冥府の花嫁

七夜かなた

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第一章 鬼子

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杷佳わか、杷佳、何処へ行ったの!」

 先ほどから幾度となく杷佳の名を麻希が叫んでいる。
 声は徐々に大きくなる。それと共に、声に苛立ちが含まれていく。 

「杷佳ぁ、杷佳ったらぁ~」

 パタパタと慌ただしい足音が廊下に響き、麻希のいる部屋に向かって、誰かが走ってくるのが聞こえる。

「も、申し訳ございません。麻希お嬢様、杷佳です」

 閉め切った障子の向こうから声をかけ、すっと杷佳はそれを開けた。

「遅い! 何度呼ばせるのよ」
「あ! イタッ」

 障子を開けた杷佳に向かって、罵声と共に何かが飛んできた。それはゴツンという音を立て、勢いよく彼女の手拭いを被った頭にぶつかった。
 一瞬眼の前に火花が飛び、痛みに思わず声をあげた。
 額に当たってからガタンと廊下に落ちたのは、麻希の箱枕だった。額がずきりとした痛みが走る。

「大袈裟ね。呼ばれたらすぐに来なさいって、いつも言っているでしょ!」

 文箱を投げたことも、それが当たったことも謝ることなく、逆に「痛い」と言ったことを麻希は金切り声で責めた。
 この家の娘の麻希は朝が弱く、寝起きはいつも機嫌が悪いが、今日は杷佳が来るのが遅れたため、更に期限が悪い。

「も、申し訳ございません。お勝手に出ておりまして…」

 杷佳は勝手口で庭掃除をしていた。勝手口から母屋にある麻希の部屋はかなり遠いく、簡単に聞こえる筈もない。麻希お嬢さんが呼んでいると聞かされ、慌てて勝手口から走ってきたが、そこからここまで来るのにも、それなりに時間がかかる。
 何しろここ室生家は敷地は四百坪近くあり、建坪面積も二百坪近い。部屋数も多く、一足飛びには辿り着けない。

「言い訳なんて生意気ね!」
「ひっ」

 しかし、麻希はそんな事情も聞き入れず、口答えする杷佳を再び怒鳴りつけた。
 
「い、言い訳など滅相もございません」

 額を廊下に擦り付けて、杷佳は平謝りした。

「謝っても遅いわ。お父さま達にお前が仕事を怠けていた上に口答えしたって、言いつけてやるわ」
「そ、そんな…」

 杷佳は青ざめて顔を上げた。麻希なら本当にやる。そのうえきっと今以上にあることないこと付け加えて、大袈裟に言うだろうことはわかっていた。
 そして麻希の両親であり、この室生家の主人夫婦は、一人娘の麻希の言葉を決して疑わない。
 娘の言葉を鵜呑みにした彼らは、きっと杷佳を折檻したうえで蔵に一晩閉じ込め、水も食べ物も与えないだろう。
 それがいつもの、彼らの杷佳に対する仕打ちだった。
 灯りもない暗い蔵で、もう何度閉じ込められただろう。

「お、お嬢様…それだけは」

 震えて青ざめる杷佳のその顔色を見て、麻希はにんまりと微笑んだ。

「お前が悪いのよ。私が呼んだのにすぐ来ないから。行き場のないお前を養ってあげているというのに、まったく感謝が足らないわよね」
「か、感謝しております。本当です」
「どうかしら。口では適当なこと言えるでしょ」
「う、嘘など申しておりません。本当に、お、叔父様たちには…あ」
でしょ。何度言えばわかるのよ」
「……」

 麻希に注意され、杷佳はぎゅっと唇を噛んで、己の迂闊さを悔やんだ。
 室生家当主で麻希の父親の室生智之は、杷佳の叔父にあたる。
 しかし彼女が「叔父」と呼ぶことを、彼は嫌がる。
 彼は杷佳のことを姪としては認めていないのだ。

「まあいいわ。それより早く仕度を手伝って。女学校に遅れてしまうわ」

 さらに顔色を悪くした把佳の様子に、麻希はようやく気が晴れたようだった。

「は、はい」

 把佳は彼女の着替えを手伝うため、立ち上がった。
 
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