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第一章 鬼子
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先代の室生家当主である長治郎は、娘の小百合を目の中に入れても痛くないほどに溺愛していた。
それこそ、今の智之が麻希に対する以上に可愛がっていたという。
そのため小百合の捜索には、金の糸目をつけないばかりか、怪しげな霊媒や祈祷にも手を付け、古今東西ありとあらゆる神仏を頼った。
今でも蔵には、その時に買い漁ったものが眠っている。
そして、小百合が見つかり、その後杷佳を産んで亡くなった時には、見る目も当てられないほどに悲嘆に暮れたという。
杷佳にも、最初はどこの馬の骨ともわからぬ男の子など知らぬと、見向きもしなかった。
香苗がいなかったら、杷佳もどうなっていたかわからない。
全てどうでもいいと自暴自棄になった長治郎だったが、香苗が小百合お嬢様のお小さい頃に似ていると諦めずに声をかけた結果、ようやく杷佳に目を向けた。
「本当に、小百合そっくりだ」
杷佳を見て、長治郎はそう言って涙を流したという。
そして、長治郎は杷佳を溺愛するようになった。
家督は智之に譲り、長治郎の生活は杷佳中心になった。
その一年後、智之の娘の麻希が生まれたが、長治郎の関心は麻希にはまったく注がれなかった。
当然、智之や麻衣たちにとっては面白くなかっただろう。
室生家が困窮したのも、すべて小百合のせい。
小百合が亡くなってしまった今は、彼らの怒りはすべて杷佳に向けられた。
長治郎は杷佳と二人で離れに住み、杷佳も綺麗な着物を着て、美味しい物を食べ、長治郎からたくさんのことを学んだ。
手習いもお琴も舞踊も裁縫も、茶道に華道と、ありとあらゆる習い事を杷佳に仕込んだ。
「杷佳は筋がいいと、どのお師匠様も褒めていたぞ。書く文字も美しいし、まさに才女だ」
事実、杷佳はすべての習い事に才能を発揮し、それがまた長治郎の自慢になった。
「それに比べて智之の娘は、何をやらせても凡人以下だ。杷佳の爪の垢でも煎じてやろうか」
一方麻希は、いつまで経っても何も上達しなき。
それどころか、自分の思うようにいかないことがあると、麻希かすぐに癇癪を起こし、そのたびに教え方が悪いと師匠たちを首にしていた。
「おじい様、麻希ちゃんも頑張っていますよ」
「杷佳は優しいなぁ、あんな出来損ないの子にも、そんな優しい言葉をかけてやれるんだからな」
杷佳としては、ただ、長治郎が麻希に厳しい顔を向けると、叔父達が長治郎の目を盗んで杷佳に「鬼子」「父なし子」「室生家の疫病神」などと酷い言葉をかけてくるので、麻希に対する心象を良くしてもらおうとしただけだった。
しかしそれが、叔父たちの怒りを更に煽っていた。
そしてある冬の日、長治郎は心の臓の発作を起こし、呆気なくこの世を去った。
それは杷佳が十歳になる年の頃。
その日を境に、杷佳の生活は一変してしまった。
「浴衣って、麻希お嬢様の女学校の課題ですよね」
麻衣が見えなくなると、そっと香苗が聞いてきた。
「そのようです」
「また他人にやらせているのですね。自分がやらないと意味がないのに、相変わらず勝手ですね」
女学校では婦女子の嗜みとして、勉強以外にも料理や裁縫などの授業がある。
麻希は根気がなく、裁縫が苦手で課題があるといつも杷佳に押し付けてくる。
「朝から晩まで働かせておきながら、そんなことまで…いくらなんでも酷すぎます」
香苗は杷佳の境遇に同情し、憤慨している。
「仕方がないわ。他に行くところもないし、仮にここを出ても、こんな髪色のわたしを置いてくれるところなんて、どこにもないもの」
「でも、私達よりたくさん働いているのに、一銭も貰えていないのですよ。どうせ働かせるなら、せめてお給金くらい…」
「時々香苗さんがくれるお小遣いで十分よ。お金があっても、使うところもないんだもの」
香苗は毎月自分の給金から、少しばかり杷佳に小遣いをくれる。
遣いに出た時には、こっそり杷佳に甘味などを差し入れてもくれている。
香苗には病弱な妹がいて、毎月給金の殆どを薬代のために仕送りしているのに、その中から杷佳に分けてくれているのだ。
「先代様には、父親が怪我で働けなかったとき、随分気にかけていただきました。お陰で怪我の治療もできて、その間の暮らしも面倒みていただきました。これに比べれば、私のやっていることなど、ほんの気休めです」
「そんなこと…わたしには香苗さんがお母様のようなものです」
「もったいないことです」
二人は互いに手を握りあった。
香苗がいれば、ここでの暮らしに耐えていける。
「さあ、仕事に戻りましょう。いつまでも油を売っていては、また叱られてしまうわ。まずは廊下の掃除ね」
杷佳はしんみりした空気を笑顔で祓った。
しかし、杷佳のそんな細やかな幸せの日々は、ある日突然終わりを告げたのだった。
それこそ、今の智之が麻希に対する以上に可愛がっていたという。
そのため小百合の捜索には、金の糸目をつけないばかりか、怪しげな霊媒や祈祷にも手を付け、古今東西ありとあらゆる神仏を頼った。
今でも蔵には、その時に買い漁ったものが眠っている。
そして、小百合が見つかり、その後杷佳を産んで亡くなった時には、見る目も当てられないほどに悲嘆に暮れたという。
杷佳にも、最初はどこの馬の骨ともわからぬ男の子など知らぬと、見向きもしなかった。
香苗がいなかったら、杷佳もどうなっていたかわからない。
全てどうでもいいと自暴自棄になった長治郎だったが、香苗が小百合お嬢様のお小さい頃に似ていると諦めずに声をかけた結果、ようやく杷佳に目を向けた。
「本当に、小百合そっくりだ」
杷佳を見て、長治郎はそう言って涙を流したという。
そして、長治郎は杷佳を溺愛するようになった。
家督は智之に譲り、長治郎の生活は杷佳中心になった。
その一年後、智之の娘の麻希が生まれたが、長治郎の関心は麻希にはまったく注がれなかった。
当然、智之や麻衣たちにとっては面白くなかっただろう。
室生家が困窮したのも、すべて小百合のせい。
小百合が亡くなってしまった今は、彼らの怒りはすべて杷佳に向けられた。
長治郎は杷佳と二人で離れに住み、杷佳も綺麗な着物を着て、美味しい物を食べ、長治郎からたくさんのことを学んだ。
手習いもお琴も舞踊も裁縫も、茶道に華道と、ありとあらゆる習い事を杷佳に仕込んだ。
「杷佳は筋がいいと、どのお師匠様も褒めていたぞ。書く文字も美しいし、まさに才女だ」
事実、杷佳はすべての習い事に才能を発揮し、それがまた長治郎の自慢になった。
「それに比べて智之の娘は、何をやらせても凡人以下だ。杷佳の爪の垢でも煎じてやろうか」
一方麻希は、いつまで経っても何も上達しなき。
それどころか、自分の思うようにいかないことがあると、麻希かすぐに癇癪を起こし、そのたびに教え方が悪いと師匠たちを首にしていた。
「おじい様、麻希ちゃんも頑張っていますよ」
「杷佳は優しいなぁ、あんな出来損ないの子にも、そんな優しい言葉をかけてやれるんだからな」
杷佳としては、ただ、長治郎が麻希に厳しい顔を向けると、叔父達が長治郎の目を盗んで杷佳に「鬼子」「父なし子」「室生家の疫病神」などと酷い言葉をかけてくるので、麻希に対する心象を良くしてもらおうとしただけだった。
しかしそれが、叔父たちの怒りを更に煽っていた。
そしてある冬の日、長治郎は心の臓の発作を起こし、呆気なくこの世を去った。
それは杷佳が十歳になる年の頃。
その日を境に、杷佳の生活は一変してしまった。
「浴衣って、麻希お嬢様の女学校の課題ですよね」
麻衣が見えなくなると、そっと香苗が聞いてきた。
「そのようです」
「また他人にやらせているのですね。自分がやらないと意味がないのに、相変わらず勝手ですね」
女学校では婦女子の嗜みとして、勉強以外にも料理や裁縫などの授業がある。
麻希は根気がなく、裁縫が苦手で課題があるといつも杷佳に押し付けてくる。
「朝から晩まで働かせておきながら、そんなことまで…いくらなんでも酷すぎます」
香苗は杷佳の境遇に同情し、憤慨している。
「仕方がないわ。他に行くところもないし、仮にここを出ても、こんな髪色のわたしを置いてくれるところなんて、どこにもないもの」
「でも、私達よりたくさん働いているのに、一銭も貰えていないのですよ。どうせ働かせるなら、せめてお給金くらい…」
「時々香苗さんがくれるお小遣いで十分よ。お金があっても、使うところもないんだもの」
香苗は毎月自分の給金から、少しばかり杷佳に小遣いをくれる。
遣いに出た時には、こっそり杷佳に甘味などを差し入れてもくれている。
香苗には病弱な妹がいて、毎月給金の殆どを薬代のために仕送りしているのに、その中から杷佳に分けてくれているのだ。
「先代様には、父親が怪我で働けなかったとき、随分気にかけていただきました。お陰で怪我の治療もできて、その間の暮らしも面倒みていただきました。これに比べれば、私のやっていることなど、ほんの気休めです」
「そんなこと…わたしには香苗さんがお母様のようなものです」
「もったいないことです」
二人は互いに手を握りあった。
香苗がいれば、ここでの暮らしに耐えていける。
「さあ、仕事に戻りましょう。いつまでも油を売っていては、また叱られてしまうわ。まずは廊下の掃除ね」
杷佳はしんみりした空気を笑顔で祓った。
しかし、杷佳のそんな細やかな幸せの日々は、ある日突然終わりを告げたのだった。
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