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第九章

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「閣下」

 その場にいたほぼ全員が、短く刈り込んだ赤茶色の髪に、細く釣り上がった酷薄そうな灰色の瞳の一段と大柄な男に頭を下げた。
 それ以外は多分ドミニコの部下なのだろう。バレッシオで見かけた顔がいる。

「マイネス…」

 ドミニコも彼を知っているらしく、彼の名を口にする。

「マイネス?」

 どこかで聞いたことがあると、ジゼルは記憶を手繰る。
 バレッシオにいる時は国政にはあまり関わらせてもらえなかった。彼女はお飾りの大公妃で、綺麗なドレスを着て、ただ微笑んでいればいいと、言われていた。
 それでも、人の話は耳に入ってくる。
 エレトリカに帰ってからは引きこもっていたので、多分耳にしたのはバレッシオでだろう。
 どこで聞いたかと、ジゼルが考えた。明らかにこの中で一番の権力者だとわかる。彼は大きな歩幅でこちらへ近づいてきた。
 ユリウスも初めてエレトリカの王宮で見た時は、その立派な体躯に息を呑んだが、彼もまた近づいてくると、その大きさがわかる。
 
「いつまで経っても来ないから、様子を見に来た。何をグズグズしている、ヤーゴ」

 濃い灰色の瞳をジゼルに向けてから、先ほどからドミニコといた男の名を呼んだ。

「す、すみません、閣下。その、彼女がなかなか強情で」
「言い訳はいい! さっさと連れてこい」

 ヤーゴの話を皆まで聞かずに、マイネスは踵を返した。その命令には誰も逆らえず、その号令で全員が動き出した。

「相変わらず高圧的な男だ」

 ドミニコは彼が苦手らしく顔を顰める。

「聞こえているぞ。大公」

 マイネスが肩越しに振り返って、ドミニコをチラリと見る。

「地獄耳だな」
「そちらはもう少し言動に気を付けられよ。まったく、こんな場所まで人を借り出しておいて、女一人連れてくるのにどれだけ時間を掛けるのやら。しかし、これで約定は果たしたぞ」

 ドミニコに嫌味を言い、ヤーゴの方を向く。

「予定より大分遅れている。飛ばすぞ」
「はっ」

 マイネスは待ち構えていた馬に跨がった。他の者も次々と馬に乗る。ジゼルもドミニコの馬に乗せられた。上半身を縛っていた縄は一旦解かれ、ドミニコの体に抱きつくように縛り直された。

「久しぶりだな。このように縛ったままで悪いが、君が悪いんだぞ」
「悪いのはあなたでしょ」

 身動きが取れず、ジゼルはドミニコを睨み付けた。

「生意気な口を!」

 パンっとドミニコは彼女の頬をぶった。目の前に火花が散って、左頬がジンジンとする。口の中にも血の味が広がる。

「バッレシオに着いたら、そのような口など利けぬように躾てやる」

 以前のジゼルなら怯えて震えたが、ただ殴られるだけで我慢するつもりはなかった。

「夫婦げんかは後にしろ」

 マイネスが馬を歩かせて、そんなドミニコに苦言を呈す。

「ふん、国王の腹心だか知らないが、一介の兵士風情が俺に意見するか」
「勘違いするな。あんたは俺の主ではない。陛下の命令で協力しているだけで、言葉遣いまでどうしろとは命令されていない。そっちも護衛が必要なら、大人しく我々の指示に従ってもらおう」

 ヤーゴもマイネスも、ドミニコに手を貸すことを快く思っていないのが言葉や態度から滲み出ている。

「せいぜい頑張ってついてこい」

 馬鹿にしたように鼻で笑ったマイネスの顔が、一気に険しくなった。

「ヤーゴ、俺たちは十人ほど連れて大公達と先に行く。後はここに残れ」
「承知しました。さあ、大公閣下、行きましょう」
「な、たった十人だと、なぜ全員で行かない」
「グズグズしているからだ」

 彼は遠くを見据えそう言ってから、部下達を見回した。

「何だと!?」
「さっさと行け!」

 怒鳴られてドミニコは怒りの表情を浮かべたが、彼の剣幕に逆らうことが出来ず、ヤーゴを先頭にマイネスと十人ほどの男達に囲まれて出発した。
 その時ようやく、ジゼルの耳にも地響きと共に誰かが叫びながら近づいてくるのが聞こえた。
 しかし、既に馬は走り出し、周りを囲まれているため、そっちを見ることは出来なかった。

「きゃああ」
「動くな、落ちるぞ」
「もたもたするな」

 馬はあっという間に加速し、ジゼルは馬から落ちそうになる。不本意だがドミニコに身を寄せるしかない。

「おい、一体どうした。何が来たんだ」

 状況が飲み込めずドミニコがヤーゴに質問する。
 
「誰かがこっちに向かっている。味方ではない。状況から見て、ボルトレフの連中だろう」
「え!」

 ドミニコに併走しながら言ったヤーゴの言葉に、ジゼルは悦びの声を上げる。

「ユリウス」
「馬鹿、動くな、落ちる」
「きゃああああ」
「わあああ」

 ユリウスが来たのかを見ようと身を捩ったジゼルは、お互いを縛り合っていたため、それを止めようとするドミニコと共にバランスを失って、馬から落ちた。
 「死ぬ」とジゼルは身を固くして、目を瞑った。
 
「ぐっ」
「うっ」

 固い地面に横向きに倒れ、激しい衝撃に悲鳴を呑み込んだ。

「クソッ、世話の焼ける奴らだ」

 マイネスのそんな言葉が聞こえた。
 
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