。私は同じことを何度も教えるほど、気は長くありません」
「承知いたしました」
「後で常磐に支度をするよう言っておきます。明日、家の手伝いが済んだら私の所に来なさい」
次の日、杷佳は自ら楓の元を尋ねた。
「何かしら」
「私のことを、まだ柊揶様の花嫁として受け入れきれないことは存じております。至らないことは重々承知しておりますが、私がここに居ることを、どうかお許しください」
室生家では叔父達の顔色を窺い、少しでも機嫌を損ねないよう、身を潜めていた。
だが、これまでと同じようにしていては、何も変わらないと、杷佳は一大決心で楓に向き合うことにした。
「旦那様も柊揶も、あなたを追い出すなと言っているのです。私にそれを覆す権限はありません。ここの居たいなら、気の済むまで居ればよろしいのでは?」
夫と息子に逆らうつもりはない。だから致し方なく、杷佳がここに居ることを受け入れているのだと、楓は言っている。
「はい、そのことは承知しております。寛大なお心遣いありがとうございます」
「なら、もういいでしょう。それとも私に媚を売ろうとでも?」
「どこまでご存知かわかりませんが、私は母がどこの誰ともわからない方との間に生んだ子です。このように髪も黒くありません」
「あなたの出自については、見越からも聞きました。あなたが単に我が家に奉公に来た者なら、それを聞いてただ、気の毒に思ったでしょう。子供には罪はありません。真面目に道を踏み外すことなく生きられるよう、手助けすることを厭わなかったでしょう」
ただの使用人としてなら、杷佳のような境遇だったと聞けば、庇護することはやぶさかではないことだと、楓は言う。杷佳のことを父のいない鬼子だと言って虐げてきた叔父達と違い、柊揶の言う通り楓は優しい人なのだとわかる。
だが、息子の嫁ともなると、そうはいかないらしい。
「それで、お願いというのは、何なのかしら」
楓は杷佳が切り出した話に戻した。
「あなたの気の毒な境遇を理解し、受け入れてほしいとでも?」
「いえ、そうではございません」
「ではどういうこと?」
「祖父が亡くなってから、私は他に行き場所もなく、祖父の後を継いで当主となった叔父の世話になっておりました」
世話とは到底言えない。住む場所や食事は何とか与えられたが、実際は使用人より立場の低い厄介者だった。
「『世話』ね。それで?」
「お恥ずかしながら、私は北辰家の嫁に相応しい習い事も、教養も身につけておりません。ですから、私にご指導いただけないでしょうか」
「あなたが、花嫁修行をしたいと?」
「はい。祖父が亡くなるまで、少し手習いや茶華道の手解きを受けたことがございますが、何分にも幼い頃のことで、何も覚えておりません。役に立つからと、裁縫は何とか続けておりましたが、他はさっぱり」
「そういえば、常磐から柊揶の浴衣を三日ほどで縫い上げたとか聞きました」
「私に出来ることは、それくらいしか…」
そこで言葉を切ると、俯いたまま、そっと上目遣いに楓を見ると、脇息にもたれかけ、何やら思案している様子だった。
「楓様は茶の湯や生け花など、師範の腕前であると常盤さんからお聞きしました」
「お義母様」と呼ぶべきか迷ったが、彼女が杷佳にそう呼ばれたいと思っているとは思えなかった。
「書の方も、かなりの達筆でいらっしゃるともお聞きしました」
「浅はかだわ。私に媚を売って、あわよくば嫁として認めてもらおう、という魂胆なのは見え見えね」
そう言われても仕方がない。実際はそうなのだから。
「仰る通りです」
「旦那様や柊揶が認めているかと、図に乗っているのではなくて?」
辛辣な言葉をぶつけられる。しかし、一方的に存在自体を否定するような麻希達の言葉に比べれば、楓の放つ言葉にはそこまでの冷徹さはない。
「図には乗っておりませんが、それに甘えて居座るほど、私も図々しくはありません」
柊揶は、杷佳以外の嫁は認めないと言ってくれた。そんな彼の気持ちを汲み、柾揶も納得してくれている。
二人に押し切られ、楓も渋々ながら杷佳の存在を受け入れている。
だからと言って、何もしないわけにはいかない。
「家事も手伝うと言っていると聞いています。その上習い事も始めて、やっていけるのかしら。途中でやはり両方は無理と、泣き言を言ってきても困りますからね」
「そのようなことはございません。どんなに厳しくてもご指導いただけるのであれば、努力いたします」
朝早くから夜遅くまで、雨の日も夏のうだるようや暑さの中でも、冬の凍える日でも水仕事や重い荷物を運ぶ仕事をさせられてきた。
寝る間も削って裁縫もした。
どんなに大変でも、やり抜く自信はあった。
「そんなに言うなら、暫くの間教えてあげるわ。ただ嫁としてではなく、ただ弟子としてよ」
楓にしては精一杯の譲歩だったが、それでも願いは叶った。
「はい、よろしくお願いいたします。ありがとうございましす」
「お礼を言うのは早いわ。一度教えてものにならないとわかったら、そこで手を引きますからね。私は同じことを何度も教えるほど、気は長くありません」
「承知いたしました」
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