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第一章 鬼子
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「ご、ごめんなさい、和尚様…わ、わたし…」
周りが見えておらず、和尚だけでなく、初めて会う男性に酷い顔を晒していることに気づき、杷佳は慌てて顔を伏せて謝った。
「見越様、申し訳ございません」
「私のことは気にせず、こんなに泣き腫らして、よほど大事な人を亡くしたんだね」
「あの、少し話をしてすぐに参りますので、先に中でお待ち下さい。知念、知念」
住職は寺内に向かって小坊主の名を呼んだ。
「はい、和尚様」
パタパタと草履を履いた小坊主が、建物から走ってきた。
「お前、お客様を奥の座敷へご案内して、幸恵が茶の用意をしているはずだ」
幸恵とは住職の妻のことだ。
茶道と華道の師範の免状を持っている。
大事な客が来ると、いつも彼女が茶を点てている。
「はい。あの、こちらです」
「ああ、大丈夫。ここに来るのは初めてではないから、場所はわかりますよ」
「本当に申し訳ございません」
「あ、あの…旦那様…お、お目汚しを…も、申し訳ございません」
和尚の隣で杷佳もペコペコ謝った。いつも被っている手拭いから髪が溢れていないか、さっと顔の周りを確認する。
すると、一房横の髪が溢れていることに気づき、慌てて手拭いの下に隠した。
(み、見られたかしら…)
大抵の人は杷佳の髪色を見ると、眉を顰めるものだ。黒髪ばかりの中で、杷佳のような髪色は、昔なら妖かしとの合の子かと言われていた。
今は外国から来た異人との子供にも、似たような者がいるが、どちらにしても、あまり快く思われないのは同じだ。
「杷佳ちゃん、香苗さんのことは残念だったね」
客と知念の姿が見えなくなると、住職はぽんと彼女の肩を叩き、杷佳を立ち上がらせた。
「和尚様」
「君の気持ちはわかる。突然のことだったからね。私も驚いている」
「香苗さんは…わたし…お別れを…」
「遺体の損傷が酷くて、色んなご遺体を見て来た私でも、最初は彼女だと気づかなかった。だから、香苗さんもきっと、あの姿は見られたくなかったはずだ」
「そ、そんな…でも…」
たとえどんな姿でも、最後にもう一度顔を見たかった。しかし、それはもう叶わない願いだ。
「あ、あの、和尚様…」
杷佳はずっと握りしめていた巾着袋のことを思い出し、和尚の前に差し出した。
「これは?」
その巾着には、小銭が入っているのかチャリンと音がした。
「お、お布施です。これっぽっちでは足らないでしょうが、これで、香苗さんの供養を…」
それは香苗からもらっていた小遣いが入っていた。
「お布施なら…」
香苗を轢いたのは、華族の瑞沢伯爵の車だった。
相手が華族だと知ると、室生家の当主たちは和尚が見ていて呆れるほどに媚びへつらっていた。
伯爵もことを荒立てたくないと、迷惑料と香典代だと言って百円もの大金をぽんと置いていった。
それは会社勤めの給料の二ヶ月分ほどだ。
それに比べれば、今杷佳が握っている巾着の中身は、恐らくその二十分の一にもならないだろう。
室生の家で杷佳が当主の智之たちから、今現在どのような扱いを受けているか、和尚も知らぬわけではない。
「どうかお願いします。これで香苗さんのためにお経を…わたしにはこれしか…」
最低限の賃金どころか、一銭ももらっていない筈だ。その中で、どのようにして貯めたのかわからないが、杷佳に取っては貴重なお金のはずだ。
「それは杷佳ちゃんのお金だろう? 別にお経くらいなら…」
「いいんです。きちんとお布施を出して、冥福を祈りたいんです。それがわたしが彼女に出来る最後の恩返しですから」
まだ涙の溜まった目で、杷佳はきっぱりと和尚を見据えて言った。
周りが見えておらず、和尚だけでなく、初めて会う男性に酷い顔を晒していることに気づき、杷佳は慌てて顔を伏せて謝った。
「見越様、申し訳ございません」
「私のことは気にせず、こんなに泣き腫らして、よほど大事な人を亡くしたんだね」
「あの、少し話をしてすぐに参りますので、先に中でお待ち下さい。知念、知念」
住職は寺内に向かって小坊主の名を呼んだ。
「はい、和尚様」
パタパタと草履を履いた小坊主が、建物から走ってきた。
「お前、お客様を奥の座敷へご案内して、幸恵が茶の用意をしているはずだ」
幸恵とは住職の妻のことだ。
茶道と華道の師範の免状を持っている。
大事な客が来ると、いつも彼女が茶を点てている。
「はい。あの、こちらです」
「ああ、大丈夫。ここに来るのは初めてではないから、場所はわかりますよ」
「本当に申し訳ございません」
「あ、あの…旦那様…お、お目汚しを…も、申し訳ございません」
和尚の隣で杷佳もペコペコ謝った。いつも被っている手拭いから髪が溢れていないか、さっと顔の周りを確認する。
すると、一房横の髪が溢れていることに気づき、慌てて手拭いの下に隠した。
(み、見られたかしら…)
大抵の人は杷佳の髪色を見ると、眉を顰めるものだ。黒髪ばかりの中で、杷佳のような髪色は、昔なら妖かしとの合の子かと言われていた。
今は外国から来た異人との子供にも、似たような者がいるが、どちらにしても、あまり快く思われないのは同じだ。
「杷佳ちゃん、香苗さんのことは残念だったね」
客と知念の姿が見えなくなると、住職はぽんと彼女の肩を叩き、杷佳を立ち上がらせた。
「和尚様」
「君の気持ちはわかる。突然のことだったからね。私も驚いている」
「香苗さんは…わたし…お別れを…」
「遺体の損傷が酷くて、色んなご遺体を見て来た私でも、最初は彼女だと気づかなかった。だから、香苗さんもきっと、あの姿は見られたくなかったはずだ」
「そ、そんな…でも…」
たとえどんな姿でも、最後にもう一度顔を見たかった。しかし、それはもう叶わない願いだ。
「あ、あの、和尚様…」
杷佳はずっと握りしめていた巾着袋のことを思い出し、和尚の前に差し出した。
「これは?」
その巾着には、小銭が入っているのかチャリンと音がした。
「お、お布施です。これっぽっちでは足らないでしょうが、これで、香苗さんの供養を…」
それは香苗からもらっていた小遣いが入っていた。
「お布施なら…」
香苗を轢いたのは、華族の瑞沢伯爵の車だった。
相手が華族だと知ると、室生家の当主たちは和尚が見ていて呆れるほどに媚びへつらっていた。
伯爵もことを荒立てたくないと、迷惑料と香典代だと言って百円もの大金をぽんと置いていった。
それは会社勤めの給料の二ヶ月分ほどだ。
それに比べれば、今杷佳が握っている巾着の中身は、恐らくその二十分の一にもならないだろう。
室生の家で杷佳が当主の智之たちから、今現在どのような扱いを受けているか、和尚も知らぬわけではない。
「どうかお願いします。これで香苗さんのためにお経を…わたしにはこれしか…」
最低限の賃金どころか、一銭ももらっていない筈だ。その中で、どのようにして貯めたのかわからないが、杷佳に取っては貴重なお金のはずだ。
「それは杷佳ちゃんのお金だろう? 別にお経くらいなら…」
「いいんです。きちんとお布施を出して、冥福を祈りたいんです。それがわたしが彼女に出来る最後の恩返しですから」
まだ涙の溜まった目で、杷佳はきっぱりと和尚を見据えて言った。
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