1 / 32
第一章 鬼子
1
しおりを挟む
「杷佳、杷佳、何処へ行ったの!」
先ほどから幾度となく杷佳の名を麻希が叫んでいる。
声は徐々に大きくなる。それと共に、声に苛立ちが含まれていく。
「杷佳ぁ、杷佳ったらぁ~」
パタパタと慌ただしい足音が廊下に響き、麻希のいる部屋に向かって、誰かが走ってくるのが聞こえる。
「も、申し訳ございません。麻希お嬢様、杷佳です」
閉め切った障子の向こうから声をかけ、すっと杷佳はそれを開けた。
「遅い! 何度呼ばせるのよ」
「あ! イタッ」
障子を開けた杷佳に向かって、罵声と共に何かが飛んできた。それはゴツンという音を立て、勢いよく彼女の手拭いを被った頭にぶつかった。
一瞬眼の前に火花が飛び、痛みに思わず声をあげた。
額に当たってからガタンと廊下に落ちたのは、麻希の箱枕だった。額がずきりとした痛みが走る。
「大袈裟ね。呼ばれたらすぐに来なさいって、いつも言っているでしょ!」
文箱を投げたことも、それが当たったことも謝ることなく、逆に「痛い」と言ったことを麻希は金切り声で責めた。
この家の娘の麻希は朝が弱く、寝起きはいつも機嫌が悪いが、今日は杷佳が来るのが遅れたため、更に期限が悪い。
「も、申し訳ございません。お勝手に出ておりまして…」
杷佳は勝手口で庭掃除をしていた。勝手口から母屋にある麻希の部屋はかなり遠いく、簡単に聞こえる筈もない。麻希お嬢さんが呼んでいると聞かされ、慌てて勝手口から走ってきたが、そこからここまで来るのにも、それなりに時間がかかる。
何しろここ室生家は敷地は四百坪近くあり、建坪面積も二百坪近い。部屋数も多く、一足飛びには辿り着けない。
「言い訳なんて生意気ね!」
「ひっ」
しかし、麻希はそんな事情も聞き入れず、口答えする杷佳を再び怒鳴りつけた。
「い、言い訳など滅相もございません」
額を廊下に擦り付けて、杷佳は平謝りした。
「謝っても遅いわ。お父さま達にお前が仕事を怠けていた上に口答えしたって、言いつけてやるわ」
「そ、そんな…」
杷佳は青ざめて顔を上げた。麻希なら本当にやる。そのうえきっと今以上にあることないこと付け加えて、大袈裟に言うだろうことはわかっていた。
そして麻希の両親であり、この室生家の主人夫婦は、一人娘の麻希の言葉を決して疑わない。
娘の言葉を鵜呑みにした彼らは、きっと杷佳を折檻したうえで蔵に一晩閉じ込め、水も食べ物も与えないだろう。
それがいつもの、彼らの杷佳に対する仕打ちだった。
灯りもない暗い蔵で、もう何度閉じ込められただろう。
「お、お嬢様…それだけは」
震えて青ざめる杷佳のその顔色を見て、麻希はにんまりと微笑んだ。
「お前が悪いのよ。私が呼んだのにすぐ来ないから。行き場のないお前を養ってあげているというのに、まったく感謝が足らないわよね」
「か、感謝しております。本当です」
「どうかしら。口では適当なこと言えるでしょ」
「う、嘘など申しておりません。本当に、お、叔父様たちには…あ」
「旦那様でしょ。何度言えばわかるのよ」
「……」
麻希に注意され、杷佳はぎゅっと唇を噛んで、己の迂闊さを悔やんだ。
室生家当主で麻希の父親の室生智之は、杷佳の叔父にあたる。
しかし彼女が「叔父」と呼ぶことを、彼は嫌がる。
彼は杷佳のことを姪としては認めていないのだ。
「まあいいわ。それより早く仕度を手伝って。女学校に遅れてしまうわ」
さらに顔色を悪くした把佳の様子に、麻希はようやく気が晴れたようだった。
「は、はい」
把佳は彼女の着替えを手伝うため、立ち上がった。
先ほどから幾度となく杷佳の名を麻希が叫んでいる。
声は徐々に大きくなる。それと共に、声に苛立ちが含まれていく。
「杷佳ぁ、杷佳ったらぁ~」
パタパタと慌ただしい足音が廊下に響き、麻希のいる部屋に向かって、誰かが走ってくるのが聞こえる。
「も、申し訳ございません。麻希お嬢様、杷佳です」
閉め切った障子の向こうから声をかけ、すっと杷佳はそれを開けた。
「遅い! 何度呼ばせるのよ」
「あ! イタッ」
障子を開けた杷佳に向かって、罵声と共に何かが飛んできた。それはゴツンという音を立て、勢いよく彼女の手拭いを被った頭にぶつかった。
一瞬眼の前に火花が飛び、痛みに思わず声をあげた。
額に当たってからガタンと廊下に落ちたのは、麻希の箱枕だった。額がずきりとした痛みが走る。
「大袈裟ね。呼ばれたらすぐに来なさいって、いつも言っているでしょ!」
文箱を投げたことも、それが当たったことも謝ることなく、逆に「痛い」と言ったことを麻希は金切り声で責めた。
この家の娘の麻希は朝が弱く、寝起きはいつも機嫌が悪いが、今日は杷佳が来るのが遅れたため、更に期限が悪い。
「も、申し訳ございません。お勝手に出ておりまして…」
杷佳は勝手口で庭掃除をしていた。勝手口から母屋にある麻希の部屋はかなり遠いく、簡単に聞こえる筈もない。麻希お嬢さんが呼んでいると聞かされ、慌てて勝手口から走ってきたが、そこからここまで来るのにも、それなりに時間がかかる。
何しろここ室生家は敷地は四百坪近くあり、建坪面積も二百坪近い。部屋数も多く、一足飛びには辿り着けない。
「言い訳なんて生意気ね!」
「ひっ」
しかし、麻希はそんな事情も聞き入れず、口答えする杷佳を再び怒鳴りつけた。
「い、言い訳など滅相もございません」
額を廊下に擦り付けて、杷佳は平謝りした。
「謝っても遅いわ。お父さま達にお前が仕事を怠けていた上に口答えしたって、言いつけてやるわ」
「そ、そんな…」
杷佳は青ざめて顔を上げた。麻希なら本当にやる。そのうえきっと今以上にあることないこと付け加えて、大袈裟に言うだろうことはわかっていた。
そして麻希の両親であり、この室生家の主人夫婦は、一人娘の麻希の言葉を決して疑わない。
娘の言葉を鵜呑みにした彼らは、きっと杷佳を折檻したうえで蔵に一晩閉じ込め、水も食べ物も与えないだろう。
それがいつもの、彼らの杷佳に対する仕打ちだった。
灯りもない暗い蔵で、もう何度閉じ込められただろう。
「お、お嬢様…それだけは」
震えて青ざめる杷佳のその顔色を見て、麻希はにんまりと微笑んだ。
「お前が悪いのよ。私が呼んだのにすぐ来ないから。行き場のないお前を養ってあげているというのに、まったく感謝が足らないわよね」
「か、感謝しております。本当です」
「どうかしら。口では適当なこと言えるでしょ」
「う、嘘など申しておりません。本当に、お、叔父様たちには…あ」
「旦那様でしょ。何度言えばわかるのよ」
「……」
麻希に注意され、杷佳はぎゅっと唇を噛んで、己の迂闊さを悔やんだ。
室生家当主で麻希の父親の室生智之は、杷佳の叔父にあたる。
しかし彼女が「叔父」と呼ぶことを、彼は嫌がる。
彼は杷佳のことを姪としては認めていないのだ。
「まあいいわ。それより早く仕度を手伝って。女学校に遅れてしまうわ」
さらに顔色を悪くした把佳の様子に、麻希はようやく気が晴れたようだった。
「は、はい」
把佳は彼女の着替えを手伝うため、立ち上がった。
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる