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第三章 婚姻の真実と謎の人物
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柾椰は、仕事のためにその日のうちに別宅を出て本宅へ戻っていった。
見送りはいらないと言われたが、杷佳が玄関まで出てくると、少し嬉しそうにしてくれた。
室生家では表側に立つことは許されず、杷佳を見ると叔父や麻希たちは途端に不機嫌になるので、用事を言いつけられた時以外は、出来るだけ視界に入らないよう気をつけていた。
自分を見て喜んでくれる人がいるのは、こんな気持ちなのだとじんわりと、胸に温かいものが広がった。
ただ、膳に乗った食事は豪華だったが、一人での食事は気が引けた。
それから常磐から、希望どおり普段使いの着物をもらい、明日から少しずつ家のことを任せてもらうということで、その日は早目に寝支度を済ませた。
昨夜は祝言ということで、特別だと思っていたが、今夜も風呂場に案内された時は驚いた。
室生家では、麻希たちは毎晩湯浴みをしていたが、使用人は三日に一度だった。もちろん杷佳は使用人たちと同じ扱いで、しかもいつも終い湯だったため、垢の浮た湯も踝より上まで残っていれば良いほうだった。
それがここでさ、肩までゆったり浸かることが出来、しかも一番風呂だ。
「それではお休みなさい」
「明日からよろしくお願いします」
常磐が出ていき、一人になると湯冷ましに杷佳は縁側に出た。
「綺麗な月」
その夜の月は満月に程近く白く煌々と輝き、辺りをまるで昼間のように明るく照らしていた。
彼女のいる縁側の先には、興得寺のように手入れの行き届いた庭が広がっていた。
建物に沿って視線を巡らせると、竹で組んだ高い垣根が庭を分断していた。
先程見た「奥」に繋がっているのだとわかる。
「あの向こうにも、ここと同じ庭があるのかしら」
もしそうなら、柊椰も生前同じような景色を眺めていたのかも知れない。
そう思うと、彼と繋がりができた気がした。
「お会いしたかったわ」
常磐が語る柊椰は、少々誇張している部分があるかも知れない。幼い頃から世話をしてきた、母親のような気持ちを持っているのかも。
だが、それを差し引いても彼が心根の強い、聡明な人だとわかる。
きっと、杷佳を見えも嫌悪したりしなかっただろう。
垣根の向こうには、夫となった柊椰の遺体が安置されているはずだ。
秘術で腐敗を止めていると聞いたが、彼の魂はどこに行ったのだろう。
人は死ぬと、魂は三途の川を渡り、そこから生きている間の罪について十人の大王から審判を受けると聞いたことがある。
すべての裁判が終わるのが、ちょうど一周忌の頃だとも。
と、するならば、今はどの王の裁判を受けているのだろう。
仏教の五戒は不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒だと興得寺の住職から聞いた。
「殺してはならない」「盗んではならない」「邪なこと(不倫)をしてはならない」「嘘を言ってはならない」「飲酒、酒に溺れてはいけない」だ。
ずっと病に臥せっていたなら、きっとどれも破っていないはずだ。
だからきっと極楽に行けるはずだ。
「どうか、彼が極楽へ迎え入れられますように」
杷佳は垣根に向かいそっと手を合わせ、彼の冥福を祈った。既に鬼籍に入った彼に対し、自分が出来ることはそれしかなかった。
生きている者の供養する気持ちが、故人を救い上げるとも聞いた。
自分の祈り如きで、何が変わるかわからないが、それでも縁があってここに来たのなら、彼のために祈ることが、自分の務めだと思った。
彼との婚姻がなければ、自分は室生家を出ることもなかった。
こんな穏やかな時間を迎えられるのも、彼のお陰だと熱心に感謝の意も込めた。
「あら?」
祈りを終えて、目を開け再び庭に視線を向けた杷佳は、何かに気づいて目を留めた。庭に射す月の光は、木々にくっきりとした影を作っている。
その影が動いたような気がして、杷佳はぎくりとした。
「……気のせい…よね」
風でも吹いたか。もしくは猫かイタチかネズミなどの小動物でも紛れ込んだのだろうか。
しかし、影が動いたと思われる場所をじっと目を凝らして見据えていたが、それきり何も動かなかった。
「見間違いね」
もう一度庭に目を凝らし、それから垣根の向こうにも思いを馳せてから杷佳は中に戻った。
「……目聡いな」
部屋の灯りが消えるのを待って、庭に人影が現れた。
「お嫁様、優しい」
「お嫁様、優しい」
「そうだな」
その背後に、その人物の半分ほどの背丈の影が二つ現れ、同じ言葉を繰り返した。
「そうだな。良い嫁だ」
月明かりに照らされたその顔に、満足気な笑みが広がる。
「そろそろ行くか。残りは後いくつだ?」
「残り後五百」
「後五百、後五百」
「ちょうど半分だな」
そう言って、彼は外塀に向かって身を翻し歩き出した。腰まで真っ直ぐ伸びた長い黒髪が、風に靡く。着ている着物は身の身頃右半分が黒、反対側が白、光沢のある黒い半幅帯下半身を締め、黒光りの羽織を袖を通さず肩で着ている。
刀を持つ手には指先の空いた手袋を着け、足元は編み上げの革靴という出で立ちだ。
小さな影もそれに従う。
月影に照らされたその顔は、共に人では無かった。一方が馬、一方が牛の頭をしていた。
三つの影は軽々と外塀を乗り越え、屋敷から遠ざかって行った。
見送りはいらないと言われたが、杷佳が玄関まで出てくると、少し嬉しそうにしてくれた。
室生家では表側に立つことは許されず、杷佳を見ると叔父や麻希たちは途端に不機嫌になるので、用事を言いつけられた時以外は、出来るだけ視界に入らないよう気をつけていた。
自分を見て喜んでくれる人がいるのは、こんな気持ちなのだとじんわりと、胸に温かいものが広がった。
ただ、膳に乗った食事は豪華だったが、一人での食事は気が引けた。
それから常磐から、希望どおり普段使いの着物をもらい、明日から少しずつ家のことを任せてもらうということで、その日は早目に寝支度を済ませた。
昨夜は祝言ということで、特別だと思っていたが、今夜も風呂場に案内された時は驚いた。
室生家では、麻希たちは毎晩湯浴みをしていたが、使用人は三日に一度だった。もちろん杷佳は使用人たちと同じ扱いで、しかもいつも終い湯だったため、垢の浮た湯も踝より上まで残っていれば良いほうだった。
それがここでさ、肩までゆったり浸かることが出来、しかも一番風呂だ。
「それではお休みなさい」
「明日からよろしくお願いします」
常磐が出ていき、一人になると湯冷ましに杷佳は縁側に出た。
「綺麗な月」
その夜の月は満月に程近く白く煌々と輝き、辺りをまるで昼間のように明るく照らしていた。
彼女のいる縁側の先には、興得寺のように手入れの行き届いた庭が広がっていた。
建物に沿って視線を巡らせると、竹で組んだ高い垣根が庭を分断していた。
先程見た「奥」に繋がっているのだとわかる。
「あの向こうにも、ここと同じ庭があるのかしら」
もしそうなら、柊椰も生前同じような景色を眺めていたのかも知れない。
そう思うと、彼と繋がりができた気がした。
「お会いしたかったわ」
常磐が語る柊椰は、少々誇張している部分があるかも知れない。幼い頃から世話をしてきた、母親のような気持ちを持っているのかも。
だが、それを差し引いても彼が心根の強い、聡明な人だとわかる。
きっと、杷佳を見えも嫌悪したりしなかっただろう。
垣根の向こうには、夫となった柊椰の遺体が安置されているはずだ。
秘術で腐敗を止めていると聞いたが、彼の魂はどこに行ったのだろう。
人は死ぬと、魂は三途の川を渡り、そこから生きている間の罪について十人の大王から審判を受けると聞いたことがある。
すべての裁判が終わるのが、ちょうど一周忌の頃だとも。
と、するならば、今はどの王の裁判を受けているのだろう。
仏教の五戒は不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒だと興得寺の住職から聞いた。
「殺してはならない」「盗んではならない」「邪なこと(不倫)をしてはならない」「嘘を言ってはならない」「飲酒、酒に溺れてはいけない」だ。
ずっと病に臥せっていたなら、きっとどれも破っていないはずだ。
だからきっと極楽に行けるはずだ。
「どうか、彼が極楽へ迎え入れられますように」
杷佳は垣根に向かいそっと手を合わせ、彼の冥福を祈った。既に鬼籍に入った彼に対し、自分が出来ることはそれしかなかった。
生きている者の供養する気持ちが、故人を救い上げるとも聞いた。
自分の祈り如きで、何が変わるかわからないが、それでも縁があってここに来たのなら、彼のために祈ることが、自分の務めだと思った。
彼との婚姻がなければ、自分は室生家を出ることもなかった。
こんな穏やかな時間を迎えられるのも、彼のお陰だと熱心に感謝の意も込めた。
「あら?」
祈りを終えて、目を開け再び庭に視線を向けた杷佳は、何かに気づいて目を留めた。庭に射す月の光は、木々にくっきりとした影を作っている。
その影が動いたような気がして、杷佳はぎくりとした。
「……気のせい…よね」
風でも吹いたか。もしくは猫かイタチかネズミなどの小動物でも紛れ込んだのだろうか。
しかし、影が動いたと思われる場所をじっと目を凝らして見据えていたが、それきり何も動かなかった。
「見間違いね」
もう一度庭に目を凝らし、それから垣根の向こうにも思いを馳せてから杷佳は中に戻った。
「……目聡いな」
部屋の灯りが消えるのを待って、庭に人影が現れた。
「お嫁様、優しい」
「お嫁様、優しい」
「そうだな」
その背後に、その人物の半分ほどの背丈の影が二つ現れ、同じ言葉を繰り返した。
「そうだな。良い嫁だ」
月明かりに照らされたその顔に、満足気な笑みが広がる。
「そろそろ行くか。残りは後いくつだ?」
「残り後五百」
「後五百、後五百」
「ちょうど半分だな」
そう言って、彼は外塀に向かって身を翻し歩き出した。腰まで真っ直ぐ伸びた長い黒髪が、風に靡く。着ている着物は身の身頃右半分が黒、反対側が白、光沢のある黒い半幅帯下半身を締め、黒光りの羽織を袖を通さず肩で着ている。
刀を持つ手には指先の空いた手袋を着け、足元は編み上げの革靴という出で立ちだ。
小さな影もそれに従う。
月影に照らされたその顔は、共に人では無かった。一方が馬、一方が牛の頭をしていた。
三つの影は軽々と外塀を乗り越え、屋敷から遠ざかって行った。
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