冥府の花嫁

七夜かなた

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第三章 婚姻の真実と謎の人物

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 杷佳の寝ていた布団の側には、紺地に貝桶の柄の絹の着物が置かれていた。
 袖を通すのも躊躇われるくらい上等な着物で、とても着れないと杷佳は最初断ったが、結局常磐に押し切られた。

「具合はどうだ?」

 常磐に連れられて、柾椰の待つ部屋に行った。入り口で膝をついた杷佳に、彼は体調について尋ねた。

「お恥ずかしいところをお見せして、申し訳ございません」
「いや、そのことは気にしなくていい。中に入ってくれ」

 頭を下げようとした杷佳を止めて、柾椰は中へと手招きした。

「あのようなこと、こちらのしたことに比べれば、なんてことはない」

 ばつが悪そうな顔で、柾椰は部屋に入った杷佳を見つめた。

「騙すようなことをして悪かった」
「その…私は…」

 目上である柾揶に素直に謝られ、杷佳は居心地を悪くした。

「柊椰は、結婚後五年目で出来た子供でな」

 そして、彼は息子のことについて語り始めた。

「それまで何度も早期流産を繰り返し、家内も私も今度こそはと言う時に、ようやく産み月近くまでこぎつけたのだが、後一ヶ月ということころで産気づき、母子ともに危ういところだった」

 辛そうに語る柾椰の様子に、杷佳はどう言えばいいかわからず、黙って頷いていた。
 
「難産で、お産は丸一日かかった。そして、春の嵐の夜、大きな雷が鳴り響く中、産まれた柊椰は、産声も満足に上げられないほど弱く、到底一年は保たないと医者に言われた」

 やっと授かった命。望まれてこの世に生を受け、しかしそのように言われ、どれほどに辛かったか。
 自分は生まれてこないほうが良かったのでは、と何度思ったか知れない杷佳が元気に育ち、待望の子供である柊椰がそのように生まれた。世の中はままならないものだ。

「あらゆる神仏に縋った。そしてちょうど大陸から来たという道士に巡り合い、彼の祈祷のお陰で柊椰はこれまで生きて来られた」

 それまでも何度も高熱を出し、死地を彷徨っては乗り越えてきたのだと、柾椰は言った。

「しかし、何とか生き永らえても、結婚して子を設けることは難しい。北辰家も私の代で終わりと思っていた」

 名家にとって、後継ぎをもうけることは大事なこと。それを諦めるということが、どういうことか。眉間に皺が寄り、膝に置いた拳に力が入る柾揶の姿を見れば、それがわかる。
 正妻に子が出来なければ、妾を持つことも出来る。なぜそうしなかったのだろう。

「北辰家は家内の家で、私は養子だ」

 その疑問を悟ったのか、柾椰が杷佳に視線を向けて言った。
 考えを見透かされていたようで、杷佳は頬を赤らめた。

「す、すみません」
「いや。気にしなくていい。そういうわけで、私が妾を作ったとしても、その子は北辰家の正当な跡取りとは言えない」

 恥じる杷佳に、柾椰は弱々しい笑みを向けた。
 これが叔父なら、平手のひとつでも飛んでくるだろうに、柾椰の優しさに杷佳は心を撃たれた。
 これほどに人柄の良い方なのに、お金があっても人には色んな悩みがあるものだ。

「一歳の誕生日を迎えるのは難しいと言われた柊揶も、何とか二十歳までだましだまし生きてきた。殆ど寝床で過ごし、あの子に取って生きていることが苦痛で、早くあの世に逝かせてやった方がとも思ったが、親の自我だとは思う。それをわかってか、あの子は物心ついてから苦しいとか辛いとは言わなくなった」

 我が子に生きてほしいと思う親心。それを理解して、愚痴ひとつ言わない息子。
 親子の間の絆とも言える強い繋がりを、杷佳は羨ましいとさえ思った。

「お心の強い方なのですね。ご立派です」

 弱音を吐いても誰も咎めない状況で、そうしなかったのは、彼の心が強いからだろう。
 杷佳がそう言うと、柾椰は「そう思うか」と、嬉しそうに微笑んだ。
 
「子供は無理でも花嫁ならばと相手を探したが、そのような状態で我が家に我が子をと思う親はいない」

 同じように我が子を思うならば、体の弱い夫に嫁がせたいとは思わないだろう。
 しかし、それでも構わないと思う者はいるのではないだろうか。

「うう…」

 それまで話を黙って聞いていた常磐から、押し殺した鳴き声が漏れる。

「常磐は、家内の乳母で、柊揶のことも生まれたときから親身に世話をしてくれているのだ」
「そうなのですね」

 振り返って着物の袖で涙を拭う姿を見て、皆に大切にされている柊椰は、一体どんな人なのだろうと気になった。
 なぜ人形が代わりに置かれていたのか、気になることはあったが、自分から問い質す勇気はなかった。
 しかし次の柾椰の言葉に、杷佳は耳を疑った。

「だが、何とかここまで生きて来られた柊揶だったが、天命もここまでだった」
「え…」
「あの子は…柊椰は…」
「う、うううう」

 常磐の嗚咽がますます大きくなる。

「あの子は…つい五日前、この世を去った」

 唇を噛み締め、柾椰はそう言った。
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